第103話 魔王来訪
その姿を見た時、門番は完全に固まってしまった。あり得ない筈のその事態に、思考が全く追いつかなかったのだ。
たっぷりと時間をおいた後、漸く現実を受け入れたのか、門番は事態の収拾を図る事にした。信じられないだろうが、これは現実である。そう前置きしてから、家宰を呼ぶ様に奥の使用人に伝えた。
「ささ、垰様。すぐに家宰がお迎えに上がる事でしょう。お通りください」
「うむっ。ご苦労」
ここは自身の屋敷だ。肉の器の記憶が、そう彼に教えた。これから行う”余興”の為、彼は単身尾噛の屋敷に赴いたのだ。
この領内において、彼が支配するこの器ならば、全てが思うがままだ。誰もが傅き、それこそ無言で指し示すだけで、誰もがその命を察し従うだろう。この器が人生の全てを賭け、そうなるまでに仕上げたのだ。彼は今日、それも壊すつもりだ。それら全てを含めての”余興”なのだから。
「…うん?」
屋敷の玄関に入る際、微かに抵抗の様な違和感を覚え、彼は足を止めた。
「どうかなさいましたか、垰様?」
「…いや、久方ぶりの我が家なのだ。少し、な…」
きっと器の中に僅かながらある、魂の残滓の影響であろう。彼はそう結論付けた。これからの”愉しみ”の事を思えば、こんなものなぞ些事だ。これからの事に思い巡らせ逸る気持ちを抑えながら、彼は履き物を脱ぎ廊下に足を置いた。
「おおおお。お館様…よくぞご無事で…」
「否だ。家督は、すでに譲っておる筈。今のワシは、隠居の身…そうであろ?」
「…っ、そうでございました。ご隠居様、おかえりなさまいせ…」
今の尾噛家で”お館様”とは、当代の望の事を指す。その事を先代に指摘され、感極まって思わず出てしまった呼称を訂正した。家宰が”ご隠居様”に慣れる間も無く、当の垰は迎撃の軍を発してしまったのだ。こればかりは、仕方の無い事なのかもしれない。
先代、帰還。
その報に、屋敷中の家臣達が喜びに沸き立った。中には、歓喜のあまり泣き出す者すらいた程だ。
「おかえりなさいませっ!」
「垰様っ! よくぞご無事で」
奥座敷に通された垰は、家臣達の盛大な歓迎に迎えられる事になる。座敷に入りきらない為、外には使用人やらまでが押しかけてきていたという。
「…ご当主は?」
今の尾噛家は、望を頂点とする武家組織である。現役を引退し、自らを”隠居”とした立場上、垰は公式の場で、当主である望を呼び捨てには絶対にできない。その事は彼もよく弁えていた。
「申し訳ございませぬ。お館様は現在宿舎の方へ…今暫く」
歓待の宴を終えたとはいえ、今後の帰還兵達への対応についての打ち合わせ等、本国からの要請という名の命令という、予定外の仕事が増えてしまったが為に、未だ尾噛家当主は多忙を極めていた。
細かな仕事程度なんぞ、筆頭家宰である沖に丸投げしてしまえ…その様なズルをしない所が、実にこの器の息子らしい。
彼はその様な愚直な勤勉さの一切を、持ち合わせてはいない。無駄な労を一人で背負い込み、それに忙殺される日々に追われるとは…ただ、哀れとしか思えなかった。
それだけに、余計に腹立だたしくもある。彼は『待つ』という行為を、一番に嫌っていた。これから彼自身が起こすつもりである余興…『愉しみ』を、その様なくだらない事で”待った”をかけられてしまったからだ。
では、”娘”をこの場に呼びつけるか? 父の無事の帰還を知れば、出て来ぬ訳にもいくまい。
(…うむ。兄妹間で殺し合いをさせるのも、また一興か?)
”息子”の妹に対する執着は、彼の知る所でもあった。”娘”を確保できさえすれば、その様な余興も可能なのだ。ここは何とも愉しき家であるのか。彼の心は弾む。
だが、ここで”娘”の事を聞くのは不味い。彼の支配する器はそう告げる。何故ならば、器の記憶において”娘”を常に”家には存在せぬ者”として扱ってきたからだ。その為彼の口から、娘の名を言の葉に乗せる訳にはいかなかった。
(…もう良い。少し早いが始めてしまおう)
彼は、この場に集う家臣達全員に向けて、”魔王”を…力の一部を送り込んだ。その分だけ、今現在の彼の力が落ちてしまうが、そこは全然構わない。むしろ”魔王”の数を多く揃えられるならば、後に力が大きく増すのだ。”余興”が終わってしまえば、その全てを吸収するつもりなのだから。
(贄は、多ければ多い程良い。ああ、この場におらぬ我が”息子”と”娘”の嘆く様が、早く見たい…)
彼は、その情景を脳裏に描き、舌舐めずりをした。
”息子達”は、己が信を置く家臣共に裏切られ、失意の底を味わいながら死ぬまで嬲られるのだ。もしそれに抗い、家臣共を力の限り散々斬り捨ててみせるのならば、それはそれで面白き絵面となろう。
強者の最期としては、これほど惨めで哀れなものは、恐らくは無い。そうなる様に、彼が仕向けるのだ。
(ただの余興如きに、欲張っても仕方がない。この世界においても、『魔王』を名乗れるまでに力をつける。それこそが唔最大の目的だ。優先順位を間違ってはならない)
世界に散らばっているであろう、『魔王』達の欠片を吸収できねば、何時かは吸収されて”彼”自身、その意思を失ってしまう。そうならない為にも、他の『魔王』達の誰にも負けぬ様に、力を付けねばならぬのだ。
汚らわしくも矮小なる獣人共が作った国に、強力な”魔王”が君臨する。彼の者に敗れ完全吸収されてしまう前に、這々の体でギリギリに逃げ果せたからこそ、現在の彼が存在しているのだ。あの屈辱を、絶対に忘れてはならない。
「お前達の働きに期待する。唔を、存分に愉しませよ」
彼の手足となって働く『魔王』達の力は、当然ながら限定的なものだ。反乱なぞ、絶対に赦す訳にはいかぬのだから。彼らが屈辱感に苛まれながらも、言う事を聞かざるを得ない状況を作り出す。この事も、彼にとっては大いなる愉悦なのだ。
「お館様が、お戻りになりました」
漸くきたか! 彼は、この時をずっと待ち侘びていた。
”息子”が戻り、父の無事を知れば、恐らくすぐにでも”娘”を呼び出す事だろう。その時こそ、真の愉悦の始まりなのだ。彼はこれから始まるであろう惨劇に、期待で胸を弾ませた。
「父上っ! よくぞご無事でっ」
木の床をドカドカと踏み鳴らし、望が奥座敷に顔を見せた。先代、帰還す。その一報を聞きつけ、すぐさま飛んできたのだろう。息を弾ませ慌ただしく垰の前に座し、両手をつき頭を垂れた。
「うむ。ご当主には、要らぬ心配をかけてしもうた。これよりは、唔が…この尾噛を貰い受けるっ!」
彼が”息子”へ向け、そう告げながら手を挙げた瞬間、家臣達が次々に抜刀し、”息子”へと一斉に斬りかかる。尾噛に仕えし家臣達は、それぞれが一線級の剣士であり、他の領からも恐れられる猛者揃いだ。
肉の器の記憶が確かであれば、これ程の戦力相手でも”息子”本来の力量ならば、何ら訳はない。一瞬で蹴散らして終わる筈だ…それが、ただの敵であれば。
だが、彼らは”息子”にとっては、家族同然の筈だ。幼き頃より、そう教育を受けた者の筈なのだ。どういう反応をし、どう切り抜けるか…太陽の如きその人相が、一瞬で曇る様を早く見たい。彼はその瞬間を待ち望んでいたのだから。
「なっ? お前たち、一体どうし…っぐあぁぁっ!」
彼の予想を大きく裏切り、”息子”は、呆気なく終わってしまった。ただの一瞬も抵抗する事もなく、ただ無様に狼狽えて、家臣達に散々に斬り刻まれて…
「…おい。これはどういう事だ?」
「はて。我らも、ただ驚いております…」
『魔王』達も、”息子”の力量を知らぬ者はいなかった。彼らも、自身消滅の危機を覚悟してでの、この行いであった。そのつもりであった筈なのだ。
「そんなの知ったことかっ! 誰もこの様なつまらぬ結末なんぞを望んではおらぬわっ!」
この結果は、予想外も甚だしい。それだけならばまだ良いが、彼が望んだ展開に一切ならなかったのだ。ただただ、つまらぬ。それだけであった。
彼はやり場の無い怒りに打ち震え、唇を噛み地団駄を踏んだかと思うと、急にどかりと腰を降ろし大きく息を吐いた。どうやら急激に冷めてしまった様だ。
「興が冷めた。もう良い。”娘”をこの場に呼び出せ」
「はぁ…よろしいので?」
戯れはもう終わりで良いのか? 魔王達は、そう本体に問うた。兄に殺される可能性は無くなったが、今度は娘に嗾けられるのではないか? その恐怖もあっての、この問いである。
「ほお? 今すぐ吸収してやっても良いのだぞ?」
唔の意に添わぬのであれば、分かっておろうな? そう彼の瞳が力強く語る。要らぬ問いをした『魔王』は、その眼光に怯えひれ伏す屈辱を味わう羽目となった。抗う力を持たない『魔王』には、それしか術は無かった。
「ひっ。今すぐ呼び出しますっ」
「その必要はないよ、大魔王さま。私は、ここにいるから…ね?」
黒曜石の様な異質な輝きを放つ鎧を全身に纏い、その上からは純白に輝くコートを羽織る銀髪の竜の”娘”…完全武装の尾噛祈が、大魔王の前に、姿を現した。
「ぬ。きさま、唔を、『大魔王』と呼んだか? 唔の存在を、何処で識った?」
父を装って、”娘”の動揺を誘いながら惨たらしく殺す…それすらも叶わなくなったのか。彼の落胆は、凄まじいものであった。
だが、それだけならば、まだ良い。
この世界に存在しない概念である筈の『魔王』を、目の前の小娘は何故か識っている。
彼にとって取るに足りない程度の、僅かな力しか分け与えなかったが、それでも他の生物には充分過ぎる脅威となる筈の分け御霊6つを、一瞬で撃破してみせたこの娘が、それを識っている。大魔王である彼が警戒する理由に充分値する存在となった。
「そんなの教える訳なんかないに決まってるだろ、お前は馬鹿か? ああ、馬鹿だったね…ぷぷぷっ」
祈はさも可笑しそうに、大魔王に嘲笑ってみせた。
美しく端正な顔であればある程、それを向けられし者は、その容赦無い破壊力に打ちのめされる事となる。
小娘と侮っていた筈の、取るに足りない矮小な存在如きに、唔が嘲笑された…その事実を飲み込むには、大魔王の魂はまだ達観なんぞできてはいない様である。彼の怒りは、一気に頂点まで登り詰めた。
「ぬうぅ、ほざきおってっ! お前らっ! さっさとそこな小娘を始末せんかっ!」
大魔王の声に呼応し、家臣達は一斉に鞘走らせた。彼の中では、もう余興なぞどうでも良くなっていた。大魔王を馬鹿呼ばわりした大罪を、今すぐにでも精算させねば気が済まなくなっていたのだ。
「はぁ…本当に、お前は馬鹿だね。お前を大魔王だと知る私が、こうして姿を見せた時点で、すでにお前は罠に嵌まっていたんだよ」
小娘がぱちりと指を鳴らした途端に、大魔王がその魂の力を分け与えた筈の全ての尾噛の家臣達が一斉に姿を消してしまった。
「…なっ…?!」
全くの存外の出来事に、大魔王の思考が一瞬だけ停まる。分け御霊を植え込んだ家臣達それぞれがいた筈の畳の上に、人の形に切り取られ、細かな文字がびっしりと書き込まれ半ば黒く染まったかの様な紙が散乱していた。
大魔王が余興で作り出した筈の傀儡…尾噛の家臣達は、祈の手で作られた仮の人形でしかなかったのだ。そして、血の海に沈んだ筈の望も。
祈が両手を掲げると、黒ずんだヒトガタ達は一斉に祈の手元に集まった。
「はい、お前が馬鹿である証明のひとつ目。これでお前の力は、かなり削いだよ。残念だったねー」
祈はもう一度、ぱちりと指を鳴らした。一瞬でヒトガタ達が青白い炎に包まれ、その後には一切の灰も残る事はなかった。彼が分け与えた魔王の魂は、何の成果も果たす事なく、祈の手で浄化されてしまったのだ。
「ぬぬぬぬっ」
小娘如きに馬鹿だと嘲笑され、罵られて心穏やかでいられる訳なぞない。彼は、その欠片の一部でしかない存在とはいえ、大魔王と恐れられて世界に君臨していたのだ。今すぐにでも、無礼な小娘をこの手で引き裂いてしまわねば、とても生きてはいられない。彼は小娘との距離を一気に詰めるべく跳躍んだ。
「はい、お前が馬鹿である証明ふたつ目ー。この屋敷の住人が全て偽物だった。ならばこの屋敷自体はどうだろう? それに考えが及ばなかったから、お前は馬鹿だっていうんだ」
大魔王の腕は、確実に小娘に届いていた。なのに、そこに小娘の姿は無かった。あれが避けた様子は、一切無かった筈だ。なのに、何故? 小娘の姿を完全に見失った大魔王は、今や焦りと恐怖によって混乱の極みにあった。
「この種明かしは、説明するのも面倒臭いし良いよね? どうせ馬鹿なお前如きの頭じゃ、絶対に理解できないだろうし、ねー?」
大魔王の尻を後ろから思いっきり蹴飛ばし、祈は更に罵倒を重ねる。気配無く背後を取られただけでなく、剰え、娘に尻を蹴られるという屈辱に打ちのめされながらも、大魔王は背後に伸ばした爪を振るう。だが、それは虚しく空を切るのみである。
この尾噛の屋敷は、牛田紋菜の手によって、結界に包まれ異界化している。今やこの世界の支配権を握るのは、祈なのである。大魔王は謂わば、祈の腹の中に居るのと変わらない訳なのだ。
二度、三度と、祈は大魔王の尻を思いっきり蹴った。馬鹿、阿呆、雑魚。と、徹底的に罵倒を繰り返しながら。大魔王を絶対に冷静にさせてはならない。力を大幅に削いだとはいえ、これでもギリギリの綱渡り、その筈なのだから。
「糞っ、クソっ、くそがぁぁぁぁぁ! 少しばかりはしこいからと調子に乗りおってぇぇぇぇ! こうなれば唔の魔法で、全てを消し去ってくれるわぁぁぁっ!!」
大魔王は両手を広げ詠唱を始めるが、マナの支配が全くできない事に気が付き、大きく地団駄を踏み歯噛みした。
「はい、お前が馬鹿である証明みっつ目ー。マナが無い事に全く気が付かないなんて、魔術を使う癖にそれって、ホントどうなの?」
周囲のマナ密度の確認と、その支配権の確保。魔術を修める人間にとって、それは無意識に行われるべき所作だ。だが、大魔王はそれを怠った。彼は力を持ち過ぎたが為に、マナの支配権は常に自身に帰属するものだと誤解していたのだ。
「そして、最後の4つ目ー。私がただお前の攻撃を避ける為だけに、無闇に動き回っていた訳ではありませーん。これに気が付かなかったお前の、負けだっ!」
祈は両手で複雑な紋様を何度も描き、大きく印を結ぶ。その動作に呼応するかの様に、大魔王を中心とする五芒星が浮かび上がる。その頂点を結ぶ様に円が形成されると同時に、内側は聖なる力が迸り、目が眩む程の目映い光りで満ちた。
「消えろっ! 破邪聖光印っ!」
祈は、大魔王の攻撃を避けつつ移動しながらも、五芒星の各頂点に結界用の呪具を設置していたのだ。蹴りを放つ事で、大魔王の怒りを誘い、その中心へと誘導したのである。
「ぐっああああああああっ何だこれ? 何なのだ、これはあああああああああああ?!」
結界が完成し発動した今、もう大魔王に逃れる術は残されてはいない。後は邪悪な魂が完全に分解されてしまうまで、浄化の光が消える事はない。
「消えるっ? 唔が、消えるぅぅぅ。助けてくれっ! ワシはお前の父だッ! お前はっ、父を、この様に無残に殺すというのかっ!」
「…は? お前がとうさまだって? じょーだん。お前は大魔王。しかも、とびっきり馬鹿の、ね…」
あり得ない例え話になってしまうが、今この場で大魔王の魂が消滅し本物の父が生き残ったと仮定しても、後腐れの無い様に躊躇無く殺すつもりだ。
だけれども、それは大魔王には内緒にしておこう。その僅かな希望に縋りながら、虚しく消えてしまえば良い。
大魔王なんて、そんな惨めで憐れな最期こそがお似合いなのだから。
祈は何も言葉を発する事無く、ただ光が消えるのを、待ち続けた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




