稲葉は失望する。
時は刻々と過ぎていき、今日の練習は終了の時間を迎えた。部員の皆は充実した表情で体育館から部室へと向かい、汗を拭いて服を着替えていた。
「いや~、今日の練習は身が入ったなぁ」
「打倒実千!なんだかやれそうな気がするぜ!」
「あぁ!勝って全国だ!」
部室内では関東大会の3回戦で当たる、実千中学との対戦で話はもちきりだった。話の内容はポジティブなもので、皆は打倒実千に向けて意気込んでいる様子だ。
しかし、皆が前向きになるよう発破をかけたはずの俺自身は、そんなポジティブなテンションについていけずにいた。
「呑気な奴らだ……」
着替えをしながらロッカーに向かい、皆に聞こえないような小さい声でボソッと本音を呟いてしまった。そんな呟きが隣にいる齋藤に聞こえたらしく、怪訝な顔をしながら「松本、どうかしたか?」と尋ねられた。
聞かれてしまった事に「しまった」と思いつつも、俺は取り乱す事なく「いや、何も」とだけ返し、服を着替えて部室を後にした。
こんな事で先程の呟きを誤魔化しきれたとも思えないが、齋藤はこれ以上に俺の事を追求しない。
事なかれ主義という訳では無いが、齋藤はモメ事を起こしたいタイプの人間では無い。士気が上がっている部室の空気を悪くしたくないのだろう。
部室から下駄箱が置いてある出入口に到着した。俺は靴を履き替え、上履きを下駄箱の中に入れようとする。
すると、その時である。「よう」と言いながら俺の肩を後ろから誰かが軽く叩いてきた。上履きを下駄箱にしまい、後ろを振り返って確認をしてみると、そこにはまたもや笑顔で白い歯を見せつけてくる稲葉が立っていた。
「松本!聞いたよ!」
「何がだよ?」
「体育館での話だよ!やっぱお前は熱い男だな!」
「……あぁ」
体育館での話とは恐らく、俺が部活の皆に全国へ連れていくと宣言をした話だろう。もう別の部活の奴に広まってるのかよ……。
まぁ、あの時はバレー部やらバドミントン部も体育館にいたからな。一目を避けてしていた話ではないので仕方がない。
しかし、その話を聞いて稲葉が嬉しいそうにしているのかは全く理解できない。こいつ関係ないじゃん。
「……じゃあ、俺帰るから」
これ以上こいつと関わると、暑苦しく色々根掘り葉掘り何か聞いてくるかもしれない。めんどいので早くこいつから逃げねば。
俺は逃げるようにして足早に校舎を出ようとするが、俺の思惑を知ってか知らずか稲葉は俺の後ついてくる。
「待てよ、松本!一緒に帰ろうぜ!」
「なんでだよ……。お前、俺と家の方向違うだろ……」
全力ダッシュで走り去りたいとも思ったが、足の速さでは稲葉にどう足掻いたって敵う訳が無い。俺は観念して早足から普段の速度で歩を進める。
校門を出た後も、稲葉は家とは逆の方向であるはずの俺の後をついてくる。
俺はそんな稲葉を怪訝な視線を送りつつ、「何か用なの?」と声をかけた。
「いやさ、生徒会室でのお前の話に俺は少しガッカリしてたんだよ。えらい弱気だな?って。でもさ、実千中学だっけ?勝つ気マンマンじゃん!さすがは俺のライバルだ!」
「はぁ~……。勝手にライバル認定をするのは止めてくれよ」
まぁ、そんな事を言ってもこいつは聞いてくれないんだろうけどなぁ……。
「俺が全国へ連れていくって、気持ちが沈んでいた部員達に熱く宣言をしたんだろ?そこからバスケ部の練習は凄かったって聞いてるぜ。皆やる気に満ち溢れていたって!俺はそれを聞いて凄く嬉しかったんだぜ」
「なんでお前が嬉しがるんだよ……。まぁ、でもそれ嘘だけどな。」
「えっ?……嘘?」
稲葉の表情が笑顔のまま固まる。
「何が嘘なの?」
「俺が全国へ連れていくて言った事。そんな自信は俺には無い?」
「はぁ?」
稲葉の爽やかスマイルが崩れて歪んでいった。俺はそんな稲葉の事を気に止めず、淡々と前を向いて歩を歩めていった。
「嘘って、部員達に嘘をついたって事か?」
「そうなるな」
「なんでだよ?」
「部員達の士気を少しでも高める為だよ。あのままじゃあ試合にすらならないと思ったからな。あんなに盛り上がるとは思わなかったけど」
「……でも、それは試合に勝つ為にそうやって発破をかけたんだろ?」
「そんなんで勝てるんだったら苦労しないよ」
稲葉の顔に落胆の色が見える。稲葉の性格からして、俺の言葉は受け入れがたいものなのだろう。
「松本。それは無責任すぎるんじゃないのか?お前はキャプテンとしてチームに発破をかけ、部員達はそれに応えようとしているんだ。なのに当のお前が勝てる気がしないってなんなんだよ?」
語気を強めて問い詰めてくる稲葉に、俺は眉間にシワを寄せて睨み付ける。確かに稲葉は凄い。尊敬もしている。だけど、個人競技のコイツにそんな事を言われたくない。
「じゃあさ、お前も陸上部のキャプテンだろ?部員全員を全国レベルで戦える選手に出来るのか?そんな意識で皆を練習に取り組ます事が出来るのか?」
「はぁ?」
稲葉は何を言っているんだとでも思っているのだろう。俺が言った事は極論だ。議論において極論を持ち出す奴は、大抵は論破をしたいが為に思考をついやし、その議論に中身が生じえない事が多い。
何故ならば、極論で語れる単純な事象は現実においてまかり通る事が無いからだ。世の中はもっと複雑にできている。
しかし、今回においてはそんな極論こそがまかり通る。
「実千中学でレギュラー……いや、ベンチに入る奴の大抵は、小学生の頃から夢の為に覚悟を決めている奴だ」
「覚悟……。何の覚悟だ?」
「お前も持っているものだよ」
「……それで飯を食べていくという覚悟って事か?」
「大袈裟に言えばな」
普通に地元の中学に進学をすれば、楽しくだけのバスケを出来たのかもしれない。しかし、強豪私立を選択したからには、才能のある奴らがレギュラーを取る為に日々凌ぎを削っていく地獄へと身におかないといけないのだ。
楽しいだけのバスケはそこには存在しない。それは、強豪高校、大学に入学する為。そして、その先には……
「実千中学の連中は、自分自身でその覚悟を決めた奴らだ。俺の言葉にモチベーションを簡単に左右される奴らの固まりが、そんな奴らにやる気が上がっただけで勝てると思うか?バスケはチーム競技なんだ。お前みたいに、お前さえ良ければいい個人競技とは違うんだよ」
「チーム競技を選んだのはお前だろ!だったら部員の皆に無駄な希望を抱かせるなよ!」
「じゃあどうすればいい!相手チームに渡り会えるのは俺と齋藤くらいなもんだ!なのにそれ以外の奴らにやる気がない!そんな状態で試合しろっていうのか?関東大会にだって高校のスカウトは観に来ている可能性だってある!無様な試合は出来ないんだ!」
「お前!チームは踏み台か!?」
「そうだ!関東大会が始まる頃には、高校の全国大会は終了している。関東の強豪高校なら、来年の戦力を探す為に監督自ら足を運んで観に来ている可能性がある。せめて勝てないならば、少しでも自分をアピール出来る試合にするしかない。だから、最低限試合を成立させる土台を作らなければいけないんだ。俺の部員に対するあの宣言は、それの目的でしかない!」
俺が語気を強くそう言いきると、稲葉は無言で俺を睨み付ける。その表情に先程までの爽やかさは無く、怒りを窺わせる。
俺もそんな稲葉に怯む事なく睨み返す。俺にだって譲れないものはある。
ただならぬ空気が、二人は間に漂っている。しかし……
「ふぅ~……」
自分を落ち着かせるように、稲葉は大きく深呼吸をした。怒りを滲ませていた表情も、次第に穏やかなものへと変わっていく。
「松本。お前の言ってる事の方が正しいのかもしれない。でもなぁ……いや」
稲葉は何かを言いかけていたが、途中で言うのを止めた。
「悪かったな、松本。言い過ぎた。俺、帰るわ」
そう言うと、稲葉は俺に背を向け、歩いてきた道の方へと向かって歩を進めていった。去っていく稲葉の背中は何処か寂しげで、哀愁を感じるものであった。
「……なんだよ……あいつ……」
ボソッと呟いた俺は、稲葉の背に背を向けて、自宅へ帰る為に通学路を再び歩み始める。
アイツの言っている事が分からない訳では無い。そりゃあ、俺だって仲間達と気持ちを一緒に頑張りたい気持ちはある。
だけど……、もう分かち合う事は出来ないのだ……。




