第134話 その後始末的な話9
「…何だって?」
望がその知らせを聞いたのは、事件から三日経った午後の事であった。
主に通信が人の脚によって成るこの世界においては、これでも帝都の最新ニュースなのだ。
「帝都のとと様が、全てはこちらの落ち度だと。望さま、申し訳ございません…」
帝の名において招聘した以上は、祈の身の安全一切を帝国の責任において果たされなければならない。
だが、帝都に在る尾噛の屋敷は燃え、祈は賊の手に墜ち、一時は危篤状態にまでなったのだという。その責は誰が負うというのか。望の怒りは尤もであり、身内の失態を報告する空は、ただただ恐縮するしか他は無かった。
「ああ、すまない空。君は何も悪く無いんだ。だが、今回の一件は流石に腹に据えかねる。いくら鳳様のご沙汰であるとはいえ、祈は呼び戻すよ」
そもそも祈は武官ではないのだ。一応は”武将待遇”ではあるが、それはあくまでも尾噛家内部での位置づけに過ぎない。それを本国がとやかく言える筋合いは無いのだ。
望も祈も、あくまでも帝国の要請に応じただけに過ぎないのだから。
「実は、その事なのですが…おひい様からも書簡が…」
空にとって、祈は友人だ。個人的には親友だとすら思っている。だが、彼女は絶対に公私混同はしない。公務中の空は、尾噛家の家人であり、祈の呼称は当然”姫”となる。
この報と共に認められた頭首宛の祈の書簡を、そのまま手渡す。
望はそれにざっと眼を通し、その内容に力なく苦笑を浮かべた。
「ははは…我が妹ながら…そうきたかぁ…」
「おひい様は、なんと?」
「『未だ目標遠く、任されし責務果たすまで、帰る事能わず』だってさ。僕が帰還命令を出すだろう事、解ってるんだろうね。しっかり牽制してきたよ…」
如何に道理が尾噛側にあろうとなかろうと、帝国側の意思を一方的に無視し、祈を連れ戻そうとしたら当然両者間に軋轢が生まれ、尾噛家の立場が悪くなる。その事を祈は心配しているのだ。
「ふふふ…そろそろ、”妹離れ”の時期でしょうか、望さま?」
「手厳しいな」
妹がそのつもりならば、兄は信じて後方で見守る事しかできない。
祈は自身の能力を駆使し、自己の道を歩み始めた以上、確かに空の言う通り”妹離れ”の時期なのかも知れない。この執着にも決着を付けねばならぬ時が来たということだろうか。空の煎れた緑茶で喉を湿らせ、もう一度最愛の妹からの書簡に眼を落とした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…で、私はいつまでこうして寝ていれば良いのかな? かな?」
マグナリアの全力の回復術で、すでに身体は完治している以上、祈には一日中床に伏せている理由は無い。責め苦に耐え続けた精神疲労が祟ってか、確かに昨日は夕方まで正体無く寝てしまったが、若い肉体はそれ以上の眠りを欲していないのか、夜半を過ぎても目が冴えてしまい、一向に眠れなかったのだ。
「ダぁメぇでぇすぅ~。せめてお姫さま、今日だけは一日中寝ていて下さい」
なのに、こうだ。祈は深い溜息を吐いた。
琥珀は、ぶう垂れて膨らんだままの主の頬を突いて、中の空気を抜いた。ぷすぅっと、気の抜けた音が祈の口から漏れ、二人とも笑ってしまった。
「…調子、コキ過ぎたなぁ…」
魔導具を用いて自身を魔術士と偽ったまま、大きな態度でいたのが許せなくて、必要以上に彼らを罵り煽った。
その報復も充分に承知していたのだが、まさか屋敷を焼き、家人を人質に取る等という、形振り構わない行動に出て来るとは、流石に予測をしていなかった。
さらには、祈にとって天敵とも言える<魔術士殺し>なんて代物まで用意してくるとは…自身の詰めと考えの甘さが、モロに出てしまった。今回は目的を全て達成できたとはいえ、もう少しで自身の命を失うその寸前まで行った。反省せねばなるまい。
「…そうですか」
「うん。多分ね…」
抉り取られた眼球は、マグナリアの回復術のお陰でこうして再生したのだが、やはり完璧に、とはいかなかった。肉の視界は、以前程物が見えなくなっていたのだ。
兄宛に書を認めた際、視界がぼやけて、自身で書いた文字すらも良く解らなかった。それでも身体に染みついた所作のお陰で、ちゃんとした文章を綴る事はできた。
だが、今後書物を読む時は、何らかの対策が必要となってくる。尾噛領に戻れたら、紋菜に眼鏡を誂えて貰おう。彼女の手ならば、きっと期待以上の良い物が出来上がる筈だ。
「魔術に頼りすぎだったのも、事実だからなぁ…『マナが無ければ何も出来ない』そんな事、解っていた筈なのに…ね」
思い返せば、あの時捕縛呪を全員にかけてしまえば、多分痛い思いをせずに済んだのかも知れない。そもそも、人質の確保が最優先事項であった以上は、こちらから仕掛ける訳にはいかなかったのだが…
それでも、呪術を用いた何らかのやりようがあったのではないか。今更ながら、そう祈は思うのだ。
「…そうですか」
「ホント、今更なんだけれどね…」
空白。ただ無言で過ぎゆく時間。本来ならば、特に話題を捜す必要なぞ、二人の間には無い。
だが、主の心が沈んでいるのは琥珀にも嫌という程に伝わってくる。元気づけてあげたい…なんて、そんな不遜な考えは、琥珀の中にはない。
ただ、ほんの少しだけ、気を紛らわせられれば良い。本当にそれだけ。
「でしたら、次は反省する事が無い様に、いっぱい、いっぱい反省しちゃいませんか?」
「…琥珀、さん?」
「私なんか、集落では”ドンクサ”とか、”おっぱい”とか、”穀潰し”とかなんとかよく言われちゃってましたけど、ちゃんと反省して、次に活かしてました。お姫さまは、琥珀から見れば完璧過ぎて凄いなって常々思っていました。でも、そんなお姫さまでも反省する事があるんだなって思うと、一緒なんだな…って。だから、一緒にいっぱい、いっぱい反省です。反省会ですよっ!」
(あれ? 集落の長も白虎さんも、琥珀さんの事”集落一の腕利き”だって言ってた様な…? もしかして、不良品掴まされた??)
脳裏に過ぎったのは一瞬。だが祈は早々にまぁ良いかと忘れる事にした。今、此処に彼女が居てくれるだけで嬉しいのだから。
その日、祈と琥珀の二人の反省会は、深夜まで続いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
太陽宮最奥にある御所にて、翼持つ二人のおっさんは、酒瓶抱えながらうんうんと唸っていた。
「さて。それじゃあ今後の事考えないとね…」
「だねぇ。今回の一件さ、ボカぁ尾噛家の位が低すぎたのが原因だと思うんだ。だから、もう誰からも文句が出ない様に、官位上げてしまおうかって」
そう言うと翔は一気に酒を呷った。今まで見て見ぬ振りして放置してきた帝国の膿みが噴出した事が根本に在る。それに加えて、”帝国の火薬庫”とも言える尾噛が暴走したのだ。呑まねばやってらない。
「だけれど翔ちゃん、流石にそれやってしまうのには限度がある。精々、尾噛の頭首を先代同様”四天王”に指名する程度に留めた方が良い。優遇し過ぎると、それはそれで方々から恨みを買ってしまうからね」
光輝は酒器に酒を移し、ちびちびとやる様だ。翔以上に、今回の件は堪えたのだろう。門閥貴族の特権意識が問題の根底にある以上、今後の対応をしっかりと考えねばならないからだ。そうでなければ、帝国の屋台骨が揺らぐ。
そもそも”四天王”という役職は、帝国には無い。だが、帝に次ぐ帝国の意思決定機関として、そのお役目は周知徹底されてきた。だが、牛頭豪によってすぐに変質されてしまったのだが…
それでも四天王は、門閥貴族からも一目置かれるくらいには権威があった。貴族とは名ばかりである成り上がりの牙狼も、先代、垰も、正面からは嘲られる事は決してなかった。それをやってしまえば、指名した帝への不敬、侮辱となってしまうからだ。
「ああ、望クンを四天王にするのはボクも賛成。彼ならその能力が充分にある。そろそろ彼の領地経営も軌道に乗る頃だろうし、やっちゃっても良いんじゃないかな」
直接酒瓶に口をつけ、翔は喉を鳴らした。何かの不安を払拭する様に。酒に逃げる様に。
「ああっ、もう。翔ちゃん、ちょっとペース速すぎだって。ほら、空きっ腹に酒だけを入れたら悪酔いするってば」
目の前の卓に肴はいくらでもあった。だが、翔はそれには目もくれず一心に酒を呷っているのだ。今までの長い付き合いの内、そんな事は一回もなかっただけに、光輝が心配になるのも仕方の無い事だろう。
「っはぁ…ごめん、光クン。流石に今回の一件はボクも堪えた。今までボクらは一体何をやってきたんだろうね…ボクらのせいで、将来有望な人材を失う所だったんだから…」
いくら呑んでも酒精が正気を奪ってくれない。酒に溺れる事すらもできない翔は、何だか自分が情けなくなってきた。
祈は夕刻には目を覚まし、翔の用意した宿にその身を移したという。一応大事を取って、三日間の静養を申しつけたが、彼女はその沙汰に不服そうだったとの報告も受けている。仕事熱心なのは良い事だが、少しは自愛して欲しいものだと、翼持つ二人のおっさんは心配になるのだ。
そして、翔は今すぐにでも祈に土下座しにいきたい気持ちでいっぱいになった。予感はあった。それに対し件の連中の家と、尾噛に草を配置していたのだが、事態の急激な変化に全く付いていけなかった。これは自身の完全なる失態である。
「そう自分を責めなさんな。その為の改革を、僕らがこれから考えていかなきゃ。親父の代で滅亡一歩手前まで行ったんだ。そう考えれば、まだまだやり直せるさ」
長寿の種族である為に、帝の在位期間は人類種のそれよりも遙かに長い。光輝の一代で、貴族、文官の腐敗が蔓延ったのは仕方の無い事だろう。その事が判っただけでも、今回の一件は教訓になる筈だ。
「そうだね。前向きに考えなきゃ…だねぇ。でもまぁ、そんな事言ってられないんだけれどね、ボクは。今回の件を全て正直に説明したら、多分ボク、望クンの手で真っ二つ確定だからさぁ…」
「ああ、それは流石に庇いきれないな。その時はごめん、綺麗に真っ二つになっちゃって。その後すぐにくっつければ助かると思うから。多分、きっと…うん。恐らく…」
世に言う達人の手による斬撃の切断面は、繊維が押し潰されること無く、綺麗に揃っているという。間を空けず縫合すれば、すぐにでも動くらしい。
邪竜の太刀を手にした望は、あの神器<太陽の盾>すらも、その持ち主ごと両断せしめた程の腕前と斬れ味を発揮した。少なくとも、彼の技量はすでに達人の域にあるという証左だ。
「ホント、薄情な良い親友をもった幸せ者だよボクは…」
「ごめんね。僕も命が惜しいんだ…多分彼が君を殺る時は、僕も一緒に道連れの運命だとは思うけれどね…もしくは、ついで?」
二人して、邪竜の太刀を大上段に構えたまま、こちらに向かって疾走してくる望の姿を幻視してしまい、その恐ろしさにぶるりと全身を震わせた。
「うん。今日の所はまず呑もう。せっかく美味しい肴もあることだし…」
「だねぇ、今日はご相伴にあずかるよ。ボクの好きなうるかもあるしね」
その後、何かを忘れるかの様に、翼持つ二人のおっさん達は、一日中のどんちゃん騒ぎに興じたという。
誤字脱字があったらごめんなさい。




