第二王妃との出会い
第二王妃様が到着するまでの間、私は温泉に入ったりリッサに礼儀作法の復習をさせて貰ったりしつつ、ケルツェ温泉で働いている人達から話を聞いていた。
初めての事業なので報告はかなり頻繁に上げて貰っているが、それでも実際に聞いて回った現場の声はまた違うかも知れない。
情報機器の発達した前世でさえも、人を間に挟めばその者によって恣意的に情報が歪められることが日常茶飯事だった。ここに電話が通っているのであれば電話で聞けば済む話だが、そんな便利なものが無い以上は一度現地で確認したいと思っていたのだ。
しかし幸いケルツェ温泉の売り上げは報告通りかなり好調で、私の元に売り上げから結構な割合が入って来ているにもかかわらず大幅な黒字を更新し続けているようだ。
グミュール商会への出荷も恙なく行われ、今は施設の拡張に漕ぎ出そうとしているらしい。
ただ問題点は人手の不足で、温泉事業に人手が取られるせいで、元々行っていたピューズを始めとする農業に手が回らなくなりそうなのだとか。
農業はむしろ拡張したいくらいなので、これは由々しき問題と言える。早いうちにどうにか解決案を探さなければならない。
そうして私達がケルツェ温泉に着いてから五日後、第二王妃様達が到着された。どうやら火の魔術を使って強引に馬車を走らせてきたようで、かなり遠くの時点で奇妙な火の気配を察した私は最初何事かと思った。
到着した時には既に日も沈みかけており、形式上挨拶の打診はすぐにしたが第二王妃様も旅で疲れているという事で次の日の朝まで待ってから行う事となった。
第二王妃様が泊まっているのは前回私やアルドリック様が泊まった小屋と同じくらいの大きさで、一人用の小屋だ。
白く塗装された小屋には様々な装飾が彫ってあり、以前に止まった小屋に比べれば結構豪華な印象を受ける。ちなみに私が泊まっているのも色や装飾の形は違えども似たような小屋である。
私は先触れを出した後リッサを伴って、日の光を雪がきらきらと反射する中を歩いて第二王妃様のいる小屋へと向かう。
王族に合うのはアルドリック様を含めれば二度目だが、あれはアルドリック様がちょっと常識外れな訪問の仕方をしてきたイレギュラーだ。
それにあの時はアルドリック様自身があまり礼儀作法に詳しいとは言えない状態だった、そう考えると失敗が許されない挨拶はこれが初めてと言えるかもしれない。
私の歩みに合わせて、外に待機していた従者が扉を開ける。
中に入ると内側にあるもう一つの扉が開き、それを潜れば第二王妃様が暖かくゆったりとした空気の中お茶を飲んでいた。
第二王妃様こと、ジーグルヴィック・クラインシュミット様は深緑の髪と目をしていて、編み込みを入れたとても長い髪を後ろに流していた。アルドリック様は優しそうで華やかな雰囲気だが、その母親である第二王妃様は周りの空気を締めるようなきりっとしたオーラを持っている。
しかしとても整った顔立ちは確かになんとなくアルドリック様と似たような部分を感じさせる。今は濃い茶色のスマートなドレスを着ているが、男装をしてもとても似合うのではないかと思う。
……あれ? 私どこかでジーグルヴィック様を見た事があったかしら……?
間違いなく初対面だとは思うが、なんとなくどこかで見た覚えがある気がする、そうなると恐らくはゲームの中だとは思うのだが、アルドリック様の母親はゲーム内に登場してこない筈だ。ただの気のせいだろうか。
少し胸に疑問に抱きながら私はゆっくりと歩を進め、第二王妃様がこちらを視界に捉えたのを確認してから跪いた。
「お初にお目にかかります、ジーグルヴィック様。レーヴェレンツ公爵の娘、ヴァレーリアと申します」
「顔を上げなさい」
凛とした良く通る声に私は顔を上げて挨拶を続けた。最近何度か受ける側で行っていた定型通りのやり取りをこなしていると、ふとジーグルヴィック様の後ろにいた人物に気が付いた。いや、気が付いてしまった。
……ルーペアト! え、手を振ってる? 何かの見間違いかしら、第二王妃様の目の前でそんな事普通するの?
そう、なんとルーペアトがジーグルヴィック様の後ろに立っていて、しかもこちらが存在に気付いたと分かると手をひらひらと振ってきたのだ。
言うまでもないが、普通少しでもまともに礼儀作法を考える者であれば挨拶中に挨拶をしている人の後ろから手を振ってきたりはしない。
私は危うくジーグルヴィック様から挨拶を返されている途中で頬が引きつりそうになりながらもなんとか耐え、無事にジーグルヴィック様に席を勧めて貰えた。
……ううん、ルーペアト先生なんて無視無視、今はジーグルヴィック様に集中しないと。
「ここで頂いたお茶を飲んで驚いたわ、まるで果実のような香りと思ったのだけれど、本当に果実から作っているのですって?」
私がルーペアトから意識を振り払っているとジーグルヴィック様から話しを振られた。私は今日の為に先行してピューズティーと砂糖をまぶしたピューズピールを出して貰っている。私が部屋についてからも何度か口に運んでいる様子からしても、美味しく飲んで頂けているようだ。
その他のハーブティーも滞在中になるべく楽しめるように仕込んでいるので、とても楽しんで貰えるはずだ。私もにこりと笑顔を作って答える。
「はい、本日は用意させて頂きましたのはレーヴェレンツ領の特産でもあるピューズを使ったお茶でございます。他にも今までに無いお茶を複数用意させて頂いておりますので、どうかお帰りになられるまでじっくりとお楽しみ頂きたく存じ上げます」
「まぁ、それはとても楽しみね」
ふふっとジーグルヴィック様が上品に笑った。しかし最初からずっと笑顔を見せてはいるが本心から笑っているわけでは無く、あくまで会話の一部として笑って見せているだけだ。
軽く話を切られた今が現在不機嫌なのか、上機嫌なのかすら笑顔の下に完璧に隠されていて見えない。しかしそれに怯えていても仕方がないだろう。
こういった場で何も喋れず場を動かさないのは自身の無能を証明しているだけとリッサも言っていた。その為にこの場で切ることの出来るカードを複数用意してきているのだ。
「ところで、王妃様は既にケルツェ温泉には入って頂けましたでしょうか。この寒い星空の下で入る温泉は格別のものと自負しております。もっとも今の季節にケルツェ温泉来る事が出来る方自体が稀少でしょうけれど」
なるべく無邪気な笑顔を作って今の温泉の稀少性を伝える。実際、この何日かの間に入った温泉はとても素晴らしかった。前世よりも更に温泉が好きになった気がして、もしかしたら中身の年齢的に歳を取った印なのだろうかと少し心配になったが、それはさておき病みつきになるようなものだったのは事実だ。
「えぇ、昨日の夜に楽しませて貰ったわ、アルドリックが言っていた通り確かに身体の疲れが取れるように感じるお風呂ね。城で話題になるのも納得する素晴らしいお湯ね」
そう言ってまた上品に笑う。感情が籠っているのかわからない笑顔とは言え、第二王妃様からそこまで褒めて貰えるとは思っておらず、私は自分の顔に少し朱が差したのが分かった。
「ありがとうございます。王妃様にそのような言葉を頂けるなど、余りに望外の光栄にございます」
第二王妃様ともなれば、その派閥の流行を司っていると言っても過言ではない。その第二王妃様本人に話題になるのも納得がいくほど素晴らしいとまで言って貰えたのだ。その発起人としてこれほど嬉しいことは無いだろう。
私が少し舞い上がってしまっていると、ジーグルヴィック様が一口ピューズティーを飲んでカップを置き、静かに口を開いた。
「本当に素晴らしかったわ、このピューズティーやお菓子も含めてね」
何でもないその静かな言葉で、部屋の空気が確かに変わった。和やかなお茶会から緊張感溢れる会議に、優しいアルドリック様の母親から第一王子派閥の指導者へ。ぴりりと肌に空気が刺さるような緊張を感じて思わず背筋が一層伸びる。
「ルーペアト人払いをして貰えるかしら」
本当の話はここから始まるようだ。




