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第139話 徒然なるままに2



尾噛家の朝は遅い。


帝都の屋敷の住人達のほぼ大半は日の出よりも早くに動き出すのだが、全員が揃って摂る朝餉の時間が遅いのだ。


魔術士隊の早朝訓練を指導する祈は言わずもがなで、新たに”四天王”の号を得た頭首の望も、幼少からの日課となっている鍛錬を怠る事はない。


(くう)(そう)(おおとり)姉妹も、草としての日々の研鑽は欠かさない。


「うへへぇ~、オーキぃ…愛してるぜぇ…むにゃむにゃ」


何の為に帝都に付いてきたのか、その目的が解らない牛田紋菜(もんな)は…ただ単に惰眠を貪っていたのだが。




「眼鏡、あんまり良くねぇみたいだけど、具合はどうだい?」


食後の満足感でのんびりとした時間。女房衆が膳を片付ける様子を眺めつつ、それぞれが緑茶を啜る。


その間もしきりに眼鏡の位置を気にする祈を見かね、紋菜は声をかけた。


「ああ、うん。ちゃんとよく見えるし、だいじょ………ごめんなさい。目の前に何かがあるって違和感に、全然慣れなくて…」


最初は折角作ってくれたのだから悪いと思ったのか否定しようとした様だが、その場で言い繕う事を赦さない紋菜の視線を感じ、祈は正直に現状を話した。


いくら眼鏡には軽量化の魔術付与が施されていても、祈の眼前には、それと解る分厚いレンズが常に横たわっている。この違和感は早々拭えるものではない。


「ああ、わかるわぁ。あたいもそれに慣れんの、スッゲ時間かかったかんなぁ…」


魔族が憎い。人が憎い。戦争が憎い。


その憎しみに突き動かされる様に研究に研究を重ね続け、ついには志半ばで世界が文字通り”終わって”しまった過去世を思い出したのか、紋菜はしみじみと言葉を紡ぎ出した。


丁度祈位の年代の頃に、視力が落ちて分厚いレンズの眼鏡を作り、今の夫の前世”オーキ”に凄く似合うよと言って貰った事も、今では紋菜にとって良い思い出だった。


「ひでぇ言い方にゃなるが、そこはもう慣れるまでしゃーないと、諦めてもらうしか無いなぁ。ま、経験者は語るって奴だ」


レンズに関しては、なるだけ早い内に薄い奴を作ってやっから勘弁してな? そう紋菜は慰める様に祈の頭を撫でる。即席でっち上げのレンズなので、紋菜にとっても眼鏡の出来に関して決して本意ではない。早期の改良を約束する。


「…デスヨネー。ああ、でもこれが無いと何にも見えないし…」


今までならば、そこまで眼鏡が必須という環境でもなかったのだが、いつの間にか魔術部門の筆頭職にさせられた祈は、不本意な事務仕事が大幅に増えてしまっていた。


現状、もう眼鏡は手放せない。そうなっては、もう眼鏡が改良される事を座して待つ他は無いだろう。


「紋菜さまぁ、祈さまの眼鏡、よろしくお願いしますね」


「ああ。虎ちゃん、まかせときな。ほれ、飴ちゃんやるよ。後で姫さんと仲良く分けな」


紋菜は懐から色鮮やかな飴ちゃんの袋を取り出して琥珀(こはく)に手渡した。それは帝都で最近できた菓子店のもので、行列ができる程の人気なのだという。


「わぁい。ありがとうございます♡」


琥珀は受け取った飴ちゃんの包みを、嬉しそうに懐に仕舞い込んだ。女性が甘い物好きなのは、どの時代、どの世界においても変わらない。


「しかし、知らない間に急に仲良くなったよね、二人ともさぁ…」


つい先日の、あの険悪な雰囲気は何処へやら。そんな二人が、今ではとても仲が良く祈の眼には見えた。一体何があったのか興味はあるのだが、下手に聞くのも躊躇われる。


結局あの場を諫める事をせず、早々にその場を去った自分にはその資格が無い。そう祈は思っていたのだ。


「ああ、それは”大人の事情”。祈にはまだ早い」


「…え?」


空の言葉に、祈の思考が一瞬停止する。大人? 事情? もしかして何か悪巧みでもしているのだろうか? 良くない想像が祈の頭の中を駆け巡る。


「…ああ、違った。”大人の情事”?」


(大人の情事…情事?)


紋菜と琥珀…♀x♀。そんなあり得ない筈の光景が、祈の脳裏に鮮明に描き出された。それがどういう意味か知らない訳ではないが、当然知らない世界。祈は顔だけでなく、首筋や耳まで真っ赤にして混乱した。


「ち…ちちちちちち、違いますからねっ?! 琥珀は、祈さま一筋ですっ! 全然そんな事ありませんからっっっっっ!!」


「ああ、虎ちゃんは酷いなぁ。あの熱い熱い夜を忘れてしまったのね…あたい、捨てられたのね。よよよ…」


(クー)(ねぇ)も、牛田の姐御も…アンタら態とやっとーやろ? それやと意味が全然変わってくるったい」


「てへ。やはりここの人達をからかうのは楽しい」


必死な形相で否定する琥珀に、芝居掛かった動作で泣き真似で煽る紋菜。それを冷めた眼で見る蒼に、態と誤解を招く言い方をした空。


(…女は三人寄れば(かしま)しいというが、やかましいという方が正解だろうな)


女達が知ったら確実にタコ殴りに遭うだろう…それが分かっている望は、ただただ空気と化して緑茶を啜った。


もしこの場で何らかの発言をしようものなら、確実に矛先がこちらに向く。そうなっては、肉体的にも、精神的にも命の保証が無いのだ。


「んもぅ…で、結局、”大人の事情”って何さ?」


多分、空の中で”ムッツリ”認定喰らったんだろうなと妙な確信を持ちながら、先程の醜態を隠す様に祈は半眼で紋菜と空を睨み付けて問う。本当に、もう今更なのかも知れないが。


「ああ、ただ単に腹を割って話しただけさ。まぁ、酒の力を借りた所が”大人の事情”ってぇ奴かぁねぇ?」


「そうやなあ、琥珀は腹筋割れとーしね」


「はい♡ 私、ちゃんと鍛えてますからっ!」


蒼の言葉に嬉しそうに頷きながら、琥珀は着物の前を(はだ)けた。それによって大きな双球がぼろんと零れ落ちるが、本人はその事にまるで頓着していない。望は慌てて顔を背けた。


「はー…これは見事な。それに比べて、牛田の長女は…これ全然割れてないだろ。ぶよぶよ」


空は服の上から紋菜の腹を撫でて酷評した。既婚者とはいえ、妙齢の女性の腹を撫でて深く溜息を付くのは、流石にどうなんだ? 祈は空の情け容赦のない行いに恐怖した。


「はっはっはっしっかり肉に包まれとるからなっ! って、やかましいわ!!」


冗談に乗っかりはしたが、やはり傷ついたのだろう。紋菜のツッコミのチョップはとても激しく、それを喰らった空の頭が大きく揺れた。


「…ま、そこしゃぃアタシらが合流したっちゃ訳。お陰で琥珀ん人柄ば、良ぅ解ったばい」


「祈、良い人見つけた。琥珀なら、わたくし達も安心して祈を任せられる」


「皆様…ありがとうございます、祈さまは、この琥珀が絶対に幸せにしてみせます♡」


(…ん? 何この雰囲気?)


まるで結納の親類の口上みたくなっているのは何故だ? 感極まった琥珀の表情に戸惑いを覚えながらも、祈は何も言えなかった。


祈は、ふと何気無く兄の方を見た。


望は、肩を震わせて笑いを堪えていた。どうやらまだ彼女達は”祈いぢり”の途中らしい。



ついに、竜の娘がキレた。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「ったく、ホンッと姫さんは冗談通じねぇよなぁ…ユーモアって言葉知ってっか?」


頭をさすりながら、紋菜は恨みがましい眼を祈に向ける。空も、蒼も、同じ様にキレた祈の逆襲を受けており、畳に突っ伏していた。


ひたすら空気と化す事に専念していた望は、勿論無事であった。


「あんな悪趣味なのは、冗談とは言わないっ!」


「お姫さま、ごめんなさい。こういうのはノリでやるもんだって、皆様から聞いておりましたので…」


ぷりぷりと音が出ているのではと錯覚するくらいのお冠の祈の様子に、琥珀は恐縮しっぱなしだった。


本来ならば、立場上止めねばならない筈なのに、一緒になって”祈いぢり”に参加してしまった。これでは、主に面目が立たないのだ。


「ああ、やっぱりこん雰囲気良かね。尾噛の里では、ずっと寂しか食卓やったけんなぁ…」


「祈がいなかった。でも、今は違う」


「そうだね…」


「うん、ありがとう。これからは、皆一緒だかんね」


皆で合わせる様に、湯飲みを傾ける。すっかり温くなってしまった緑茶は、するすると胃の中に入っていった。


「それじゃ、今日も一日頑張ろう」


「「「「「はいっ!」」」」」


尾噛の頭のかけ声で、今日が始まった。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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