私は悔しい。
「桜、公平の事が気になるの?」
「えっ?」
夏期講習の休憩時間、窓際の席に座っている私の所に綾香がやってきて、私に話しかけてくる。
綾香は少し心配そうな顔をして私を見つめていた。
「え~っと、……どうして?」
「講義中、ずっと窓の外を見てぼぉ~としているじゃない」
綾香の指摘に、私は「ハハハハハ」と笑って誤魔化す。
確かに、今日の私は講義に集中出来ていない。それは綾香の指摘通り、公平の試合が気になって仕方がないからだ。
お昼休みの時間に、2回戦を勝って3回戦へ勝ち進んだとメッセージがスマホに届いていた。
今頃は3回戦に挑んでいて、もしかしたらもう試合が終わっているかもしれない。
「公平、試合勝ってるといいね」
綾香は笑顔で私にそう言ってくれたが、私は元気なく「うん……」と返事をした。
綾香の言うとおり、私も公平の勝利を願ってやまない。でも、今の私は公平が負けた時の事ばかりを考えてしまっている。
この前の都大会決勝で負けてしまった時は、既に関東大会出場が決まっていた為、厳しい言葉を使って公平に発破をかける事が出来た。
しかし、今日の試合は負けたらそこで終わり。公平はバスケ部を引退するのだ。
あんな顔で私に応援を頼むくらいだ。公平にとって今日の試合は特別なもので、凄くプレッシャーを感じているのだろう。
もし、公平が今日の試合に負けてしまったら……
「ねぇ、綾香?」
「なぁに、桜?」
「もしね……もしなんだけどね、今日の試合に公平が負けたら、綾香はどう公平に声をかける?」
「公平に?」
「うん……。今日の試合、負けたら多分公平は凄く落ち込むと思うの……」
綾香は私の質問を聞いて、顎に手を当てて天井を見上げながら、「う~ん」と考える素振りをした。少し演技臭いなぁ。
そして、しばらく考えた後に、綾香は質問の答えを口にする。
「私はいつも通りに接するかな?特に試合の事には私からは触れないと思う」
「公平が凄く落ち込んでいても?」
「うん。だって、別に私の慰めなんて公平はきっといらないよ。余計なお世話だと思う。」
「えっ、そんな事ないと思うけど……」
綾香にしては卑屈な台詞だ。綾香だって、公平にとっては大切な幼馴染みだ。そんな綾香に慰められて、公平がそれを余計なお世話だと思うはずがない。
卑屈な言葉とは裏腹に、綾香は笑顔で話を続ける。
「当然、私が慰めたとしても、公平はそれを無下にするような事は言わないと思うよ?……でもね、公平が本当に慰めてほしい人は私じゃないと思うの」
「公平が本当に慰めてほしい人?」
「そう。だから、私はいつも通りに接っするの。私は公平のバスケにはあまり関わりがないから、バスケに対して公平が悩んでいるなら、それを少しは忘れさせてあげられる相手になってあげたい」
「なるほど……。綾香はやっぱり賢いなぁ……」
私が感心しながら綾香を見つめてそう言うと、綾香は少し困ったような顔をして、照れながら「そんな事ないよぉ」と言って否定する。
そんな事あると思うけどなぁ。綾香は私が悩んでいた事の答えをすっと口に出せるのだから。
だけど、公平が綾香にとって慰めてほしい人間では無いのなら、同じく幼馴染みである私もそうなのだろう。
今回、気落ちしていた公平が私の応援を求めてくれたけど、部活をしていない私は公平の気持ちを理解してあげる事が難しい。
本当の意味での勝ち負けの世界を体験した事がないのだから。この前の体育祭なんて、全国を目指している公平からしたらお遊びみたいなモノだ。
公平の気持ちに寄り添える人が……公平の近くにいればいいのに……。
「あっ、そろそろ休憩時間が終わるから席に戻るね。それじゃあ、また後でね」
綾香はそう言って、自分の席へと戻ろうとする。
そして、講師が教室へと入ってきて、今日最後の講義が始まった。
最後の講義は数学だ。学校の成績は悪くないけど、私の中で数学が少し苦手意識を持っている。
分からない事があれば綾香か桑田君によく教えてもらっている。テスト前の勉強も苦手な数学に時間を割いて勉強している。
だから、公平の事は心配だけど、講義に集中しないと……
◆◇◆◇◆◇◆
ブー、ブー
「ん?」
数学の講義が始まって30分程が経った頃、ズボンのポケットに入れていたスマホがブー、ブーと震え出した。
私はもしかして公平からメッセージが届いたのかもしれないと思い、本当は講義中にスマホの操作をしてはいけない決まりなのだけど、講師にバレないようこっそりスマホを取り出して画面を確認した。
すると、画面にはやはり公平からのメッセージが届いているとの通知がきていた。
画面ロックを解除し、私は少し胸の鼓動が早くなっている事を感じながらメッセージを確認する。
しかし……
(ごめん。負けた。)
私はこの簡潔に記されたメッセージを見た瞬間、瞳を閉じならがら唇を噛みしめ、そっとスマホを閉じてポケットの中へとしまった。
そうか……公平は負けてしまったんだ……
公平の気持ちを考えると、鼓動が早くなっていた胸に痛みを感じはじめた。とても苦しくて辛い。
……でも、今の公平はもっと苦しくて辛い想いをしているんだ……
気が付けば私の頬に一筋の涙がつたっていた。
私はとても悔しい。公平は私が辛くて大変な時は、自分の事は差し置いてでも私を助けてくれようとした。
でも、今の私は公平の為に何をしてあげていいか全然分からない。綾香が言うみたいに、普段通りに接してあげる事しか出来ないの?
私は残りの時間を集中して講義を受ける事が出来なかった。




