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リラックスタイムの為に

 その日はルーペアトの指示に従って火を空中に留めたり、指定された点から点に移動させたり、藁や焚き木に火をつけたりした。


 ルーペアトが言うにはヴァレーリアの火を操る力は確かなものらしく、そうそうこんなに早くは進まないのだとか。

 この分ならすぐに大きさや温度を変えたり、燃やすものと燃やさないものを自分で決める事が出来るようになるだろうとお墨付きを貰った。


 ただしだからといって一人で練習をするのは絶対にしてはならないと強く釘を刺された。

 私には他にやる事もあるし、言いつけを破ろうなんて考えていないので、一人で練習した挙句惨たらしい死に方をした人の詳細説明なんてわざわざしないで欲しかったと思う。



 訓練場から自室に戻って着替えを終えた私は、昼食の用意の為動き回るメイド達を尻目に椅子に腰かけた。


「それにしても……こんな感じになるのね、訓練場の端まで松明が点いていたのはこの感覚を掴ませるため、なのかしら」


 魔術を扱った時の事を思い出し何となく手をにぎにぎしながら私は呟く。

 薄暗い訓練場では、端の方にある松明まで小さくだが常にはっきりと見えていた。

 意識には上らないが、認識はしている状態と言える。


 今、私にはそれと同じようにして、部屋の外の明かりや調理のであろう火が見えていた。

 いや、目で見えているわけではなく、何となくここに火があるな、と感覚でわかるのだ。


 ……確かにこうして見えていると、ちょっと手を伸ばしてみようかなという気になるのも分かるかも。


 あれだけ言われたのだから勝手なことをするつもりはないが、見るからに大雑把なルーペアトが神経質に注意したのも分かる気がした。



 その日の午後はベアノンの訓練が吹雪により中止となっていた為、私は授業を受ける事にした。

 休まれても構わないのですよとケーテは言っていたが、何となく何もしないでいるのは頭の端で時計の針が動いているような気がして落ち着かないのだ。


 授業を受けなくても結局何れかの教科の本を読んでしまうと思うし、それなら教師に直接教えて貰った方が効率的だ。


 そうして屋敷に住み込んでいる地理の教師に授業を行ってもらう事になった。

 今まで地理では小学校の授業のように、地図の見方や国内の地名、そしてそれぞれの目立った特産品についてを学んで来た。


 今はレーヴェレンツ公爵領に焦点をあて、詳しい地形を過去あった災害や事例と合わせて教えて貰っている。


「――えーそして、ピュロマネ山が噴火の兆候を見せた際、当時のレーヴェレンツ公爵は病床に伏せており、それが原因となって対応が遅れ、麓では非常に多くの混乱が見られたと記録が残っています。結果として噴火が起きる事はありませんでしたが、この対応に対してエルツベルガー公爵家より批判を受け――」


 火山といえば、大昔の強い操作者が溶岩も火と同じように扱い操ったと魔術の教科書には書いてあった。

 そうすると、今私が火の位置がわかるように近づけば溶岩の位置も分かるのだろうか。

 いや、冷静に考えて溶岩が分かるような位置まで来ているような場所には近付くべきではないだろうが。

 むしろ、どうせ位置を知るなら水の位置が知れた方が良い。

 火山の近くにある水なら温泉として利用が可能な可能性がある。


 元々私は前世の頃からお風呂が好きだ、というより就職してからはゲームと入浴と食事くらいしか楽しめるものがなかった。

 本物の温泉には大学の頃友達と何度か行ったくらいだが、家で入浴剤を色々使うのも好きだった。


 ヴァレーリアとして生活を始めてからも私は毎日お風呂に入っているものの、温泉について聞いてみても上手く伝わらなかった事からおそらく一般的ではないのだろう。


 もしも可能なら温泉を見つけて入りたい。

 ついでに温泉の素のようなものが取れれば屋敷でも使いたい。

 私にもっと科学の知識があれば、重曹を作って自家製入浴剤も出来たのだが。


 ……ん? よく考えたら入浴剤とまで行かなくてもハーブや柑橘類を使うくらいなら――


「ぅおっほん!」


 はっとして顔を上げると地理の教師が笑っていない笑顔でこちらを見下ろしていた。

 私はたらりと冷や汗を掻きながら笑みを返し、今度こそしっかり授業に集中する事にした。



 授業が終わった後、私はさっそく思いついたアイディアを実行しようとケーテを呼んだ。


「ケーテ、料理長に今日の夕食の飲み物にピューズを出して欲しいと伝えて貰えるかしら」


 ピューズはオレンジによく似ているがオレンジよりも赤く楕円の果実だ。

 私が前世で食べた事のあるオレンジより非常に濃く甘く、ジュースのようにして飲む場合は少し水で割るくらいで丁度いいという素晴らしい代物である。

 レーヴェレンツ公爵領の特産の一つらしい。レーヴェレンツ家に生まれて良かった。


「えぇえぇ、わかりました。確かに伝えて参ります」


 ケーテは柔らかく微笑んで了承してくれた、私が久しぶりに年相応のお願い事を言って微笑ましいという顔だ。


「それとね、ケーテ。ピューズの皮と絞った残りをそのままの状態で、目の粗い清潔な袋に入れて食後に持ってきて欲しいの。袋が無かったら布で包むのでもいいわ」

「絞った残り、でございますか」


 ケーテは視線を彷徨わせて困惑していた、私が思惑の読めない突飛な事を言い出して困っている顔だ。


 しかし今話しても理解を得られるか分からないし、食品を湯船に入れるなんてと拒否されるかもしれない。


「えぇ、お願いね」


私はにこりと微笑んでケーテの何か言いたげな顔をシャットアウトした。



 夕食を終えた私はケーテからピューズ入りの袋を貰い、ご機嫌でお風呂へと向かった。

 私が美味しく飲んだ分以外も入っているのか、結構ずっしりとしている。


 何せシャンプーもリンスも薫り高い石鹸も無く非常に物足りないバスタイムを過ごしていたのだ。少しでもリラックス出来るならとても嬉しい。


 ちなみに私が使っているお風呂は私専用のもので、綺麗で可愛らしいが、屋敷にあるスパのような大浴場とくらべるとこじんまりしている。

 大浴場を使ってもいいと言われているのだが、お父様も個人用のものを使っていて使用人は使用人で別のお風呂があるらしいので、流石に私一人の為に大量のお湯を用意させるのは気が引ける為使っていない。


 それに私個人のお風呂がこじんまりしているとは言ったが、それでも大人が三人くらい浸かっても余裕がありそうな大きさがある。 普段使いとしては十分過ぎるほどなのだ。


「お嬢様、それは何をお持ちになっているのですか?」


 私が部屋から持ってきた袋を、服を脱いだ後そのまま浴場まで持ち込むと、メイドのクララがおずおずと尋ねてきた。


 クララはケーテの娘であり、白っぽい緑の髪と目で、背が高くがっちりとした体格の女性だ。

 臆病で引っ込み思案な性格らしく殆ど私に話しかけては来ないが、不審物の持ち込みには突っ込まざるを得なかったのだろう。


「これはお風呂に入れるの。まだ試したことは無いけれど、きっといい香りになる筈よ」


 私が自信たっぷりに微笑むと、クララが視線を彷徨わせて困った顔をした。反応がケーテに似ている。


 クララは何か言おうとして何度か口を開け閉めしていたが、ぎゅっと一度目を瞑り硬い笑顔で、そうなんですね、と小さく声を絞り出した。


 身体を洗って貰った私は内心うきうきしながらピューズ入りの袋を持って湯船に入った。

 クララは心配そうにちらちらとこちらを見ている。


 私の想定していたよりも袋の目が粗くなかった為か、入れても直ぐには何の香りもしなかった。

 しかし私がちょっと袋を揉んでみると、ピューズの汁がお湯に染み出ると同時に、熟した蜜柑のような甘く爽やかな香りがぶわっと広がった。思わず息を大きく吸いながらうっとりと目を閉じてしまう。

 柑橘系の香りはリラックス出来るというが、心がほぐれるような芳醇な香りに本当にその通りなんだなと私は改めて実感した。


「お嬢様!?」


 クララの驚いたような声にリラックスタイムが中断され、私はゆったりと目を開いた。


「……なるほど、こうなっちゃうのね」


 お風呂の状態を見て私は苦笑いを浮かべた。うっとりしながら私はなんとなく袋を揉んでいたのだが、いつの間にかお湯がすっかり半透明な薔薇色に染まってしまっていたのだ。

 おまけに私の手元からはいまだにピューズが赤い汁をだしているようで、微妙に赤色がゆらゆら滲んでいるのが余計に不気味に見える。

 そんな光景の中で私が目を閉じていればクララが動揺するのも当然だ。


「驚かせてしまってごめんなさいね、でも大丈夫。これはただのピューズだから」


 お湯の中から袋を出しながらヒラヒラと手を振って見せる。お湯の中で揉んだのでよくみると袋に若干ピューズの皮が透けて見える。


「え、ピューズ、ですか。あ、それでこんなにいい香りが……えっとそれなら安心しま、した……」


 胸を撫でおろしながらも若干涙目になっているクララに罪悪感を抱いた私は、次からは面倒くさがらずにしっかり説明しようと心に留めたのだった。

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