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第118話 大林光義2



山嵐組の頭領である(いわお)という人物は、”名は体を表す”という言葉がぴったりな大男であった。


身の丈は大凡八尺(240cm)はある。その大きな体躯は極限まで鍛え上げられているのだろう、手足の筋肉がみっちりと詰まっている事が傍目からでも良くわかった。拳がごつごつと岩の様に膨れあがり、掌は分厚く指は太い。手首の周りは確実に祈の腰周りより太い。


当然その様な大男だ。全身から発せられる圧が途轍もなく重かった。連れてきた若頭の(てつ)も、大量の冷や汗をかいている程だ。祈の後ろで控える琥珀(こはく)も、その大きな圧に唾を飲み込んだ。


「ぬしゃぁ、ワイに何の用だ。下らん事やったら、喰っちまうど?」


そんな大男の巌が、座して待つ祈の前に立ち見下ろした。祈の身長はギリギリ四尺(120cm)無い位といった所か。大きさが倍以上違う為、座したままの祈は巌の顔を見る事が適わなかった。


「貴方たちに忠告に。このままでは、貴方たちは帝国の手で、全員殺されてしまいますので」


「あぁん? ワイらはお国に赦された真っ当な商売人やぞ? なして、殺されねばならんのじゃ」


祈の正面にどかりと腰を降ろし、巌は不機嫌を顕わにした。苦界(くがい)に賭博場を開く事が赦され、漸くここまでのし上がってきたという自負がある。その国に、なぜ殺されねばならぬのだ。巌の疑問は尤もだ。


「…では、頭領。貴方は、”大林光義”という者の名…ご存じでしょうか?」


「知らんな。そんな名、はじめて訊いたわいな」


ぶとい指を顎に這わせ、巌は首を捻った。彼の様子に、祈は一切の嘘偽りを感じなかった。


祈は、徹の顔をチラリと見る。彼の顔は青ざめ、滝の様な汗をかいていた。どうやら今回の一件は、彼の独断の可能性が高い様だ。祈は軽く息を吐いた。


「大林家といえば、古くからの帝国の臣。今は格は高くはありませんが、貴族に列せられし名家です」


「ううっ…まさか…あのチャラ男が…」


祈の言葉に、徹は震えが止まらなくなっていた。いかな理由があろうとも、平民如きが貴族に手をかけたとあっては、確実に死罪は免れぬ。身分の差とは、それ程のものなのだ。


徹一人の犯行ならば、彼一人が裁かれるだけで済む。彼が覚悟を決めさえすれば、そこに大した問題は無い。だが、彼は山嵐組の手勢を使って大林光義を襲撃をしてしまったのだ。こうなっては一家諸共が帝国に潰される。祈の言葉の意味をここに来て漸く理解し、そして酷く後悔をした。


「そして、そのお方は、皇位継承権第三位…皇族の一員にございます。そのお方を、そこの…」


「うあああああああああああっ。親父、すまねぇっ! 俺を今すぐ破門にしてくれっ! けじめは俺の命で付けるっ! だからっ、だか、ら…」


祈の言葉を遮る様に、徹は大声を挙げて、巌に伏して泣きながら何度も何度も詫びた。自分の浅慮が起こしたやらかしで、何も知らぬ頭領を巻き込み一家を滅ぼしてしまうとあっては、彼の矜持が許さない。


「で、ぬしゃぁ、ワイらにどうさせたいっちゅーんじゃ?」


徹の言葉を無視し、巌は祈の目を見据え訊ねる。どうやら徹が貴族相手に何やら重大な事をやらかしたのは、彼の態度と目の前に座る幼女の言葉で分かった。だが、それは事実確認でしかない。『そこから先』が、重要なのだ。


「まずは、そちらのご令嬢にお話を伺いたく存じます。先の話は、それから。私の名は、尾噛祈。此処より南方に在る尾噛の里の、長女にございます」



娘の名は、(りん)という。巌の孫娘だ。


周囲には荒くれ者しかいないこの山嵐組の屋敷の中にあって、彼女一人がどこか浮いて見えた。それもその筈、彼女の両親は報われぬ恋の末駆け落ちし、凛を産み育ててきたのだ。


凛が数え11の時、その両親は他界。その後山嵐組の庇護を受け、数え15となって現在に至る。縁談話が幾つかあってもおかしくはない年頃である。


肌は抜ける様に白く透き通り、艶やかな黒髪と切れ長の瞳。どこか物憂げな表情が男の庇護欲を掻き立てる。女である祈の目から見ても、”美しい”としか言い表せない程の、それは美人なのであった。


「まさか、光義さまが貴族であるとは…どこか名のある商家のお方だとばかり…」


貴族とは名ばかりの、無教養で粗雑乱暴な者も多い。下級貴族の、特に三男、四男坊ともなれば、ほぼ、名字を持ったままの未来はあり得無い。その様な者に金をかけてまで教育なぞできないのだ。


そういう意味では、商家の子の方が教育がまだしっかりしている。商いというものは、培われた教養がそのまま武器になるからだ。その為、読み書き計算、その他雑学等を徹底的に叩き込まれる。


光義は、詩を詠み、琴に笛も扱い、絵心もあり、舞いもできた。事芸術の分野だけで言えば、光義はかなりの才能があったのだ。そして、羽振りも良かった。貴族の倅では、自由にできる金は、実はそう多くは無い。酷い者にもなれば、全て妾に出させる事もあるという。


名字を告げられていなかった事と、その二点から、凛は光義をどこかの商家の息子なのだと思っていたというのだ。


「そっか。それじゃ、凛さんは、あの方からは、何も訊いていないのかな?」


「ええ。わたしは、何も。光義さまとお逢いできる前日に、文を頂くのみにございます」


愛しき男性(光義さま)との逢瀬の時間。それが凛の全てであり、至福のひととき。その時間を割いてまでつまらぬ詮索に中てる等、絶対にあり得ないと彼女は言うのだ。


(はぇ~。”恋は盲目”と世間では謂うそうですが、本当に信じられませんねぇ、この幸せ思考…私でも、簡単に騙せそう?)


(しっ! 本人目の前に何てこと言うのさ、琥珀さん)


凛に対する光義の態度は、およそ徹の言う『散々弄んで捨て』る様には聞こえなかった。惚れた欲目というのも多分に考えられるが。


「ですが、あのお方の遣いという者から、”飽きた。金輪際、二度と関わるな”と…文が…」


あまりのショックに、その文を破り燃やしてしまったと凛は言うが、筆跡は間違い無く彼の手によるもので間違いないのだという。そんな態度を一切見せなかったのに、突然の出来事で、どうにか立ち直るまでには、かなりの時間を要したと凛は涙を滲ませながら語った。


(その文が残ってなかったのは痛いなぁ…)


それまでの恋文は全て残してあるというので、祈は拝見する事にした。


詩だけでなく、絵や、和歌。文体、形式に囚われない自由な発想で、それらは書かれていた。


読んでいるだけで、書き手の高い教養と、確かな知性に関心せずにはいられない程だ。そして、凛に対する確かな想いもしっかり伝わってくる。これがもし偽りのものであるというのならば、光義という男は、どれだけの悪鬼を心の中に飼っているのだろうか? 祈は身震いした。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



光義(みつよし)様、金輪際、火遊びはおやめくださいな」


「…遊びではないわ、たわけが。麿は真実の愛に目覚めたのだと、何度も言うとろうが」


胡座をかき、どこかふて腐れた表情で光義は乳母の言葉に反論をする。実際乳母の言う通り、光義は女遊びが酷かった。抱いては捨てるを幾度となく繰り返す、正に女の敵であったのだ。


「いいえ、それは幻想でござりまする。貴方様は、(いず)れ至高の存在となられるお方。そもそも、穢らわしき市政の小娘如きと情を交わすなぞ、あってはならぬ事にござりまする」


うるさい(しゃあしか)、黙れっ! 麿の想い人を愚弄するのは、いくら乳母であるお前でも絶対に赦さぬぞ、かなえ!」


「いいえ黙りませぬ。貴方様は、神たる帝の血を引く高貴なるお方。その事を、どうかもう一度思い出してくださります様。至高の神の血脈、決して、決して()()()()()()()()()()()()()()


「…おい、かなえ。それはどういう意味じゃ?」


乳母の言葉に不穏な空気を感じ、光義は問い質す。


()()()()()()()()ござりまする。稀人の血、決して外に…下賤の間に落としてはならぬと申しておりまする」


「…ぬ、ぬぅ…」


今まで契りを結んだ娘達と逢えなくなった理由はそこか。光義は戦慄を覚えた。確かに飽きて捨てた女も数多く存在した。だが、忽然と姿を消し行方が分からなくなった者も、過去の女にいたのだ。


「そういう事にござりまする。これ以上、不幸な女を世に出さない様に、かなえはお願い申し上げまする…」


他国や、国内有力貴族の間に帝の血を与える事はあっても、例外はあってはならない。


帝家の血の特徴は、必ず肉体の表に出る。紅の翼は、正にその証でなのだ。それが下賤なる民の間から出る様な事は、絶対に赦されない。乳母はその事を痛烈に示唆したのだ。


「それは…しかし…」


「いいえ。一つの例外も赦されませぬ。光義様の『真実の愛』は、さて。何処にございましょうや?」


乳母の怪しく滑る艶やかな唇の両端が、ゆっくりと歪む様につり上がる。齢90に届こうかという老婆が纏うには、それはあまりにも禍々しく、そして生気に満ちあふれていた狂気の炎があった。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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