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第115話 身分と立場



あれから(おおとり)(しょう)の執務室でどんな話をしていたのか、祈には殆ど記憶が無かった。長く思考の海を漂い過ぎた為なのか、途中で翔の方から話を切り上げる格好となったのは何となく覚えてはいた。


(やっばぁ…鳳様に、かなり失礼な事しちゃった…)


執務室の扉を出てから、祈は急に冷静になった。翔の方も忙しい時間を態々空けてくれた様なものなのに、これでは申し訳が立たない。とはいえ、もう一度翔に面会を求めて謝罪するのもおかしな話だ。


(…まぁいいか…この話を正直にする訳にもいかないんだし…)


山嵐組の男達が、皇位継承権3位を持つ大林光義(みつよし)を襲撃した(くだん)を、祈の方から切り出す訳にはいかなかった。


何故ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()大問題なのだ。帝国としては体面上、この一件を明るみには絶対できない。これは帝国の屋台骨を揺るがしかねない重大事件なのだから。


当然、祈も帝国に列する者として、この一件は秘匿せねばならない。一歩扱いを間違えてしまえば、尾噛の家にも類が及ぶ可能性すらある。


光義自身がこの一件を帝国に訴える、もしくは大林家自体が動くのであれば、その限りではないだろう。だが、祈は事のあらましに関わってしまってはいたが、本来は無関係なのである。


(あれ? だったら私、全然悩む必要無かったんじゃ…?)


このまま見過ごすという選択が、尾噛家にとっても、祈自身にとっても、一番簡単で安全な筈だ。素知らぬふりをするだけで良いのだから。


『ウチのお嬢を、そこの駕籠ン中にいる馬鹿野郎が、散々弄んだ挙げ句捨てやがったんだ』


(あの若頭? が言っていた事が真実なら…何だかやるせないよなぁ…)


祈は立場上、帝が白だと言えば、例え黒であろうが絶対に白として動かねばならない。それが帝からだけではなく、それに連なる皇族達からであっても、だ。だが、あの若頭の言い分を聞いてしまってからは、どうにもそれを全て是とするには、祈の中で色々と形容し難い雑念が邪魔をする。


「姫様、お疲れ様でございます」


宮の門前で、護衛役の兵3人を伴った水の精霊使い水面(みなも)船斗(せんと)が祈を出迎えた。帝国を取り仕切る四天王の一人である鳳翔の面会は、祈の精神力をゴリゴリと削る…らしい。お守り役兼参謀の八尾一馬からそう聞いていた船斗は、心配げに祈の顔をのぞき込んだ。


「して、姫様大丈夫でございますか? もしお疲れでしたら、今から駕籠なぞを手配いたしますが…?」


「うん、大丈夫だよ。船斗さん、ありがとね」


(…船斗さんに気を遣わせている。そこまで私は、疲れた顔をしていたのだろうか?)


祈は頬を一撫でし、苦笑いを浮かべた。表情に出てしまう様では、まだまだ修行が足りない。(いず)れは他家に嫁いで、家内全ての者の上に立ち切り盛りせねばならない立場なのだ。この様な体たらくではいけない。


「そういえば、あれから琥珀(こはく)さんは、まだ帰ってきていないのかな?」


「…いえ、何も…あの…姫様、つかぬ事をお伺いしますが…」


「うん? なにかな?」


(すすぎ)殿に、我らの宿舎の場所を、伝えておりますでしょうか? 彼の者は、帝都の内部を全く存ぜぬ筈…ですが」


「…………あっ」



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「ぐすっ…えぐっ…すんすん…」


「…だから、ごめんて…」


「ぐじゅっ…お姫さま、ひどいぃ…わたし、すっごく心細かったんですよぉ…すんっ、すん…」


琥珀は祈に命じられた通りに、拡大睡眠術(マグニ・スリープ)から目覚めた自称山嵐組の男共の跡を付け、根拠地を突き止めた。そして彼らが名乗った通り、山嵐組の屋敷だという事の裏もしっかりと確認していた。琥珀は草としても本当に優秀だった。


そこまでは良かったのだが、琥珀は祈にその後どうすれば良いのかを全く聞いていなかった。はじめての街で行くあても無く、帝都を延々彷徨い歩いた。見知らぬ土地で独りぼっちという心細さと、忘れ去られてしまったのではという不安感。そして空腹。とうとう心折れ路地裏で蹲り泣きベソをかき始めた頃、漸く祈に発見、保護されたのだ。


見知った顔が、目の前にある。それだけで琥珀の涙腺と自制心は完全に崩壊した。祈に縋り付き、力一杯抱きしめた。絶対に離さない、離すもんか。そんな意思がこもっているのか、祈の小さな身体を両手でがっちりと締め上げていた。


(いたいいたいいたいっ…獣人の腕力、マジ、ヤバいぃぃ)


骨が軋む痛みに一瞬祈の顔が歪む。だが、ここで態度で、表情で出してしまっては、琥珀が拗ねて今度こそ立ち直れなくなる。無理矢理穏やかな表情を繕い、琥珀の背中を軽く叩いて撫でさする。祈も本当に必死だった。


「ごめんね。もう琥珀さんが側にいる事が当たり前になり過ぎちゃって、完全に忘れていたよ。そうだよね、帝都、はじめてだもんね…」


『琥珀さん、あいつらをお願い』


なまじその一言だけで、全ての意思疎通ができてしまった為に、その事を完全に祈は失念していたのだ。船斗に問われるその瞬間まで、全く気が付かなかった程に。


「ぐすっ…お姫、さまぁ…すっごく、怖かった…」


「ほんと、ごめんね」


琥珀の頭を優しく撫でる。白い毛がふわふわもふもふとして、撫でている手先が気持ち良い。


見知らぬ街をアテも無く独り歩く心細さと、そこにかかる心理的負担は相当なものだろう。その事を想うと、祈は本当に申し訳無い気持ちでいっぱいになった。この埋め合わせはちゃんとしなくてはいけない。


「今度、何でも言う事聞くから、許して。ね?」


「すん、すんっ…絶対、ですよぉ…」


「良かった。本当に良かった。ああ、姫様も雪殿も尊い…」


何故か船斗は二人を見て貰い泣きをしていたが、後ろに控えた三人の歩兵は半分白けていた。


(…てーかさ、これって、ただ単にどちらも抜けてただけじゃね?)


これは、その時居合わせたとある護衛兵の述懐である。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



鳳翔は、御所奥の寝所へ直接転移した。宮内での空間転移術の使用は、それだけで極刑にあたる大罪だ。


だが、彼だけは例外であった。何故なら、此処、この場においては、彼は帝国臣下、四天王鳳翔ではない。陽帝国の最高位、皇帝光輝にとってはただの昔からの親友、”翔ちゃん”なのだ。


「ただいま、(こう)クン」


「おかえり、翔ちゃん。尾噛のあの娘、何か気付いていたっぽいね?」


「あ、視てたんだ? やっぱりあの娘は何か持っているよねぇ。しっかり事件に巻き込まれているみたいだったよ。思い悩んじゃってて、もう見ていて可哀想になるくらい」


「…そっかー。ウチの馬鹿息子のせいで、本当に申し訳無いなぁ…個人的には助けてあげたいんだけど、立場上それもできない」


賊によって光義が襲撃された件については、すでに帝の耳に入っている。光義の母方の実家である大林家から、その事についての訴えがあったからだ。


「山嵐組だっけ? 彼らと直接の関係も無いのに、本当に心優しい娘だよ。垰クンは彼女の教育に一切関わっていないと聞いていたけれど、どうしてどうして。真っ直ぐ過ぎるくらいに真っ直ぐな良い子だよ。ウチの娘達と大違いだ。ははは…」


蒼と空。愛娘二人の顔を思い浮かべ、翔は力なく笑った。どこで教育を間違えたのだろう? そう思いながら。


「まぁ、彼らは被害者だと言えば、その通りだからなぁ…そこまで掴んでいるんだったら、あの娘結構侮れないな」


「多分ほぼ掴んでいるんじゃないかなぁ? 態々ボクに彼らの事を訊いてきたくらいだしね。でも彼女、ここからどうするつもりなのか…下手に動かれると、ボクらはあの娘を裁かなくてはいけなくなる」


「そこが辛い所だよね。かと言って温情を与えては、下々の者達に示しが付かなくなる。巻き込みたくないのが本音なんだけれど」


光輝は陶器の器に酒を注いで一気に呷った。そんなに強い体質ではないが、この様なやるせない時には、酒精を入れねばやってられないのだ。


「最悪、祈クンに”お役目”を与えて、一日中拘束するしかないかなぁ…って、ボクは考えてる」


「それが良いのかも知れない。でもね、実はちょっとだけ、彼女がどう動くか興味があったりするんだ、僕は」


空になった器に、もう一度酒を注ぎながら、光輝は自分の想いを紡いだ。


帝となった日に、彼は自由を失った。全ては複雑に絡みついた力達の方向を見定め、それらが破綻しない様に、調停に苦心し続けた。父の代ですぐに帝国が崩壊し、辺境の島国に這々の体で逃げ、追いやられた経験が、彼をそうさせるのだ。


「牛頭豪亡きあとの大林家は、ちょっと調子コキ過ぎだしね…少しくらい痛い目に遭って欲しいってのが、僕の本音なんだ」


「なるほどね。光クンの気持ちは解る。けれど、それちょっと軽く考え過ぎじゃないかい? 下手すると、帝国の屋台骨が揺らぐよ、これ?」


「かもね。だけれど、子の不始末は、親がつけなきゃなんないのも事実。でも、その親である僕の自由が利かない以上、こうするしかないかなってさ」


「本当に、光クンは怖い事考えるなぁ…ボクは、その”もしも”があったら、立場そっちのけで絶対に祈クンを助けるよ? それでも良いのかな? 皇帝陛下」


「うん、その時は。まぁ、彼女が何もしないっていうのが、本来は良いんだけれど…ね?」


光輝は、酒がなみなみと注がれた陶器の器を、翔に差し出した。


翔はそれを無言で受け取り、一気に呑み干す。強い蒸留酒は、翔の喉を内側から熱く熱く焼いた。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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