ケルツェ山での考察
……つ、疲れたわ……。
私は泊まっている小屋に戻ると流れ落ちるように椅子に座った。前世でも散々色々な役を演じたが、舞台の上で他の人と一緒に演じるのと、こうして現実に違う人間を演じるのではわけが違う。
ましてや、自分の倫理観から外れるような演技をしたのだ。自分が想像していた以上に体力を使ったし、精神力はそれ以上に使った。出来る事なら脱力して机に突っ伏して眠りたいくらいだ。
「お疲れ様です、直ぐにお茶を用意致しましょう」
リッサがそう言ってテキパキとお茶の用意を始めてくれる。基本的に厳しいが、こういう時欲しいものをすぐ察してくれるのは本当にありがたい。
すぐにフォルピッシュのお茶を淹れて持ってきてくれた、紫色の湯から清涼感のある甘い香りが立ちのぼり肩の力を抜いていく。
「ありがとうリッサ、とても心が休まるわ」
「何よりでございます」
私がフォルピッシュティーを飲み終わる頃になって、ベアノンが先ほどの男の自白を持ってやってきた。精神をすり減らした彼はあの後すぐ洗いざらい話したらしく、ベアノンは何とも複雑そうな顔だった。
「――つまり、レッヒェト山にある彼らの住み家に元に現れた者が元凶であるものの、それが何者であるかはわからない、と」
「えぇ、そいつがもう一度現れるっていう数日後に何とかして捕らえてやりてぇとこなんですが、困った事にそいつが魔術師であるなら私共では手に負えません」
「そうね……」
山賊のエモリーが自白した情報によると、数日前レッヒェト山をねぐらにしていた彼らの前に突然フード付きのマントと仮面で目と髪を隠した男が現れたらしい。
その男は今日ケルツェ山の木に火を点けて騒ぎを起こせば莫大な報酬を出すと約束したという話だ。
ベアノンの言う通り、出来る事ならそんな不届き者はすぐさま捕まえてしまいたいところだが、相手がどの程度の魔術師なのか、どの属性の魔術師なのかも分からないまま手を出すのはあまりにも危険だ。
レーヴェレンツ家に喧嘩を売るような相手なのだ、ただの身の程知らずならいいが、思いもしない大物が出てくる可能性だってある。
それに本当に数日後その男が現れるかどうかもかなり怪しい話だ。普通に考えればそのまま使い捨てた方が良いだろう、エモリー達は何度も使える程使い勝手のいい相手とも思えない。
むしろ成功したエモリー達を口封じの為に殺すか、捕まったエモリー達の情報を追ってやってきたこちらを罠に貶めるのではないだろうか。
「場所がレッヒェト山である事もまた厄介な所ですね。強く警戒すれば領地間の緊張を高める事となります」
考えていた様子のリッサが眉を少し寄せてそう言った。そう、レッヒェト山があるのはケルツェ山よりも更に南、レーヴェレンツ領と隣のトレッチェル侯爵領の境界ぎりぎりにあるのだ。
トレッチェル侯爵は第一王子派閥であり、レーヴェレンツ家とあまり友好的とは言い難い。迂闊に兵を出しては交戦の意思でもあるのかと突っかかられる可能性もある。
……もちろん、第一王子派閥である彼らの仕業と言う可能性も考えられるのだけれど……。
現状何も確証はない、トレッチェル侯爵家に疑いを擦り付けて領地間の中を悪くし、領地の力を削ぐ為とも考えられる。
「それにしても、今回の目的は何だったんでしょうか。夜襲と言うにはお粗末すぎるんじゃないかと思いますし、すぐさま騒ぎに乗じた第二陣が来るのかと警戒してたんですが、その様子もありません。どうにも不気味な気がしますよ」
ベアノンがそう苦々しく言う。確かにもし私やジーグルヴィック様を害する目的があるのであれば、火を点けるのと同時に仕掛けるか、もしくはそれが収まりかけた段階で逆を突くのが一番良いように思える。
「火が燃え上がらなかったから失敗した、と考えるのが一番安心するのだけれど、そうでないなら既に成功しているか、まだ途中であるかじゃないかしら。まだ途中である可能性を考えるとなるべく早く第二王妃様はここを離れた方が良いのかしら……」
既に成功しているというのはそもそも何かしらの騒ぎを起こす事だけが目的で、脅しなどを目的とした行動という事だ。第二王妃ジーグルヴィック様相手に単なる嫌がらせとも考えにくいが可能性は零ではない。
厄介なのはまだ相手の作戦の途中である場合だ。それはこれから再びの襲撃などが行われる事を意味する。
帰り路で襲われるのも恐ろしいが、はっきり言ってここで待ち構えているのとリスク自体はそう大きく変わらない。そうであれば逃げ切ってしまえば勝ちとなる帰り路の方がまだましだろう。
……でも、相手はどうやってジーグルヴィック様がいると知ったのかしら。
アルドリック様の話からするとごく一部の者しか知らないお忍びという話だったし、私の側ではレーヴェレンツ邸を出るまで私とリッサしか知らなかった。
かといってフードの男が日付をしていして火を付けさせていた以上、偶然と考えるのは難しい。
そうなるとジーグルヴィック様の側で話を知っていたごく一部のものから漏れていたという事だろうか。
……どう考えてもパズルの正解を想像するにはピースが足りてないわ。
私は小さくため息を吐いて、結論が出ないと結論付けた。推察には証拠が必要だ、こじつけてひとまず予想するのも思索としては大事だが、それだけで行動に移せる程軽い問題ではない。
「まず、フードの男を今捕まえるのは諦めましょう、取れる手段が少ない上に、どれもあまりに不確実で割に合いません」
「ですが今を逃せば次があるかどうかも分かりやせんよ、ここは……」
ベアノンが珍しく食い下がる、レーヴェレンツ家を守る兵団長として野放しには出来ないという事だろう。真剣な顔をしたベアノンの目を見ならが、私は遮るようにして話を続ける。
「そうね、だからベアノン。貴方にお願いしたいのだけれど、相手に気付かれず、姿を確認して可能な範囲で特徴やどこから来たかなどを見てきて貰う事は可能なのかしら。第二王妃様にはその辺りをどうするか決めてから報告しに向かいます。貴方を失いたくはありませんから、嘘偽りなく答えて頂戴」
いくらベアノンといえども相手が魔術師となれば戦って勝つことは出来ないだろう。しかしただ姿を隠して相手を確認するくらいなら出来るかもしれない。
密偵と兵士ではまるで違う職種だ、ベアノンに頼むのは間違っているかも知れないが、今ここにいる兵士で最も可能性があるのは彼だろう。
私の言葉にベアノンは目を伏せてしばし逡巡する素振りを見せた後、ゆっくり頷いた。
「やってみせましょう」
「ありがとうベアノン。相手に見つかった時や、危険を少しでも感じた時にはどれだけその先に情報があろうとも戻って来て頂戴、深追いは必要ありません」
「承知致しました」
頼もしい返事をするベアノンに対し、私はこれでよかったのかと迷いが出てしまう。これは正真正銘彼の命が失われる可能性がある命令だ。これが最良だろうと思って決めた事だが、一兵士としての彼の返事を聞いた途端にその重さを肌で感じたのだ。
「……危険な事をお願いしてごめんなさいね」
思わずそんな弱音ともいえるような言葉に対し、ベアノンはいつもの人懐っこい笑顔で答えた。




