第146話 縁談狂想曲おかわり2杯め
「いや、鳳様は本当にお人が悪い。我らに竜の姫を得る機会をお与え下さらないとは…」
『竜姫の婿取り』の参加資格は、正室を未だ持たない貴族の長子、及び家督を持たない男子である。
鳳翔の執務室に詰めかけたのは、その参加資格から外れた者達…すでに正室を迎えた貴族達であった。
彼らは言う。
「今まで我らは献身によって、多大な貢献を帝国に残してきたつもりでございます。その我らを蔑ろになさるのは、どうかと…」
『俺達をのけ者にするな。竜姫の身とその権益をよこせ』
簡単に表現してしまえば、こういう主張だ。
貴族間の婚姻には、いくつかの”暗黙の了解”がある。
その中でも女性当主の扱いは繊細で、基本、他家への嫁入りはあり得ない。家を存続させる事こそが、封建社会において当主の重要な役目なのだから当然の話だ。
その上、正室どころか、側室として輿入れを望まれる事なぞ、礼を欠いた行為の最たるものと言えよう。ましてや、祈の”尾噛”の家の格は、地方領主と同等なのだ。並の貴族では釣り合わない。
「帝国が切に望んでいるのは、新たに興した”尾噛”の、その次代だからね。君達が自分の家を出て婿養子に入るというのであれば、参加して貰っても全然構わないさ」
彼らの思惑は分かり易く、また余りにも強欲過ぎた。だからこそ、翔の返答はにべもない。
竜姫…尾噛祈は確かに美しい。彼女の美しさに惹かれ、純粋に手に入れたいと願うのであれば、一切合切捨てる覚悟くらい訳も無い筈だろう。そして、彼女の持つ多大な権益が欲しいだけという欲の皮の張った話であるならば、自身が持つ権益と今すぐ天秤にかけてみろ。そう言い切ったのだ。
「…ま、もし万が一、彼女がここにいる君達の中の誰かとの縁を望んだのであれば、ボクは何も言う権利が無いのだけれどね」
ここで彼らの主張をただ真っ向斬り捨てるだけでは、無駄に彼らに逆恨をみされて終わる。なので翔は、一応の保身にと言い訳を口にした。絶対にあり得ない前提の話だが、欲の皮が突っ張って盲目になってしまっている彼らの中でそれと気付く者は、この場に居なかった。
そもそも祈が懸想する人物がこの世に存在していたのならば、『竜姫の婿取り』が行われる事は、決してなかったのだから。
この咄嗟に出た一言が、また無駄な騒動の切っ掛けになってしまうとは、この時の翔はまだ知らない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…俊明殿」
「ああ。気付いてるよ」
いつもなら、守護霊+邪竜で集まる時間帯。所謂丑三つ時だ。
帝都にある尾噛屋敷の住人は、警備の者以外全員夢の世界へと旅立っていた。
邪竜とマグナリアは不在。
ここ最近のマグナリアは自身の回復術の強度と精度を上げる為、祈の眼の再生の為にと、あらゆる生物の肉体構造の研究をしようと、この時間になると外出していた。
帝都外苑部を根城とする魔物や獣達にとって、彼女の存在は命を脅かす迷惑な、明確な脅威なのだが、そんな事マグナリアは知った事ではない。
邪竜もやはり今後の祈の身体の心配をしているのだろう、ずっとそんなマグナリアに付き合っていた。
「数は…4人といった所でござろうか。真っ直ぐこちらへ向かっておりますな」
「しかし、何とも何ともって話だな。妙に警備が薄い日に、何故かそれに併せる様に侵入者ってな…」
「俊明殿は本当に人が悪い。もう解っておりましょうに…」
「まぁ、な。この屋敷も人が増えた…つまりは、そういう事だろう?」
二人の感覚が捉えた侵入者達は、正門から真っ直ぐこちらへに向かっている。手引きする者がいる確かな証拠だ。
「そんな所でござりましょうな。侵入者の目的は、祈殿か」
「さて、武蔵さん。どうするかね? これが霊的な攻撃ではない以上、本来ならば俺達は傍観せねばならない訳だが…」
祈の眠りはとても深い。それでも日頃の訓練のお陰で、自身に向けられた殺意、敵意に対しては即座に反応して動けるが、それが無い場合は、何をやってもまず起きない。祈を朝の決まった時間に起こす事が、彼女の世話をする女房衆にとって一番の難事だといわれる程にだ。
「言わずとも、拙者の答えは俊明殿も解っておりましょう。育ての娘の危機、指を咥えて見ておれる訳なぞ、ありますまい?」
「一応聞いておかにゃってね。だけど武蔵さん、敵の目的がはっきりと解らん以上は、できればギリギリまで我慢していて欲しい。今回限りの話なら別に良いんだが、どうにも…な?」
「承知。何とも歯痒い事にござるが、致し方無い…」
「ま、奴らの目的なんて、想像通りだと思うんだがね。そン時は、死ぬ程後悔させてやんなきゃなぁ…」
「左様にござるな」
侵入者は悉く倒す。慈悲は無い。その方針を確かめ合った二人は、野の獣も震え上がる様な獰猛な笑顔を浮かべた。
「ふ。やはり”尾噛”は大した事ない。家人がアレでは、底も知れよう…」
「お館様、そう言いなさいますな。今回の事に中って、それなりに金子を使いました。所詮下人にはこの魅力、決して抗えませぬ」
尾噛の屋敷に侵入する為に、家人にかなりの金を嗅がせてみせた。いかに俸禄を食もうと、それ以上の金を見せれば揺らぐ者は必ず出る。人の欲とは、そういうものだ。
”忠誠心”などという概念は、主側の願望に基付く幻想に過ぎない。そう割り切らねば、何れ寝首をかかれる。ここは、そういう世界だ。
「確かにな。だが、今回の事が上手くいけば、我らの手に入るはその幾万倍、幾億倍にもなろう」
「そして、あの竜の美姫も…お館様の手の中という訳でございますな…」
「くくく、楽しみだわい。あの白磁の如く穢れ無き若く美しい肌が、ワシの物になると…」
侵入者は涎を垂らし、しばし自身の思い描く甘き淫らな夢想に浸った。
家の名を出せば、大概の女子は傅く筈だと。
寝所に立ち『お前が欲しい』と言えば、必ずあの美姫は喜んで肌を晒し、求めて来るだろう。そう信じているからこそ、彼は尾噛の家人に金子を握らせ、深夜この屋敷に忍び込んだのだ。
金で買われた家人は、同居する他家の姫の寝所への道を案内する。
他家となった姫、祈の寝起きが悪い事も当然家人は承知していた。側付きとなった女房衆の誰もが直面し、必ず零す愚痴なのだから、当たり前といえば当たり前の話なのだが。
だからこそ、この家人は安心して道案内ができる。絶対に自分だとバレないと思っているからだ。
「そこでございます。あとは…なにとぞ」
「よし。お館様…」
「うむ」
貴族の男が頷くと、家来は僅かな金子の入った小袋を家人に握らせた。家人はその重さを確かめる様に一度掲げ、早々に立ち去った。
なるだけ音を立てない様に、侵入者達は屋敷へと上がり込む。目の前は、竜の娘が眠っている部屋の筈だ。
半ばまで月明かりに照らされた部屋の中に、豪奢な布団に眠る竜の姫の姿が確かに在った。貴族はその寝顔の美しさに、もう辛抱がたまらない様だ。逸る心を抑える事無く、乱暴に自身の纏う衣服を脱ぎ散らかす。
「既成事実さえこさえてしまえば、後はどうとでもなるわいな。その為にワシは此処へ来たのだからな」
全てを脱ぎ去り全裸となった貴族の男は、弛みきった腹の肉を揺らしながら祈の眠る布団へと歩を進めた。脱ぎ散らかされた衣服を集めた家来の男達は、見張りのつもりなのか気配を殺し部屋の外へと散る。
「ぐふふふっ。まだ幼いが、蕾の内に手折ってしまうのも、また一興よ」
布団を剥ごうと貴族は手を掛ける。その後の事を考えるだけで、男の内から熱く滾る何かが身体の熱を急激に高め、それらは一点へと集中していく。男は今や絶頂の寸前であった。
だが、絶頂を迎える前に、男の意識はそこで途絶えた。
「…なんてーか…嫌な話だな」
「正に。逆に祈殿が眼を覚まさなくて良ぉござったやも知れませぬな。これは要らぬ精神的苦痛になりましょう…」
武蔵は祈に憑依し、ぎりぎりまで待っていた。だが、結局最後まで祈は眼を覚ます事なく、武蔵の手によって貞操の危機は免れたのだ。
これで良かったのだと、二人は思った。
目の前で弛みきった醜い惰肉を投げ出し気絶している男の姿は、祈に深い心理的恐怖を与えるだろう。ならば、最初から無かった事にしてしまえば良い。
「正面きって勝てないとなれば奇襲。まぁ、常套手段ではあるんだろうが…歳考えろやってなぁ…」
「全くにご……すまぬが俊明殿。拙者、この者を笑えませなんだ。三番目の、細君が…」
武蔵最後の人生には、三人の妻がいた。その末の妻が向こう家の事情で、数え12で嫁いできた。その当時、武蔵と歳が3倍近くも離れていた幼妻である。
「ああ、そうだった、そうだった。すまんな、ロリコン侍」
「ぐはぁぁぁっ」
ずっと独りのボッチ勇者俊明には、武蔵はリア充の最たる存在として対極のキャラとも言える。リア充爆発しろ、羨ま死ね。悪意を込めて取っておきの罵声を吐いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そんな事があったの…? うへぇ、私もうここで安心して寝れないよ…」
翌朝、俊明達は捕らえた侵入者全員の衣服をひん剥き、屋敷の門前に晒した。
側には、
『この者達、皺多きねずみのふぐり食む為屋敷に侵入せし恥知らず也』
と記された看板が添えられていた。
”ねずみのふぐり”とは、この国で男色を指す隠語である。皺多きとはつまり、年老いた爺を狙ったと言う事だ。
「この屋敷に住む娘達は、総じて美人だと世間でも評判だってのに、態々爺を狙うってこいつら何考えてんだ?」
この屋敷に住む美しき娘の貞操を狙い侵入した筈なのに、何故か特殊性癖目的で押し入った変態のレッテルを貼られてしまったのだ。これでは、もう帝都で顔をさらして生きてはいけないだろう。
「ま、俺達がいるから、まず惨事にゃならんが、できれば警備体制は、ちゃんと考えてもらった方が良いな」
「左様。本来ならば、拙者達は手を出してはならぬ話でござるので」
「でも、そんなのもう今更でしょう? 徹底的にやっちゃえば良いのよ」
今回の侵入者は社会的に殺してみせた。今度は物理的に殺そうか、それとも生物的意味で殺そうか。手段はいくらでもある。マグナリアは舌舐めずりをし、男達をドン引きさせた。
「お姫さま、こうなっては、琥珀がお側に控えていた方が良いと思うのですがっ」
「あはは…か、考えておくよ…」
鼻息荒く琥珀がそう提案するが、その剣幕に少しだけ祈は不安を覚える。ひょっとしたら、こちらの方が貞操の危機なのかも知れないと思う程に。
『夜這い』は、貴族の嗜みとさえ言われた時代があった。
だが、それは帝国が中央大陸において覇を唱えていた頃の話だ。今では、その様な風習があったなぁ程度の話である。
そして、それには正式な手順と仕来りが存在しているのだが、今回貴族が行った事は、そのどれにも当てはまらない犯罪行為であった。当然、彼らを守る法は、帝国に一切無い。
とはいえ、夜這いとは、受ける側の自由が約束されている行為であり、当然その様に従う意思は祈に一切無い。
なれば押し売りとなる訳だが、これがまだ続くかと思うと、確かに憂鬱になる。
「はぁ、ちょっと対策、考えなきゃね…」
5人は一斉に深い溜息を吐いた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




