第14話 お前が尾噛だ
祈「ずっと影が薄い件について」
宴が始まった。
女房達が忙しなく、贅をこらした料理を次々と運んでくる。
尾噛の治める土地の大半が海に面している為か、特に魚料理が多い様だ。
そして、酒だけは大量にあった。
米を発酵させた濁酒が、この国でいう一般的な酒だ。
それを絞った清酒や、蒸留し熟成させた味醂等も、すでにこの世界に存在するが、高級品なので量のみが重要視されるこの様な席では、まず出る事はない。
そもそも、どの世界、どの時代においても、酒呑みという奴は、質より量なのだから。
そんな酒呑み共に酒が入れば、当然乱痴気騒ぎ同然に騒がしくなる。
儀に参列していた尾噛の女衆は、すでにこの場から退いていた。
憚る者が居なくなった宴会の席は、次第に無礼講の様相を呈す。
服を脱ぎ散らかし半裸になった男衆は、思い思いに酒を呑み、料理を喰らい、歌い、踊った。
世間的に酒を呑む事が許される歳になった望だが、あまりに癖のある濁酒の味と臭いに閉口していた。
(こんなちょっと口に含んだだけで、吐き気がしてくるものを嬉々として呑むなんて…こいつら本当に信じられない……)
しかし宴席の主役である望が、そんな事など言える訳も無く……
次々に親族、家臣達から目の前に突き出される酒器に律儀に応じ、杯を干し返杯する苦行を望は延々と続ける羽目になる。
そんな酒呑み共を将来的に率い束ねる望も、やはり蟒蛇の素養があったのか、しつこく酒責めをしてくる輩を、一人の実力のみでほぼ返り討ちにした夜半…
前当主であり、父である垰と二人で庭に出ていた。
酒精を多く浴びた二人の竜鱗人には、高揚し熱を帯びた肌に、冷たい風が心地よく感じられた。
(父と二人きりの時間なんて、本当に何時ぶりだろうか……?)
望が物心ついた頃にはすでに、次期尾噛を束ねる存在として、厳しい鍛錬を強いられてきた。
常に周囲には家臣達の目があり、自身の立場を弁える事を、母である布勢からも、乳母からも言い聞かされてきた。
現に今も。そして今後も、先代と現当主として接する必要があるだろう。
その事を、望は少し寂しく感じていた。
子供の頃から、広く分厚い父の背中に、多分の恐れと、武人としてほんの少しの憧憬と、妹に対する冷淡な態度への恨みを持って見ていた。
聖人君子なんて、この世にいる訳はない。
そんなことは望でも判る。
しかし、目の前の目標であり、越えなくてはいけない壁でもある父に、それを求めて何が悪いのか
そんな子供じみた、開き直りにも似た青い感情を、望は頭から否定できないでいた。
「証の太刀の事だが……」
最初に口火を切ったのは垰だった。
「……はい。私を主とは…かの太刀に、認めてはもらえませなんだ……」
つい昼間にあった、絶望と屈辱の記憶が望の内に蘇る。
今までの尾噛の誰よりも、強くなってみせよう。
今までの尾噛の誰よりも、優れた当主となろう。
そう心の内に堅く決めていた望の決意を、継承した証の太刀はあざ笑うかの様に初っ端で挫いてみせたのだ。
「……仕方あるまいよ。太刀に認められた者は、初代様以外おらんのだ……」
代々続く尾噛の血族の中で、形だけ太刀の継承はしても、その太刀の主として戦場を駆けた者は存在しない。
戦場で扱うには、証の太刀は大きく、そして何より重すぎた。
太刀に所有者と認められれば、大いなる加護により羽根の如く軽く感じるのだ…等と伝えられているが、それは初代からの口伝による…駆流の言のみの話なのである。
実用性、皆無。
故に、儀礼用。
戦場に持ち出される事はない、ただのお飾り…武を誇る家にとって、銘を刻む意味の無い物。それが証の太刀なのだった。
「だが、お前はもう尾噛なのだ。太刀の事は忘れろ」
主と認められなくとも、太刀の継承は行われた。その事実を持って望は尾噛となったのだと垰は言う。
代々の当主にとって証の太刀は、竜殺し英雄譚の証拠であり、その血族の証明であり…次の尾噛が継承するまでの、蔵に保管される程度の物だという認識でしかないのだ。
「恐らくワシは、二度とこの地に戻れぬだろう」
無謀なだけでなく、詰めるにもあまりに杜撰過ぎる策を指揮しなくてはならない。
垰は死ぬ覚悟である。
「故に、お前に尾噛の全てを託す。尾噛に連なる者、尾噛に在る物全てを用い、何を望むのも、何を成すのも自由だ。何度でも言う。お前が尾噛だ」
「正直に申します。まだ私には、尾噛の家は重すぎます……」
早く大人になりたい。
今まで望は、背伸びをして生きてきた。
覚悟を持って日々鍛錬してきたつもりであったが、目の前の現実となったその責に、望の両手に戸惑いと重圧がのし掛かる。
「それは、ワシも日々感じておったよ…人とはそんなものだ。だが、それを口にしては、態度に示してはならん。それが漏れてしまえば隙となり、滅びの引き金となるのだ」
「父上でも……?」
「ワシとて、まだ若造と言われる程度の歳だ。全てを泰然と過ごす事など出来ぬよ」
父の言葉だけでは、お前が安心する事はないだろうがな…垰は自嘲気味に呟いた。
「祈の事だが……アレには、ずっと酷な仕打ちをしたと思っておる。今更ではあるがな。実はアレの縁談話がいくつかあるが、判断はお前に任す。アレを存在せぬ者として長年放置してきたワシに、命令する権利なぞ無いのだから」
父を糾弾するつもりであったのに、その前に祈が話題に出て来るとは思っていなかった望にとって、その祈の縁談話は正に不意打ちであった。
「何なら、全て断ってアレをお前のモノにしてしまっても構わん。お前の執着を、ワシは知らぬ訳ではないぞ? 国によっては、兄妹間の婚姻を一切認めていない所もあると聞く。だが、ここにそんな法なぞ無いのだ」
古来より世の支配者は、自身の治世の正当性を示す為に、神もしくは神の血族であると自称するものだ。
血の濃さを保つ為に近親婚を繰り返された果ては、様々な遺伝疾患や、血の限界による出生率の低下……種の存続が危ぶまれる事案が相次いだ。
それが経験則として近親婚を”禁忌”とする流れになっていくのは、至極自然な事でなのである。
「祈を、私の……モノに……?」
父の言葉の衝撃に、望はしばらくの間呆然としていた。
誤字脱字あったらごめんなさい。