俺は主人公にはなれない。
この世界が、桜の恋にまつわる物語で出来ているのなら、俺はその物語の主人公にはなれないだろう。俺は桜の事を片思いしている友人として、物語に彩りを付け加える役目しか与えられない。
物語の主人公になるべき人間は、咲太兄ちゃんや稲葉のような奴だ。
この恋は一生叶わない。そんな事は分かっている。しかし、好きになってしまったモノはどうしようもないじゃないか。桜の為に何かしてあげたいという気持ちは、抑えようがない。
桜は今泣いている。その事に俺は胸を痛めている。今すぐにでも抱き締めにいき、慰めてあげたい。しかし、それが出来る権利を俺は持っていない……。
今、俺が桜の為に出来る事は一つだけであった。
「松本……」
いつもヘラヘラ笑っている稲葉が、真剣な表情して俺の事を呼んだ。その稲葉の目を見て、俺は稲葉の言いたい事を理解した。
現時点で稲葉は俺と同じ立場の人間だ。只の片思いの友人。いくらヒーロー体質で人気者の稲葉であろうと、その現状はすぐには変えられない。
今、桜の為に出来る事は俺と一緒で、稲葉にも一つだけしか無かった。
「稲葉……このリレー絶対勝つぞ」
「あぁ、学年優勝が出来なかった事を、浜崎さんの責任にはさせない」
桜はあのリレーで何を背負いながら走っていたかは、全ては分からない。しかし、その一つには、クラスを学年優勝に導くという決意を背負っていたはずだ。西川の馬鹿がクラスを煽ったせいで、クラスの皆が学年優勝を目指すという空気になっていたし。
今回のリレーで彼女の背負っていたモノはそれだけでは無いにしても、せめて学年優勝に導け無かったという重荷からは解放してあげたい。
今、俺と稲葉の出来る事はそれだけだ。必ずこのリレーに優勝して学年優勝をもぎ取る。しかし、それを達成するには俺達は問題を抱えすぎていた……。
「なぁ稲葉。正直勝てる見込みはあるか?」
「まぁ、冷静に判断をすれば微妙だね。あまり差をつけられてバトンを渡されたら勝つのは厳しい」
陸上短距離全国トップクラスの稲葉が弱気な発言をする。しかし、それは的を居てる冷静な分析であった。うちの学校の陸上部は強い。稲葉以外にも、全国大会に出場している選手がいる。
それは、現在学年首位の四組のアンカーで、200メートルで全国大会に出場している小橋 照だ。稲葉の影に隠れてあまり目立たないが凄く速い。
「まぁ、照より俺の方が200メートルのタイムはいいんだけどな。しかし、差をそこそこつけられたら追い抜くのは現実的では無い。それに、四組の第4走者も中々ヤバイからな……」
「あぁ……」
四組の第4走者も陸上部で、200メートルと400メートルで都大会に出ている松岡が出走する。俺も第4走者である為、松岡に差をつけらずに稲葉にバトンを渡さないといけない。陸上部のバリバリ相手にそれをするのは至難の技だ。
「うちのメンバーは西川を始め、正直第三走者まで足がそんなに速くないからなぁ……」
稲葉は困った顔をしながら、
俺らの仲間の戦力を言い表す。第4走者の俺にバトンがくる頃には、四組に差をつけられて最下位の可能性だってある。
どんだけ俺と稲葉が気合いを入れて頑張っても、そうなったら後の祭りだ。
…………ってか、クラスが優勝を目指して盛り上がったのて西川のせいだよな?それで、桜にプレッシャーをかけたアイツにも責任があるよな?何故俺らだけこんな必死にレースの事について考えねばならんのだ。
俺はイライラしながら西川の方に目を向ける。すると西川はのほほんとしながら、能天気に鼻の穴を小指でほじほじといじっていた。
「あ、俺プッツンきたかも?」
俺は自然と二つの拳を握りしめ、西川の方へと向かおうとした。そんな俺の姿を見て稲葉が俺を慌てて止めようとしてくる。
「ま、松本!落ち着け!何となく気持ちは察するが、暴力は駄目だ!レースどころでは無くなる!」
「…大丈夫だ稲葉。ただ、アイツにもそれ相応の責任はとってもらう」
稲葉の説得には応じず、俺は両の拳を握りしめたまま西川の元へと向かう。
「よぉ、西川」
「ふぁ?どうした松本?」
パチン!!
「痛っどぅえ!!」
俺は握り拳をほどき、西川の頬を両手の手のひらで思いっきりパチン!と挟んでやった。俺の手で両頬を圧縮された西川の口は、タコの口になっている。
俺はそのままの状態をキープして、なるべく笑顔を作って西川に喋りかける。
「なぁ、西川。クラスの皆が学年優勝に拘ってるのて、お前がクラスの皆を煽ったからだよな?」
「じょ、じょうでじゅ」
西川はタコの口をしたまま喋っているので、何を言っているのかよくわからないが、どうやら「そうです」と言ったみたいだ。
認めるなら話は早い。
「じゃあ、お前もこのレースで貢献して、クラスに優勝をもたらす義務がある。そうだな?」
「ふぁ、ふぁい!(はい!)」
「そうか……いい心掛けだ。安心したよ。しかし、俺は努力はするとか、そういう話はどうでもいいんだ。大事なのは結果だからな。結果な?」
「ふぁい!(はい!)」
「第一走者のお前が、もし仮に五位以下でバトンを渡すような事がアレば、俺はお前に対して何をしてしまうのか自分でもわからん。……それだけは、くれぐれも肝に銘じておいてくれ。」
「ひ、ひぃぃぃ!!!」
俺は笑顔をキープしたまま両手を西川の頬から外し、稲葉の元へと戻っていった。俺と西川のやり取りを見ていた稲葉は、呆れた顔をしながらこっちを見ていた。
「お前……アレは脅しじゃないか。西川の奴震え上がってるぞ?」
「脅し?何するか分からんて言っただけだ。飯でも奢ってやるだけかもしれないだろ?」
「そんな屁理屈を……」
稲葉はヤレヤレとした顔をしてため息をついた。調子のりの西川にはあれくらいが丁度いいのだ。それに、五位以下じゃなかったら何もないんだ。そんな低い目標設定にしてあげた俺の優しさを褒めて欲しいくらいだ。
『只今より、三年生男子によるクラス選抜リレーが始まります。選手入場です』
先ほどリレーに出場していた女子生徒が退場し、グラウンドの整備が終わったのだろう。男子選抜クラスリレーの入場アナウンスが流れた。
いよいよリレーの始まりだ。俺は深く深呼吸をし、気持ちをレースに集中する為に切り替える。
桜はこのレースで俺達が勝つことなんて、本当はどうでもいい事なのかもしれない。所詮は俺の自己満足だ。しかし、桜の為に出来る事はこれしか思いつかない……
俺は、桜の恋の物語の主人公にはなれない。桜にとって最愛の人は別にいる。もし仮に、その最愛の人と結ばれる事が出来なかっても、別に結ばれるのは稲葉の様なヒーローみたいな奴なんだ。
そうなったら、俺も別の人と恋をして結婚とかしたりするのかな?桜では無い他の誰かと……
しかし、今は桜以外の人は考えられない。考えたくもない。ある人を除けば、俺が一番桜を愛している人間でありたい。
俺は、それを証明する為にも桜の為に走るんだ。




