メスライオン宇多田は今日も猛獣のように荒ぶる。
7月20日
今日は私が通っている下柚木中学校で終業式が行われる。いよいよ明日から夏休みだ。
とは言っても、私達中学三年生に休みなど無い。部活をしていて、大会を勝ち進んでいる人達は、練習が毎日続く事になるし、それ以外の人は皆、受験勉強で必死になる時期だ。
かくゆう私も夏休みは夏期講習を受ける予定だ。まぁ、他の皆とは違って、高校にあまり拘りのない私は、比較的気楽な立場でやらせてもらっているのだけど。
体育館での長い終業式が終わり、教室に戻って通知表をもらう。その後は担任である人見先生が話す、夏休みの注意事項を聞けば今日の学校での予定は終了だ。
―キーンコーンカーンコーン―
終業のチャイムが学校中に鳴り響く。これにて帰宅部達の学校での全日程は終了した。
…
「それでは皆さん。今日はここまでです。充実した夏休みを送ってくださいね」
人見先生が締めの言葉を言い、それに皆は「は~い」と返事をして席を立ちはじめる。
前の席に座っている公平も席を立ち、後ろにいる私と綾香に「じゃあ」と一言だけ言って、教室から出ていった。そのまま部活に向かうのであろう。
「帰ろうか、桜」
「うん。そうだね」
私も、後ろの席にいる幼馴染みの綾香に声を掛けられて席を立ち、家に帰ろうとする。
しかし、その時である。教室の外から「ダダダダダ!!」と、もの凄い勢いで迫りくる足音が聞こえてきた。何か嫌な予感がする……。
バタン!
「浜崎さん!!いるかしら!?」
嫌な予感が的中した。足音の正体は憎きメスライオン宇多田こと、『宇多田 ユキ』であった。宇多田は勢いよく教室の扉を開け、私の事を大声で呼んできた。
メスライオン宇多田の後ろには、呆れたような顔をしている倉木さんがいる。宇多田と倉木さんは同じ陸上部だ。おそらく、メスライオン宇多田が余計な事をしないよう、倉木さんはお守りで宇多田に付いてきたのだと思う。倉木さんも大変だなぁ……
「いるけど……何?」
私は訝しげな顔をわざとつくり、宇多田の呼びかけに答えた。
「浜崎さん!通知表はもらっているわよね?」
「そりゃあ、まぁね……」
「じゃあ勝負よ!」
「はぁ?」
メスライオン宇多田は自分の通知表を右手に持ち、私に見せつけるように突き出しながら勝負を挑んできた。……どゆこと?
「えっ?何?通知表で勝負なの?」
「そう!通知表で評価された数字を全部足して、その合計点で勝ち負けを決めるの!!」
「お断りします」
「なんで!?」
私は頭をペコリと下げて丁寧に断った。宇多田は断れる事を想定していなかったのか、私の対応に凄く驚いている様子だった。
いや、断って当然でしょ。今までは体育祭で嫌にでも争わないといけなかっただけで、私はメスライオン宇多田に勝負で勝ちたいと思った事は無い。
この前の体育祭だって、必死に走ったのはクラスに勝利を捧げる為なだけで、対戦相手は誰でも良かった。むしろ、宇多田以外が良かったまである。
体育祭で対抗意識を燃やされるだけでも鬱陶しかったのに、体育祭以外の事でも勝負だとか言われたらたまったもんじゃない。
ここは、勘違いさせない為にも私の意思は明確にしめしておくべきだ。
しかし、それで引き下がってくれるのであれば、今までも楽な訳であって……
「ねえ!どうして勝負を受けてくれないの?理由を教えて!?ねぇ!?ねぇ!?」
断った私に、宇多田は顔をグイグイ近づけながら大きな声で問い詰めてくる。あぁ~、顔に唾が飛んでるから本当に勘弁してほしいなぁ……
「体育祭はともかく……なんで通知表まで宇多田さんと争わないといけないの?通知表は自分の評価を知るためのものだと思うの。争いの道具じゃないと思うの」
「ふん!それっぽい事を言って!!」
宇多田の言葉に倉木さんが、「いや、それっぽい事じゃなくて、そうなんだよ。何も浜崎さん間違ってないから」とツッコミをいれてくれる。しかし、宇多田は引く様子をまったく見せない。
「そう言って私に負けるのが怖いんでしょ!?とくと見なさい!?私の華麗なる通知表を!」
勝手な事ばかり言う宇多田は、自分の通知表を両手で持って開き、無理矢理私に見せつけてきた。私は仕方がないので、見たくもない宇多田の通知表に目を通す。
国:5
数:3
英:5
理:4
社:4
保体:5
美術:3
音楽:3
技・家:5
嫌々見せつけられた通知表の成績は、思っていたよりも素晴らしい数字のものであった。
へぇ~、宇多田って意外とそこそこ勉強できるんだ。まぁ、そうじゃないと勝負なんて挑んでこないか……
宇多田は「どうよ」とか言わんばかりに胸を張って威張っている。心なしか、鼻も天狗のように伸びている気がする。まぁ、確かにいい成績だけど、これくらいなら……
私は「はぁ~」と一回ため息をつき、「どうぞ」と言ってそっと私の通知表を宇多田に差し出す。宇多田は私の通知表を受け取り、自分の通知表を脇に挟んで「やっと観念したか」と言いながら、私の通知表を開いて目を通す。
国:5
数:5
英:5
理:5
社:5
保体:5
美術:4
音楽:4
技・家:2
宇多田は私の通知表を見た瞬間、目をギョッと見開き、背中を丸めながら食いいるようして、通知表を何度も目を右往左往差させながら見直している。
次第に宇多田の肩はプルプル震えだし、通知表を持っている両手の力がどんどん入っていく。
「ちょっと宇多田さん。そのままの勢いで私の通知表を破かないでよ。」
宇多田は悔しそうな顔で私を見ながら、無言で通知表を私に返す。今まで体育祭での勝負では一度も宇多田に勝った事がないので、今回は一応初勝利という事になる。
でも、特にこの勝負に勝ったところで、私に優越感とか嬉しいとか、そんな気持ちはわいてこなかった。
「……浜崎さんて、意外にも勉強が出来たのね……。ただのぶりっ子脳筋だと思っていたのに……」
「誰がぶりっ子脳筋なのよ……」
メスライオン宇多田め、私の事をそんな認識で捉えていたのか……。てか、どちらかと言えば脳筋キャラはそっちの方だと思うのだけど。
「ふん!浜崎さん!これで勝ったと思わない事ね!」
「いや、勝ったでしょ」
宇多田の発言に倉木さんがツッコミをいれる。確かに、倉木さんの言うとおり、宇多田が提示した勝利条件は満たしたので、一応勝った事にはなるとは思うのだけど……
「うん。宇多田さんの言うとおり、私も勝ったつもりは無いよ。」
「えっ?」
私の言葉が意外だったのか、さっきまで悔しそうな顔をしていた宇多田がキョトンとした顔をしている
笑ったり、威張ったり、悔しそうにしたり、キョトンとしたり、本当に感情そのままに生きているなぁ~……。
そんな事を思いながら、私は宇多田に勝ったつもりになれない理由を説明する。
「だってそうでしょ?私は塾とかには行ってないけど、皆が部活を頑張っている時間に、家に帰って予習復習をしているんだもん。勝って当たり前だよ。朝練もないからぐっすり寝れて授業にも集中できるし、同じ条件で対決するのは不公平すぎるよ」
私は天才でもなんでもない。勉強する時間があるから空いた時間に勉強をしているだけなのだ。優秀な友達の綾香や八重に勉強のアドバイスを時折受けたりもする。
勉強をするという事において、部活をしている人とは環境が違いすぎる。
「むしろ、宇多田さんの方が凄いと思うの」
「……私?」
「うん。だって、宇多田さんて今年、あと一歩で全国大会というところまできてたんでしょ?惜しくも全国には行けなかったみたいだけど……。でもそこまで行くだけでも、並大抵の事じゃないじゃない。本当に凄く努力を重ねるに重ねて、都のトップクラスの陸上選手に宇多田さんはなったと思うの。それだけ部活に力をいれて、この成績は凄いよ。朝練後の授業だってしんどいでしょうに……。」
私が部活に打ち込んでいたら、今のような成績を取れていないだろう。宇多田のような成績を取れている自信も無い。
だから、宇多田の事は気に食わないけど、宇多田の部活も勉強も全力で頑張っているバイタリティーは凄く尊敬に値するものだと思う。多分、大人になって何か大きな事をなせるのは、私なんかより宇多田のような人間なのだ。宇多田は、私なんかと張り合うべき人間ではない。
「宇多田さん。お互いに得意な分野とかも違う訳だし、これからは勝負とかはもう止め……」
「浜崎さん!!今日は負けを認めるわ!でも、次は負けないんだから!」
「えっ、いや、だからね、宇多田さん。私の話を聞い……」
「夏休みの間、次の勝負を考えておくわ!それまでに自分をせいぜい磨いて置くことね!」
「いや、夏休みはそんな事より受験勉強を……」
「じゃあね!浜崎さん!良い夏休みを!!」
宇多田は食いぎみで私の言いたい事を全く言わせず、走りさるように教室を後にしていった。そのメスライオン宇多田の姿を見て綾香は「まるで猛獣のようね……」とポツリと感想をもらす。
「ごめんね、浜崎さん。ユキがいつも迷惑をかけて。」
教室に残っている倉木さんが、宇多田の変わりに私に謝ってくれる。
「倉木さんが悪い訳では……。でも今日の宇多田さんいつもよりなんというか……圧が凄かったと思うの」
「ハハハ。陸上部を引退して、元気が有り余っているのよ。あと、私もそうなんだけど、この前の都大会は本当に惜しかったんだ。あと0.01秒、0.02秒早ければとかのレベルで全国大会を逃したから……。だから、元気と一緒にやり場のない鬱憤も凄い溜まっているの」
同じく惜しく全国大会を逃した倉木さんは、笑みは浮かべはいるが、何処か少し悲しそうな顔をして話してくれる。宇多田の気持ちが分かるのだろう。
「だけど、そのやり場のない元気と鬱憤を私にぶつけるのは止めてほしいの」
「ハハハ、そりゃあそうだね」
「てか、なんで宇多田さんはいつも私に突っかかるの?」
「それは何というか、宇多田の乙女心とでもいいましょうか……」
「乙女心?」
そりゃあ、宇多田は学校の人気者である稲葉君の事が多分好きな訳で、あんな宇多田でも乙女心くらいはあるでしょうよ。でも、その乙女心と私に突っかかる事になんの関係があるのだろう?
私は倉木さんの説明の意味が全くわからず、首を傾げて「う~ん」と考え込む。倉木さんはそんな私を見て、話を誤魔化すかのようにして「ハハハ」と笑い、この話しは終了した。
「あっ、そう言えば倉木さんてお盆何か予定がある?」
「お盆?いや、無いけど」
「無ければ別荘に遊びにいかない?」
「別荘?」
「うん。勉強合宿も兼ねてどうかな?」
別荘には綾香と八重をもう誘っている。一応受験が控えている身分なので、夜には勉強会を開く事になっている。
全国大会に出場するかも知れなかった倉木さんは、夏休みに夏期講習とかの予定は無いはずだ。もしかしたら、陸上の成績で推薦とかを貰ってるかもしれないけど、それでも頭の良い綾香と八重がくる予定の別荘で、一緒に勉強が出来るのは倉木さんにとってもブラスなはずだ。
何より、仲のいい倉木さんが来てくれたらより楽しくなる。私は明日香ちゃんに誘われた別荘の説明を倉木さんに行った。