第二王妃とのお話
ジーグルヴィック様の声に従って部屋の中にいた従者がぞろぞろと外に出て行く、当然私と一緒に来たリッサもだ。
リッサがいないと色々不安な点があるのだが、第二王妃様に逆らってまで残して貰うわけにもいかない。
私達がピューズピールの菓子をつまみ、お茶を一口飲むくらいの時間をかけて、私とジーグルヴィック様以外の者は全員部屋の外に出た。流石に二人きりにはならないでルーペアトは残すのだろうと思っていたが、他全員が外に出た事を確認した後にルーペアトも出て行ってしまった。
……初対面の相手と二人きりって、第二王妃様としては大丈夫なのかしら。
もちろん私にはジーグルヴィック様を害するつもりなんて微塵もないが、護衛としてはどうなのだろうと疑問に思う。ルーペアトがすぐ外にいるにしても、私はルーペアトより上位の火を操る力を持つ魔術師だ。
無警戒なのか、それともアルドリック様やルーペアトの話からそこまで信頼行く相手だと信じられているのか。以前聞いたお父様の話では私に対して感謝しているという事だったが。
……或いは、リスクを背負ってでも他の人に聞かせられない話をするつもり、とか。
緊張感にのまれて笑顔を崩さないようにしつつジーグルヴィック様の出方を伺うと、彼女はルーペアトが出て行った扉と他の窓をゆっくり順々に見た後に、ほうっと息を吐いた。
ジーグルヴィック様はそれからお茶を一口飲み、落ち着いた声で静かに言う。
「奥山の渡り鳥はどのような声かと思っていたのだけれど、ターヴェの影しか見えなかったわ。時節を違えていたのかしら」
……え、渡り鳥?
一瞬何かと思って言葉に詰まってしまったが、すぅっとジーグルヴィック様がこちらを見た事からちゃんとした返答を要する話のようだ。
ターヴェというのは一年を通して国中で見られる黒い鳥だ。冬場主に狩猟されるうちの一種類であり、貴族平民問わず食卓に上がりやすい。
言葉だけなら珍しい鳥の声を楽しみにして来たのにそれに出会えずがっかりしているという話だが、十中八九これも婉曲な比喩表現だろう。
いきなり危惧していた展開になってしまい心の中で悲鳴を上げながら紅茶を手に取った。これを一口飲んでカップを下すまでになんとか回答しなければならない。
……奥山の渡り鳥がどんな意味かは分からないけれど、どのような声かと思っていたってところから事前に情報を仕入れていた事柄、温泉かハーブティーかそれとも私の事かしら。
奥山の渡り鳥、の部分が解読出来なければ恐らくどれかわからないのだろう、何れのうちのどれかがターヴェのようであったという話だが、ターヴェが良い意味か悪い意味なのかも不明だ。
……ターヴェは肉が柔らかくて美味しい鳥だけれど、見慣れた野鳥という意味にも取れるし、狩りやすい獲物や夜になると見つけにくいって解釈も出来て……うん、そうね。全然分からない。
何かしらが思っていたものと違って、親しみがあったか、平凡であったか、単純であったか、見つけにくいものであったかの何れかなのだろう。
答えが出す事が出来なかった私はゆっくり過ぎるくらいの速度でカップを置くと、意味深ににこりと笑って誤魔化した。それで誤魔化せるかはともかく、誤魔化すための笑顔を作った。
答えに窮してどうしようもなければ最悪笑って誤魔化すようにとリッサからも教わった。笑顔で誤魔化せばだいたい相手が勝手に解釈をしてくれる。
例外もある上に下策ではあるが、下手な事を口走り言質を取られるよりは幾分か良い。リッサから笑顔の重要性を説かれても説得力はまるで無かったが、そう言う事だ。
……言葉の意味はあとでリッサに聞きましょう、出来る限り詰め込んだつもりだったけれど、まだまだ勉強不足みたいね。
自分の才能の無さに悲しくなりながら笑顔を作っていると、ジーグルヴィック様がこちらを深い樹海を彷彿とさせる緑の目でじっと見つめた後、不意に目じりを下げ口元を緩めクスリと笑みを溢した。
場の空気はだいぶ柔らかくなったが、私が流れを読めずに困り果てて表情を固めていると、ジーグルヴィック様が落ち着いた声でゆっくりと話し始めた。
「少し意地悪が過ぎたようね。アルドリックが貴方の事をまるで女神のように語るものだから、一体どのような子なのか知りたいと思っていたの」
「め、女神のように、ですか」
アルドリック様はいったい母親に対してどんな風に私の事を話しているのかと動揺してしまう。
……あれ? でも私アルドリック様に対してそんな褒められる事をしていないよね?
アルドリック様に助けられる事はあっても、大きく助けるような事は殆どしていない。初対面の時はおそらくアルドリック様の価値観を変える程の事をしただろうが、それで恐れられる事はあっても褒められる事はないだろう。
……どういう女神なんだろう、戦いの女神とか? それか温泉の女神かな。うぅん、温泉の女神は肩書として微妙ね。……っていけない、いけない。
危うく考えが脱線して一瞬思考に沈みかけてしまった。私は慌てて笑顔に表情を戻すとジーグルヴィック様に対して口を開いた。
「アルドリック様にそう思って頂けているのは大変光栄ではありますが、私はそれほど大層な者ではございません。女神だとしても遍く民を導く命の女神ではなく、せいぜいここの温泉によって領地を盛り立てる、小さな泉の女神でありましょう」
城では私が王妃の座を狙っているのではないかと噂されていたとお父様より聞いた。ジーグルヴィック様がどのように考えているかは分からないが、我欲の無い謙虚な姿勢を見せておくことは肝要だろう。
そう思っていると、ジーグルヴィック様が少しじっとこちらを見た後、小さくため息を吐いてから少し咎めるような口調で言った。
「謙遜も過ぎれば嫌味というもの。ヴァレーリア、貴方はもう少し公爵令嬢としての立ち居振る舞いを覚えるべきでしょうね」
その言葉に少なくないショックを受ける、第二王妃様がここまで直接的に言うという事は相当酷いのだろうか。まだまだなっていない部分がある事は分かっていたが、なんとか誤魔化しが効く程度だと自惚れていた。
アルドリック様の母親でもあるジーグルヴィック様から酷い評価を受けてしまった事に気持ちが急下落していくのを感じながら口を開く。
「至らないばかりに王妃様にお見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ございません」
「いいえ、ヴァレーリア。そうでは無いわ……でも、貴方の境遇から仕方がない所もあるのでしょうし、責任の一端は私にあるのかも知れないけれど」
ため息交じりのその言葉に私は首を傾げる。ジーグルヴィック様が何か私の振舞いに関わっているなんて事があるのだろうか。
ジーグルヴィック様は、本来このような事を私が言うわけにもいかないのだけれど、と前置いてから教えてくれた。
「ヴァレーリア、貴方は公爵令嬢なのですから、王族の血筋でも無い私に対してそこまで畏まるべきではないのですよ。……更に言うのであれば、例え王族から言葉を頂いたとしても貴方の立場であれば大きく動揺するべきではありません。貴方は次代の領主か王妃となる立場、貴方の立ち位置が領地の、或いは次期王子の立ち位置を左右するのです」
私は失礼な態度をとったのではなく、へりくだり過ぎていたようだ。私は普段貴族らしい自分を演じているつもりでいるが、それでも経験の根っこの部分が前世の庶民だ。言葉遣いや詩的表現以外にもまだまだ足りてない部分が私には多い。
王妃となるつもりはないが、領主となった時に王から侮られているようでは、他の領地との交渉も不利になるだろう。
……アルドリック様には初対面での事もあって結構踏み込んでしまっている気もするけれど。
「貴方の教師のテニエス男爵の娘が主席を取るほど優秀なのは確かなのでしょうけれど、男爵家と公爵家ではあまりにも立場が違うもの。だから本当は母親が教える事なのだけれど……。それに、いつもアルドリックが貴方に会いにレーヴェレンツ家に行っているでしょう? 本来お披露目で王族に合うまで自分より上位の相手を両親以外に知らない筈の所に頻繁に向かうのだから、それも影響しているのではないかしら」
「いえ、アルドリック様のせいではありません。これは私の勉強が足りなかったせいでしょう。本来であればお叱りに済まされてもおかしくない所をありがとうございます、ジーグルヴィック様」
優秀なリッサでも教えられない部分を補完できるお母様は既にもういない、それにもしいたとしても私に教えてくれたかどうかは分からない。この場で私に教えてくれたジーグルヴィック様に深く感謝しなくてはならない。
「礼には及ばないわ、私の方こそ貴方にはとても感謝しているもの」
それはおそらくアルドリック様の件だろう。私は詳しく何があったか分からないが、確か私の言葉でやる気になったアルドリック様が自分の周りで甘やかしている人達を引き離して、第二王妃様の元に向かったという話だった筈だ。
「謙遜も過ぎればと言われたばかりではありますが、私はそれこそ大層なことをしておりません。私が偶然別の考え方を示しただけで、たまたまその役が私だったというだけでしょう」
「ヴァレーリア、それを行えるのがレーヴェレンツ家の貴方しかいなかったの。……すぐにとはいかなくても、いずれはその自覚を持たなくてはならないでしょうね」
私の答えに対してジーグルヴィック様は真剣な目でそう静かに言った。
深く理知的な光を宿す吸い込まれそうなその目に、私はすぐに言葉を返す事が出来ず黙ってしまう。その沈黙に対してジーグルヴィック様は更に言葉を続けた。
「私の実家であるエルツベルガーは周囲に警戒されて遠ざけられ、ブレーメミュラーは不干渉を貫いていたのだから、アルドリックと関われるのはレーヴェレンツしかいなかったわ。でも、今はそこから最も良い形で状況が動いている。……ヴァレーリア、貴方がどのような形であれアルドリックと道を同じくするのであれば、人の下に付くのではなく、率いる立場である自覚を持ちなさい。それが出来ないのであれば、公爵家として見られる事もいずれなくなるでしょう」
その言葉と共に思い出したのは、ゲーム内でのアンネマリーとヴァレーリアの立ち位置だ。アンネマリーもヴァレーリアも派閥での争いにまるで関わっていなかった。
リリエンクローン家率いる第一王子派閥が圧倒していたせいというのもあるかも知れないが、今この立場から考えれば他家との関りが非常に少なかった気がする。あれは第一王子派閥には入れず、元第二王子派閥からも爪弾きにされ、公爵家として何も率いる事の出来ていない状態なのだろう。
あそこまでの状況になるわけでは無いと思うが、避けるべき未来として少し想像がついた気がする。
私は少しだけ深く呼吸をした後、ジーグルヴィック様の目を見てにこりと笑顔を作った。
「安心してくださいませ、ジーグルヴィック様。そのような事には私が決してさせません」
ジーグルヴィック様は私の言葉に対して笑顔で返してくれた。
アルドリック様はジーグルヴィック様様に、ヴァレーリアは文学の試験だけしないから文学が苦手なのだろうかとか、ヴァレーリアは遠回しに(好意を)伝えてもあまり伝わらない、とか色々話してます。




