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第112話 帰路:帝都までの道中


「おなか壊すといけないから、絶対生水は飲んじゃ駄目よ? それとね、飛竜(ワイバーン)の干し肉と魔猪(まちょ)燻製肉(ベーコン)、いっぱい作っておいたから、保存食にしてね。ああ、他にもね、戸棚に羊羹あるから、兄弟で仲良く分けて食べるのよ? あんたお兄ちゃんなんだから、我慢する所はちゃんと我慢して、喧嘩しちゃ駄目なんだからね?」


「…おめぇ、何時から俺のオカンになったんだよ。頼むから、変な小芝居やめてくれ…」


砦の長である牙狼(がろ)はがねは、祈の別れの言葉にげんなりとしながらも律儀に返答をする。着任初日の仕返しにと、こういう嫌がらせで来るとは全く思ってもみなかった。


これには、わりと精神ダメージが深い様である。


「…そういえば、羊羹ありましたね。兄弟で仲良く分けるといたしましょう。姫様、今までお世話になりました」


「はい、お世話しました。今度来る時には、美味しいご飯を希望します。絶対ですよ?」


祈率いる尾噛軍のお陰で、砦の食糧事情はかなり改善されはしたが、今度は肉偏重気味になってしまった事を言っているのだろう。食事はバランス良く主菜()の他に、できれば副菜(サラダ)が欲しいのだ。


「…善処します。”食の軍師”の二つ名にかけて、次こそは、姫様にもご満足いただける様な献立(メニュー)を組み立ててみせましょう」


「つーか、ここは戦場なんだから、我が儘言うんじゃねーよ。腹に入りゃ何でも同じだろうが…って、ちょっと前の俺なら言い切ったんだがなぁ…お前達のせいで、舌が肥えちまった。ホント恨むぜ?」


尾噛軍のせいで、飛竜(ワイバーン)大鳥(ロック)魔猪(まちょ)走竜(ラプトル)…砦にいる者達は、大型魔物の美味さを知ってしまった。あの味が忘れられず、飛竜の巣に突貫しかけた猛者(バカ)まで出た。食事のランクを落とすというのは、非常に困難で苦痛が伴う。鋼のこの恨み節も、決して間違いではないのだ。


「確かに。ですが、お陰で食事の重要性を、今更ながら再認識させていただきました。この人の下にいると、その辺がどうしても疎かになってしまうので…いやはや、参りました」


『腹が膨れりゃ何でも良い』と公言して憚らない鋼の下についた者は、いつの間にやら全てその意向に染まってしまうという。それが例え”食の軍師”と呼ばれ、糧食の味と質に拘り、補給線の重要性を常に説いてきた(くろがね)ですら、この有様である。


「そこはごめんね、としか…ああ、そうそう。また集落の人達が交換しにこちらに来ると思いますから、よろしくお願いしますね。多分その人達に言えば、魔猪や走竜のお肉なら手に入ると思いますよ」


閉ざされた集落の人達ならば、魔猪や走竜程度は訳もない。現在の彼らは生活必需品に乏しいので、頼めば喜んで獲ってくる筈だ。砦の者達全ての腹を満たす量は無理だろうが、駆除も兼ねる一石二鳥の為ある程度の数は確保してくれる事だろう。


「それは良い事を聞きました。魔猪の肉は保存食に加工し易いみたいですし、今度お願いしてみますよ」


「あれは酒の肴に向いてたな。ぐいぐい呑める」


肉の祭典の際に余った魔猪肉を、祈が保存食用にと燻製加工していた。砦の近くに塩山があるお陰で、保存食を作り易い環境があったのは幸いだったと言える。食欲に任せ無計画で狩りを行った結果、大量の肉を腐らせる可能性もあったのだから。


長期保存を意識して少し強めに塩を入れたせいなのか、鋼が酒の肴に丁度良いと一人でガンガン消費していたのは、正に皮肉な結果といえよう。


「…だから呑むんじゃねーよ兄貴。物資少ねぇっつってンだろボケが」


兄の心無い浪費のカミングアウトに、物資残量をいつも気にしていた弟がついにキレた。


特に酒というものは、軍事物資にある嗜好品の中でもかなり特殊な扱いになる。呑めない者には全く必要の無い物だが、呑む者にとって、これ以上無いくらいに必需品となるからだ。それこそ恩賞にすら使える程に。


特に兵の士気を上げるには、酒という嗜好品は安価の割に非常に高い効果をもたらす。肉の祭典の際に、兵1人に瓢箪2つ分の酒を与えたのだが、その後今までに無い位に訓練への積極性が見られた。時と場合をしっかりと選べば、かなりの効果が期待出来ると判明したのは、軍首脳にとって大いなる収穫である。


それを軍司令が一人で無駄に浪費しては、下の者に示しがつかないばかりか、必要な場面で足りない等という事態を招きかねない。そのため常々鉄が口を酸っぱくして説教を重ねているのだが、当の鋼は知らぬ顔を決め込むのだ。


「軍の割り当てくらい守りやがれっ! 三日に瓢箪1つ分って、他の奴らの倍だぞ、倍っ! 俺の分も全部回してやってンだからよ。勝手に呑むンじゃねーよっ!」


軍司令の胸ぐらを掴んで激しく揺する副司令の図…事情を知らぬ者が見れば、不敬、叛意、不義…色々な物騒な単語が脳裏に並ぶであろうその光景に、砦の兵達は思わず顔を背けた。


牙狼の兄弟仲はかなり良い方であるが、それは弟の鉄が常に我慢し、兄を立てている結果でしかない。


「その分、俺は米を食ってねぇから良いだろーがよぉ。全部酒でも構わねぇくらいだ」


「だ~か~ら~、こっ・めっ・をっ喰えっ! そっちのが遙かに安いって何度も言ってんだろっ! 米で他に何も入らないくらいに腹を満たせよクソがぁぁぁぁっ!!」


反省の色全く無しの兄の言動に、弟の怒髪天は一向に収まらなかった。掴んだ兄の胸ぐらそのままに、前後に激しく揺さぶり、周囲の目一切を憚らず、大声で今まで貯め込んできた不満をまき散らす。


「ま、ま、ま…副司令殿、その辺で…尾噛の方々も、お困りの様子ですし…」


いたたまれなくなった部下の一人が、未だ怒りの収まらぬ鉄を何とか諫めた。いつもは穏やかな人物ほど、内に秘めた激情が表面化すると、全く抑えが効かなくなるものなのだという良い例となってしまっていた。


「あ、あはっ。あははははは…」


反応に困った祈は、笑うしかなかった。下手に言葉を紡ごうなぞ、墓穴を掘る未来しない。また、無言を貫くには、面の皮が薄過ぎたのもある訳だが。


「…こほん。すみません、つい熱くなってしまいました…それでは尾噛様、鳳様によろしくお伝え下さい」


「はい、承りました。それでは、これで失礼いたします。砦の皆さんも、また」


「「「「肉姫さまぁ、今までありがとうございましたーっ!」」」」


沢山の美味なる肉を集めた功績から、祈は砦では巷の通り名”黒曜の姫将軍”ではなく、”尾噛の肉姫さま”と呼ばれ親しまれていた。


この二つ名が、祈は物凄く大嫌いだった。そう呼ばれる度に、何か色々と…乙女として大切なモノを穢され、喪ってしまった気がするのだ。


「っぐ。さようならー」


一瞬、怒鳴り散らしそうになるのをぐっと堪え、祈は極上の作り笑いと共に、見送りの兵士達に手を振った。もう一度”肉姫”と呼びやがったら絶対に獄焔(ヘルファイア)をブチ込んでやる。そう物騒な事を思いながら。



「無礼な奴らでしたな。姫様にあの様な品の無い二つ名をつけるなど…」


水面(みなも)船斗(せんと)は憤慨していた。”肉”呼びとは、敬愛する姫への無礼ととった様だ。


「そうカリカリしなさんな。アイツらはああやって、おひい様に親愛の情を示してたのさ。他の貴族のご令嬢だったら、あんな名を付けた時点で打ち首だからなぁ…」


「…首、撥ねてやれば良かったと、今更後悔してんだけどね、私…」


あの通り名が定着してしまった時点でもう遅い。最初に徹底的に抗議するべきだったと、祈は酷く後悔していた。


”肉の祭典”の提案者であり、その肉の提供者となった祈は当初”肉の女神様”と呼ばれ始め、そこから肉女神になって最終的に肉姫になったのだが、そもそも”肉”という単語が付いている時点で、女性に付ける名では無い。そこに誰もツッコミが入らなかったのは、やはり砦内は男社会だからであろうか? 祈は頭を抱えた。


「わ、わたしはっ、お肉、好きですよっ! お姫様も大好きですからっ!」


「お肉のついでみたいに言われるのも、なんか、ちょっとなぁ…」


必死になってフォローしようとする琥珀(こはく)の声も虚しく、祈の心はどんどんやさぐれていく。


(考えてみたら、砦に着いてからずっと女と見られてないんだよね、私…これでも一応、花も恥じらう乙女だっつのに…世の男どもは見る眼無いなーコンチキショー)


別に特定の男性から好意的に扱われたい等という願望は、未だ祈の中には無い。だが、完全にお子様扱い、また女性と思われていないというのも、正直腹が立つのだ。


確かに人を効率的に殺す技術ばかり成長して、花嫁修業は完全に疎かになっているのは認めよう。だからといって、事実を注視しすぎて見た目の印象を無視するのだけはやめて欲しい。本当にそれが祈の心にグサリと刺さる。


「そ、そんな事無いですっ! 琥珀はお姫様の事が、凄く、すごく、すっごく大好きですからっ!」


琥珀は必死になって、祈のどこが好きなのかを熱弁を奮い始めた。聞いてる者が何となく気恥ずかしさで次第に顔が赤くなっていくのだが、当の琥珀は沈んでしまった姫様の為にと、必死になって指折り数えながらのことなので全く気付いた様子がなかった。


「こ、琥珀殿、その辺に…端から聞いている我らの方が、気恥ずかしく…」


「ふえ? そうですかぁ? もっといっぱい言えるんですけどぉ」


白熱している所で、水の精霊使いの船斗に盛大に水を差され、琥珀はムクれた。祈と過ごした時間はこの中では琥珀が一番短い。だが、だからこそ自分が一番だと示すには、姫様の良い所を言い続ける必要がある。そう琥珀は思っていたのだ。


「で、できれば私もやめて欲しいナーって…」


「残念です…」


『髪の毛さらさら』『良い匂いがする』辺りで、祈は本当に恥ずかしさで死にそうになった。気が遠くなって落馬しかけたりしたので、もしかしなくても半分死んでいたのかも知れない。


「琥珀さん、ありがとね。ほら、元気になったから、ホント、勘弁して。マジお願いします…」


馬上で土下座もしかねない祈の様子に、渋々琥珀は”姫様良かった探し”を中断せざるを得なかった。なれば今夜二人の時に、この続きをやろう。琥珀は一人心に固く誓ったのだった。


(祈、またえらい懐かれたな…)


(なんでこうなったのかさっぱりだよ。そりゃ、嫌われるよりか全然良いんだけどさぁ…)


(ライバル出現で、お姉さんちょっと困るわ…)


(おね…いや、やめておこう…拙者ノーコメント。ノーコメントにござる)


(あによー? 喧嘩なら、いつでも言い値で買ってやるわよ?)


((おおう、くわばらくわばら…))



尾噛軍は、西に向けて歩いた。


港から船に乗って海峡を渡り、帝都まで歩くという、合計8日程の道のりである。


「帝都手前で、私は離脱するから。一馬さん、あとはお願いね」


(おおとり)(しょう)の手による勅書に従い、祈は帝都に赴かねばならない。その内容は、詳しく書かれていなかったが、恐らくは何かの雑用だろうと祈は考えていた。


「へい。しかし、おひい様、良いんですかい? その、お館様には何も言わずに…」


「大丈夫だと思う。多分兄様にも、同じ内容の書が行ってるんじゃないかなぁ…? 鳳様、その辺り本当にマメだから」


「ですが、俺だって後でお館様に何かと言われたかないですからね。こっちで何名か付けさせていただきますよ」


一馬は、船斗と琥珀の他に、歩兵から3名を護衛に付けた。それでも領主の娘の護衛としては数的に心許ない位だ。


「まぁ仕方無いかぁ。判ったよ」


分岐はすぐそこまで近付いていた。一馬としては、帝都の城門近くまで一緒に行きたかったのだが、完全武装した集団が帝都近くにいては余計な不安を民に与えてしまう。限界はこの辺りだろう。


「じゃあ皆、長い任務ご苦労様。戻ったらちゃんと休む事。それも仕事だかんね。後は一馬さん、よろしくね」


「へい、了解です。ちゃんとこいつら鍛えておきますんで。おひい様もあんまり無茶しないで下さいよ」


「いつも無茶してるみたいに言わないで欲しいんだけどな…」


これでも一応は武門を誇る尾噛家の指揮官なのだが、一馬にとっては、祈はいつまでもお転婆姫のままであった。それは祈の日頃の言動のせいもあるのだが、当の本人はそれを気付いてはいない。


「では、我らはこのまま尾噛領へ向かいます。道中お気を付けて」


一馬は祈に深々と頭を下げ、尾噛領へ向け爪先を向けた。



「それじゃ、私達は帝都へ。琥珀さんははじめて、だよね?」


「はい。集落以外の人が集まる街は、本当にはじめてです。あそこの砦も、人の多さにびっくりしましたし、緊張しましたっ」


(…その割には、平然と飛竜の肉を口いっぱいに頬張ってた気がするんだけれど…?)


琥珀に関しては、深く考えても仕方が無い。祈は追求する事を放棄した。


「ん…?」


その時、祈の感覚に触れる不快なモノがあった。人の断末魔だ。


(祈殿っ)


(うん。ちょっと距離があるけれど、一方的に襲われているのか、これは?)


「ごめん、ちょっと先を急ぐよっ! 船斗さん、後から付いてくるだけで良い。琥珀さん、付いてこれる?」


琥珀の返事を待たずに、祈はすぐさま鐙を蹴り、馬を一気に走らせた。馬の速度に付いてこれる者は琥珀だけだ。徒歩の者達の足を待ってなんかはいられない。事態は急を要する。


「は、はいぃ!」


(賊の数は…恐らく20。襲われている方は…また一人死にましたか…)


(帝都が近いこんな街道で、一体どうして?)


焦る気持ちを抑えながら、祈は馬の足をさらに速める。


(早く、早く…)


どうやら賊(?)は、一切の容赦が無い。それは伝わってくる断末魔の強さで判った。見せしめの為か、惨たらしく殺している様だ。


「どういう理由なのか解らないけど、こんなこと、絶対に、許さないっ」



沸き立つ怒りの赴くまま、祈は周囲のマナを集め支配下においた。必ず後悔させてやる。祈は手綱を握り、一息に駈けた。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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