第142話 縁談狂想曲2
「いやぁ、閣下もお人が悪い。皆期待してしまいますでの。ええ、ええ。色良いお返事をお待ちしております。では、我が馬場家を、今後とも、よしなに…」
「はい。馬場様のお名前とご尊顔、この尾噛祈、しかと覚えました。では、今後とも…」
弛みきった顎肉を震わせ、馬場と名乗った貴族は満足気に相好を崩し、祈に向けて一礼した。
一応宮廷序列は、祈よりも馬場某の方が上なのだが、ここは階級だけが物を言う軍の施設だ。祈が頭を下げねばならぬ人物は、両手で足りる程度しか存在しない。
「……………ふひぃぃぃぃぃぃ」
馬場と名乗る惰肉が去った後、固着したままになっている笑顔を何とか崩し、全身で開放感を味わった。ここ数日だけで、祈の表情筋は過労死寸前にまで追い込まれていた。笑顔を保つというのは、こんなに難しい事なのだと、祈は熟々思い知らされたのだ。
離れで独りの期間が長かった祈は、当然人付き合いが苦手な娘となっていた。逆にあの環境で育った割には、他人とコミニュケーションが取れている方なんじゃないか? と俊明が評しはしたが、それは何の慰めにもならない。
「琥珀。次から馬場さんは除外ね。もういいや…」
「はぁい♡」
祈が馬場某に向けて”名前と顔を覚えたよ”と言ったのは、そのままの意味である。
つまりは…
『お前とはもう二度と会わねーよ』
そういう事だ。
全く乗り気はない縁談話とはいえ、面会した以上は、その人の家柄や人成りが気になるのは当然の話だ。婿養子の売り込みであれば、頭首が出て来るのは必然。その人なりを観察すれば、少なくともその息子達がどういう教育を受けてきたかは見えてくる。で、その結果、馬場某はダメだという結論に目出度く達したという訳である。
祈を見る視線が、あからさまなまでに『金』、『権勢』に凝り固まっていたのだ。
貴族間の婚姻とは、正にそれが目的であるのは当然祈も重々承知している。だが、だからと言って全てがそうなのだと達観できるものでも無い。
(少しくらいは結婚に夢を見ても良いじゃないか。ああ、もう世知辛いナー、コンチキショー!)
(こちとら初恋すら経験してねーんだよ、少しくらい結婚に甘い希望を持ちたいこの乙女心を判ってくれ)
そう祈は思うのだ……絶対に口には出さないのだが。
「私の記憶が確かなら、次男坊以降の売り込みはここらで一巡する筈だけど…今度は嫁入りの方で来るかなぁ…ああ、憂鬱だぁ」
”ウチの息子を、婿養子に是非ともっ!”
実際に面会してみて、そう願う家の何と多い事か。
『尾噛の長女、祈は帝の庇護下に在る』
その”事実”に、貴族達は色めき立った。尾噛祈を手に入れる事ができれば、帝の繋がりが確約されるのだから当然の話だ。
家督を継ぐ者がすでに正妻を置いている家は、祈を望む事はできない。祈の持つ”位”が、その様な無礼を赦さないのだ。となれば、次男以降の男子を婿養子として祈に差し出す事で繋がろうと考える。今はそう考え焦った貴族達が押しかけた結果なのだ。
必死になって自慢の息子とやらを売り込んで来るのは構わない。鬱陶しいけれどもう慣れちゃったし。でも、それでも、祈には許せない事が一つあった。
「…せめて、まともな人間と会話したい…ホントにどいつもこいつも…あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛もうっ!」
「お姫さま、その声は、100年の恋も一気に冷めちゃいますよぅ…」
やってくる奴のどいつもこいつも、全てが骨の髄まで”貴族”だった事である。
家自慢、権勢自慢、歴史自慢…兎に角何を話してもマウントを取ってくる。華美に宝飾された金ピカの自慢話と、宝石と天鵞絨に包まれた嫌味と皮肉。すでに祈はゲップを通り越し胸焼け、胃もたれを起こしていた。精神的にも肉体的にも、もう我慢の限界だった。
解ってはいた事だが、本当に貴族相手の会話は途轍もなく疲れる。感性が違い過ぎるのだ。
「もういっその事、全部断ってやろうか…」
本当に、どうしようも無く結婚したくなるまで、縁談話はもういいや。そんな諦めの境地に祈は到達しつつあった。
「最悪、子種だけ貰えりゃ、後はどうだって良いし。それも面倒に感じたのなら、養子でいいか…」
『沢山の子を育み、その子がさらに子を産んで…悔いの無い人生を、歩んでください…』
欲の皮の突っ張った貴族共のせいで、摩耗しきった祈の心の中に、亡き母祀梨の訓示はほぼ無くなっていた。家を守り子を成すという所が、どうでも良くなっていたのだ。
「お姫さまぁ、流石に、それは…」
祈の真剣な問題発言に、琥珀は返答に窮した。主が婚姻を望まぬのであれば、諸手を挙げて賛成したいのだが、琥珀も”子を成し、家を守るのが当然である”という古い教えで育ったが為に、その呪縛からは逃れられない。
である以上、祈のこの発言は、とても良くない事なのだと感じている自分が存在している事を、琥珀は否定できなかった。例えそれが、琥珀が心の奥底で望んだ結論であったのだとしても。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「困った事になったかもだよ、光クン」
「何があったんだい、翔ちゃん?」
此処は皇居の奥の最奥。翼持つええ歳こいたおっさん共が、御所の院で今日も今日とて悪巧みをしているのでありました。
今日も光輝は絶賛ドハマり中の焙じ茶と、茶請けに奈良漬けを用意していた。焙じ茶の強い香気にも負けない癖の強い漬け物が、この場合茶請けには一番かも知れない。
「とうとう祈クンがキレた。面会する貴族達全員、正面からばっさりだそうだよ」
「ああ、やっぱり…」
光輝は額に手を当てアチャーっと天井を仰いだ。何となくそんな結末になる予感はあったのだが、こうも未来予想図通りのドンピシャでは、もう笑うしかなかった。
「まぁ、それでも、彼らはしつこく食い下がってるみたいでね…」
「ああ、だろうね…祈ちゃんの存在は、彼らにとって美味し過ぎるニンジンだからなぁ。逃したくない気持ちなのも解る…本当は解りたく無いんだけれどさ」
(…その原因は、お前だろがい)
あくまで他人事の様な光輝の評に、翔は心の中で盛大にツッコミを入れた。一応御所の奥では、二人は親友として対等の立場で過ごす。だが、これは非常に高度な政治判断の末の結果である以上、臣下として気安く反論はできない。これは翔のケジメだ。
「だから、祈クンは妥協案を出してきた。ボクらにそれの判断を仰ぎたいってさ」
カリコリと奈良漬けを噛み、焙じ茶を一啜り。丁度小腹の空く時間帯もあってか、翔はほかほかのご飯が欲しくなってきた。
「妥協案って? また面倒くさい話じゃないだろうね?」
光輝は顔を顰めて、翔が口の中のモノを嚥下し、話の続きをするのを待った。
「んっく、ぷはぁ。ごめん、ごめん。んとね、如何にも祈クンらしい話なんだよ。”私と決闘して勝つ事ができれば、嫁入りだろうが婿養子だろうが何でも言う事を聞いてやる”ってさ」
「うへぇ。”絶対聞く耳なんか持たない”って言い切った様なもんじゃないか、それ…」
世間の認識では、尾噛祈というのは帝国最強の魔術士であり、竜使いであるとされている。
そんな豪の者を相手に、まともに戦える者なぞ悲しいかな帝国には存在しないと、二人は言い切れる。それこそ、祈の兄である望や、牙狼鋼辺りならば、善戦くらいはできるだろうが…
「うん。流石にそれやっちゃうと誰も向かってこないだろうからって、剣の戦い限定で良いってさ」
魔術士相手に、正直に真正面から戦を挑む馬鹿はいない。
祈クラスの魔術士となれば、一息で100人程度、軽く殺せるからだ。それでは、誰も挑まないし挑めない。不満だけが爆発するのは目に見えている。
だが、剣ならばどうだろうか?
「ああ、確かに。僕の方に伝わってくる話では、彼女の剣の腕についてってのは、全く無いな…」
幸いにして、尾噛祈が剣の修練を積んでいるとは、帝国内の誰も、そんな話は聞いていない。
だったら、可能性はあるのではないか?
そう貴族共は思うだろう。
「…ごめん、光クン。これはずっと黙っていたんだけれどね…ウチの娘達の報告に、その話は何回か挙がってきてたりするんだ」
「ほう?」
「ウチの娘達の話じゃ、二人同時でも祈クンに軽くあしらわれるんだってさ」
翔は首を竦め、諸手を挙げた。所謂降参のポーズだ。
姉妹の腕の程は、翔も充分承知している。草として腕を磨く為に重ねた時間に、彼女達は高い自尊心を持っているのも当然知っている。
それをもってしても『軽くあしらわれる』のだと冷静に評せるとあれば、その差は言葉で隠せない程に歴然なのだろう。
「ダメじゃん、それ。祈ちゃん、本当に結婚する気無いんだね…」
「だねぇ…もう笑うしかない」
剣に、魔術に、使役竜…一体、尾噛祈の個人戦力はどうなっているんだ?
しきりに首を傾げる。帝国は身中にとんでもないバケモノを棲まわせている気がしてきて、背中に走る悪寒にも似た戦慄に、二人はぶるりと身震いした。
「ま、翔ちゃん。これだけは言えるかな…」
「…だねぇ」
「「絶対に、あの娘だけは怒らせない様にしようね」」
誤字脱字があったらごめんなさい。




