第117話 苦界の喧嘩は怪我損、死に損
「もう一度言うよ? 黒装束の人達を殺さない様に無力化で」
「山嵐組の面々の方は、どうしますか?」
黒装束達の技量はさほどでもない。手加減しても充分過ぎるだろうが、山嵐組の方は勢いと度胸はあっても、かなり酒精が入っている上にお察し程度の技量しか持ち合わせてはいない。下手をすると黒装束達に全員斬り殺される可能性すらあった。
「うーん、あの人達が殺しちゃったり殺されたりした分は、仕方無いかな。元よりここは苦界だかんね。喧嘩で死んだら死に損、だよ」
そもそも祈には、彼らを助ける義理が何となくできてしまったが、義務はない。そこまで面倒を見切れないというのが本音だ。
「待て待て待てぃ。我ら、義によって助太刀いたす」
こういう時の口上は、船斗に任せるのが一番だ。祈や琥珀では舐められる。
(我らの中では、実は私が一番弱いのだがな…)
船斗も一応は武士の端くれで剣術の心得は多少あるが、やはりそれだけを鍛えた者とは一歩も二歩も劣るだろう自覚がある。ましてや、全てが規格外の祈に、体術だけならば祈に迫れる琥珀が側にいる。船斗の出番はおそらく無いだろう。
「はっ! 何処の何方さんだか知らねぇが、ありがてぇ! よろしく頼むぜぇ」
山嵐組の若頭は、船斗の助太刀の口上を素直に受けとめ感謝していた。どうやら性根はさほど曲がってない様だ。祈はほんの少しだけ、若頭の見る眼を改める事にした。
その間にも琥珀は二人倒した。祈は怪我を負った山嵐組の男達の介抱をしつつ、立て続けに睡眠術をかけ、黒装束の男達の半数近くを眠らせていた。
祈達の闖入で、戦いの趨勢は完全に決まってしまった。黒装束達は劣勢を覆せないと悟ると、刀を捨て逃げ出す者も現れた。
「逃がすかっ! 琥珀さんっ!」
「はぁい」
間延びした返事とは裏腹に、琥珀は逃げる黒装束の眼前に回り込んで一撃で打ち伏せる。
元々の速度が違うのだ。少し鍛えた程度の人間では、精霊神白虎の血を引く獣人である琥珀の足からは、到底逃げ切れるものではなかった。
「いやぁ、助かった。何処の何方さんか知らねぇが、礼を言わせてくれ。俺は山嵐組の若頭、徹ってンだ。あんた、良い従者持ってんなぁ」
若頭は船斗に右手を差し出す。どうやら、琥珀達を従者だと勘違いしている様だ。そんな彼に、船斗は思わず苦笑いをしてしまった。
「いえ。あの方達は、私の従者ではございませぬ」
「ほお? んじゃ、あいつらはご同僚って奴かい?」
「ああ、確かに…いや、あの中の一人は同僚、ですな…ふむ、何と言えば良いのやら…」
いまいち返答に要領を得ない船斗の態度に、何か答え難い事でもあるのだろうか? 徹は少しだけ首を傾げた。
「二人とも、私の大事な家族だかんね。あの時はどうも。私の顔、当然忘れてはいないよね?」
散々、ぺったんこだの、ちんちくりんだの、幼女だの、餓鬼だの言いやがって…祈は彼らの言動を、相当深く根に持っている様だ。言葉の端々に、棘が多分に含まれていた。
「げぇっ! て、てめーはっ!!」
「お茶くらい、出してくれるんでしょ? 私はお前達にとって、恩人だかんね? 矢傷も治してあげたし、あのままだと死罪になるのを、こうして庇ってあげたんだけれどなぁ…」
「…はぁ? てめぇ、何言ってやがんだ??」
「やっぱり自分達のしでかした事、わかってないみたいだ。そこら辺説明してあげるから。ほら、さっさと連れていきなさい。お茶とお菓子を所望します」
「だから、なんでっ…つぁ、何だこいつっ?! ちっこい癖に、なんてぇ力だっ」
「ほら、早く、行くよっ。あ、船斗さん。ここで黒装束達を見張っててね。すぐ戻るから」
嫌がる徹の背中をぐいぐい押しながら、祈は山嵐組の本拠地へと足を向ける。倒れた黒装束達をそこに連れていく訳にも、放置する訳にもいかないので見張りを船斗にお願いする。彼には念の為にヒトガタの兵を幾つか渡してある。それで手は足りる筈だ。
「はい。行ってらっしゃいませ。雪殿、頼みましたぞ」
「はぁい。お任せ下さい、水面様」
主達の背中を見送った船斗は、黒装束の男達に向き直る。幾人かはすでに目を覚ましていたが、手足をしっかりと縛られている為、身動きが取れないでいた。
「さて。貴君らには、訊かねばならない事が幾つかある。私の名は、水面船斗。かつては牛頭家に仕えし拷問吏だ。これから私が質問する事柄を、貴君らは話したくなければ黙っていても全然構わない。だが、気をつけたまえ。興が乗った拷問吏は、もう二度と止まらないぞ? ふふふ…」
今まで船斗は、牛頭家の裏…闇の顔の一員として、様々な悪事を担ってきた。暗殺、冤罪、拷問。それこそ、他者を蹴落とす牛頭に関する醜聞の、ほぼ何にでもだ。その中でも、事拷問に関しては、他者の追随を許さない程の功績を示してきた。その事を悔いていないと言えば嘘になる。だが、だからと言って恥とは思ってもいなかった。
彼は任された仕事を、何でもこなして来ただけだ。そこに私利私欲は一切無い。ただ、この力、仕えし主の為のみに。汚れるのは自分一人で良い。そうやって彼は生きてきた。
尾噛の姫。竜を使役し、小さい身体のどこにそんなパワーがあるのか分からないが、彼は祈に揺るぎない、希望の光を感じていた。彼女の為ならば、何でもできる。今回の一件は、彼女の守りたいもの全てが失われる可能性すらある一大事だ。その様な事をさせない為にも、まずはこの男達を…
黒装束の男達は、今まで生きてきた中で、一番の苦痛と恐怖、そしてこの世に生まれてきた不幸に嘆く一時が、今正に訪れようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
山嵐組の奥座敷に通された祈と琥珀は、所望通りに茶菓子を出されて緑茶を啜っていた。どうやらあまり良い茶葉ではないらしい。香りは多少するが、味は殆どしない。煎れ方の問題以前の話の様だ。
「まさかテメーがお貴族様たぁなぁ。で、ちんちくりんのお姫さんが、俺達に一体何の用でい?」
多少色と香りの付いただけの白湯と変わらない全然美味しくない物を啜り、山嵐組の若頭である徹は、祈を剣呑ある視線で射掛ける。”舐められたら商売は終わる”彼の口癖の通り、いくら目の前にいる人間が、どこぞの貴族の娘であったとしても、絶対に舐められる訳にはいかないのだ。
「ここの頭領はいる? それと、居るならご令嬢も呼んできて欲しい。お前達は、絶対に喧嘩を売ってはいけない人間に喧嘩をふっかけた。このままでは、ここの人間全員死罪になる。そうならない様に、私はここに来た」
「な…なんでぃ? なんだよ、それ…」
祈の言ってる事が、何一つ徹の頭では理解ができなかった。だが、祈の真剣な眼差しには、嘘偽りの一切を感じなかった。兎に角、彼女の言葉を信じなきゃダメなのだと、今まで危険な稼業で生き続けてきた本能がそう告げるのだ。
「いいから、早くっ!」
「へ、へいっ。ただいまぁっ!」
祈の剣幕に、徹は慌てて座敷から出て行く。まずは頭領と令嬢に話を訊かねば、恐らく話は進まないのだ。
「でも、お姫さま。本当によろしかったんですかぁ? 私、てっきり放っておくものだとばかり…」
琥珀の疑問は尤もだ。祈は頷いた。
「そだね。実は私もさ、最初はそう考えてた。でも、もう変に関わっちゃったかんね。最後まで面倒見なきゃ、寝覚めが悪いかも…って、そんな感じかなぁ? それに、さっきの黒装束の人達を見ちゃってさ、この選択は間違っていなかったって、そう思えるんだよねぇ…」
「ですかぁ。私は、お姫さまに従います。きっと、水面様も、八尾様も同じお気持ちの筈です。だって、皆さんお姫さまの事、大好きですもん」
「…うん。ありがとう」
本音を言ってしまえば、祈は不安感に今にも押し潰されそうになっていた。だが、それを家族達に見せる訳にはいかない。その気持ちを察してくれているのか、琥珀の言葉が祈の心に深く染みた。
先程の若頭…徹の顔を見れば分かる。彼らは皇族に対し、一方的な喧嘩を売ってしまった事に、全く気付いて居ない事に。
(そこが、一番の問題点であり、突破口かなぁ…)
祈はこれからやるべき事を、しっかりと考えていかねばならなかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




