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第104話 その後始末的な話6




視界全てを埋め尽くす程の清浄なる光が消え失せ、そこには、憐れなる魂のほんの一部…その断片だけが取り残された。


大魔王に身体を乗っ取られ、魂を侵され、その悉くを喰われた憐れなる存在。


かつては、この地において英雄と崇められた程の存在…尾噛垰の、それは残滓であった。


「恐らくは、大魔王の浸食に対し、最後まで抗ったその残りでござろう。よほどの意思の強さを持っておらねば、この様な偉業、成し遂げる事はできますまい」


「祈、誇って良いぞ。お前の父親は、世間一般で言えば確かにロクデナシだ。だが、大魔王に全てをくれてやらなかった。それだけで充分に尊敬に値するだろう」


魔王の浸食は、寄生されてしまったが最期、どの様な存在であっても決して抗いきる事なぞはできない。その速度に多少の個人差があっても、最期には完全なる無という結末が待つのみだ。


だが、祈の破邪聖光印によって大魔王の痕跡一切が浄化され、確かに”尾噛垰”という魂の残滓が、この場に在るのだ。それを勝利と言わず、何と言うのか? そう彼らは主張したのだ。


「…あたし、男共の言うそれ、全っ然理解できないわ…駄目親父は、結局駄目親父でしかない…そうではなくて?」


そこに異を唱えたのがマグナリアだ。彼女は大魔王に浸食されてしまった時点で、垰は完全に敗北したのだと主張した。元々イノリに対して冷淡であった垰に対し、良い印象など欠片も無い。擁護する気なぞは一切なかった。


「マグナリア、お前もやっぱり女だな。この漢の世界観(ロマン)が理解できないとは…」


これだから素人は…薄く寂しくなった額をペチペチと軽く叩きながら、やれやれと嘆く様に俊明は呟いてみせた。


「はぁ? 何よそれ。あたしを馬鹿にしてンの? 喧嘩なら幾らでも言い値で買ってやるわよ?」


「ま、ま、ま、ま…双方とも抑えて、抑えて。ここで拙者らが喧嘩した所で、何の意味もござらぬ」


周りで守護霊達がわいのわいのと騒いでいた間、祈は一切口を開いてはいない。


大魔王の魂が完全に浄化されると同時に、父である垰の魂もまた、消滅してしまうものだとばかり思っていたのに。完全に、諦めていた筈なのに。


…そうは、ならなかった。


「…む。ここは、彼岸ではないのか…?」


大魔王の呪縛から解き放たれた魂の残滓が、静かに動き出した。


()()は、もう幾何の力をも残してはいない、本当の意味での残滓だった。放っておけば、直ぐにでも周囲に溶け込んで消えてしまう程度の、儚き存在でしかなかった。


「貴方は、大いなる闇に浸食された魂の、その残滓。一度でも闇に侵されし魂は、二度と彼岸に到達する事はありませぬ…」


”父”の残滓に向け、祈は静かに語りかけた。


牛頭豪の時にもあった、祈自身さえも知らない筈の、霊界の(ことわり)が、何故か、可憐な薄桜色の唇より紡ぎ出て来るのだ。


「彼岸への旅路を赦されぬ貴方の意識は、輪廻からも外れ、このまま消えるのみ。そして世界に溶け込み…(いず)れ、マナの一部となりましょう」


それが何故だかは、祈も守護霊達にも分からない。だが、これは神のみせる最期の救いであるのか。それとも、無慈悲なる追い打ちなのか。


「そうか。ワシは、このまま消えるか…仕方無し。闇に食い尽くされなかっただけ、僥倖であろうよ」


垰の残滓は、静かに明滅を繰り返した。それは怒りでもなく、諦めでもなく…ただ、静かに現実を受け入れた者の、透明な覚悟を示していた。


「そこな娘よ、ワシの娘の姿を借りし者よ。どうか、我が娘に伝えておくれ。すまなかった…と。ワシは、ただそれだけが心残りであったのだ…」


娘に頭を下げるには、体面が、意地がそれを赦さなかった。古い石頭には、その様な簡単な事が出来なかった。死ぬ覚悟は簡単にできても、その行動だけは、どうしてもできなかったのだ。


闇に肉と魂を喰われ、いよいよ完全に消滅する間際になってはじめて、漸くその事を悔いた。だから、激しく抵抗した。意地でも、例え欠片だけに成り果ててしまったとしても、己が意識を、絶対に残そうと。


「承りました。貴方のその想い、確実にお伝えいたしましょう」


「すまぬ。…祀梨よ、もうお前とは逢う事、二度と適わぬだろうが…この世界で、何れ…ワシはその日を、待つとしよう、ぞ…」


かつてこの地では、武神とまで称えられしその人、尾噛垰の魂は、こうして静かに世界に溶け込み、消えていった。



「…とうさまの、ばか…」


虚空に向け、祈は小さく漏らした。


祈は、父から謝罪の言葉が欲しい訳ではなかった。


欲しかったのは、ただの一言。


「愛している」と、そう言って欲しかっただけだ。


祈は生まれてからずっと、この場には居ない者として扱われてきた。父の、幼稚で身勝手な価値観が、周りにそう仕向けさせたのだ。


それはとても悲しい事には違いなかったが、慣れてしまえばどうという事はなかった。


しかし、でも。


ほんの少しだけ、心にちくりとひっかかる様な棘が、そこにはあった。


父親に、”私”がこの世に生まれ出でた事を、祝福して欲しかったのだと、今なら分かる。


それも、もう二度と適わぬ願いとなった。


父の、本当の最期の際に、母祀梨の名が出てきた事だけが、祈にとっては救いだった。母は父に本当に愛されていたのだと判ったのだ。


だから、父の身勝手も、許してやる事にしよう。


『尾噛』の家に対する、祈の(わだかま)りは、これで全部無くなったのだ。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「で、姫さんどうよ。あたいって、やっぱり便利だろ? いて良かっただろ? な? な? な?」


白衣のマッドサイエンティスト牛田紋菜(もんな)は、祈に絡みつく様にねっとりと抱きつき、何度も何度も、自身がいる事の有用性を祈に説き続けた。


「はいはい。紋菜さまサイコー、サイコー」


耳にタコ過ぎて、半分テキトーに相づちを打つかの祈の声に、紋菜は悲しそうな表情で、抱きつく力を一層込めた。


「そんな面倒くさそうに言うなよ-、なー?」


「はいはい、面倒臭いなぁもう。で、今日は何が欲しいのカナー?」


どうせ、飴ちゃんの代わりになる甘味が欲しいだけでしょ。紋菜への祈の対応は、かなり塩味が効いていた。


「空の奴から聞いたぜー? 何か、甘薯を使った強烈に甘くて美味い物を作ってもらったってさぁ。良いよなぁ、ズルいよなぁ。それ、あたいにも作ってくれよぉ。なー?」


ああやっぱり。塩対応で正しかったわ。


祈は経験則って本当に大事だナー、そうしみじみと思った。紋菜は根が純粋で単純過ぎた。穿って考える必要の一切ない分かり易い人間なのだ。


(こんな事しなくても、私は請われれば拒めないのに、この人は本当に…)


「実は、牛の酪があれば、それよりもっと美味しい物が作れるんだけどナー?」


でも、それは絶対に、この人には言ってやんない。


だって、紋菜さんは、調子コくから。


「何っ?! もっと、美味しい、物…だとぉっ?!」


「うん、間違い無く。紋菜さんならバッチシ気に入ってくれると思う。うん、絶対に」


牛の乳から酪を取り出すのは、はっきり言って手間だ。俊明が簡単に酪だけを取り出せる機械が後世に登場すると言っていたが、当然今そんな物が手元にある訳ではなかったし、偉そうに講釈垂れた癖に当の本人は原理も朧気だった。


だが、もう言ってしまった以上は覚悟するとしよう。きっとこれを作った翌日は、筋肉痛確定だ。


「っしゃー! 今から牛を捕まえてくるぜぇー!! 待ってろ、甘味、甘い物、スゥイィーーーーツっ!!!」


祈の身体に複雑に絡まっていたその四肢を一瞬で解き放ち、紋菜は凄まじい速度で、離れの玄関から飛び立っていった。


鬼の形相で追いかけてくる紋菜に、きっと牛達は泣きながら必死に逃げ惑う事だろう。その様子を思い描き、祈は盛大に吹き出した。


人の抱える食欲とは、かくも恐ろしいものなのだ。


(紋菜さんでも、半日はかかるだろうな…)


それまでに色々と準備をしておこう。一番時間がかかるのは、酪を取り出す作業になる筈だ。それまでに必要な工程と段取りは終えておかねば。



さて、これで当分は、平穏な日々が戻ってくる筈だ。



「こういう忙しさなら、ドンとこいって感じ、なんだけどな…」


できれば来年は、もっとゆったりとした時間を過ごしたい。思い返してみれば、今年は始まりからずっと、激しい戦いの連続だった。普通の領主の姫では、絶対にあり得ないものばかりなのだ。


(もう諦めろ。お前は”お淑やか”という言葉から、一番離れた存在になりつつあるんだから)


(祈殿、人生気にしたら負けにござる。そして己が心が負けなければ、それは負けではござらぬ)


(あたしはどんなイノリちゃんでも、愛してみせるわっ!)


「…本当に、ウチの守護霊たちは…」



尾噛領の年の瀬は、こうして静かに過ぎていくのであった。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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