第123話 帝国魔術士隊
「魔術士隊の長は武士の出でね…」
鳳翔は、湯飲みから立ち上る湯気で顎を湿らせながら魔術士部隊の説明を始めた。
魔術士隊も軍の一部である以上、”階級が全てで、宮廷序列は意味を成さない”これは大前提だ。
だが、大半が甘やかされて育った貴族や高級役人の子弟で構成されている為に選民意識がとても強く、彼らより身分が下の者が上役だと命令や指示を無視するのだという。
事実、今の魔術士隊の長は実力は折り紙付きなのだが、下級武士の出の為、その運用には毎度難儀しているというのだ。
「…こう言っては失礼かも知れませぬが、それはもう組織運営の根本から間違っているのでは?」
その様な有様では、軍としての根幹に関わる。普通に考えても、魔術士隊自体を廃せねばならぬ状況だろう。祈はその事を指摘した。
「そうだね。確かに君の意見は尤もだ。でもね、魔術士達の力は絶大だ。君なら良く分かるだろう? これの有る無しで戦況は大きく変わってしまう。お陰で帝国としては思い切った事もできない」
「それは魔術士達が指揮官の意図をしっかりと理解し、命令通り行動をする前提が在っての話です。言う事を聞かぬ阿呆共を軍略の要に据えねばならぬ状況なぞ、そもそも戦以前の問題でしょう」
祈の意見は痛烈であった。いくら火力があっても、言う事を聞かぬ阿呆どもでは、味方の足を引っ張るだけの負の要素でしかない。そう言い切ったのである。
「それに魔術士達も万能ではありませぬ。マナの支配権無くば、ただの有象無象。その様な阿呆共なぞさっさと切り捨て、同じ予算で一般兵を育成する方が、遙かに帝国の戦力として有益となりましょう」
魔術士を一人育てるのには、膨大な金と時間がかかる。それは勿論であるが、他国とは違い、帝国の一般兵の育成には莫大な予算がつぎ込まれている。
帝国直轄領に住む農家の家長と長男は免責されているが、成人を迎えた次男以降の男子は、国から最低5年の徴兵を受ける。
その際、読み書きを徹底的に叩き込まれ、一定の水準を満たせば以降に俸禄が出る。逆に言えば水準を満たせねばずっとタダ働きだ。当然、徴兵された者達は死ぬ気で勉学に励む。お陰で帝国民の識字率はこの時代背景にあって異様なまでに高い。
更に特別に成績が優秀な者などは、文官への門戸が開かれるし、軍残留希望者には土木、建築の知識すらも与えられるという。優秀な者達を厚遇するのは、光輝帝による施策だ。
「知識、技能はあれど、それを使いこなす知能が無ければ宝の持ち腐れというもの。聞けば、今の帝国の魔術士達なぞ正にそれ。鳳様のお手を煩わすのであれば、その様な阿呆共は不要かと」
「それができれば苦労はしなかったさ。すっぱりと断処してしまっては、彼らの親が黙っていない」
そんな彼らを”使えない”と切り捨ててしまえば、そうなった元凶達が出て来る。それこそが厄介なのだと翔は言う。
『宮廷序列は関係無い。軍は階級こそ全てだ』
…その大前提を無視して出しゃばって来るのが彼らの親だ。地位在る者の義務として軍に所属してはいるが、軍の階級では、実績の無い彼らに発言権はほぼ無いのだから当然の事だ。
そんな訳で、宮廷序列に基づいて我を押し通す方が彼らにはやり易い。国の予算を握っているのは、そちら側の方なのだから。
「でしたら、元より私が出る幕は無いのでは? 序列で言えば下位である尾噛家の、さらに女子でございます。その様な者達を抑えるなぞ、到底…」
「その通りだと言ってしまえば、その通りなんだけれどね。流石に今の魔術士隊が”使えない”と帝のご裁可が出てね。漸くスッパリと切り捨てられる。だからさっきも言っただろう? 責任は帝国が取るって」
彼らの出自には名家が多数含まれているが、帝から直接のダメ出しがあった以上、正面切って大きな声で文句は言えなくなる。それをしてしまえば、帝国に対して明確な叛意となるからだ。
我が子可愛さ、その思いだけで、帝の威光に逆らう愚か者は居ないだろう。それが翔の考えだ。
「とはいえ、魔術を操れる者はそれだけで脅威だ。だから、ボクは君にお願いするのさ。見せしめに一人、二人殺っても良いから、再教育して欲しい」
(できれば、人死には勘弁して欲しいところなんだけれどね…)
そこまで言ってやらねば尾噛の姫は動けないだろう。事実、魔術士隊の面々はかなり厄介だ。翔も一度だけ彼らと個別に面談した事があるが、全くお話にならなかった。幼少の頃から染め上げられた思想は、言葉だけの矯正は不可能だと痛感させられた。
それこそ、一度死ぬ様な思いを味あわせねば…
「だから、お願いするよ祈クン。魔術士部隊の完成の為にもさ…」
翔は湯飲みに口を付け、ゆっくりと傾ける。すっかり温くなってしまった緑茶は、渋味が強すぎた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔術士隊の長は、何とも腰が低い男だった。
鳳翔から話が伝わっているからだと分かってはいるのだが、祈の様な小娘にペコペコと何度も頭を下げて恐縮し通しでは、周囲に示しがつかないのではないかと逆に祈の方が困惑してしまう程だ。
「…それでは、本日よりよろしくお願いします。早速、部隊の皆様全員にご挨拶させていただいても?」
「は、はひっ! 尾噛様の仰せの通りにっ」
額から滝の様に汗を流しながら、長は祈の希望に応えるべく走り去っていった。翔が何を長に何を言い含めたのかは判らないが、多分碌でもない事だろう。祈に対する長の怯え様が余りにも尋常ではなかったのだ。
「…これさ、もしかしなくても私が見せしめに誰かを本当に殺してみせないとダメな奴じゃないかな?」
「…その様で」
祈の独り言に近い呟きに、船斗は嘆息混じりに応えた。
何時殺されてもおかしくない…そんな危険な猛獣を目の前にしたかの様な長の怯え態に、二人は前途の不安を予期せずにはいられなかった。
「本日より、あなた達を指導する様、鳳様より仰せつかりました尾噛祈と申します」
困惑、動揺、嫉妬…様々な負の感情の籠もった視線の数々が、祈の小さな身体を、上から下へと何度も何度も往復する。
対する祈は、自身の二つ名の元となった黒曜石の如く輝く漆黒の篭手、胸当てに腰鎧、脚鎧と具足、ヘッドドレス。そして純白に輝く上衣に腰に差した二対の小刀と完全フル装備だ。その気になれば、一息でこの場に居る全員を殺せる程の危険物である。
目の前にいる少女がそんな危険生物である…彼らは想像の外だろう。不躾な瞳達が、目の前の少女を値踏みする様に見つめる。
(何故、こんな所に小娘が?)
(何故、鳳様はこんなちびっ娘にそんな大役を…? 俺の方がよっぽど…)
(嘘だろ? こんな幼女が、今日から俺達の上役って…上は一体何考えてンだ…?)
(尾噛って、あの尾噛だよな? ザケンなっ、あんな成り上がりの家の、しかもよりによって女子が俺より上って許せる訳ねーだろ!)
(下級武士のクソが隊長ってだけでも勘弁ならねーのに、尾噛の小娘如きがなぁに偉そうに…)
祈が”尾噛”だと名乗っただけで、彼らの瞳に宿る反感の炎がより一層強く深くなる。それもその筈、尾噛は帝国貴族の中で一番歴史が浅い新興の家なのだ。家の歴史と伝統こそが彼らの尊厳の源なのだから、当然の反応と言えるだろう。
彼らの隠そうともしない反感の炎と表情に、祈は内心ウンザリしていた。彼らに自尊心に見合う実力があれば、反骨精神を抱くのも良いだろう。だが、帝国魔術士部隊の面々を一目見ただけで、祈は失望を禁じ得なかった。
「えっと、そこの君とそこの君。あと、そことそこの君。うん、その後ろの三人も。ちょっとこっちに来て」
言われるがまま、訳も判らず渋々と前に出て来た7名が整列した所で、祈はニッコリと微笑み、帝国の魔術士達に大きな爆弾を投下した。
「今この場に呼ばれなかった者達は、全員解雇です。もう二度と来なくて良いからね」
唐突の解雇宣告に、残された者達の衝撃と動揺は大きなものとなった。
呼ばれた者達と、呼ばれなかった者達。
その未来への明暗が、尾噛の小娘のたった一言でここに決定してしまったのだ。誰しも納なぞできよう筈も無い。
「ふざけンじゃねぇっ! 何舐めた事言ってやがんだ!」
「てめぇ何の権限があってそんな巫山戯た事ぬかすんだ! 説明しろっ」
選ばれなかった者達から多くの怒声が挙がる。その怒りの炎は、今にも祈を包み込み灼き尽くす勢いだ。
隣に控えている船斗と琥珀は、そんな彼らに対し、怒りの炎に油を注ぐどころか、喧嘩を大安売りする自身の主の意図が全く分からなかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




