第137話 実は色々と変わっちゃってます
再会する事を、心のどこかで躊躇っていた。
最後に兄と別れてから、色々と違う身体になってしまったから。
仕事で忙しい。
そう理由を付けては、兄望との面会の機会をずるずると先延ばしにしていたのだが、いよいよそうとは言ってられなくなった。まさか直属の上司となった帝からの喚び出しとあっては、祈は断る事ができないのだ。
(こういう要らない思いやりは、ほんっと勘弁して欲しいんだけどーっ! チキショー、おっさん空気読めぇーっ!!)
心から求めている事は絶対気付かない癖に、何でこういう要らぬお節介だけは的確にやってくるのか…祈は盛大に舌打ちしたい気持ちでいっぱいになった。
(ま、絶対にやらんけど。これでも私、淑女ですから。でも、この気持ち、誰か解ってくれないかなー? かなー?)
心の中で、何度帝と鳳翔の首を絞めた事か。勢い余って引っこ抜いた事もある。淑女の嗜みである妖艶な(?)微笑の裏では、竜の娘は幾つもの凄惨な殺人を重ね続けていたのだ。
(こうやって、祈も順調に大人の階段を上ってるんだな。立派な社畜に育っちまってまぁ…)
(こんな大人に誰がしたのでござろうか。全く、世知辛い世の中でござる)
(ほらぁ。やっぱりあの時燃やしておけば良かったでしょ?)
守護霊達のコメントが、一々祈の癇に障ったのは言うまでも無い。
「さて。帝のせいで、もう回避できなくなっちゃった訳だけどっ! どうしたモンかなぁ…?」
日の光を浴びキラキラと輝く髪を琥珀の手に委ねたまま、祈は怒り気味に直属の上司への愚痴を吐いた。比較的歳が近いというのもあったが、男社会の真っ只中で生きる祈にとって、同姓である琥珀はとても得難い存在である。当然、何でも話せる間柄になるのには、そう時間は掛からなかった。
「でもでもぉ、何れは明かさねばならない事なんですから、覚悟を決めなきゃダメなんだと思いますよ?」
”何でも話せる”それは、イコール”全肯定”という事では、決して無い。それどころか、琥珀は祈を絶対に甘やかす事は無かった。それが祈には嬉しくもあり、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、不満に思う事でもあった。
「ああ、ホント琥珀は厳しいなぁ…二月前の貴女は『何があっても、例え世界が全て敵に回ったとしても、お姫さまは、琥珀が絶対にっ全力で護って差し上げますっ!』なんて言ってくれたのになぁ…どうしてこうなった?」
「えぇー? その気持ち、今でも全然変わってませんよ。今回もちゃあんと琥珀は、祈さまの味方です♡」
だから、駄々捏ねてないでお兄様に会いましょうね。そう琥珀は幼子に言い聞かせる様な、優しく穏やかな口調で祈に言葉をかけた。
「はいはい。わかりました。わかりましたよーっだ」
「…祈さまぁ、返事は一度で良いんですよぉ?」
束ねる為に集めていた精緻な細工そのものともいえる無垢な白色の髪をくいっと引っ張られる僅かな痛みで、琥珀に無防備な背後を晒したままという危険な状況である事を思い出し、今更ながらに祈は後悔した。もし、今ここで琥珀を怒らせてしまえば、抵抗らしい抵抗もできずに祈は忽ちに制圧されてしまうのだ。
「はい。了解しましたっ!」
ここは素直に首肯するのが一番だ。祈は日常に潜む、数々の危機を回避する術を日々こうして学んでいる。
「はい。それでこそ、琥珀の敬愛するお姫さまです♡」
琥珀の手で幾条にも丁寧に編み込まれた髪は、例え激しい戦の最中であっても決して崩れる事は無いだろう。乱戦時に髪を掴まれるという事は、敵に動きを封じられてしまうだけでなく、生死を分かつ程の危機を曝す事にもなる。髪は女の命というが、その為に命を喪う事すらあり得るのだ。
「兄様、元気にしてたかなぁ…?」
会いたくない気持ちがあるのは本当だが、だからと言って絶対に会いたくないという訳では無い。単なる我が儘だというのは解っているつもりだが、色々と変わってしまったこの身体を身内に晒すのは、正直気が引ける。その原因が自身の思い上がりと油断にあったとなれば尚更なのだ。
(だけど、それを気にして逃げ回るのは、もうやめよう。兄様だけでなく、空ちゃん、蒼ちゃんにも会いたい。一緒に帝都に来ているって話だもんね…)
隊の宿舎を出れば、職場はすぐ目の前だ。だが、まずは直属の上司様の所に赴かねば。今日は長い一日になりそうだ。祈は全身に気合いを入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
兄との再会は、祈の予想通り波乱含みとなった。
一目で瞳の色の違いを指摘され、あの時何があったのかという説明を、事細かく求められた。
祈は仕方無く順を追って正直に話をしたのだが、それに対し望達が一々目くじらを立てては、怒りにまかせて何度も机を叩くものだから、ものすごく時間がかかってしまった。
帝も翔もあまりに殺伐としてきた席に身の危険を感じたのか、適当な理由を付けて早々に退出していた。
(チッキショー! おっさん共、やっぱり逃げやがったっ!)
何のフォローもなく逃げるのなら、最初からこんな席を設けるな! 祈は心の中で敬愛する上司達の頭を、何度も何度も拳骨で叩いた。
瞳の色だけでなく、実は裸眼では色と光の判別しかつかない程に、視力が衰えている事も正直に話した。
再生した角の形状が以前と変わってしまった事をすぐに看破されたのには、どこまでしっかり私の容姿を覚えているんだと、祈は正直引いた。
生来色素が薄かった為に銀に近かった髪の色が、今では完全な白髪になってしまったのもすぐにバレた…ここまで来ると、愛の重さに少なからず恐怖を覚えた。
服に隠れて見えない身体の様々な箇所も、実は色々と変化があるのだが、そこまで言う必要は無いだろう。説明するために脱ぐ? そんなの、絶対にあり得ない。そう祈は思っているからだ。
まぁ、何れ空や蒼には話す機会が訪れるだろうが、その程度で良い。指摘されなければ、ずっと黙っていても良い筈だ。
「まぁ、でも…こうして無事に再会できて本当に良かった。これから僕も、帝都で宮勤めだ。また一緒だね、祈」
「はい。兄様」
差し伸べられた兄の右手を、祈は大事そうに両手で包んだ。
(兄様の手、こんなにゴツゴツしていたっけ?)
幼き頃の記憶と今の感触は全然一致しなかったが、心の底から安心できる手の温もりは、決して変わる事はなかった。
それで良い。それが良い。何時かこの手を離さねばならない日が、必ずやって来る。それまでは…祈は心の奥に刻み込む様に、この温もりを反芻した。
「祈っ、アタシ達もおるけんな。二人の世界に旅立たんで欲しかばってんが…」
「愚妹に同意。わたくし達をのけ者にしないで欲しい」
「ごめんね、空ちゃん、蒼ちゃん。また一緒だねっ!」
翼持つ二人の友人の手を取り、祈は何度も何度も上下に振った。忙しそうに駆け回っていた二人と疎遠になってしまったのではとずっと感じていただけに、これはとても嬉しかった。
「ああ、あと紋菜の奴も来とーけん。後でちゃんと話してやるっちゃん?」
突然の蒼の発言に、祈は一転して奈落の底へと突き落とされたかの様な、墜落感を味わう事となった。
(またアレを繰り返せと言うのか…)
裸眼では、祈は周囲がほぼ見えていない。
霊の視界では、生者、死者の姿はちゃんと捉えられるが、当然無生物は解らない。切実に、紋菜がしている様な度入りの眼鏡が祈は欲しい。その為には当然、紋菜にこれまでの経緯を正直に話す必要がある。
さて、もしそうなった場合、心優しくも過激な彼女は、最後まで黙って祈の話を聞いていてくれるだろうか?
答えは間違い無く『否』だ。
確実に紋菜は暴れる。
下手をしなくとも、生き残った堀家の兄弟達の命が危ない。紋菜の性格なら、まず間違い無く彼らを襲撃する筈だ。
「…蒼ちゃん、どうしよう…紋菜さん、絶対殺るよぉ」
蒼の両肩をしっかりと掴み、祈は前後に揺する。制御の難しい合成獣は連れてきていないだろうが、指示に忠実な自動人形を紋菜は常に連れている筈だ。単純な戦力だけで言えば、紋菜は帝都でも上位になる。”野に放ってはいけない人物の一人”と言っても、過言では無い。
「ああ、うん。そうやなあ…うん」
”アタシもその後景が容易に想像ついて嫌になる”…蒼の顔にそう書いてある様に見えたが、それは決して祈の思い込みではない。二人、見つめ合い静かに頷く。
「でしたら、正直に話す前に牛田の長女を縛ってしまえば? 彼女、身体を動かすのはダメダメですし」
空の策は、不安で押し潰されそうになっていた二人には天啓に思えた。
「そうだ、そうだよっ! 最初から動けなくしてしまえば良いんだ。何でそんな簡単な事に気付かなかったんだろう!」
「全くそん通りばいねっ! 何や簡単な事やなかね!」
互いに両手を叩き、笑い合う二人を端から見ていた望はツッコミ所多数で色々と異論があった。
だが、どうせ受け入れられはしないだろうと不干渉を貫く事にしたらしい。望は頭を振って早々に一人屋敷に戻る事にした。
牛田の長女には悪い事をしたが、そもそも自身のその性格が災いとなっただけだ。諦めろ…と。
その後、漸くの再会を喜ぶ声が一転し、絶叫へと変わるのだが…その詳細を知るのは、彼女達4人だけであった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




