嫁の花言葉。
健太に殴られてから数分が経過し、俺はテーブルの席に座って安室さんに手当てをしてもらっていた。手当てといっても、殴られて腫れている場所に湿布を貼って貰っているだけだけど。
「……大丈夫ですか?桜井さん」
「うん。大丈夫だよ。……なんかごめんね。こんな事に付き合わせちゃって」
「いいえ!とんでもない!……こちらこそ…………本当にごめんなさい」
湿布を貼り終えた安室さんは、頭を下げて再び謝罪をした。恐らく、桜に会って話をした事にだろう。
しかし、さっきも話したが、安室さんは何も悪くない。安室さんは桜の為に行動をしてくれたのだ。
悪いのは、情けない義兄の俺なのである。
「安室さん。頭を上げて?さっきも話したけど、安室さんは何も悪くないよ?俺が浅はかなだけだったんだよ」
「…………だとしても……。多分、桜井さんが悪い訳でも無いと思います」
安室さんは下げた頭を上げ、そう言うと、俺の事を真っ直ぐと凛とした瞳で俺の事を見つめてきた。その眼差しの圧に、俺は少しだじろぐ。
「田原さんがさっき言っていたように、桜さんが桜井に対して愛想をつかしただなんて、絶対にありえません。それだけは……それだけは断言できます」
安室さんは俺を励ましてくれているのだろう。安室さんの言うとおりなのかもしれない。だけど、俺は「そうだといいんだけどね……」と少し気のない返事をしてしまった。
安室さんが俺にかけてくれた言葉は凄く有り難いものだ。確かに、安室さんの言うとおりなのかもしれない。
しかし、俺にはその言葉を鵜呑みに出来るだけの自信が無いのだ。
俺は、桜にとっても安室さんにとっても配慮が欠けていた行動を、浅はかにもしてしまっていた。そんな俺が、桜に好かれているなどという自信を持てるはずがない。
安室さんや健太の言うとおり、桜が俺に愛想を尽かしていないとしても、じゃあ何故桜はこの家を出ていきたいのだ?
俺と暮らしたくないだけなんじゃないのか?
自信を失っているからか、考えれば考える程ネガティブな理由ばかり思い付いてしまう。
そんな俺を見て、先程までまっすぐな瞳で俺を見ていた安室さんも、何処か気まずそうにしている。本当に安室さんにはとことん申し訳ない事をしていると思う。
俺と安室さんはお互いに再び黙り込み、静寂が部屋を包み込む。
「…………っあ」
気まずくなり、あたりをキョロキョロとしていた安室さんが、何かを見つけたようだ。その視線の先を見てみると、棚の上にある仏壇の横に、一冊の本が置いていた。
「……花言葉の本ですか?」
その本はどうやら桜が持っている花言葉の本であった。この前、川瀬に桜の着替えやらの荷物を用意してもらった時に、川瀬が桜の本棚からその本を取り出していたので、その時の本がそこの棚の上に置かれていたのだろう。
仏壇を棚の上に戻す時には気がつかなかったが………川瀬の奴め、読んだらちゃんと元の場所へと戻しておけよ……。
「それ、桜の本なんだ。多分、桜のお母さんから引き継がれている本で……。桜のお母さんは花が好きな人だったらしくて」
「あぁ、そう言えば、浜崎先輩も桜さんもお花の名前ですものね。きっと、この本で花言葉をお調べになって、お二人の名前をつけられたのですね」
「そんな話を二人はしてくれた事が無いけど、多分そうだと思う」
「フフフ。きっと、二人とも自分の名前のルーツが花言葉だと知られるのが恥ずかしいんですよ」
「確かにそうかも。実際に、以前、桜の花言葉の事をからかって、怒られた事があるからね」
結構前の話になるが、テレビで花言葉の特集がされていた時に、桜の花言葉が『優美な女性』という事が紹介され、その事で桜の事をからかった事がある。
その事で桜の機嫌を損ね、花言葉の話はそこで終わってしまったのだが……。
「その本、読んでみてもいいですか?」
安室さんはニコっと笑いそう言った。恐らくは、その本にそれ程興味がある訳では無いのだろう。
重くなった空気を、少しでも和らげようとしてくれているのだ。
安室さんに迷惑をかけっぱなしの俺ではあるが、それくらいはしっかりと組みとらないといけないであろう。
俺は、安室さんの気づかいに応えるように、出来るだけ自然な笑顔を作り、「どうぞ」と返事をした。
安室さんは「ありがとうございます」とお礼を言い、椅子から立ち上がって棚の上に置いてある本を取りに行った。
そして、本を取ると、再び俺の隣の席に座り、ページをめくり始めた。
「え~と、桜さんの花言葉は……『優美な女性』、『純潔』、『精神美』……。桜さんにピッタリじゃないですか!どうしてそれでからかったんですか?」
「いや、ただ面白半分でね……」
「もう!そりゃ桜さんも怒りますよ」
「ごめんなさい」
俺は少しおどけた感じで謝った。多少ふざけれるくらいには、この部屋の空気も少しは軽くなっていた。
「そうだ。八重桜の花言葉も調べてくれない?」
「八重桜ですか?」
「うん。俺には桜と同い年の血の繋がった妹もいてね、その妹の名前が八重桜から取って八重って名前なんだ」
「へぇ~。凄い偶然ですね」
「そうなんだよ」
まぁ、うちの親は花言葉を考えて名前をつけたか定かではないけどね。父さんと母さんが花に詳しいだなんて聞いた事ないし、苗字が桜井だから、適当に桜の種類からそれっぽいのを取ってきたのだろう。
実際、俺の名前の咲太も、『さく《・・》らい さく《・・》た』と語呂が良くて韻を踏めているからという、チョー適当な理由で名前をつけられている。
そのお陰で、名前は覚えてもらいやすいんだけどね。
「え~と、八重桜の花言葉は……『しとやか』、『豊かな教養』……」
「う~ん。……半分合っているような……合っていないような……」
確かに、八重は学校の成績はいいし、天文学部で星の知識も凄くある。将来はそっち方面の学者さんになりたいらしいし、教養はあるのかもしれないけど……
しとやか……つまりは『おしとやか』と言う意味だろ?確かに、黙っている時はそういう風にも見えなくもないけど、基本は気が強くてうるさい奴だからなぁ……
まぁ、一応桜と同様に、名前負けはしていないという事にしておこう。
「桜井さん。浜崎先輩の花言葉の意味は知っているんですか?」
「いや、知らないよ。桜と花言葉の話をしてた時は、うちの嫁さんの名前の花言葉を聞こうとする前に、桜の怒らして話を終わらされたから」
「ハハハハ。じゃあ、今調べてみますね」
そう言って、安室さんは笑顔を見せながらページをめくり、嫁の名前の花言葉の探し始めた。
「あっ、見つかりました」
嫁の名前の花言葉を見つけた安室さんは、「え~っと」と言いながら興味津々そうに本を黙読し始めた。
しかし、本を読み進めていくにつれて、安室さんの表情が、笑顔から少しずつ先程までの何処か気まずそうな表情へと、再び変わっていった。
「ん?どうしたの?安室さん?変な事でも書いてあったの?」
「えっ、いや……あの……」
俺の質問への返答の歯切れも悪い。一体本に何が書かれているんだ?
俺は疑問に思い、椅子から立ち上がって、安室さんが持っている花言葉の本を覗きこんだ。そして、その本は嫁の名前の花言葉が記載されているページが確かに開かれていおり、俺はそのページに記載されている嫁の名前の花言葉を確認する。
―『追憶』『遠方にある人を想う』―
「!?」
嫁の名前の花言葉を確認した俺は、目を見開き絶句した。その言葉は、人の死や別れを連想させるものであった。