第109話 閉ざされた集落
足先に感じた微かな抵抗を無視し、祈はもう一歩を踏みしめた。
幾重にも重ねられた結界は、外からの侵入者を阻む性質のものではなく、内から溢れる何かを留めておくための性質のものの様だ。
では、何故結界の外に、弱いながらも認識阻害術と無意識回避術を大規模に展開しているのか? それらの説明が付かない事に、祈は違和感を覚えた。
「何かを…隠しておきたいって事、かな?」
「施されている数もそうだが、一つ一つの結界強度も異常だ。この先に、外に出しちゃ不味いものがあるのかも知れん」
外側の結界に触れながら、俊明は分析をする。結界の維持には、強度が高ければよりコストがかかるのは当然の事だ。
一つ一つの結界強度を強固にしているだけではなく、更にほぼ同じ強度のものを幾重にも重ねているという所が、正に異常なのだ。そこまでして隠さねばならないものがあるというのだろうか?
「その割に、かの仁はここまでの道のりの警戒が薄かった様ではござらんか? 迂闊にも程が…」
「だな。完全に抜けてら。これが罠…ってこたぁないと思うが…まさかな…」
何かを隠し通しておかねばならぬのであれば、琥珀の行動は迂闊と言われても仕方の無いだろう。追跡者の可能性を考慮すれば、真っ直ぐに戻るという行為自体が、そもそも無いのだから。だからこそ俊明の言う通り、罠の可能性は充分にあり得るだろう。
「う~ん、それは無さそう。結界で阻まれているから、この先の気配はまだ読めないんだけど」
「侵入してしまったのだから、もう言い逃れなんてできないわ。あれこれ考えるだけ無駄よ」
「ま、ぶっちゃけそうだわな…」
「然り」
「だねー」
この結界に干渉してしまうので、遅延発動の防御術を予めかけておく事にした。厭くまでも、念の為の処置である。
祈の予想より遙かに多かったが、結界群を抜ける事ができた様だ。
道の間には、等間隔で並ぶ幾つもの篝火が焚かれ、その先に大きな門が立ちはだかっていた。木の柵が続く状況から察するに、かなり大きな集落の様だ。
「ここ、妙に肌寒いなぁ…もうすぐ初夏の筈なのに…」
「空気が違うのか? 俺達にはちょっと分からないな」
肉体を持たない守護霊達には、微妙な空気の違いは分からない。結界を抜ける前と今の気温に差がある様に祈には感じられた。肌に触れる風が、染みる様に冷たいのだ。
寺院を連想させるかなり大きな構えの門の間には、兵士らしき人影はなかった。てっきり手厚い歓迎(物理)を受けるものだとばかり思って身構えていた祈は、肩すかしを喰らった態である。
「ふむ。門の向こう側には、かなりの人の気配がござる。敵意は然程感じられぬが、こちらを相当に警戒している様でありますな」
「当然よね。結界を抜けてくる人間なんて、普通いないでしょうし」
無意識に避ける様、暗示をかけた上に、認識阻害の術を施した先にある多重結界を抜けてくる者が現れるなぞ、故意で抜けてやろうと思わなければ、まずあり得ない筈だ。
では、そんな意思を持つ者の目的は何か? そう考えれば、集落の人間達のこの行動も分からなくはない。
「でも、ちょっと受け身過ぎるんじゃないかな? 私なら、結界を抜けてこようとした時点で、害意ありと見なして即座に囲うけど」
祈はその覚悟を持って、結界内に入ったのだ。だが、そうはならなかった事にも、多少の違和感と共に怒りを覚えていた。いくら何でも甘過ぎるだろうと。
「お前なら間違い無くそっち選ぶよな。だが、お前みたいな考えの奴が上にいたなら、琥珀っていったっけ? そんな娘に監視なんか行かせないだろ」
「っていうか、何で私が監視されなきゃいけないっていうの?」
そもそも何故、琥珀は祈を監視していたのか? その疑問があったからこその追跡からの結界突入であって、俊明の指摘とは完全に矛盾する。
「所謂”鶏卵論争”って奴でござるな」
俊明の指摘は、卵が先か? 鶏が先か? という前後の定義があやふやな仮定でしかない。そもそもこの集落の人間…琥珀が関わってさえこなければ、祈は此処に来るつもりもその機会も、一切無かったのだから。
「砦の事が心配だーとか、もうそんな建前どうでもいいや。その事に対して、びしっと文句を言う方が正しい気がしてきたぞ」
「あ、イノリちゃん開き直った…」
「集落の者達よ、こうなっては祈殿に逆らわぬ方が身のためにござるぞ。南無…」
門を潜り、祈は隠れている人間達に聞こえるくらいの大きな声を挙げた。
「私の名は、尾噛家が長女、祈っ! この集落を束ねる長に、是非ともお目通し願いたしっ!」
ここで琥珀の名を出しても良い事は無いだろう。彼女の後を付けたからこそ、集落にたどり着いたのだから。その様な気遣いは、この場に立っている以上、本当に今更ではあるのだが。
長の屋敷に通された祈は、そこで長から謝罪を受ける事となった。
最初は勢いにまかせ一気に苦情を並べ連ねてやろうと思っていたのに、遙かに年長で目上の者にこうもあっさり深々と頭を下げられては、怒りが急激に萎んでしまうのだ。
「その様に、外様の人間なんぞに深々と頭を下げないでください…」
「いや、これはこちらの失態。尾噛様のお怒りはご尤もにございましょう。我らも俄には信じられなかったので」
尾噛軍が、夥しい数の飛竜を相手にし、血の臭いに誘われた犬面人や小鬼の集団を次々に蹴散らす様子が、集落に報告された事が切っ掛けであったという。
その件の軍を指揮する人間…祈の発する霊圧が常人のそれを遙かに凌駕していた為に、それを脅威と感じた長は、集落の中で一番の手練れである琥珀に、監視の命を出したのだという。その結果が、この通りである。
「でも、いくら何でもそれだけで私を脅威と感じるのは、おかしくありませんか?」
人を戦闘狂か何か物騒な者と思っているのか。少しムッとしながらも、祈は長の言葉に、奇妙な引っかかりを感じずにはいられなかった。
「…でしょうな。それには理由がございます」
そう言うと、長は祈の前に絵図を広げてみせた。紙は古く、所々痛んでいた。
「これは、この国と周辺の地図にございます」
地図には、中央大陸の一部と、長細い列島が描かれていた。地図の南側にある大きな島が、恐らくは帝国の領土であろうか。それでも列島の大きさに比べれば、大したものではない。
「尾噛様は、信じられぬと一笑されるやも知れませんが、我らの集落は、ここ。この辺りにございます」
長が指さした箇所は、列島の真ん中の、そこから少し北に登って海沿い辺りであった。長が真実を言っているのであれば、外が肌寒く感じるのも無理はないだろう。砦のある地点より、この集落は北側に位置しているのだ。
「え? ちょっと待って。帝国の砦がここら辺でしょ? 何で、集落がそこ、なの?」
だが、祈は言葉遣いが素に戻る程に混乱していた。長が指し示した集落の場所が、祈が出てきた砦からかなり離れていたのだ。どう考えても理屈に合わない。半刻とかからず踏破できる距離では、決してないのだから。
「この集落は、特異な地でしてな。列島の様々な地と繋がる”特異門”なのです。その為、この地に居を置き管理する我々は、常に外界の変化に対し敏感でなくてはなりませぬ」
だからこそ、常に周囲を観察し、見極めなくてはならないのだと長は言う。
特異門の存在を外に知られてしまえば、きっとこの集落は、他国に対し侵略の野心を持つ者達の間で争いの場となるだろう。
「でもさ、下手に私に関わったせいでこんな事になってるんだから、本末転倒じゃないかな? 無闇に警戒し過ぎなのはどうなの?」
言葉遣いに関しては、もう祈は開き直る事にした。その上で、長に言いつのる。最初から監視の眼がなければ、ここに来る切っ掛けになりはしなかった筈だと。
そして、私なら結界群の真ん中辺りに、強力な人払いの暗示をかけるだろう。途中で心が折れる位に強力な奴を。そう言った。
「しかし、それでは集落の若者は納得せぬでしょうな。外界に出る夢を持つ者も、多数おりますので」
この集落の人間は掟を作り、外界との接触を徹底的に避け長い間引き篭もっていたのだという。だが、集落の血があまりにも濃くなりすぎた。そして先代に掟を改め、他の血を求める様なったのだという。
「ああそっかー、それなら仕方無い所あるなぁ」
外界との交わりを避け、何も変わらない停滞した日々をおくり続ける。それは緩慢な魂の自殺でしかない。それを他者に強要しようとしたのかと思うと、祈は恥ずかしくなった。
「ですので、特異門の事、内密にお願いしたいのです」
「そんな事、お安いご用だよ。私だって、そんな火種を抱えたくないもん」
今回の事は、おかず捜索の途中にあった、ほんの気まぐれでしかなかったのだ。ここから争いの火種に発展しようとは、誰も思い付くまい。
「特異門の事は、重ねてご内密にお願いしたいのですが、実は、此処がかつて閉ざされた集落であるが為に、色々物資にも困窮しているのも事実でございまして…」
「うん?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これから定期的に物々交換で、食料が手に入るってか。まぁ、今は鉄器類が余っているから、できん事はないが…」
「今は飢えを凌ぐ事が重要かと。此度の尾噛様の報告は、まさに我が軍には福音となりましょうな」
鉄がそろばんを弾き、目録に次々と印を付けていく。閉ざされた集落からもたらされた数々の保存食のお陰で、約一月分のおかずが確保できるだろう。
「後は肉の祭典ッ! ですよー?!」
そろそろ飛竜の肉が良い具合に熟成している頃の筈だ。祈は、飛竜の肉を美味しくおなかいっぱい食べる日を、よだれをたらし今か今かと待ちわびていたのだ。
「気配消したままいきなり現れんなっ。っとに、お前は無駄に元気だなぁ…」
「無駄は酷いですよ、総司令殿。ちゃあんと、我が”尾噛”はお役目果たしているんですからね。そろそろご褒美、欲しいんですが?」
「あー、はいはい。何か考えとくよ。後本国にも打診してやっから」
期待せずに待ってろ。そう鋼が続けた。尾噛軍の活躍のお陰で、砦周辺域で成果は確かに出ていた。大鳥に、魔猪にと、食える魔物の肉が次々に貯蔵庫に運び込まれている。
(見事に肉ばっかり貯め込みやがって…どんだけ飢えてやがったんだよってな…)
あえてそれは突っ込まないでおこう。欠食児童の反乱なんぞ、戦場において笑い話にもならないのだから。
精神の世界に、距離という概念はない。
だが、そこに在るであろう存在に、俊明は強い意志をもって呼び掛けた。
(おい、居るんだろ? 琥珀)
(やはり主様は、気付いておりましたか。そう、主様の護りし竜の娘の監視を指示したのはわたし。その任にあたったのは、わたしの孫娘にございます)
(しかし、態々己が真名を、直系の血族に付けるかねぇ…お前さん、結構趣味悪くね?)
(いやいや、まさか主様までもこの世界に降りてこられるとは思ぉておりませなんだ。主様に頂いたこの真名を忘れぬ様、孫娘にくれてやったのです)
(まぁ何にせよ、お前が息災で良かったよ。これで、後は青竜だけだが…)
(彼奴は、この列島におりませぬな。何処とは、わたしにも分かりませんが。何せ、朱雀を除く我らは不干渉を貫いておりましたでな…)
祈の行く先に、常に四聖獣がいる…その事を考えただけで、俊明は頭が痛くなる気がする。
(無理矢理にでも揃えろと言う事か…? まさか、なぁ…)
もう少し、あの娘には平穏な生活をおくらせてやりたい。そう俊明は思うのだが、どうやら現実はそれを許してくれそうにない様だ。彼の持論である”現実とは最強の糞ゲーである”がまたここに実証されつつあるのだから。
(ああ、本当にままならんモンだよ、まったく…)
精神の世界で一人、俊明は静かに瞑目した。
誤字脱字があったらごめんなさい。




