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第124話 小娘vs子弟



「尾噛の小娘如きが、何の権限があって俺に偉そうな口を利くんだっ! 俺は伊武(いぶ)だぞ!」


伊武家は古くから帝国実務を支えてきた高級役人の家だ。その歴史は牛頭(ごず)家にも迫る。当然、序列だけで言えば尾噛なぞ正面からの挨拶すら許されない程に差がある。


「私は言いましたよ、四天王(おおとり)(しょう)様よりこの大役を仰せつかったと。しかし、伊武様も大変でしょうね、あなたの様な無能がおっては、名家の恥となりましょう」


祈が伊武と名乗る男に向けた眼は、あまりに冷ややかであった。


唐突の解雇(クビ)宣告に対し、己が実力を示そうとせず真っ先に家名を出して凄んだ時点で、元より祈の評価は失墜していたのだが、更に更に地の底にまで墜ちていたのだ。


「ンだと? てめぇ、伊武家に、喧嘩を売るってのか」


「確かに私は”尾噛”。ですが今の私は、鳳様の名代として此処におります。どちらが上かくらい、この場で序列を持ち出したのならば、当然理解できておりましょうや?」


ここで伊武が軍の階級を持ち出して追求してきたのならば、正式な帝国軍の階級を持たぬ祈は黙るしかなかった。だが、宮廷序列を持ち出した時点で、彼は祈の罠に完全に嵌まっていたのだ。


宮廷序列で言えば、確かに伊武家は上位者だ。


だが、その次男以降ともなれば、実情では尾噛家当主の望より下になる。


鳳翔の名代としてこの場にいる祈は、鳳翔とほぼ同じ扱いになる。当然、伊武の次男坊如きが凄んでみせたところで、祈に何の痛痒も与えられないのだ。


「っく! だからどうしたっ! お前は”尾噛”だろうがっ! 女だろうがっ! だから俺の方が上だっ! 上なんだっ!」


家名を出して少し脅してやれば、誰もが畏れ戦き平服し赦しを請うてきたのに。目の前の小娘は、そんなもの知るかと小馬鹿にする様な態度で接してくる。思い通りにならない事が今まで無かった男には、これがどうにも耐えられなかった。腸が煮えくりかえり、自身ではどうにも鎮められぬ怒りに癇癪を起こし、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。


「あー、もううるさい。お前、家の名前を出せばそれで何でも許されると思ってるだろ? そんなもの、此処では通用しないよ。軍では、階級が全て。そんなお前が上官に楯突いた。この意味、分かってるんだろうね?」


男のみっともない癇癪に、祈は言葉すら選ばなくなっていた。こちらは女子(おなご)なのだから、伊武みたいな男が余計に反発するのは目に見えていた。だが、ここまで品位も知性の欠片も無い癇癪を起こすとは思ってもみなかったのだ。これでは猿と同じではないか。祈はすでに相手をするのも嫌になっていた。


「んぐっ…」


だからお前は解雇なのだと言われてしまえば、伊武は何も言えなかった。以前より卑しい下級武士の出である魔術士隊の長の命令を聞かず、やりたい放題で日々を過ごしてきたのだ。自身より上の位の者以外に頭を下げない。序列上位の家の出を誇りにしてきた彼にとって、下の者に頭を下げるなぞ絶対にあり得なかった。


「それと、この場に呼んだ七名と、そこに残ったお前達。この意味も、当然分かっているよね? いくら何でもそこまで馬鹿じゃないよね、お前達? 今なら帝国軍を解雇(クビ)になっちゃったよーって、お父様に泣きつくだけで済むんだよ?」


『どうせお前達自身じゃ、私に何も出来ない。悔しかったらさっさと親に泣きついてきな』


生意気な卑しい身分である小娘如きにそこまで言われたとあっては、自身が高貴で誰からも敬われ畏れられる身分であると全く信じて疑わない伊武達の高い高い自尊心(プライド)は絶対に許せなかった。


もう絶対に、殺すしかない。


「う、うるせぇ! 俺は魔術士だっ! その証拠に、炎の術をお前に叩き込んで燃やし尽くしてやらぁ!」


「そうだっ! 俺達は魔術士だ。風の刃(ウィンドカッター)でお前を切り刻んでやるっ! い、いいい、今更謝ったって許して、やややんないからなっ!」


伊武が懐から短杖(ワンド)を出し、その先端を祈に突きつけた。彼の大声につられるかの様に、何名かが同じ様に武器携え、祈に向けて一斉に構える。


「へぇ。やるんだ? やってみなよ、やれるもんなら…さ」


彼らの剣幕に動じる事無く、祈はつまらなそうに小さく欠伸をし、挑発する様に一差し指をくいっと自身に向けるだけだった。なまじ祈の容姿が端麗過ぎるが為に、人を小馬鹿にする態度の時に与える心理的破壊力は凄まじかった。彼らには、もう祈を無残に殺す事しか考えられない。その後自身がどうなるかなどの想像ができない程に。


「「「「「言われなくともっ!!」」」」」


炎、水、風、雷、石、光…彼らの杖から、様々な属性の様々な攻撃魔法が、”生意気な小娘”に目掛け一直線に飛んだ。だが、そのどれもが祈に届く事無く、千々に霧散してしまった。


「…ほら、どうしたの、やってみせなよ。ほらほら、全然届いてないよ-? 私を燃やすんでしょ、髪の毛一本も燃えてないよー? 私を切り刻むんじゃなかったの-? 薄皮一枚すら切れてないよー? ほれほれ、自慢の魔術とやらでやってみせなよ」


彼らの自信の源である”魔術”が、小娘に全く届いていない。この現実を理解するまでに、瞬き数回の時を必要とした。当然、どういう理屈なのかもさっぱりだった。


「え? たったの一回で打ち止めぇ? 情けないナー。よくそんなので、帝国から俸禄貰って威張ってられたねー? 信じらんなぁい」


祈は自身の尻を何度も手で叩き、小馬鹿にする様に飛び跳ねて彼らを挑発してみせた。大言壮語を吐いた以上は、やってみせろと。言った事すらできないのならば、お前等は家名に泥を塗るだけの、能なしの負け犬なのだぞと罵ってやった。


男達は悔しかった。目の前にいる小娘は自分達より身分が下であり、本来ならば、向こうから這いつくばって額を地面に擦りつけねばならぬ筈だ。


なのに、実際はどうだ。


散々馬鹿にされ虚仮にされた挙げ句、誇り高き家名にまで平然と唾を吐いてきたのだ。彼らの精神世界において、到底許される事では無い。


「「「「「ぬぬぬぬぬぬぬ…」」」」」


だったら。一度でダメなら何度でも。


彼らの杖が光り輝き、様々な属性の、様々な攻撃魔法が、何度も何度も祈目掛け飛んでいくが、どれ一つ彼女に届く事は無かった。


「…つまんない。所詮玩具(おもちゃ)じゃ、その程度か」


黒曜石の輝きを放つ手甲から黒いもやが幾条も伸びて、息も絶え絶えになってヘバっている彼らから、短杖を全て取り上げた。


「か、返せっ!」


「特定の魔術だけが出る、魔導具ね。発動に必要な魔力には周囲のマナが、起動には所持者の生命力(プラーナ)が必要…って所かな。よくもまぁ…」


祈に呼ばれた者達と、呼ばれなかった者達。その差とは、今、鬼の手に在る魔導具にあった。


「魔導具から出る魔術は、正式な術理に則していない、所詮(もど)き、だからね。こんなの、届く前に打ち消すなんて造作も無いよ、正式な魔術を学んでいたら…ね」


以前、闘技場でマグナリアがやってみせた魔術に介入する技術。それにも満たないもので充分過ぎる。魔導具から出る魔術擬きなぞ、その程度のものでしかないのだ。


一応は用心にフル装備で来たのだが、まさか蓋を開けてみたら、その殆どが魔術の魔も知らぬ偽物とか…祈は頭痛で目が眩む思いだった。


「ねぇ、お前達、恥ずかしくないの? あそこで黙って帰っていれば、こんな年端もいかない小娘に負けたと恥もかかず、更には魔導具を使ってまで自身を魔術士だと偽り、帝国を欺き続けた事を暴かれずに済んだのに、ねぇ?」


彼らに向けた祈の眼は、完全に虫けらか、ゴミを見る眼だった。自身に能力も無く、ただ家の名と金の力を使って揃えた魔導具によって、自身を魔術士と偽り帝国に寄生するだけの屑。それが魔術士隊の本性だ。


「う、ううううるさいっ! 絶対にお前を許さない、ぞっ! お前みたいな小娘が、帝国の、伊武家を敵に回してただで済むと思うなよっ!」


「そうだそうだ! 栄光の牛頭(ごず)家、伊武家に次ぐ我が牛島家も、絶対に黙っていないからなっ!」


「…だから、今更家名を言った所で、誰が頭を下げるかって…ああ、面倒臭い。もういい、分かった。お前達は、長く帝を欺いてきた罪で、今から全員捕縛する。船斗(せんと)さん、琥珀(こはく)さん、手伝って」


こうして発足以来、一度も戦場に出る事も無く、何の実績を上げる事も無く。帝国魔術士部隊は、ひっそりとその短過ぎる歴史に幕を閉じた。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「…で。これどうすんのさ、翔ちゃん?」


「…ホント、どうしようねぇ、(こう)クン?」


奥の御所から、祈と翔のやりとりを覗き視し大爆笑していた光輝だったが、まさかまさかの結末がこれでは、もう腹を抱えて笑う訳にもいかなかった。


有力貴族の子弟達の大半が、魔術の素養を持っていない癖に、魔導具を用い自身を魔術士と偽り、魔術士隊に居座り続けていたと発覚しては、絶対に黙っている訳にはいかなかった。彼らとその親も、当然罰せねばならない。今まで帝国を、帝を欺き続けていたのだから。


だが、その規模があまりに大きすぎた。そういう者が多数居る。隊の長から、何度も何度も報告は挙がってはいた。その途中で、彼らの親達にほぼ全てが握りつぶされていたのだが。


それでも、その様な噂が挙がって調査は入った事もある。だが、まさかそれが全体の9割弱にも及んでいるなどとは、一体誰が想像つこうか。


確かに、隊の構成員(メンバー)に、有力貴族や上級役人の子らの名がずらっと並ぶのはおかしい。そう誰もが思ってはいたが、魔術を学ぶには金が要る。ならば、そうなるのだろうと誰もが思考を停止し目を背けていたのも事実だ。


まさか魔法が使えぬ者でも、自身の生命力を捧げさえすれば魔術を発動させて飛ばす事ができる魔導具がこの世にあるとのだは知らなかったし、まさかそれを取り寄せてまで魔術士を名乗らせようなどと思うとは…一体誰が想像しようか。


魔術士の俸禄は、同じ階級の一般兵の実に5倍以上にもなる。それだけ魔術士は貴重で、育成には金がかっているのだ。


隊の長が素養を持っていたのを知った親達は、今の生活すらも厳しい下級武士の筈なのに、彼を魔術士として教育する賭けに出た。その賭けに勝った彼らは、今では裕福な生活を送れている。それ程に優秀な魔術士とは貴重な存在なのだ。


一方、伊武達の親は上位貴族であり、上級役人だ。その程度の端金(はしたがね)欲しさによるものではない。


彼らの次男、三男坊以降は、家名を継げない。次の世代は、(あざな)が無くなってしまう。


運良く養子や婚姻が結べれば良いが、そういった良縁は毎度ある訳もない。そして、彼らは力も無い、能力も無いとなれば、どうしようも無い。


なればどうするか? 魔術士として立身させてやれば良い。素養が無くとも、魔導具があれば一つだけでも魔術は発動できる。だったら幾らでも誤魔化せる筈だ。そういう事なのだ。我が子可愛さの、親馬鹿の犯行。それが今回の真相である。


「流石に黙っている訳にはいかないよね。こんな下らない理由で、長年僕らを瞞し続けていたんだからさ」


「彼らの親に今までの俸禄分を全額返還させる、これは最低限かなぁ。本来なら全員打ち首にしてやりたい所なんだけど、流石にそれをやっちゃうには、影響がデカ過ぎる」


光輝の卓の上にある杯に注ぐのは酒だった。今回の事を調べれば調べる程、嫌になってきたのだ。正に呑まなきゃやってらんない。そういう事である。


「ああ、今回も面白可笑しく視ていられるかなぁって思ったら、まさかまさかの…」


「今回は完全に身から出た錆って奴だねぇ…ボクらだけじゃ、全体を把握できないのもあるけれど、ここまで中間から上が腐ってると、ねぇ…?」


「少なくとも、彼らには一線を退いて貰わないと困るかな。下に示しが付かない」


「だねぇ。本当に…もう…」


翔は溜息を吐きながらも、光輝に杯を差し出した。自分にも酒をくれ。そういう事らしい。


「で、祈ちゃんに指名された7名は、その後どうなったの?」


光輝は差し出された杯に目一杯の酒を注いでやった。表面張力の限界いっぱいまで。翔の手はぷるぷると震え、何とか酒を零さない様にと、のそりのそりと口の方から杯に向かった。ひょっとこを思わせる、何とも珍妙な翔の顔に、光輝は思わず吹きだした。


「ああ、一般兵の皆さんから素養のある子を見繕って、合流させたみたい。大体70名くらいかな? 彼らが初級魔術を粗方身につけるまでは指導してくれる事になったから、一応は前以上の形になるとは思うよ」


結局上手くいかず杯を持つ手を酒で濡らした翔は、懐から手ぬぐいを取り出し、手と杯全体を拭った。


「それは良かった。これで少なくとも帝国(ウチ)にも、本物の魔術士部隊ができるんだね」


「今までが偽物だった…なんて、ホント笑えないんだけれどね」


二人は同時に杯を呷る。結構強めの酒が喉を滑り、灼熱の感覚を残す。


「さて、僕らは今回の件、最終的にみれば得だけれど」


「…うん。祈クンは、仕事の期間が延びたわ、貴族達からかなりの恨みを買っちゃったねぇ…」


光輝は空いた二つの杯に、もう一度酒を注いだ。


「ちょっとこれは不味いかな」


「うん。不味いよね」


今度は半ば程度で酒を止めた杯を持ち、軽く当てた。


「翔ちゃん、頼むよ」


「任された、光クン」


今度は二人とも一気に呷らず、ちびりと口を湿らす程度に含んだだけだった。どうやら、この酒はかなりキツかったらしい。


誤字脱字があったらごめんなさい。

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