第119話 それじゃ、行くよっ!
「許されるものでしたら、わたしは光義さまに真意を問いたい。そう思います…」
知識も教養も何も無い、ただのつまらぬ女だという自覚が凛にはある。貧しき家に生まれ、両親と死別した後に、こうして祖父の元に来てからもそれは変わらない。
ただ生きているだけの、何も誇る物の無いつまらぬ女。その様なつまらぬ者が、光義の様な知識教養のある多芸な者…さらには、高貴なる存在と関わり合う事さえ、本来であれば望めぬのだから。
それでも、共に過ごした時間は、偽りで在って欲しくはない。凛自身、例え両親と同じ末路を辿ろうとも、共に歩める未来を夢見ていたのだから。
それが一通の文の、ただの一文だけで終わるのだけは、絶対に納得がいかないのだ。その文と同じ言葉が、光義の口から直接出たものであれば、致し方ない。だが…どうしても…
「そのお気持ち、私の手で報いる。貴女と光義様を、必ず引き逢わせましょう」
祈は凛の手を取り頷いた。
正直に言えば、祈は凛の気持ちをよく理解できない。惚れた腫れたの心の機微自体、良く分からないのだから当然だろう。だが、自身が大事だと想っている相手から一方的に別れを切り出されたら、自分ならどうなるか? その事を想像するだけで胸が締め付けられる。
それがもし、最愛の人だとしたら…? その位の想像ならば、祈でもできる。今はその様に想う存在は居ないが、多分自分なら耐えられないだろうとも。
だったら、そのお手伝いをしなきゃ嘘だ。現場に居合わせてしまった祈には、その手段が幾らでもあるのだから。
「おうお姫さんよぉ、おめぇさんとこのお仲間が来てるぜ?」
「姫様、外で待つご命令を背いてしまい、申し訳ありません」
山嵐組の玄関口に水面船斗が黒装束の男達を14体の鉄兵に運ばせていた。
「大丈夫だよ。で、何かあったのかな?」
「ええ、この者達が私達に協力すると。色々と得難い情報を提供してくださいました…」
鉄兵に担がれてぐったりしていた黒装束の一部が、船斗の言葉に小さく抗議の声を挙げるが船斗が睨んだ途端に静かになる。その様子に祈は特に何もいわなかった。
縛り上げられた14名の半分は、未だ祈の睡眠術の影響で眠ったままだ。山嵐組との乱闘によって刀傷を負った筈の数名は、時折呻き声を上げていたが、命に別状は無さそうなので放置していたのだが、それにしてはやけにぐったりしている者も幾人かいた。
「あれ? この人達妙にぐったりしてない?」
不安に思い、祈はその者達に軽く回復術をかけるが、ぐったりした黒装束の男達は特に変わった様子がなかった。精神的なものだろうか? 拘束に強いストレスを感じる人間だったのかも知れない。仕方無しに祈は、持続性精神回復術をそれぞれに施す。
「貴君らは本当に運が良い。姫様が貴君らに回復術を与えて下さるとは…その幸運、じっくりと噛み締めろ」
船斗はどこか悔しそうにぐったりする黒装束の男達に言葉をかけた。こんな事なら苦痛を与えるだけでなく、水の精霊できっちり殺しておけば良かった。そんな殺意に満ちた視線を向けて。黒装束の男達は、船斗の強い殺意を含んだ視線を浴びながらも半ば諦めた様な表情を浮かべ、何も返答しなかった。もうどうにでもしろとばかりに。
「まず、この者達を差し向けた人物が判りました。やはり大林家縁の者ですな」
船斗の言葉に、祈は頷く。大方その辺りだろうと予想した通りだ。今回の一件の全容が発覚してしまえば、大林家の立場も危うくなるのだから当然の事だろう。全てが明るみになる前に、”光義様が一方的に賊に襲われた。帝国貴族として、その報復をしたに過ぎない”という態を貫くしかない。
そこに”どうして光義様が襲われたのだ?”という疑問は挟まれる事はない。高貴な者、至高の存在に連なる者が、下賤なる者に襲われたのだという事実だけで充分。そういう事だ。だが、万が一その”どうして?”に踏み込まれた場合、大林家の立場が微妙になってくる。下賤なる者に、皇族が襲われる状況を作りだしてしまったのだから。
なれば、大林家はそこに踏み込まれる前に力ずくで解決する他に術はない。つまりは、その状況を作り出した山嵐組を皆殺しにする事。今回の苦界での乱闘は、その一幕に過ぎない。
「それにしては、数が少ないね? 少なくともこの3倍は、要るんじゃないかなぁ…」
「いかに苦界の中であるとはいえ、名のある家から刺客を差し向けるというのは、流石に目立ちます故。山嵐組に踏み込んで、屋敷に火を放つ。それが大凡の計画だと…」
実際に山嵐組を皆殺しにする必要は、大林家にはない。山嵐組が無くなってしまえば良いのだ。大林家が絶対に亡き者にしなくてはならないのは、光義を襲撃した主犯である徹とその手下。そして光義と情を交わしていた娘…凛だ。
確実性を取るのであれば、暗殺を請け負う裏稼業の者を雇う事だ。だが、その者達を動かすには、大林家はあまりにも名が通り過ぎている。いくら名を伏せ依頼した所で、それで生計を立てている裏稼業。逆に弱味を握られる可能性が大いに有る為に、その手が使えなかったのだろう。気位の高い人間に多い思考だが、そういった人間は信用できないというのも要因の一つではあろうが。
「…聞いてると、なんだか色々と雑、ですねぇ?」
琥珀の感想に、その場にいる全員が頷いた。起きている黒装束の者達も、である。
「その様な態を整えてしまえば、後は力ずくで押さえ込んでしまえる…そういう腹積もりなのかも知れませんな。私が以前仕えていた牛頭家は、正にそうでした」
貴族の権力とは、そういうものなのだと船斗は言う。権力さえあれば、事実は如何様にもねじ曲げる事ができるし、後から勝手に付いてくる。重要なのは、今という体裁なのだ。
「…こんな事言っちゃダメな立場なんだけど…こんな事が罷り通る帝国ってさ、ホントどうなの…?」
「…そのお言葉、我らは聞かなかった事にしておきましょう」
祈の感想は、牛頭家の裏の顔を担ってきた船斗に言わせれば、正に『現実を知らぬ者の理想論』でしかない。
だが、それで良い。それが良い。そう船斗は思う。国というものは清濁併せ持ち、それらを時には使い分けねばならぬ。端から見た姿が清くあればそれで良い。それこそ人の上に立つ者は、甘い夢想家であっても良い。それを補佐し、汚れ役を引き受ける者が他に居れば済む話なのだ。
「でも、でもぉ。それだけ強い所を相手にしちゃって、私達は大丈夫なんでしょうか…?」
「うん、まずダメだろうね。あちらも表沙汰にはできない…って所を突くしかないかなぁ」
少なくとも、山嵐組にもう未来はないと祈は思う。後はどう軟着陸させるかの問題だ。その為には、危険を承知でこちらから動くしかないだろう。
黒装束達から光義の居場所を聞いた祈は、すぐさま行動を起こす事に決めた。刺客が戻ってこないとなれば、危機感を覚えた大林家が本腰を入れてくる可能性があるからだ。後手に回っては事態の収集がつかないばかりか、状況が悪化するだけになるだろう。
「それじゃ凛さん、一緒に来て下さい」
「はい。よろしくお願いします…」
凛は差し伸べられた手を掴み、頭を垂れた。
光義が皇族である等とは、凛には思いも寄らなかった。紅の翼が帝家の血を引く証であるとは、帝国貴族の間では常識であっても、それが一般人に通用する訳ではない。光義はそれを分かっていながら、あえて凛に黙っていたのだろうから余計に始末が悪い。
更に、凛の実家は渡世に舐められては商売が成り立たぬと考える賭博を生業とする一家である。当然一通の文だけで令嬢を捨てよう等とすれば、報復行動に出て当たり前なのだ。結局、今回はそういった色々悪い面が重なって起こるべくして起こったつまらない話でしかない。
「必ずや光義様とお引き合わせ致しましょう。ですが、ひとつだけ。山嵐組が、皇族に手を出した。あってはならぬこの事実は、どの様な事情があろうと絶対に消せません。この国に、あなた方の居場所はもうどこにも無い。これだけは、どうか…頭領、お嬢さんを少しお借りします」
「…仕方無いか。だが、おチビさんよぉ。ワイらは他所でも生きていける。お前さんが無理するこたぁねぇんだぞ?」
貴族の娘が何の得も無いだろうに、この様なヤクザ者相手に奔走する必要なぞ無い。そう巌は思う。確かに苦界に設けた賭場が無くなるのは痛い。だが、裸一貫から度胸と意地だけでのし上がってきた気概がある。何処にいようと、生きている限りは何度もやり直せる事を、巌は知っているのだ。
「ここまで関わってしまった以上、それはできませんよ。それに、私がやった事といえば、逆にあなた方の立場を悪くする事だけでしたし…」
極端な話、あそこで祈が出しゃばらず徹の襲撃が成功していれば、山嵐組はこの様な微妙な立ち位置にはならなかった可能性が高い。そういう意味では、祈にも責任の一端がある。
だからこそ、せめて凛と光義の関係を綺麗に清算させてあげたい。そう祈は考えている。
凛と光義の関係は、普通に考えても決して結ばれる事はあり得ない。身分の壁という、当人同士ではどうしようの無いものが大きく横たわる為だ。大林家が山嵐組へ刺客を寄越した真の理由が、これであろう事は想像に難くない。
だからこそ、光義の本当の気持ちを改めて問う。それがどちらへ転ぼうとも、凛が納得できさえすればそれで良いのだ。
(それも難しい話かも知れないけれど、ね…)
こればかりは、当事者ではない祈にはどうにも予測はつかない。つく訳がない。ぶっつけ本番。行き当たりばったり。当たって砕けろ…嫌な言葉が、祈の頭の中を駆け巡る。頭を振って、それらを一端外に追い出して祈は立ち上がる。
「それじゃ、船斗さん、琥珀さん、凛さん。行くよっ!」
「承知」
「はぁい」
「…って、俺はっ?!」
「オメぇは片付けだよ、徹ぅ。この国を出て行く準備だぁ。野郎共、さっさと支度しなっ! 夜明け前に済ましちまうぞっ!」
「「「「「「「「「合点でさぁ、親分」」」」」」」」」
山嵐組の男達は、精神的にとても逞しかった。頭領がこの国を出ると決めたのなら、もうそこに否と言う者は誰も居ない。その決定を陽気に受け入れてしまえる柔軟性があった。
これも一つの反逆の形、であろうか?
その問いに、誰も答える事はできないのだろうが。
誤字脱字があったらごめんなさい。




