恋の麻薬。
しばらくすると、食べ物が次々に運ばれてきた。黒豚三種盛りにゴーヤチャンプルー、スパムのおにぎりやお刺身等々、どの料理も美味しく、たわいのない話しも盛り上がって楽しい一時が流れていく。
「あぁ~もうお腹がいっぱいですぅ。本当にここのお店の料理は美味しいです」
「それは何より。今度桜と来る時にも安室さんの事を誘うね」
「……桜さんとですか?」
「ん?どうかしたの?」
「いえ、私は桜さんと今後ともお付き合いをしていきたいのですけど……桜さんは私の事をどう思っているのか……」
「あぁ……」
桜さんからしたら、私は大好きなお義兄さんを奪おうとする泥棒猫のように映っているに違いない。二人の仲に私が割って入る事などできないのだけど。
そんな私に桜さんはもう会いたくないのではないだろうか?そんな不安が私の脳裏によぎる。
私の発言の後、桜井さんは手に持っていたグラスをテーブルの上に置き、少し目線を下に落としてしばらく沈黙をする。頭の中で言葉を探しているようだ。
そして、考えがまとまったのか、桜井さんは私の目を見て、穏やか表情を浮かべて話しを始めた。
「安室さん……桜は言っていました。貴方が素敵な女性だと」
「桜さんが?」
「うん。僕もそう思っています。」
「え……」
桜井さんの言葉に、胸が鼓動が早くなってくる。期待してはいけない。期待していけないのは分かっている。しかし、好きな男性にそんな事を言われてしまっては、頭では理解していても、心は追いついていけない。
私の顔は多分赤くなっている。それは、四杯も飲んだお酒のせいではなく……。
浮わつく私の心。しかし、桜井さんの表情は穏やかなものから、次第に真剣な顔つきにへと変わっていく。
「安室さん。俺は貴方にケジメをつけると言いました。今、その話しをしても大丈夫……ですか?」
桜井の言葉に、浮わついた私の心は一気に地に足をつけてしまった。
桜井さんは普段、私にフランクな口調で話をしてくれる。その桜井さんが言葉を選び、丁寧な口調で私に話しをするという事は、私をなるべく傷つけないないよう精一杯努力をしているのだ。腫れ物を恐る恐る、慎重に触るように……
「桜井さん。話を続けてください」
楽しいお食事はここでおしまい。私の好意を知ってしまった桜井さんは、その事を無かった事には出来ないのだろう。誠実な人だから。
その事に目を背けながら私と付き合っていくという選択肢は桜井さんには無いのだ。
私は、覚悟を決めて桜井さんの話を聞く態勢に入る。
「安室さん。貴方は桜の為に……隠そうとしてくれていた気持ちを俺に話してくれた。隠そうとしてくれたと言う事は、多分安室さんは俺に配慮をしてくれての事だと思う」
「配慮というか……。そうですね。桜井さんの気持ちを考えた時、私が桜井さんに気持ちを伝える事は、桜井さんにとって迷惑だとは思いました……」
「迷惑だなんて……、でも、そうだね。迷惑では無いけど、困惑はするかな。まだ紫苑が死んで一年……そして、今は桜を守る事に生き甲斐を感じている。今は他の女性とそういった関係になる事は全く考えていなかったんだ。だから、俺は安室さんがそう想ってくれている事に全然気付かずに、無神経な俺は安室さんを傷つけていたのだと思う。本当にごめんなさい」
桜井さんは頭を下げはしないが、真剣な眼差しで私を見つめて謝罪をする。頭を下げないのは、私への配慮だろう。そこまでされてしまうと、逆に私が凝縮して遠慮をしてしまうと。
でも、頭を下げずとも、桜井さんの目を見れば伝わってくる。桜井さんは本当に、私の事を考えて、言葉を選んでくれているのだと。私がなるべく傷つかずに、それでいて最大限誠意をこめて、私の気持ちに決着をつけてくれようとしてくれているのだ。
それだけで……少しは報われる。私の大好きな人が、私の為に色々悩んで答えをだしてくれているのだから。
私は、意識的に悲しい素振りをせずに、胸を張って桜井さんに向き合おうとした。
「桜井さん。謝らないでください。元々、私は叶わぬ恋だと思っていましたから。気持ちを隠していたのは、桜井さんに迷惑をかけると思っていたのもありましたけど、それ以上にフられるのが怖かったのです。気持ちを伝えて、拒絶されて、距離を取られたらどうしようって……。だから、気持ちを隠し、同僚、後輩として近くにいる事を選択したのです。ですので、桜井さんと関わる上で嬉しかった事はあっても傷ついた事は全くありません。むしろ、今こうして桜井さんに、誠実に対応をして頂いて、私の気持ちは報われています。だって、貴方の事が好きで良かったと心から思えるのですから……」
「安室さん……ありがとう」
私はフられたのだ。しかし、何故だか涙が出てくる様子が無い。悲しくないといえば嘘になる。でも、それ以上に幸せなのだ。
恋は麻薬みたいなものだ。フられているのに、こうして一緒に空間、時間、想いを共有出来ているだけで幸福感の波が押し寄せてくる。
しかし、麻薬も効果は時が立てば消えてなくなり、その後に押しよせてくるのは虚無感だ。多分、桜井さんと別れて家に帰れば、私は家族に隠れて涙を流す事になるのだと思う。
それでも……私は今はこの危ない幸福感に浸っていたい。
「それで……あのぉ~、安室さん?お盆の予定て空いてる?」
「ふへぇ?」
急に別の話をふられて、私は拍子抜けをして間抜けな声が出た。そのせいで、恋の麻薬効果に浸っていた私は一気に現実に引き戻された。
「お盆ですか……特に予定は無いですけど……」
「それじゃあ、別荘に遊びにいかない?」
「別荘?」
「うん。中学時代の同級生に誘われててね、大人数でいけるから親しい人を誘ってくれと言われてね。その同級生の友達や、桜の友達も来たりするけど、健太や新藤も来るから安室さんもどうかな?……と」
「はぁ……」
誘われるのは嬉しいし、行きたいのは行きたいけど、あんな話をした直後に旅行を誘われるとは……まさか……
「あのぉ~桜井さん?」
「うん?」
「もしかしてなんですけど、私をその別荘に誘いたいから、わざわざ私の事をフってくれたんですか?」
「えっ!!」
私の言葉に、桜井さんは動揺を隠せずにいた。
「えっ、いや、別荘の件が無くてもしっかりお話しようと思ってたよ!?でも、ちゃんと話をする前に、うやむやにしながら誘うのもどうかなと思いまして……。でも、安室さんの事はしっかりお誘いしたいし……」
「ハハハハハハハハ!!」
「安室さん!?」
桜井さんの態度を見て、私は何処か可笑しくなり、腹を抱えて涙を浮かべながら笑いが止まらなくなった。
「ハハハハハ!!」
「ちょっ!笑いすぎだって!」
「ハハハ……はぁ~可笑しい……。失礼ですけど、桜井さんって結構馬鹿だったんですね!(笑)」
「言ったね!?親父にも言われた事無いのに!」
「いや、その台詞のパロディをするなら、名前的に私がするべきじゃ……。そのアニメよく知りませんけど」
本当に桜井さんは馬鹿だ。私だって23年と数ヶ月も生きていれば、告白の2つや3つをされた事くらいはある。気がない人に告白の返事をするのは億劫な事だ。相手を傷つける事をわざわざ言わないといけないからだ。それはストレスの溜まる事だし、うやむやに出来るならそうしたい。
返事をした後は気まずいので、なるべくその人とは関わりたくないと思ってしまう。その方が面倒臭くなくて気が楽だ。
でも、桜井さんはわざわざ私を遊びに誘いたいが為に、わざわざ面倒臭い方法を選択したのだ。本当に馬鹿だと思う。私なんかと関わらなくても、桜井さんの人生にまったく影響がないだろうに……。
本当に、この人の事を好きななれて良かった……。
「桜井さん。私、別荘に行きたいです。凄く行きたいです!」
私は精一杯の笑顔でお誘いの返事をした。心からの、精一杯の笑顔で。桜井さんはホッとした表情で、「ありがとう」と言ってくれた。
その後は、またたわいのない話をしばらくして、グラスに残っているお酒が無くなったタイミングで店を出る事にした。
帰り道、家の近くまで送っくれた桜井さんと別れて、自宅へと到着する。時計の針を見ると、時間は22時であった。
「あっ、姉ちゃん」
「お帰り、姉ちゃん」
「ただいまぁ~」
居間にに到着すると、二人の弟達が仲良くテレビゲームで対戦をしていた。二人とも高校を卒業して働いている。二人とも仕事終わりだろう元気な事だ。
「早く寝なさいよ。二人とも明日も早出だから朝早いんでしょ?」
私のお母さんじみた言葉に、下の弟の方は「へぇ~い」とだるそうに返事をする。しかし、上の弟の方は、返事
をせずにじっと私の顔を見つめていた。
私はそれを怪訝に思い「何よ?」と弟に問い詰める。すると、弟は不敵な笑みを浮かべながら「いや、何かいい事でもあったのかな?っと思ってさ」と言い、私は弟の言葉に動揺する。
「えっ、いや……あの……なんで?」
「なんで?って、顔に書いてあったから。」
弟はそう言うと、顔をテレビ画面の方に向け、再びゲームの操作を行い始めた。
ちょっ……私どんな顔をしてたのよ!?何?幸福感丸出し?ってか、私今日フられてるんですけど!?
私は弟の指摘に恥ずかしくなり、その場にいても立ってもいられず、直ぐ居間に離れて荷物を自室に置き、お風呂に入る為、浴室へと向かった。
服を脱ぎ、生まれたままの姿になった私は体を洗った後に温めなおした湯船へとゆっくりつかった。今日1日の疲れが湯船へと溶けてゆく。
「……はぁ~気持ちぃ~」
湯船にじっくりつかった後、シャワーで再び浴びて、浴室を出る。そして、自室に戻り、髪の毛を乾かす。その後に化粧水を塗り、明日の準備をしてからベッドへと眠りにつこうとした。
ベッドに入ると、お風呂に入った後のポカポカした体が、すぐに睡眠へと誘おうとしてくる。
眠りにつこうとして薄れゆく意識の中、ふと私は思った事を呟く。
「そう言えば私……家に帰っても泣いてないなぁ……」
家に帰って一人になれば、フられたという現実に実感が湧いてきて、涙を流すものだと思っていた。しかし、一向に瞳から涙が出てくる気配を感じない。
どうやら私はまだ、恋の麻薬の効果に浸っているようだ。私は感じてはいけないはずの幸福感を感じながら、そっと目を瞑った。




