ゆらゆら
ただ、笑っている顔が好きで、泣いている顔が嫌いで、だから、いつもこいつには笑っていて欲しかった。そんな、笑顔をずっとそばで見ていられると思っていたし、見ていきたいと思ってた。でも、そんな思いも崩れていく。トランプタワーのようにわずかなバランスの配分のミスで崩れていく。一枚の揺れは全部の終わりを示している・・・
◆1
俺とゆ結花が付き合ったのは、ほんの数ヶ月前のことだった。
ガキの頃から近所だったこともあって俺と結花はしょっちゅう顔をあわせるのが日課と言っていいほどだ。
それが高校二年生となった今でも続いている。そして、今は幼馴染としてではなく、恋人として・・・。
とは、言っても別段何かが変わったというわけでもない。相変わらず、朝、肩を並べて学校行って、週の何回かは一緒に飯食って・・・そんな感じ。
付き合った日のことはよく覚えている。あるとき、ふと、結花が顔を真っ赤にしながら俺のところに来た。まあ、こいつは昔から控えめで大人しくて、すぐ照れて、そんな奴だから顔を真っ赤にしてきてもどうってことないことなんだろうと思っていた。
「・・・ひ、ひろ宏ちゃん、あ、あのね・・・、こ、これ、下駄箱に入ってて・・・」
まあ、いわゆるラブレターってやつだった。内容も別段、捻りもない恋文。放課後、屋上に来てくださいと、最後に名前と一緒に書いてある
「へえ、よかったじゃん、がんばれよ〜」
「で、でも、・・・いいのかな」
「おまえがいいんだから手紙をくれたんだろ?」
「う、うん・・・」
その日の放課後、俺は暇つぶしに図書室で本を読み、空が薄暗く夕焼ける頃に鞄を片手に下駄箱を出た。夏の終わりの九月の後半の夕方はほどよい涼風が流れていて、心地よかった。
本を読んで凝り固まった肩を伸びをしてから、軽く回しほぐしながら家路に着く。ふと、見慣れた姿に俺は軽く手をあげて声をかける。
「よ、結花!彼氏待ちか?」
どこか困ったような感じで結花はえへへーと笑う。こいつが俺に隠し事するときの癖だ。
「・・・どした?」
「な、なにが?」
「隠し事があるんだろ?」
ぶんぶんっと頬を横に振る。結花は昔からそうだった。心配かけまいとして自分で溜め込んでその溜め込んだ重みで傷ついていく、そんな子だ。だから、無理にでも聞かないといけない。
俺の真剣な瞳が結花の瞳と交わる。
なんでもないことでも話すかのようにこいつは一生懸命の笑顔で俺に話しだした。
「・・・間違いだって、ゆり由梨さんの下駄箱と間違えたって・・・笑われちゃった。そうだよねぇ、私なんかがね・・・えへへー」
由梨さんか・・・。どこの学校でも必ず一人はいる。憧れの高嶺の花といった人だ。同じクラスにいながらにして、距離は地上と月といったぐらいに離れている。さらっとしたロングヘアーに抜群のスタイル、頭もよければ顔もいい。おまけに人当たりもいいという三拍子そろった子だ。
そういえば、俺も同じクラスになった最初の時に密かに憧れていた。付き合えたらすごいなぁってな具合に。でも、まあ、アイドルは偶像であって、偶像相手にはどうしようもなく俺もすぐに熱が冷めたわけだった。
それはともかくとして、笑うとかどうかと思うけど、まあ、向こうとしては悪気があったわけじゃないだろう。やっぱり、告白する場所に違う人がきたら、普通に謝るか、笑って軽く謝るかするだろう。
結花ももう少し明るければ由梨さんまではいかなくともモテるとは思うんだけど・・・。
「あんま気にするな。向こうも由梨さんが来ると思ってたら、結花が来てびっくりして、肩すかし食っただけだと思うよ。別にお前が告られる程かわいくないだなんて誰も思ってないよ」
「う、うん。ありがとう・・・え、ええっと・・・」
何か言い出せずにもじもじっとする結花。ただ単に照れているってわけではなさそうだ。
「どした?」
「・・・宏ちゃん、私って、か、かわいいかな?」
「ん?一般的にそこそこいい線いってるんじゃないのか?」
「・・・そ、そうじゃなくて、宏ちゃんは私みたいな女の子、好きなのかなって思って・・・」
さすがにここまで言われたら鈍い俺だって分かる・・・っていうか、あまりこいつのこと恋愛的視点で考えたことがなかったから、急にそう言われても難しい。
「・・・・・」
なかなか、気の利いた言葉が思いつかない。このまま、黙っているわけにもいかない。そんなことしたら、ただでさえ少し落ち込み気味のこいつが、俺のせいでもっと落ち込んでしまいそうだ。ここで俺が好きって言わなきゃ、今までの俺のはげましは無駄になってしまう。友達として好きって言うのは駄目だ。こいつの女の子の部分を否定することになってしまう。
「ご、ごめんね・・・。私、変なこと聞いちゃった・・・」
えへへと照れ笑いする結花。そんな結花を俺は手で制止、
「変なことじゃないよ。確かにちょっとはびっくりしたけどな、俺は結花のこと好きだぞ。結花と俺が付き合ったら誰もが羨むナイスカップルだ」
悪戯っぽく笑って結花の方を見ると恥ずかしそうに頬を赤らめていた。耳たぶまで赤くなり始めている。この瞬間から俺と結花は恋人になっていた。
本当は恋愛対象として見れていない。だけど、なんだか結花がへこんでいる姿を見たくなかった。それに付き合う=結婚するってわけでもないし、そんなに深く考える必要もないだろう。付き合って好きになれればそれでいいし、なれなければ傷つかずに別れればいい。
「じゃあ、さっそく、手でもつないでラブラブしながら帰ろうか」
「う、うん。私達、恋人同士だよね?」
少しだけ不安そうに結花が尋ねる。
「もちろん」
俺は結花の手を少しだけ小さくて柔らかい手握りながら頷く。結花はうれしそうに微笑んだ。顔は先ほどからずっと変わらず真っ赤だった。
そんなわけで、この日からちっこくて、ショートカットの照れ屋な幼馴染は一転して恋人になった。
◆2
十二月の二十四日は町に無数のイルミネーションとジングルベルのメロディーでいっぱいになる。家族やら友達、恋人達はそんな中を楽しそうに肩を並べて歩いている。そういった空間の中、俺と結花はというと・・・
「今日のデートは中止だ・・・」
俺の一言に抗議しようとする結花が口を開く前に俺は言葉を続ける。
「そんだけ熱があったらせっかくのデートも楽しめないだろ?だから、今日は帰ってゆっくり休め。デートはいつでもできるだろ?」
「で、でも、せっかく、宏ちゃんが時間を空けてくれたのに・・・」
「俺のことは気にするな。ほら、家まで送るから帰るぞ」
「ご、ごめんね」
「結花が悪いんじゃないんだから、あやまるなっつーの。ほら、行くぞ」
「う、うん」
俺は結花をバス停まで連れて行く。
バスが来るまであと五分くらいだ。
特に会話もなく、クリスマスソングや通り行く人たちの楽しそうなざわめきだけが場に流れる。
「宏ちゃんここまででいいよ。あんまり一緒にいると宏ちゃんにも風邪うつっちゃうから・・・」
「ばーか、中学校時代、皆勤賞を獲得した俺をなめんなよ?」
力瘤を見せて軽く笑う。
「で、でも・・・」
「まあ、仮にうつったとしても結花の風邪なら全然オッケー・・・なーんて、くさいセリフを吐いてみたりしてな」
そんな会話をしているうちにバスが到着する。
「ここまででいいよ」
バスの入り口で軽く振り向いて、顔を真っ赤にした結花が言う。熱が上がってるんじゃないだろうか・・・。
「俺も行くよ」
ふっと、結花が俺に近づいて、ほんの少しだけ躊躇ったあと、背伸びしてそっと俺の唇にキスをした。柔らかな感触がバスの中へ離れていく。
「風邪・・・うつったらごめんね」
顔を真っ赤にした結花が俯きながら俺の表情を上目遣いでみている。
「ぜんぜんオッケーって言っただろ?っていうか、俺も乗らないと・・・」
「だめだよ。せっかくなんだから宏ちゃんは少し遊んできて」
「いや、俺だけ遊んでもな」
「私は大丈夫だから」
どうしたものか・・・。そうだな、遊んできた方が結花はあまり気負いしないかもしれない。ここで、家まで送っても結花のことだから逆に気にしてしまうだろう。あまり気を遣いすぎるのもよくない。
「そんじゃあ、少し遊んでから帰るよ。お土産期待しとけよ」
「うん・・・」
バスの戸が閉まる。バスの姿が見えなくなるまで見送った後、俺はクリスマスで賑わう町へ身を投じようとしたとき、
「メリークリスマス、宏志君」
ふと、声をかけられる。声をかけてきたのは由梨さんだった。同じクラスとはいえ話をすることはめったになかった。まあ、アイドル的な存在ということもあって話しかけづらいんだけどな・・・。
「メリークリスマス、由梨さん」
あんまり緊張とかしない方なんだけど、今回ばかりはさすがに少しドキドキしてしまう。照れているのを見透かされるのは恥ずかしいので軽口を叩いてみる。
「由梨さんは彼女待ちなのかな?」
「あはは・・・、一人だよ。っていうか、私はそっち系の人じゃないよ。ちょっと、クリスマス気分に酔おうかと思って町に出てみたんだけど、やっぱり、一人で歩いている人って、あんまりいないみたいだねー」
かなり意外だった。これだけかわいければ彼氏の一人や二人くらいつくれそうなもんなんだけどな・・・まあ、二人とかつくる奴の気が知れないけどな。
「俺もとりあえずクリスマス気分に浸ってこうかなって思って」
「それじゃ、暇人同士、親睦でも深め合いましょうか?」
「そうしますか」
とりあえず、この町の娯楽施設の密集した場所へ行く。最初はカラオケから攻めた。
「宏志君、勝負する?」
勝負か・・・。俺はニヤッと笑いながら
「マジで?俺は強いぞ」
カラオケ=俺と言っても過言ではない。人に聞かせるのは上の下くらいだけど、点数を出すことに関しては天才的だ。俺は高得点シンガーとして名高いのだ。
「私だって負けないよ。宏志君から歌っていいよ」
「じゃあ、まずは適当なのからっと・・・」
先手で歌う場合は一番得意な歌で攻めるのがベストだ。序盤からの高得点は相手へプレッシャーを与えることができる。俺は裏声を駆使しつつ完璧なリズムと声量で歌いきる。画面がチカチカ光り、点数が現れる・・・・・98点。まあまあこんなところだ。だいたい、カラオケボックスの点数ってのは歌手が、自分の歌を歌っても100点などはそうそうでないくらいだ。そういうわけだから98点はなかなかのもんだろう。
「じゃ、私、歌うねー」
由梨さんが選んだのは最近、チョコレートのCMで流れていたラブバラードだった。甘くどこか苦いというフレーズに合った曲だったっけな。由梨さんが歌い始める・・・・。
点数は・・・100点だった。まさに格の違いを見せつけられた感じだ。だが、そんなことよりも声がすごくきれいだった。すごく透る声でよく響く声。歌詞に感情が篭っていて、聞く人へと伝わるような耳だけでなく心にも透る歌い方だった。思わず余韻でボーっとしてしまった。
「どうだった?」
「やべえくらいにうめえな。正直言って、まいったよ」
「そこまで言われるとなんかすごく照れるんだけど・・・」
ほんのりと頬を染めながら照れる姿は普段あまりみないため、なんだか新鮮だ。
「そだ、これ、一緒に歌おうよ」
「いいよ」
妙に息が投合した俺と由梨さんは日が暮れるまで遊んだ。
なんていうか不思議だった。遠くにいたはずの存在が近くにいて、それで遠くにいたときには見えなかったものが見えるようになって、驚きやら新鮮味やらがいっぱいだった。
気がつけば、今日、最初に会ったときの緊張感はなくなっていた。クリスマス気分に酔わされていたってのもあるかもしれないけど、意外と気が合って、なんだか遠慮なくしゃべれて、昔抱いていた憧れはなくなったけど、それで失望とかはしなくて、逆に新しい発見みたいなものがあった。
「由梨さん、今日は楽しかったよ」
「ちょっと、待ってよ。親睦を深めた仲でさん付けはないでしょ」
めっ、と子供を嗜める様な仕草をする。
「じゃあ、なんて呼ぼう?」
「呼び捨てでいいよ。宏君」
「まあ、俺も宏君でいいや」
そんなこんなで俺は憧れてた由梨さん・・・由梨とほんの少しだけ仲良くなったのだった。由梨と別れた後、俺は結花へとお土産を買っていった。結花の家に行くとあいつの両親が出てきて、既に眠っていると言ったのでプレゼントを枕元に置いてもらうことにして家に帰った。こうして、今年のクリスマスイヴは幕を閉じていった。
◆3
年も明けて、再び学校も新学期を向かえる。俺と結花はというと相変わらずな感じ。由梨とはなんだか前と比べて学校でも話をするようになったくらいで、別段何かが変わるようなこともなくゆるやかな時間が流れていた。
そして、そんな柔らかな時間が、ずっと続くと思っていた・・・。
授業も終わって、放課後になる。ふと、携帯電話がブルブルと震えていることに気づく。どうやら、メールが届いたようだった。宛名を見ると由梨だった。新学期が始まってから、しばらくして番号交換して、たまにメールなんかを送りあっていた。まあ、そのメールの大半は学校の行事やら宿題やらのことだった。だけど、今回はそういった類のものではなかった。
『今から会えない?』
というものだ。待ち合わせ場所は正門を出たところから少し歩いた小さな公園だ。滑り台と鉄棒と砂場しかない、そんな子供もあまりこないようなちっぽけな公園。天気はやや曇っていて、普段より少し寒い。俺はブレザーの下にセーターを着込み、結花には一言用事があると言って、公園に向かった。
今から行くというメールを送ってから五分くらいしただろうか。公園にはすでに由梨が待っていた。ただ、いつもとは少し様子が違った。緊張しているような不安そうなそんな感じ。
「あ、ごめんな。待たせちゃったかな」
「ううん、そんなことないよ」
そこから会話が止まってしまう。何か言いたいのに言い出せない由梨。急かして聞いていいものか悪いものかと考えて口を開けない俺。ふと、由梨が口を開く。
「私ね・・・今からすっごい最低なこと言うと思う。私・・・」
言い出せないまま由梨が泣いてしまう。由梨が言いたいことは分かるし、言ってしまってからの不安も分かる。
「落ち着いて話して、どんなこと言っても俺は由梨のことを嫌いになったり避けたりしないから、大丈夫だよ」
その言葉に少しだけ安心したのかゆっくりと掠れそうな声で話し出した。
「私ね・・・今まで恋愛ってしたことがなかった。だって、来る人みんながどこか一線を引いてるみたいで、どこかよそよそしい感じがして・・・、ほとんどの男の子がみんなそうで・・・でも、宏君だけは違った」
そこまで話してから由梨は少し躊躇う。そして、泣きながら話し出す。
「私・・・宏君に彼女いるって知ってたのに・・好きになっちゃって、本当は・・・この気持ちを隠さなきゃいけないって分かってるはずなのに・・・、友達でいなきゃいけないのに・・・・でも、友達じゃ嫌だよ・・・」
なんて言っていいか分からなかった。俺には結花がいるから断らなきゃならない。断る義務がある。でも、きっと、俺は心のどこかでこうなることを望んでいたのかもしれない。
俺の言葉を待たずして
「私は・・・絶対・・諦めるから、がんばるから・・・友達でいて」
ポロポロと涙を零しながら、由梨は俺に背を向けて駆け出していった。
これは全て俺の責任だ。彼女がいるのに、他の女の子と仲良くしすぎた俺の軽率な行動が招いたもの。結花の告白に同情で答えたのは別にまだ許される範囲だろう。だけど、同情で答えるっていう、軽い気持ちをずっと引きずるのは良くない。俺は心のどこかで結花を軽く扱っていたんだ・・・。
罪悪感に苛まれながらも、俺の心は揺れていた。憧れてた女の子、遠かった女の子、それが俺のことを好きって言ってくれた。結局俺は由梨を追いかけることができなかった。
それから、俺は馬鹿みたいに立ち尽くし、二人のことを考える。俺はどうなんだろう。由梨といる時と結花といる時、どっちが大切なんだろうか・・・。本当はこんなことを考えちゃいけない、俺には結花がいるんだから・・・。
◆4
「ええっと、きょ、今日はお弁当作ってみたよ」
かわいらしい包みが二つ俺の目の前にちょこんっと置かれる。照れながら結花が俺の目の前に座る。あの日から一週間が経っていた。俺はどこか上の空でこの一週間を過ごしていた。今日はあいにくの雨のため、教室で席を合わせて、俺と結花が弁当を食う。周りの視線がどこか色を帯びている。何気なく見た中に由梨がいた。どうにも気になって仕方がない。あれから由梨とは口を聞いていない。
「・・・ど、どお?お弁当ってあんまり作ったことないから・・・」
正直食べていても味が分からなかった。でも、結花は昔から手先が器用な筈だから、まずいなんてことはないだろう。
「うん、おいしいよ」
このままじゃいけないことは分かってる。でも、どうしたらいいのかが分からない。
「宏ちゃん・・・ご飯粒がついてるよ」
ひょいっと俺の口元についている米粒を取って、結花が口に運ぶ。周りの視線がさらに色を帯びる。
ガラガラっとふいに教室の戸が開いて誰かが出て行く。由梨だった・・・俺はたまらず、教室を出る。廊下に出ると由梨は小走りにどこかへ行ってしまった。その後を追う、旧校舎まで走ってからようやく追いつくことができた。
追いかけたものの、なんて言っていいのか分からなかった。まさか、結花といてごめん、なんて言えない。なんで俺は追いかけたんだろう・・・。
「なんで・・追いかけてきたのよ・・・」
ふと、ようやくしぼりだしたような小さな声で由梨が口を開いた。そして、その問いに俺は答えられない。自分でも分からなかった。放っておけなかったからか?友達だから?俺は結局、また、結花と同じように由梨にも同情しているだけなんじゃないのか・・・。
「・・・だめだよ。私、忘れられないよぉ・・・」
俺の胸に顔をうずめながら感極まったのか泣き出してしまう。すごく胸が痛かった。ただ、その痛みは結花に対する罪悪感よりも由梨を泣かしてしまったことに対することの方が強かった。
だから、俺はいけないと分かっていても、恋人が、結花がいると分かっていても、由梨のことを突き放すことができずに抱きしめてしまった。
結局のところ、俺は由梨にここまで言わせてからようやく、自分の気持ちに気づくことができたんだ・・・。
ずっと、届かないと思っていた。でも、彼女から俺の方へと来てくれた。むしのいい話だ。届かないと思っていた頃はすぐに諦めて・・・。そして、結局は近場の結花を選んでしまった。それも、軽い気持ちで・・・。
付き合う=結婚じゃない。だけど、付き合う=真剣は絶対だった。結花と俺は幼馴染の枠から出られなかった。いや、俺は付き合ってからもその枠から出ようとしなかったんだ。俺はあいつと恋愛ができなかったんじゃない、しなかったんだ・・・。
由梨が顔を上げて俺の顔を見ている。目は赤くまだ涙で濡れている。どうしたらいいか分からないといった表情・・・。俺からゆっくりと離れようとするが俺は由梨をまた抱きしめて、
「俺・・・、由梨が好きだ」
「でも・・・駄目だよ。宏君には・・・」
「ちゃんと終わらせるから・・・」
「駄目・・・だよ・・」
由梨の言葉を塞ぐように唇を重ねる。由梨は抵抗しない。柔らかい感触と結花とはまた違った女の子のいい匂いがした。
胸が再びチクンっと痛んだ。今度の痛みは自分自身を責める痛みと結花に対する罪悪感からくるものだった。
◆5
星が一つ、二つと、少しずつ輝き始める頃、俺と結花は肩を並べて歩いていた。恋人としての最後の下校。俺はなかなか結花に別れを告げられずにいた。胸が締め付けられるように苦しい。結花の泣き顔が嫌いな俺が結花を泣かせようとしている・・・。でも、終わりにしなきゃいけない。
「なあ、結花、俺達さ・・・」
「・・・お願いだから言わないで・・・・・」
涙目で俺を見る結花。胸が痛む・・・。
「・・・私、宏ちゃんが好きになるような女の子になるから・・・、由梨さんみたいな子になるから、だから、ずっと、私の隣に・・いてよぉ・・・・・・」
話しながら結花は泣いていた。
「ごめん・・・」
俺にはそれしか言えなかった。最近、弁当を作り始めたり、どこか積極的だったのはもしかしたら、俺が由梨のことが好きだということに気づいていたからなのかもしれない。
「・・・ああぁぁぁ・・・うぇぇぇん・・・・」
結花は子供みたいに泣き出していた。でも、俺はもう頭を撫でてやることも、優しい言葉をかけてやることも、そして、となりにいてやることもできない。
「・・・ごめん」
最後に一言だけそう言って、結花の泣き声を背に受けながら俺はその場を後にした。結花の泣き声が胸にずっと響いていた・・・。
・
・
・
*
今、俺のとなりにいるのは由梨で、俺達は恋人同士だ。愛しくて、守りたくて、俺にとって大切な人・・・。由梨と過ごす毎日はすごく楽しくて、大切な時間で、となりを見れば笑顔の由梨がいてくれて、すごく幸せだ。
・・・だけど、ときおり、あの時から笑顔を失ってしまった結花の顔が目に入り、胸が痛む。
・・・あの時、俺が結花に告白されたときにもっと真剣に考えていれば、何かが変わったのかもしれない。あのクリスマスの夜、由梨と出会わなければ、結花は今も笑顔を絶やさずにいたかもしれない。
それでも、過ぎ去った時間はどうにもならない。偽善と分かっていても俺は祈る。これから過ぎて行く時間が結花にとって、幸せなものであるように・・・と。虚ろとなった瞳に光が宿りますようにと・・・。そんな願いも結局のところは自己満足で、自分の罪悪感を埋めたいだけのもので、今の俺は由梨に寄りかかって、由梨で結花を遮って生きている・・・。
―――fin