安室さんは桜の情に触れていた。
安室さんが持っていた本を手にとり、そのまま立って本に載っている解説を読み進める。その花言葉の由来は、『今昔物語集』と言う、平安時代末期に成立した説話集の中の一つの物語に由来すると言う。
その物語とは、『父の死を悲しむ兄弟の物語』であり、その物語に嫁の名前となっている花が登場する。
故に、死した人を想う兄弟の物語が花言葉に表され、『追憶』『遠方にある人を想う』という花言葉をつけられたそうだ。
つまりは、死んだ人の事を想う花言葉なのだ。
花言葉の解説を読み進めれば進めるほどに、俺の胸は苦しくなっていった。まさか、死んだ嫁の花言葉が、死に纏わる花言葉などは思ってもいなかった。
和らいでいたはずの……いや、忘れかけていたつもりの、最愛の人を亡くしてしまったという悲しみ、一気に込み上げてくる。
嫁の母親は、何故このような花言葉の意味を持つ花の名を娘につけたのだ?嫁の死は、運命づけられていたものだったのか?
普段は運命だとかそういった非科学的なモノは信じないタチである。
しかし、只でさえ桜の件で心が弱っていた俺は、ネガティブな感情が頭の中で堂々巡りでとぐろのように渦巻いていき、どうしようもない事ばかり考えてしまう思考の渦に俺は飲み込まれてしまった。
「桜井さん……」
本を読み、黙り込んでいる俺を見て安室さんが声をかけてきた。
俺はふと掛けられた声に少しビックリし、「えっ、あ……」と気のない返事をしてしまった。
「大丈夫ですか?桜井さん?」
安室さんは心配そうな顔をして俺を見つめていた。本の黙って観ていた俺の顔はそれほどに思い詰めているような顔だったのだろうか?
「あ、あぁ。大丈夫だよ。少し花言葉の意味にビックリしてしまって」
「はい……私も驚きました。浜崎先輩の花言葉ですから、もっと明るい意味の花言葉なのかなと思っていたのですが……」
安室さんの言うとおり、嫁の普段の立ち振舞いからは想像がつかない花言葉であった。
生前の嫁は、明るく笑顔を振りまき、決して人前では涙をみせず、皆の事を想う太陽のような存在であった。そんな『死』を連想させる花言葉は、嫁には似合わない。
しかし、結果として嫁は死んでしまったのだ。
名前に宿命つけられた死などありえない話だ。しかし、その様な考えが頭から離れて消えてくれない。
だとしたら、嫁の人生とは一体何だったのか……。
「あの、桜さんはこの花言葉の意味を知っていたのでしょうか?」
「えっ?……」
この花言葉の本は桜が母親から譲り受けた本だ。以前の会話で、桜が花言葉に詳しいのも何となくではあるが、察しがついている。
つまりは、当然ながら桜も死んだ嫁の……いや、自分の姉の花言葉を知らないはずはない。
「多分、知っているとは思うけど……」
「そうなんですね……じゃあ桜さんも、その花言葉を思い返すたびに、浜崎先輩の死を悼み、悲しんでいたのでしょうね……」
「……そうかもね」
俺の今の深く、重苦しい気持ちは、花言葉の意味を以前から知っている桜にとっては、普段から背負っている気持ちなのだろう。
彼女はそれを俺に見せる事無く……姉のような天真爛漫な笑顔を俺に見せてくれていた……。
「…………あっ」
「どうしたんですか?桜井さん?」
「いや……」
俺は一つの事に気付いてしまった。以前、テレビで花言葉の特集をしていて、桜と花言葉の話をしていた際、桜は途中で花言葉の話を終わらせた。
それは、桜の花言葉の意味をからかい、桜が怒った為に終わらせたのだと思っていたのだけど、それは違ったのかもしれない。
桜は、嫁の花言葉の話になる前に、話を終わらせたかったのかもしれない。からかわれて、怒ったフリをしながら……その話をしてしまうと、俺が今のような悲しい気持ちになることを推察して……。
「桜は……桜は俺の事を想い、この花言葉の意味を今まで俺に黙っていたのか?」
「以前、桜さんと花言葉の話をなされたんですよね?それで浜崎先輩の花言葉の話をしなかったのは、桜井に悲しい気持ちになってほしくないからかもですね。……短い付き合いですが、桜さんはそういう風に人の事を想える、優しい子です」
そうだ……。桜も姉のように、自分の事よりも相手の事を想い、その様に行動ができる優しい女の子だ。
普段は明るく元気に振る舞い、天真爛漫に見えても、自分の気持ちを押し殺す事を厭わない。そんな子だ……
―『なんで桜ちゃんが先輩を困らすような事を言うのかな?と。先輩を困せるような事を言う子じゃないじゃないっスか』―
先日、新藤に言われた言葉が脳裏によぎる。そうだ、桜は俺が困ったり、嫌がるような事をするような子では決して無い。
今、俺は桜が家を出ていくと言われて困っている。それは、新藤に言われた通り、ただ単に桜と一緒に過ごせなくなるのが嫌なだけなんだ。そんな事が分からない桜ではないはずだ。
進学をせずに、自立して家を出る事が、仮に桜の本望だったとしても、桜が俺の気持ちを考えずにそれを押し通そうとするのは、俺の知る桜の行動では無い。
じゃあ、何故桜はこの家を出ようとするんだ…………まさか…………
「桜がこの家を出たい理由は……俺の為?」
脳裏に浮かんだ言葉が、自然と声に出ていた。
確信は無い。そう思う明確な理由を説明する事も出来ない。しかし、愛想をつかられていたと自暴自棄な考え方よりも、冷静に今までの桜を思い返してみると、そう考えた方が府に落ちるのだ。
ふと、安室さんの顔を見てみると、安室さんは俺の方を微笑んで見つめていた。
「私も……私もそう思います。……だから、私のせいなんです」
そう言うと、安室さんは微笑みを崩さぬまま、目に涙を浮かべていた。その涙の意味の全てをうかがい知る事は出来ない。
しかし、ある程度の想像は出来る。安室さんはおそらく、桜の情に触れてくれたのだ。桜の事を想ってくれたのだ。そして、傷ついてくれているのだ。
俺は、俺の事を好いてくれている女性を傷つけているのだ。俺の為に……いや、俺達の為に自ら傷ついてくれているこの人を……
俺は今、この人の気持ちに応える言葉を持っていない。何の言葉をかけても中途半端になる。
何よりも桜が大事なのだ。桜を差し置いて……死んだ嫁を差し置いて……他の女性の気持ちに応える
事は出来ない。故に……おそらくはこの様な事になっているのだ。
「ごめんなさい、安室さん。……必ず、ケジメはつけます。それで、また貴女を傷つけてしまうかもしれません……でも、必ずケジメはつけます。でも今は……」
「はい。私は大丈夫ですよ。元より私が桜井さん達家族の絆に割ってはいる事は出来ない事を理解してるつもりです。だから………」
話を途中で止めた安室さんは椅子から立ちあがり、軽く拳を握って、その手を俺の胸にコツンと置いた。そして……
「だから、今は貴方が一番に想う人の為に動いてあげて」
いつもと違う口調で話す安室さんの顔は、それもまたいつもと違う凛々しい表情をしていた。しかし、目に浮かべていた涙は、彼女の頬に止めどなくつたっていく。
不謹慎ながらも、その姿はとても綺麗に映えており、一瞬心を奪われそうになる。その姿に、彼女の本当が見えた気がした。
「安室さん。本当にありがとう。俺、行ってくるよ」
「はい!桜さんを迎えにいってあげてください」
安室さんは再び俺に微笑んでくれて、背中を押してくれた。
桜が俺の事を想い、家を出ていくと言うのであるならば、俺の本当の気持ちを桜に伝えるべきだ。
本当は、最初からそうすれば良かったのかもしれない。
桜にどうのこうのを聞くのではなく、俺の気持ちを桜に最初から伝える事が出来ていれば……。
桜……今の俺には、お前が必要なんだ。
俺はポケットからスマホを取り出し、電話帳の画面を開いた。そして、公平の電話番号を検索し、公平に電話をかける。
桜が今、公平の家に居るかどうかを確認する為に。




