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第122話 ボクからのお願い



「ああ、憂鬱だ…」


どんなに世を嘆いたとしても、明けない夜はない。


何となく良い話として一纏めに収められていまうこの魔法の一文でも、いざ当事者となってしまえば、そんな簡単に終わる訳も無く。


事情を知らぬ者から、慰めの決まり文句として言われようものなら、確実に渾身の右直突き(ストレート)を音高くお見舞いする事だろう。八つ当たり気味に殺意を込めて。


元来低血圧の気があるのか、祈の毎朝の目覚めはあまり良くない。


目覚めてから布団から這い出て頭を起こせる様になるまでに少々が時間がかかる。


それなのに、それなのに。今朝は目覚めと同時に、頭痛に襲われたのだから始末に悪い。


更に言えば、今朝の目覚めは体調的だけでなく、気分的にも最悪だった。


そもそもこのところ、寝付きが悪かったのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、この様な最悪の体調で出仕せねばならないとなれば、ほぼ地上スレスレでの低空飛行の気分も相まって憂鬱にもなる。


「ああ。太陽なんか、ほんっと要らないのに…」


嫌でも朝になるから悪いんだとばかりに、祈は八つ当たりの対象を天空に定め、『太陽、死なないかな…』と極めて呪詛に近い物騒な呟きを漏らす。


4日前に、祈は皇族の位と銘を放棄した光義(みつよし)の紅翼と文を持参し、(おおとり)(しょう)の元へ出頭したのだが、説明をさせられるでもなく、ただ「分かっております」の一言だけで、祈は何の沙汰も無く帰された。


その状況を思い返すだけで、祈の胃はしくしくと鈍い痛みが来るのだ。


光義は大丈夫だと言っていたが、その是非を決めるのは帝だ。尾噛の娘というだけの価値しか無い木っ端貴族なぞ、帝の機嫌次第でどうとでも転ぶだろう。


祈の命一つだけで事態が済むならばまだ良いが、お家取り潰しの可能性すらある程に、光義の一件は帝国史でも類を見ない大事件なのだ。


「ああ…逆に何も言われない方が、ホントきっつい…もう、いっそのこと殺せよ…」


もしそうなったら、力の限り抵抗してやるけど。


『太陽、死ね』どころか、『世の中全て滅びちまえ』にまで、祈の呪詛は過激なまでに物騒な発展を遂げる。寝起きの不機嫌さから、いつの間にやら世界の滅亡までを望む者なぞ早々いまい。


とはいえ、いくら世を呪い儚んだところで全く意味は無い。仮病なんか使える訳も無いので、諦めてのそのそと布団から這い出す。


帝都の屋敷に常駐する女房達が、漸く床の間から這い出てきた祈を、寄って集って尾噛の姫に相応しい華美な姿に仕立て上げていく。


戦場では自分一人で何でもやってきた身としては、逆に気疲れするので勘弁願いたいのが本音だが、これも彼女達の仕事の一環である。拒否して職を奪うわけにもいかない訳で、貴族として辛い所だ。


「お姫さま、おはようございますぅ」


「はよ…」


こちらの最悪な体調と気分を知ってか知らずか、朝から元気溌剌な特上の笑顔を見せる(すすぎ)琥珀(こはく)に、思わず顰めっ面になりながらも何とか返事だけは返す。ただ単に八つ当たりする元気すら、すでに無いだけなのだが。


「おやぁ? お姫さま、お疲れですかぁ? もう朝ご飯は食べましたか? 食べなきゃダメですよ、朝ご飯は元気の源ですっ! ああそれでですね、明太子って美味しいですねっ。もうご飯が進んじゃって、進んじゃって。わたし、思わずおかわり4杯いっちゃいましたっ!」


寝起きだろうが都合三人前はぺろりと喰う。辛し明太子が一欠片あれば、どんぶり一杯てんこ盛りなんか速攻空だ。


そんな健啖自慢の琥珀の姿を想像するだけで、追って沙汰を待つ罪人の様な沈痛な心持ちになっている祈の弱った胃は、静かに白旗を振り降参の意を示した。所謂吐き気(リバース)である。


空きっ腹の筈の胃液が急激に口から溢れ出そうになり、祈は両手で口をおさえながら厠へ向け猛然と駈けだした。人前でそれだけは、絶対に回避せねば。その思いだけで人間は軽く限界突破ができるのだと、祈はこの時生まれてはじめて知ったのだった。




「はぁ…ホント死にたい…」


「…姫様、お気持ちは分かります。分かりますが、その呟きは、流石に…」


祈は牛車の中でしくしくと痛む胃を抑えながら、その護衛役でもある琥珀と船斗(せんと)を伴い太陽宮へ向かっていた。


正直言ってしまえば、今鳳翔の顔を見たくない。だが、今日の出仕というのは、その翔からの招聘なのだ。祈に逃れる術はない。だが祈の心は、すでにボキボキと複雑骨折の様相を呈している。だからこそ、船斗すら呆れる呟きが何度も漏れるのだ。


「分かってるよー。分かってるけれど、ずっと沙汰がなぁんも無いって、これじゃ蛇の生殺しだよぉ…」


3日間、待てど暮らせど何の沙汰も無し。胃はしくしくと痛むわ、寝付けないわで祈の精神はズタボロのボロぞうきんに成り果てた。漸く待望の便りが届いたかと思えば、”明日、午前中に出仕せよ”の一文のみ。筆まめの翔の性格からはあり得ない短文である。不安感だけが募るというものだ。


「でもでもぉ、本当にお姫さまを捕らえるつもりでしたら、お屋敷に兵隊さんをいっぱい連れてくるんじゃありませんかぁ?」


「どうだろうねぇ…あの人、本当にケチんぼだから、やるなら宮内に呼んでそこで…って位は平気でやりそう。それに、光義様の件は表沙汰にできないだろうし…」


祈の今の言葉を鳳翔が聞いたら嘆き悲しむかも知れないが、祈の中の鳳翔とは、正にこの言葉に集約されていた。”ケチ””腹黒””詐欺師”…第一印象から悪かった上に、それを払拭せずにお願いのゴリ押しが続いたのだから、こればかりは仕方が無いだろう。


「姫様、もし帝国に()()()()()があるのでしたら、すでに行動に移している筈です。その場合は光義様の身柄の確保の為、まずは姫様を拘束し、その行方を何としてでも聞き出すでしょう。私ならそうします」


それが無いのだから、大丈夫だろうというのが船斗の言だ。確かに何の音沙汰も無く、ただ無為に四日も過ぎた。今更光義達の足跡を追った所で、早々追いつける筈もない。


祈は光義達の目的地を大まかに「南の方」としか翔に伝えていないが、順当に考えれば斎宮とその周辺だろうという結論に必ず行き着く筈だ。そして、彼らがそこに辿り着いてしまえば、今後一切手が出せなくなるということも…


「うん、船斗さんの言う事は、多分正しいと思うんだ。でも、何でかなぁ…こう、胃が…ね?」


我ながら蚤の心臓だなと、自分の小心者加減にちょっぴり嫌気がさしてくる。胃の辺りをさすりながら、祈は小さく溜息を漏らした。守護霊達三人みたいに、何でもかんでも”まぁいいや”であっさり済ませられない所が悲しい。


「…胃痛に良く効く薬を、あとでお持ちします…」


「…お願い。でも、苦いのは勘弁してね」


そういえば、胃痛とかに効く魔法ってあるのかな…? そんな事を思いながら、祈は牛のゆっくりな歩みに身を任せ、太陽宮を目指すのであった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「やぁやぁ、祈クンいらっしゃい。おや? 何だか調子が悪いみたいだねぇ。一体どうしたんだい? ダメだよー、ちゃんと朝ご飯食べないと。何なら今から何か持ってこさせようか?」


「はぁ、まぁ…お腹は減ってないので、大丈夫です…」


『調子が悪いのはテメーのせいだよ、コンチキショー』だなんて、口が裂けても言える訳がない。祈は曖昧な返答だけで濁した。


「そっか。でもさ、やっぱり身体が資本なんだから、充分に自愛しなきゃダメだよ? それに、これから君にお願いする事は、本当に大変な事なんだ。だから、本当に身体には気をつけて欲しいな」


翔の喚び出しは、どうやら光義の一件とは関係無さそうで、祈は内心ほっと胸をなで下ろした。


だが、その代わりのお願いとやらは拒否不可能らしい。完全に祈が快く引き受ける前提で、普通に話を持っていかれてる所が本当に怖い。何をやらせる気なのだろうか。祈の胃はまたぞろ痛みを訴え始めた。


「帝国にも魔術士部隊が在るのは、当然君も知っているよね。君に、そいつらを鍛え直して欲しいんだ」


現在、帝国支配下の魔術士は60名程が在籍している。その大半が、貴族や高級役人の、次男、三男坊以降の、所謂”食い詰めた”者達で構成されている。


魔術を学ぶには、金がかかる。だが、本人に資質が無くば、いくら金を積んで学んだとしても決して芽が出る事がない、謂わば分の悪過ぎる賭けでもある。その為、到底平民では学ぶ事なぞ不可能と言って良い。もしかしたら、その中には希有な隠れた才能があったかも知れない。


その様な訳で、帝国配下の魔術士達は質、態度共に最悪と言って良い。甘やかされて育ってきた貴族や役人の子弟達では、根性が無い。その癖、嫉み僻みは一丁前ときた。下級貴族の出で2種以上もの中級魔術を扱える優秀な魔術士を、そんな彼らが結託して追い出した事が最近発覚している。


その者達をちゃんと処罰したいのだが、彼らの親が出てきて足を引っ張る上に、強引に断処しても部隊の質だけでなく量まで減る事になる為に、それも行い難いというのが現状なのだ。


なれば、せめてその質の方が向上できれば。その思いがあって実績ある祈の招聘となったという。


「鳳様の願いは分かりました。ですが、その様な方々が、女であり、さらには子供である私の言う事なぞ、果たして聞く耳持ちますでしょうや?」


甘やかされ、思い上がった貴族の子弟のプライドは、山よりも遙かに高いのが相場だ。


その様な者達が、見た目幼女の祈の言葉なぞ絶対に聞かないだろう事は目に見えている。恐らくは”尾噛”の名を出した所で、彼らは歯牙にも掛けないだろう。


「無理、だろうねぇ。だから、この際彼らの親は一切気にしなくて良いし、ガンガン手荒にやっちゃってくれても良い。何なら見せしめで一人、二人殺したって、帝国としては全然構わない。責任はちゃんと持つからね」


「まぁ、それでしたら…」


見せしめで()っても良いというのであれば、いくらでもやりようはある。そして全ての責任を取ってくれると帝国が言うのであれば、面倒だが引き受けても良さそうだ。祈は首肯した。


「ああ、どうせなら一般兵の方々の資質も覧てみませんか? どうせ部隊を最初から鍛え直すのであれば、ちょっとくらい数が増えても、やることは同じですし…元から居る使えない者は、この際篩い落とすに限りますし」


祈はむしろその様な思い上がった者達を鍛え直すより、一般兵から資質ある者を選別し、一から鍛える方がよっぽど形になるとすら考えていた。尾噛の新規魔術士達も、そういった一般兵の中から見出したのだから。


「うん? 君がそれで良いと言うなら、帝国としては願ったりだよ。ゆくゆくは100人規模に育てて行きたいと思っているんだからね」


「でしたら、早速始めましょうか」


祈は着物の袖をまくり、紐をたすき掛けに結んで縛った。4日の間に溜まりに溜まった鬱憤を晴らす(八つ当たり)には、丁度良いネタかも知れない。


「…できれば、お手柔らかにね」


祈から溢れる負の気配に、鳳翔は「責任はちゃんと持つ」との発言をしたことを、少しだけ後悔した。先程までまるで死人の様な血色をしていた姫は何処へやら。今ではやる気漲るパワフル幼女に華麗に転身しているのだ。


(多分、尾噛の姫は殺る。眼とオーラがそう雄弁に物語っている。しまった、あんな事

言わなきゃ良かったかなぁ…)


多分奥の御所で、この状況を視ているだろう光輝帝は、きっと大爆笑している筈だ。


腹を抱えて大笑いする親友の姿を脳裏に思い描き、翔は今後に起こるだろう問題について思いを馳せた。


今回の件によって、帝国が敵に回すだろう貴族の家は、どことどこになるのかなぁ、と。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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