第120話 大林光義3
祈は凛を抱えて、船斗と琥珀は自力で大林家屋敷の高い塀を跳び越えた。塀を越えてしまえばもう怖い物は何も無い。後は光義の居る部屋に一直線に向かうのみだ。
「凛さん、ここからはなるだけ声を出さない様にして下さいね。今からかける無音化術は、声を出しちゃうと効果が消えるので。あと、透明化術も全員にかけるので、私達の姿も見えなくなります。はぐれない様に、私の手を握っていて下さいね」
「はっ、はい…少し怖いですが、よろしくお願いします」
「琥珀さん、船斗さんは、私の式…あの小さい蝶を目印に付いてきてね」
祈の指さした所に、揚羽蝶が空を優雅に舞っていた。これが使い魔だとは琥珀も船斗も気が付かなかった程に、あまりにも自然に、そして生命に充ちて見えた。それを目の当たりにし、二人は自分の持つ技術とは隔絶した祈の能力に、少し自信を失う。
(おい、祈。楽だからって、何でも自分の力だけで済ませんな。お伴の二人、自信無くしてっぞ?)
(ありゃ、何か不味かったかな?)
(あまり良い傾向ではござらん。主の期待に応えてこその家来でござる。主が率先してその機会を奪うというのは、正直関心できませぬな)
(何ならあたしが魔術を教えようか? この二人なら素質は充分にあるみたいだし)
(ああ、だったら俺も呪術を。祈は飲み込み早すぎて、ホントつまんねーし。あっちの鳳姉妹はなぁ…)
(ならば拙者も拙者も。祈殿はまだ身体が成長しておらぬので、伝授できぬ技が本当に多ぉござって…)
(…何だか私、バカにされている…?)
(((そんな事無いよー?(でござ)))
三人、声を揃えて否定。魂の兄弟は、こういう時の息は本当にばっちりだ。
(今までずっと黙っていた癖に、急に…もうっ)
(そら俺らだって空気くらいは読むさ。だが、ちょっとコレは気になってな。他人をもっと使え。何でも一人でこなそうとすんな)
(まぁ、今更方針転換という訳にはいかぬでしょうし、次の課題でござるな)
(イノリはもっとその二人を信用しなきゃダメ。確かに効率でいえば、貴女一人で動けば良いでしょう。でも、一緒に行動するのであれば、彼らを頼るべきね)
(皆の言う事が、良くわかんない…)
守護霊達の言う事がイマイチ理解できない祈は、首を捻った。無音化術と透明化術の組み合わせ技を使えば、潜入時は誰でも安全に動ける。それを両方使えるのは自分だけなのだから、これが一番のはずだ。それの何が悪いというのか。それが分からなかった。
(んじゃ祈、望に頼られたら嬉しいよな?)
(そりゃ当然。兄様のお役に立てるなら、何でもやるよ?)
(で、あいつは性格的に、何でも一人で抱え込んじまうよな。見ていて辛いよな?)
(うん、そうだね……あっ)
(そういうこった。そこの二人も、お前に対してそう思ってるんだよ。さらにお前に任せた方が大体効率が良いってのも判ってるから、余計にな…)
(…ありがと。気をつける)
光義の居る部屋は、屋敷の奥にあった。
屋敷の警備は、かなり緩く見えた。確かに要所毎に草であろう監視の目は存在したが、その者達は危機感が薄く質があまりに低い。酷い者は居眠りをしていて逆に祈を驚かせた程だ。そうでなければ、光義がお忍びで外に出る事はできないのだろうが。
部屋に入る前に、祈は部屋全体に結界を布いた。なるだけ家の者が入ってこない様に、光義が騒いでも外に声が漏れない様に、念入りに。光義と凛を引き合わせる事ができれば、そこに邪魔が入らない様にすれば良いのだ。
「ぬ? お凛か…何故、おまえが此処に…?」
「ああ、光義さま。お逢いしとうございました…」
光義に駆け寄り、そのまま凛は身体を預ける様に飛び込んだ。突然の事に驚きながらも、光義は自身の懐に飛び込んできた凛をしかと抱きとめる。腕の中の温もりを確かめ、光義は凛の後ろに控える人間の存在に気付いた。
「して、凛を連れてきたのは其方らであろうが、何者ぞ?」
「名は、ご容赦下さい。私達は、凛さんを貴方様の御前にお連れする役目を引き受けた、それだけの者にござりまする」
祈は貴族とはいえ、地方領主の娘でしかない。光義に顔は知られていない筈だ。最後まで名乗らなければ、面倒事を回避する事はできる。その為、無礼を承知で祈は名乗りを固辞したのだ。
「そう。光義さま、貴方にお聞きしたかった。もうわたしは要らないと、金輪際会わないと。それが信じられなくて…」
「何の事だ? 麿はその様に思ぅた事は一度もなかぞ?」
凛は祈に説明した時と同様の話を光義に聞かせた。若頭の徹による襲撃の事も。凛の話に耳を傾けていた光義は、次第に拳が震え、顔を真っ赤にして怒りを顕わにした。
「おそらくは、この家の者達の仕業であろう。お前には黙っていたが麿は、帝の血を引く人間ぞ。お前を室に迎え入れてしまっては、この家にとって損になる。お前が邪魔になると考えたのだろうの…」
継承権三位に位置する光義という切り札は、例え光義が帝位に就けなくとも、大林家にとっては政治的に大きなものとなる。宮家として新たに興るであろう家の一切を、生家として取り仕切るだけでなく、正室の座を売る事ができるのだ。政治勢力を伸ばすには正にこれ以上の切り札はない。
その為には、凛という存在が邪魔になる。文の一つ、手切れ金程度で精算できるのであれば僥倖。それが適わぬならば消せば良い。そういう事なのだろう。大林家唯一の誤算は、凛の家が報復に出た事か。そのせいで隠し通せぬ状況になってしまった。
乳母であるかなえの反応と凛の話から、その事に漸く思い当たった光義は、心底帝家の血と、帝国の貴族社会が嫌になった。元々、それが嫌で、現実を忘れる様に外に出て遊び歩いていたのだ。
そして、絶対他人に自分から帝の血を引いているのだとは決して言わなかった。自分の力でなし得た訳でも無い、ただの生まれ…その様な事は自慢にならないのだから。
「すまぬ、凛。麿はお前を悲しませてしまったばかりか、この国からお前の居場所を奪ってしもうた」
「いいえ。こちらも光義さまにご迷惑をおかけしてしまいました…徹の事、なにとぞお許しを…」
「すまぬがそれはできぬ。いくら麿が許すと言うても無理だ。こうなっては、お前の実家の者を逃がさねばならぬな」
光義は顎を撫でながら嘆息した。いくら継承権三位にあるとはいえ、光義に何の権限もない。大林家の中では何不自由無く過ごす事はできるが、外の世界を知らぬのだ。
「そこは、古賀様を、お頼りになればよろしいかと…」
「古賀? もしかして、一光かえ? 確か彼奴は魔の森を今も拓いておると聞いたが…」
「そうです。斎宮周辺のあの地に、帝国の法は一切が通用しませぬ。在るのは、斎王愛茉様と、彼の地を治める一光様のご意向のみ…」
斎宮は、もう一つの帝国である。帝国の守り神である朱雀を奉り、神事一切を取り仕切る斎王は、帝と同等、それ以上の権威を持つ。大林家程度では何の手出しもできなくなる筈だ。祈はそのことを踏まえて、すでに山嵐組に提案済みであった。
「ふむ、それならば安心できよう。して、その方よ。何の礼もできぬが、重ね重ねお願いする。麿は皇家の血を持つ者として生きるのに疲れた。すまぬが、これを、帝の元へ届けてはくれまいか?」
光義は腰に差した剣を引き抜いて服を脱ぎ上半身を露わにした所で、自身の左側の紅翼を根元近くから切り落とした。血が飛び散り、周囲を皇家の血が濡らす。
「ひっ、み、光義さま、ダメですっ! その様なっ…」
「良い。そもそもコレが全ての元凶よ。無ぅなってしまえば良いのだ。大林の家には悪いが…な」
痛みを堪え脂汗を流しながら、光義はもう片方の翼をも切り落とした。多くの血を失ったせいで、光義の顔から血の気が完全に失せ、蒼白になっていた。
「…あまりご無理をないますな」
祈は回復術をかけて薄く傷口を塞いだ。全力でかけてしまえば、翼が再生してしまう。それでは光義のやった事が全て無意味になってしまう。翼を再生させずに傷口を塞ぎ血を戻す術法は勿論ある。だが、それをしてしまった場合、二度と欠損した部位の再生ができなくなる。
「ですが、よろしいのですか? 私がこのまま完全に傷口を塞いでしまえば、貴方様はもう二度と、至高の神翼を御身に取り戻す事適いませぬが…?」
「良い。帝の血を引く大林光義は、今この場で死んだ。ここにおる憐れで脆弱な男は、何も持たぬただの光義ぞ。麿は目の前におる平民の娘、凛を愛する、ただの男ぞ」
「光義さま…」
「麿も、お前に付いていこう。二度と離れぬように…」
どうやら光義の覚悟は、本物の様に祈には見えた。
紅の翼を捨てるという事は、自身の全てを捨てるということ。この国に大林光義という者は、もう居ないのだ。
祈は回復術の術理を少し曲げた。失った翼を再生させずに、傷口を塞ぎ血を戻す方へ。
今後の事を考えれば、光義の行いは悪手過ぎる。勢いだけで、何も考えていない愚かな行為としか祈には思えない。
ましてや光義の選択は、大林家の顔に泥を塗りたくった挙げ句、そのまま黙って消えようというのだ。残された者はどう思う事か。
(やっぱり、良く分かんないな。人を愛するってさ…)
だたの光義さんは、最後まで面倒事を増やしただけだな。そう嘆息するしかない祈だった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




