第145話 縁談狂想曲おかわり
「って訳で、君には申し訳無いんだけど期間を一ヶ月延長させてもらうからね」
「はぁ?」
呼び出しに応じた祈は、鳳翔のこの無慈悲なる一言のせいで、己が立場を忘れ思わず素の顔で聞き返してしまった。
帝国の宰相位は現在空位となっていて、実質鳳翔がその役を担っていた。つまり祈は、帝国のNo.2に対し真正面きって無礼な応対をした事になる。
「うーん、良いお返事だねぇ。だけれど、もうこれは帝国の決定だ。君に拒否権は無いよ」
翼持つおっさんのいやらしいニヤけ顔に、祈は瞬時に堪忍袋の緒が最大限に膨張し、破裂しそうになりかける。だが、ギリギリ何とか堪えた。
確かに今回の闘技場騒ぎは、祈が縁談もう面倒臭いの一心で一方的に持ちかけた話であり、それに対し多少の引け目は感じてはいた。だが、だからと言って何の相談も無しに勝手に開催期間を延長するとは何事か。祈はそれが許せなかった。
もし万が一にでもこちらが負けてしまう様な事態になれば、嫌でも勝利者の下へと嫁がねばならないのだ。その期間が延びるということは、その機会が増え危険度が増すという事だ。その様な話は承服しかねる。
「鳳様、その様なお話、私に全く利がございません。承服しかねます」
「君には利が無くとも、帝国にはあるんだ。ボクとしては、帝国貴族としての責務を全うして欲しいんだがネ?」
「はっきりと申し上げます。イ・ヤ・で・す。帝国には、私より強い御仁がおりませぬ。弱い男は嫌いです」
正室を持たない貴族がほぼ一巡してしまった以上、もうそれに付き合う気は無い。そう祈は言い切った。当主となった祈を側室に迎えたいなどとほざく礼儀知らずは元より無視の姿勢で臨んでいたので、祈の主張は正しい。
「うん。確かに君の主張は正しい。だけどね、このままでは君の”尾噛家”が、初代である君の代ですぐに終わってしまうんだよ。これは帝国の政を預かる身としては、到底看過できない」
「尾噛の、初代”駆流様”に流るる竜の稀血は、にぃ…望様の尾噛がこれからも繋ぐのですから、私の尾噛は別に養子でも構わぬでしょう? そもそも、あちらの尾噛こそが本流でございます」
(散々家を取り潰してきた癖に何言ってんだ?)
…等とは、祈も流石に面当向かって翔に言える筈も無く。だから、体面上の建前だけを言の葉に乗せる。
実際、帝国が重視しているのは、尾噛に流れる”邪竜の血”だ。それは望の…本家がしかと繋いでいけば済む話なのであり、祈が責任を負う必要の無いものの筈なのだ。
極端な話、望がさっさと正室を迎え、子を成せば済む話で、それこそ祈は望の次男、三男を養子に迎える事ができれば最上の展開と言えるのだ。何故妹である祈の方が焦って先に縁談話を進めねらねばならぬのか。そこが祈には全くもって解せない。
祈の言葉は正に正論であった。だからこそ翔は嫌そうな表情を隠す事もなく言葉を繋げる。
「うん。それはその通りだ。だけれどね、望クンの”尾噛”が実は問題でねぇ…最近、ウチの空と良い感じになってきているみたいなんだけれど、その場合、尾噛の持つ邪竜の血と、鳳に流れる天翼の血。一体、どちらが勝つのかなってさぁ…」
亜人種同士の子は、基本的にどちらか一方の、もしくは通常人種の血が出る。例えば牙狼を代表とする人狼種と、鳳を代表とする天翼人種同士の婚姻の場合、生まれる子はどちらかの、もしくは普通人種のみの特徴を持って生まれるが、亜人の血が勝った場合、狼と翼の特徴を併せ持つ子が生まれ出でる事は絶対に無い。
「皇族の血は絶対なんだけど、尾噛の血はどうなのかな? それが解らない以上、祈クンにも血を繋ぐ責務が…ね?」
翔の反論に、祈は詰まってしまう。最初の友達である空の望に対する想いは、祈も知る所で当然応援をしていたのだが、まさかここに来てそれが障害になってくるとは思ってもみなかった。
尾噛の家督を継ぐためには、証の太刀の継承が不可欠だ。だが、竜鱗人以外の者が、あの証の太刀を持つ事は絶対にできない。
もし二人の想いが通じ結ばれたのだとしても、間に生まれる子が竜の血を受け継いでいなかった場合はどうなるか…その事を望が思い及ばない訳がない。
そして、祈の母、祀梨と、望の母、布勢の確執とその顛末を知っているが故に側室を置く事なぞ絶対に無い以上、望が空の想いに応えないのは、もしかしてそういう理由があるからなのかも知れない。祈は急に胃の辺りが重くなった様な気がした。
「…まぁ、とはいえ、一月の延長が最後だと約束しよう。ここで決まってくれれば、ボクとしては万々歳。決まらなかったら…うん、その時はその時さ。君の望む通りにすれば良い」
こうして、”竜姫の婿取り”は、一ヶ月の期間延長が決まった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なぁ、マグナリア」
「…あによ?」
草木も眠る丑三つ時。
祈を守護する存在の上級霊三人と、知らぬ間にこの集まりに合流した邪竜一匹が、囲炉裏を囲う様に何となく集まっていた。
「祈の眼。あれ以上、もう何ともならないのか?」
「先日の状況を鑑みるに、いよいよ不味い事態になりかねよう。マグナリア殿。拙者も、その辺をお尋ねしたい」
「………ごめん。たぶんあたしの力じゃ、あれ以上もうどうにもなんない…」
大賢者を自称してきた鬼の女が、がっくりと項垂れる。
事、魔術に関して彼女は何者にも絶対に負けないと自負してきたが為、今回起こった祈の眼球の再生ミスという信じ難い事態に、長大に積み上がった自尊心が呆気なく粉々に崩れ去ってしまったのだ。
例え今回の婿取りを無事切り抜けたとしても、今後も視力というハンデが、育ての娘の身に大きくのし掛かるのだ。それこそ、戦場で正面から飛んできた流れ矢に、それと気付かずに死ぬ事だって充分考え得る。
武を極めし者とって、矢の存在なぞ怖いものでは全く無い。放たれた後その速度が落ちる事はあっても、増す事は絶対に無いからだ。矢に魔法が掛かっていればその限りで無いのだが、その場合は、今の祈の眼でも確実に捉えられる以上、さして脅威にはならない。
「…そか。それじゃあ仕方ねぇよなぁ…」
「ですなぁ…」
マグナリアの回復術が超一級品だと知っている二人は、彼女ができないと言えばその通りなのだろうと諦める他は無かった。そもそも二人とも回復の術を心得ていない以上、彼女を責めるつもりは一切無いのだ。
「ふん。不甲斐ないの。我が愛しき娘の美しい瞳を、あの様な不吉な色にされては…ああ、祈よ。我は不憫でならぬわ」
「だったらお前はどーなんだよ? 祈の身体を好き勝手に散々弄くってきたんだ。偉そうに言うからには、何とか出来るんだろうな?」
邪竜の言い方に、俊明は少し腹が立った。
出来ないと認めたくない、そう言いたくない筈なのに、彼女がそれと認めざるを得なかった現実。だからこそ、邪竜の尊大な言い方がどうしても許せなかったのだ。
「ま、ま、ま…俊明殿、抑えて、抑えて…ですが、邪竜殿。拙者もそれが気になり申した。祈殿の眼、御身なれば何か手立てがござりますので?」
「当然、我にも無理だ。眼球とは繊細なものでな? 我でもおいそれと気軽には弄くれぬわ。精々、熱を視覚で捉える様にしてやれる程度じゃな」
それだけでも充分に常人離れした便利な能力の筈だ。そして、対戦相手が熱を持つ生物である以上、今回の竜姫の婿取りでもその能力があれば、危機に陥る事はなくなるだろう。だが、それだけでは戦場での懸念が残り続けるのも事実だ。根本的解決にはならない。
「だが、それはそれでアリだな…後で祈と相談すっか」
「左様でございますな。ですが、それでは根本的な解決法とは言えませぬが」
日常生活に支障が出ている以上、何とかしてやりたいと思う親心。確かに眼鏡による矯正によって、日常での生活はできている。だが、それは”何とかできている”レベルでしかないのだ。
「ま、そこな鬼女の回復術が一級品であるのを認めるのは、我も吝かではないぞ? じゃが、今回はそれが仇になっておる様じゃな」
「…え? それ、どういう事よ?」
今日の議題が、マグナリアにとって針の筵同然であったので、なるだけ発言をしない様に気配を殺していたのだが、何らかの解決の糸口を掴んでるかの様な邪竜の言葉に、ついつい食い気味に身を乗り出した。
「ふん。貴様がただの”脳筋”だということよ。強大な魔力で強引に、効率無視の力尽く。それでは治るものも治らぬと言うておるのじゃ」
「そんな訳ないじゃないっ!? あたしの魔術は超々効率で限りなくエコよ。言い掛かりはよして」
「…確かに貴様の編んだ魔術は、必要とするマナ量が少ないがの。じゃが貴様、対象の構造、どこまで把握しておる?」
「…………あっ」
「…ふん、そういう事じゃ」
強引に再生した眼球の構成が間違っている。だからまともに視えていないのだ。邪竜の言わんとしている事にマグナリアは気付き、自分の愚かさを思い知らされ恥ずかしさに身を捩った。
「そっか。そういう問題だったか…」
「これは盲点でござったな。マグナリア殿の回復術でホイホイ手足が生えるので、我ら気にもしておらなんだ」
「本来ならば、我がここまで言う義理は無い。精々励めよ」
「…言われなくとも、やってやるわよ。待ってなさい、イノリ…」
この夜を境に、帝都周辺で魔物の変死体が幾つも報告される事となった。
その全ての死体に、眼球が無いのだ…と。
誤字脱字があったらごめんなさい。




