私と体育祭。⑫
第一走者が一斉にスタートを切った。
生徒のお父さん達が競技に参加する理由は色々だ。宇多田のお父さんみたいに足に自信があり、自慢をしたくて参加する人。ただ単にお祭り騒ぎが好きな人。参加人数が少なければ競技がなりたたないので、ボランティア精神で参加する人。家族にノリで無理やり参加させられた人。
それ故に、参加しているお父さん達の走力は人によって結構差がある。走る順番も、長い距離を走らないといけないアンカー以外は適当に決められる。
その結果、第一走者から一位と最下位の差が、かなり開いていた。
「がんばれー!!」
「行けますよー!!」
お祭り競技であるが故に、皆暖かい目でこの競技を見守っている。声援も暖かい声でいっぱいだ。
参加している競技者達もフランクな気持ちで参加をしているみたいで、足が遅い人も笑顔を見せながら走っていた。
第4走者にバトンを渡される頃には、トップ争いは上位三組で形成されていた。
一位青組、二位黄色組、三位赤組……。
ちょっと、宇多田のお父さんの青組は一位じゃない!!お義兄ちゃんの赤組は三位……差は僅差だけど……
元実業団の陸上選手である宇多田のお父さんに勝つには、青組に差をつけてもらった状態でバトンをもらうしか無い。チーム競技であるが故の唯一勝てる方法だ。しかし、このままアンカーにバトンパスされたら、お義兄ちゃんは宇多田のお父さんには勝てない。
皆この競技を軽い気持ちで観戦しているが、私はハラハラドキドキしながらこのレースを見ている。もう少ししたら私もリレーに出て、負け犬として晒し者になるのだ。私が晒し者になるのは最悪我慢出来る。しかし、お義兄ちゃんが晒し者になり、傷つくのは嫌だ。
「……お義兄ちゃん……頑張って……」
私は祈るような気持ちでレースを見守っていた。しかし、もうすぐ順位が変わらないまま、アンカーにバトンが渡されてしまう……もう、おしまいだ……
絶望的な状況に内心諦めていたその時、私の足に何かがコロコロと転がって当たってきた。私は当たった物を確認する為に、目線を下に向けた。
「五寸釘?」
足に当たったものは五寸釘であった。何故こんな所にあるんだろ?
私が一瞬下に気を取られていると、急に観客達の悲鳴が混じった驚きの声が鳴り響いた。
「何!?」
何事かと思い、顔を上げてグラウンドの方を観てみると、そこには信じられない光景が繰り広げられていた。
なんと、青組はバトンパスを失敗し、バトンを落としていた。宇多田のお父さんがバトンを拾おうとしているうちに、黄色組のアンカーと赤組のお義兄ちゃんが宇多田のお父さんを抜き去った。お義兄ちゃんに千載一遇のチャンスがめぐってきた。
「よっしゃー!藁人形のおまじないが効いたぜ!!」
お義兄ちゃんが全力疾走をしながら叫んでいる。いや、だからそれはおまじないじゃなくて呪いだって!!……でも、本当に藁人形の効果かも…藁人形さんありがとう!……いや、今はそんな事はどうでもいいの!……とにかく……
「お義兄ちゃん頑張れぇー!!!」
私は生まれてから今までの人生の中で、一番の大きな声を出してお義兄ちゃんに声援を送った。
「よっしゃあぁぁ!!!」
声援が届いたのか、お義兄ちゃんは黄色組のアンカーを抜き去り、とうとう一位に躍り出たのである。
この劇的な展開に、暖かい目で見守ってきた観客もヒートアップしていた。大きな歓声がグラウンドを包み込む。
お義兄ちゃんは観客の声援に後押しされるかのように、どんどん二位の黄色組のアンカーに差を付けていく。
勝てる……勝てるよお義兄ちゃん!!
独走態勢に入ろうとしているお義兄ちゃん。しかし、この戦いはまだまだこれからであった。
バトンを拾った青組のアンカーである、宇多田のお父さんが鬼の形相で追い上げてきたのだ。あっという間に黄色組のアンカーを抜き去り、二位に躍り出た。
そして、着実にお義兄ちゃんとの差を詰めていく。
ワァァァァァァ!!
怒涛の展開に観客のボルテージも最高潮!もはやこれは父兄参加の箸休め競技のノリでは無い!筋書きの無い熱きドラマだ!!
私は自然と拳を強く握っている事に気づき、拳を緩めて手を見ていると、手汗でびっしょりになっていた……熱い……
お義兄ちゃんは最終コーナーに入り、宇多田のお父さんも後を追うように最終コーナーに入っていった。まだお義兄ちゃんが一位をキープしている。
全力前進で走るお義兄ちゃん。しかし、一歩一歩進む毎に距離は確実に詰められていってる。その距離は、最終コーナーを抜ける頃にはほとんど距離が無くなっていた。
「お義兄ちゃん……」
最終コーナーを抜けて最後のストレート。お義兄ちゃんは必死に逃げ切ろうとするが、宇多田のお父さんもラストスパートをかける。
残り15メートル辺りのところで宇多田のお父さんは完全に抜き去った。
「ちくしょー!!」
お義兄ちゃんの健闘むなしく、宇多田のお父さんはそのまま一位でゴールテープを切った。
ワァァァァ!!
この日一番の拍手と歓声が、グラウンドの勝者に送られていた。観客の皆は興奮覚めやまぬ顔で、意外に盛りあがったこの競技の結果に満足をしているようだ。……私を除いては……
「……はぁ、はぁ、はぁ、」
二位でゴールしたお義兄ちゃんは、膝に手を付きながら中腰になり、肩で息をしていてしばらく動かないままでいた。おそらく本当に全力を出しきった為、動くのがしんどくなっているのだろう。お義兄ちゃん……大丈夫かな……
心配しながらお義兄ちゃんを見ていると、動けなくなっているお義兄ちゃんに、宇多田のお父さんが笑顔で近寄っていく。何?お義兄ちゃんに勝ち誇った後に嫌みでも言うつもりなの?
お義兄ちゃんを傷つけるような事を言ったら、絶対に許さないんだから!
「いやぁ~、今年は本当に危なかったよ~。まさかバトンを落としてしまうとは……念の為、陸上用のスパイクを履いてて良かったよ。履いていなかったら負けていたね。」
「はぁはぁはぁ、うわ!マジで陸上用のスパイク履いてる!気づかなかった!宇多田さん真剣じゃないですか!!」
「ハハハ、何を言う。君だって真剣だろう?去年より絶対速くなってるじゃないか。来年は本当に負けるかもね。」
「……来年かぁ……。いやぁ~残念なんですけど、今年で義妹が卒業なんで、来年は体育祭にこれないんですよねぇ。だから、今年が宇多田さんに勝つラストチャンスだったんですけど……宇多田さんの娘さんも今年卒業じゃ?」
「ハハハ、私の下の息子が来年この中学に入学する予定でな、私は来年も参加する。うちの家族の入校証を貸してあげるから、君も参加しなさい。君がいないと張り合いが無くてつまらん。」
「うわぁ……マジっすかぁ~(笑)」
お義兄ちゃんと宇多田のお父さんの会話は、ここからの距離では全然聞こえないが、談笑をしている様子を遠くから見ている限りでは、お義兄ちゃんに対して死体蹴りのような追い討ちはかけていないみたいだ。
宇多田のお父さん……命だけは許してあげよう……。
お義兄ちゃんは息が整った様子であり、他の父兄と笑顔で話しながら退場門へと向かっていった。
笑顔を崩さないお義兄ちゃんだけど、内心ガッカリして傷ついているんじゃないだろうか……あんだけ張り切っていたのに……
でも、この後は私がお義兄ちゃんの様になるのかもしれないのよね……はぁ……
お義兄ちゃんが藁人形を買ってまで参加した父兄参加リレーは、三年連続同じ人物に逆転敗けをしてしまうと言う、屈辱的な結果で幕を閉じた。