第131話 拷問
魔術士殺し…それは魔導具の一種である。
魔導具は周囲に満ちるマナを燃料に、予め定められた魔術機能を発揮する道具の総称だ。
その魔導具の中に必ずあるマナを集める為の機構、それのみを取り上げ発展・強化させたものが<魔術士殺し>である。
魔術士は”英雄”の一つの形だ。魔術を修めた者を制するのは、何の力を持たぬ人間には極めて難事となる。もし、魔導士が何らかの罪を犯していた場合、誰がそれを捕らえるのか…その応えこそが、魔術士殺しのできた経緯である。
帝国刑務所内には、この魔術士殺しがいくつも設置されていた。それだけ帝国が魔術士に脅威に感じているという確たる証拠とも言えよう。
そして、ここ尋問室…いや、拷問部屋と表記する方が正しいであろうこの陰気な部屋には、件の魔術士殺しが四隅に設置されていて、部屋の中のマナは皆無となっていた。それは、いざとなれば魔術で切り抜けられるだろうと高を括っていた祈にとって、致命的な場所でもあったのだ。
(参ったわね…あたしもマナが無ければ何にもできないわ…)
祈の側に控えるマグナリアもいくら本人の能力が規格外だとはいえ、やはり魔術士の法則を超える事はない。周囲のマナが無ければ、彼女といえど何もできはしないのだ。選択を誤った。ここはムサシが憑くべきであったのではないか? マグナリアは後悔していた。
拷問部屋の壁に何かしらの特殊加工が成されているのか、俊明と武蔵との繋がりが弱くなったのも、マグナリアの不安を一層掻き立てた。当然、これは祈も感じているであろう事は疑うべくもない。
完全に途絶えてしまった訳ではないが、部屋の扉が閉まった途端に彼らと自身を繋ぐ霊糸線が細く弱くなった。今まで当たり前の様に感じられたものが無くなった喪失感は、強く在った筈の精神をも苛む。
これは不味い。
そう祈は思った。
今の状態では、簡単に挫けてしまうかも知れない。それは、祈を信じて動いてくれているであろう、俊明らの期待に背く事になる。
人質となっている家人を救出する。
それは祈の我が儘。
元来、俊明達守護霊とは、守護対象の身の安全こそが至上であり、他は一切顧みる事はない。それが当たり前の事で、今回の様に祈の我が儘に付き合う事自体、守護霊の選択として、絶対にあり得ないのだ。
「そこに座れ。今から貴様への尋問を始める」
祈は言われた通りに座った。囚われた家人は3人。全ての無事を確認するまでは、逆らう事ができない。冷たくデコボコの多い石畳の上に直に座るだけでも、膝や脛に微かな痛みが伴い、少しだけ顔を顰めた。
「尋問? 私は何もしていない」
「それを判断するのは、私ではない。他家の屋敷への延焼もあり得た以上、その罪を追求せねばならぬ。貴様の罪、決して軽くはないぞ?」
尾噛の屋敷があった区画は、下級貴族の屋敷が多く並ぶ所であった。平民達の住む長屋区画に比べればしっかりとした間隔が設けられていたとはいえ、確かに風の具合によっては他家の屋敷に延焼してもおかしくはない程の火勢があったのは事実だ。その件を問われてしまえば祈は黙らざるを得ない。
「応よ。貴様の罪、今から我らが問う。精々泣き叫ぶが良いさ」
3名の拷問吏を伴い、伊武と名乗っていた男を筆頭に、あの日見た顔ぶれが祈の前に姿を現す。その後ろには、屋敷で祈の世話をしてくれていた女房が一人、縛られて転がされていた。
「くっくっく。ざまぁないな、尾噛の小娘が。我らに楯突いた事、後悔した所でもう遅いわ」
「いかに優秀な魔術士の貴様とて、マナが無くば何もできまい。ここで我らの受けた屈辱、万倍して返してやろう」
「さっさと放火の罪を認め、我らに跪き泣いて赦しを請うが良い。まぁ、その後死罪は免れぬのだがな。あーっはっはっはっは!」
「そんなのはどうでもいい。我が尾噛の家人は全員無事なんだろうね?」
「ふんっ。この様な状況でも、まだそんな口を利くか。下賤な成り上がりの小娘が。安心しろ、まだ手は出しておらぬわ。だが、お前の態度次第では、それもどうなるか解らぬがな…」
周囲を見渡すが、この場にいる家人は一人だけの様だ。残りの二人はどこかにいるのか分らない以上、それを確認するまでは大人しく言う事を聞く他は無い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「~~~~っ」
小さな身体に、拷問吏の握る木の棒が何度も何度も打ち付けられる。
マナを確保できてさえいれば、この様な打撃なぞ祈にとって撫でる様なものでしかないのだが、そんなものはない。無防備な身体に力一杯に打ち付けられる男の腕力に、祈は為す術も無く右に左に何度も転がる。証の太刀の加護により造り替えられ、鱗の代わりに浮かんだ金の紋様は、さながら鎧の様に木の打撃によるダメージを幾分か軽減はするのだが、同じ歳の娘より遙かに軽い肉体は、力一杯の打撃に翻弄されてしまう。
拷問吏達は、代わる代わる尾噛の小娘を殴り続けた。木の棒が何本もへし折れ、全員が荒い息をつく。常人ならば当に死んでいてもおかしくない程の打撃を与えた筈なのに、何度も床を転がされて、その度に髪を掴まれ引き起こされてまた転がされて…なのに、娘はまだ生きている。その姿に男達は強く舌打ちをした。
「生ぬるいぞ! もっと苦痛を与えぬかっ!」
「強情な奴だ。さっさと泣き叫び我らに赦しを請わぬか!」
(巫山戯ンな。絶対にお前等の前で悲鳴なんか挙げてやるものかよ…)
この程度ならまだ問題ない。ちょっと痛いだけだ。武蔵との修行に比べればまだ軽い。祈は歯を食いしばり耐えた。
木の棒が何時しか鉄の棒に変わった。
額から血が流れ、歯が何本も折れた。右腕の感覚がすでに無い。恐らくは折れただろうか。それでも、娘は声を出す事は無かった。
爪が剥がされた。焼ける様な痛みと雷の様な戦慄が全身を駆け抜ける。それでも娘は耐えた。
殴打によって割れたり折れたりした歯の残りを、一本一本強引に引き抜かれた。それには流石に嗚咽が出た。だが娘の心は折れなかった。
(もう我慢できないっ! 今すぐこいつらを殺してやるっ!!)
(ダメっ! まだダメだよ、マグにゃん。まだ、とっしー達が来るまではっ! 私の血から出て来るマナを確保して)
鬼の女の我慢の限界は、とうに超えてしまっていた。怒りで全身が真っ赤に染まり、角が大きく太く天を貫く様に伸びていた。素手で魔神をも撲殺する、全盛期すら超えた鬼神の姿がそこにあった。
すぐ側に味方がいたから、娘は耐える事ができた。心折れる事無く、声を挙げる事も無く。何一つ、男達の望む結果を絶対に与えてはやらなかった。
それどころか、娘は反撃の機会を覗っていた。この部屋にマナが無くとも、少量ではあるが、流れ出る血液からマナを取り出せる。いかに魔術士殺しが強力な魔導具であっても、鬼の女の魔力の腕をすり抜けてマナを奪う事はできない。だが、術者の血からマナを取り出して魔術を行使する方法は、効率が途轍もなく悪い。望む術を行使できる様になるまでに、もしかしたら娘の命は保たないかも知れない。これは賭けだ。
「くそ、何だ。何なのだ、こいつは…」
「気味悪いぜ。何だよ、すぐに泣いて赦しを請う筈じゃなかったのかよ…」
だからこそ、男達の戸惑いは大きかった。小生意気な尾噛の小娘を散々痛めつけるその様を楽しもうとしていた男達には、どんなに苦痛を与えても娘が悲鳴を挙げず、ただ黙々と耐える姿は完全に想定外だった。
角が折れ、顔を腫らし、額から鼻から口から血を流して、度重なる殴打によって着物が破れ、全身に醜く赤黒い痣がいくつも浮き出ている娘の姿は、元来の可憐さなぞ微塵も残ってはいなかった。醜く歪み鬱血した肉の塊。まさにそんな状態となっていた。
「…気が済んだか? 我が尾噛の家人を返せ」
だが、翠玉石の如く深い緑の瞳は、全く力を失ってはいなかった。未だ折れない娘に畏れ戦く男達は、より一層眩しく強くなる尾噛の小娘の眼光に、本能的恐怖を覚えた。
「な、なななな生意気な、め、眼をし、ししし、しおってからにぃぃぃ! おいっ! その娘の眼を潰せっ! 抉り取ってしまえぇぇぇぇい!」
拷問吏達は、男の命令をすぐさま実行に移した。
「っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!」
灼熱感と共に、娘の右の視界が消える。それと共に頬を伝う血は、とても暖かく感じられた。
「はは…はははは…ははははははははははっ! ざまぁみろっ! 生意気な眼を俺達に向けるからこうなるんだっ! それ、もう片方も抉れっ!」
どうやら左の眼球は、途中で潰れてしまったらしい。何かが半端に弾ける様な水音と、どろりとした感触が左の頬を伝う。暗闇の中、それでも娘の視界は、未だ男達と家人を捉えていた。
「…それで? もう終わりか? 早く我が尾噛の家人を返せ」
この程度の痛みなら問題無い。肉の眼が無くとも、霊の視界はある。だから大丈夫だ。その程度、娘は何の痛痒も感じない。そんなものが無くとも生きていけるからだ。
だが…
兄は、どう思うだろうか?
友は、空、蒼、紋菜、愛茉、一光はどう思うだろうか?
私と共にどこまでも付いていくと言ってくれた琥珀は?
一馬は? 船斗は? 尾噛の家人達は?
こんな変わり果てた自分を受け入れてくれるだろうか?
それだけが不安であった。醜くなった私を受け入れてくれるだろうか?
怖い。それだけが娘にとっては怖かった。
「おい。アレを出せ」
唐突に訪れた浮遊感。
どうやら後ろから持ち上げられたらしい。それだけは娘にも分かった。
どかりとその身を降ろされた瞬間、足全体に痛みが走った。感触から推察するに、石でできた算盤板の上の様だ。娘の体重程度では、鈍い痛みしかそれは与えられなかった。
(そういや、戯れ半分にとっしーに似た様な仕打ちをしたなぁ…)
つい先日の事だ。懐かしさを感じつつ、次に来るであろう激痛に娘は覚悟を決めた。
娘の体重より重いそれが、足の上に乗せられた。石の重しによって、激痛と共に皮膚が割け、血が滲んだ。
「~~~っ!」
だが、まだこの程度の痛みであれば耐えられる。
更に上に重しが載せられる。
「っっがぁああああああああああああああああああああああっ!!」
今までの負荷に耐えかねた骨が、一気に下に敷いてある石の形の通りに砕け、はみ出たそれは肉を貫き、血が一気に噴き出した。
覚悟を超えた痛みに、娘はついに絶叫を挙げ、そのまま意識は闇に墜ちた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




