魔術の免許皆伝
エッセンシャルオイル作成の方法がわかったものの、肝心の器具が失われた。
今度は温度差や耐久面に強いガラスで作成する為、私はグミュール商会を通じて発注しようとしたのだが、希望する大きさはでの見積もりがあまりにも高額になりひとまずエッセンシャルオイルの作成は保留となってしまった。
今は既にハーブ園と果樹園を増やす為の下準備にもお金を使い始めている、こちらは途中で止める事が出来ないので、気が付けば結構綱渡りで進むことになっていたのだ。
この状況で他の大きな買い物に予算は割けない。エッセンシャルオイルがあれば出来る事も広がるが、金銭的に余裕が出来るまでは我慢する他なさそうだ。
グミュール商会はハーブティーと温泉の素を冬頃から売り出すらしいので、しばらくすれば少しは懐も温かくなるだろう。
降雪によって暇を持て余しがちな季節に目新しいお茶、そして身体が芯から温まる入浴剤となれば、売れないわけが無い。非常に上手いタイミングだと思う。
また、夏の中頃に手紙でラインハートが教えてくれた情報によると、秋から冬の初めにかけてケルツェ温泉に行く予定を立てている貴族が多いらしい。
春先は余程フットワークの軽い貴族でなければいけなかっただろうし、夏のこの時期に熱い温泉に入りたいと思う者も少ない。冬に温泉まで出向いて帰れなくなることを考えると秋が一番の稼ぎ時となりそうだ。
富豪と、客単価が高い貴族がいままでぽつぽつと来ていただけでもかなりの収入になったのだ。多くの貴族が訪れるとなればかなりの儲けとなるだろう。
ラインハートは遠回しな書き方で、伝え広がっている温泉の素晴らしさが虚構のものならば今のうちに手を打たないと取り返しのつかないことになるが大丈夫か、と警告しているようでもあったが、温泉の良さは本当だ。意図的に悪評でも流されない限りは大丈夫だろう。
そして第二王子であるアルドリック様が噂を広げるのに一役買っている以上、表立って悪い噂を流すのも難しいのではないかと思う。
そのアルドリック様は最近また一段と真剣な表情で試験に向かっている。前世の貯金が無い地理や歴史辺りはそろそろ油断していると負けるかも知れない。
その姿をみると、私も最近色々と手を広げているからといって勉強から気を抜くわけにはいかないと強く感じる。
ラインハートはアルドリック様がもし王座の争奪戦に敗北したならば、と約束してくれた。それでもアルドリック様が王になる事を望む限り、私はそれを応援するつもりだ。その為にも成績面でアルドリック様の前に立ち引っ張っていきたい。
◇
秋も深まり肌寒い日が増えて来た頃、私はリッサと一緒に地下にある魔術の訓練場へと向かっていた。
先日ようやく完成して、やっと手に入った待望のアイテム。ライターを試すためである。
注文から約二年、燃料を届けてから計算しても一年半と本当に長くかかったが、細かい機構が随分と難しかったらしいのと、火花が出る部分の材料を色々と試す事に時間を取られていたらしい。
何はともあれこだわりが強いという鍛冶職人のジェイが、しっかりと満足いく仕上がりになったのであれば構わない。私は口止め料もこみで予定していた代金をしっかり払っておいた。
地下は相変わらずとても寒い。普段私はコントロールを重視した小規模な魔術の訓練ばかりを行うので、わざわざ地下に降りたりはしない。こんな寒い場所に来ているのには理由がある。
一番下まで階段を降りて扉を開くと、広くて薄暗い地下訓練場にいつの日か見た覚えのある火達磨が立っていた。
「ルーペアト先生、ごきげんよう」
私が声を掛けると火達磨がくるりとこちらを振り向き、三年ぶりに聞いたどこか間延びする声で火達磨が答える。
「あぁヴァレーリア嬢、こんにちは。しばらく見ないうちに随分と大きくなりましたね」
この男、これでも本当に貴族なのだろうかとちょっと不安になるほど砕けた挨拶だ。初対面からそうだったが。
そう、今日は本当に久しぶりにルーペアトがレーヴェレンツ邸を訪れて魔術を見てくれるというので、折角だからライターの納品を急いで貰って持ってきたのだ。
「ルーペアト先生、その格好はどうにかなりませんか? 以前と違いまだそこまで寒くもないでしょう?」
「いいや、とっても寒いよ。少なくとも僕はすごく寒い。冬場のここは人が死ぬ寒さだけど、今も十分死にかける寒さだよ」
私が落ち着かないのでやめて欲しいと以前も言った気がするが、ルーペアトは真剣な目で大袈裟な事を言っている。確かにこの地下訓練場が異常に寒いのは事実ではあるが、それで死ぬなら私もリッサも立っていない。
出来れば自主的に普通の格好に戻って欲しかったのだが、ルーペアトがひっしと炎を掻き抱くようにしているので、強引にやめてもらう事にした。
私は小さくため息をついてからルーペアトが纏っている火の支配をその場で奪い、そのまま消した。今の私は声が届くくらいの距離であれば、三年前のようにいちいち手を伸ばしたりしなくてもそのまま自由に出来る。
同じ火属性の魔術であるならば、黒に程近い赤の目を持った私が一方的に相手の火を操れる。ルーペアトの操る火を私は奪えるが、私の操る火をルーペアトは奪えない。ゲームのくろささでラインハートが”ヴァレーリア”に負けていた理由もこれだ。
ルーペアトは突然纏っていた火が消えた事に驚いた顔をした後、温度差にぶるぶると震え始め、恨みがましい目でこちらを見てきた。
「寒い……! 酷いよヴァレーリア嬢! うぅ、そのうち僕の火も奪えるようになるかもって前会った時も思ってたけど、まさかこんなに早いなんて、僕の火を奪われるなんて本当に久しぶりだよ」
「酷くありません。そんなことより早く魔術の訓練を始めましょう」
うじうじと言っているルーペアトを冷たく一蹴して私は訓練場の奥へと進む、私は早くライターを使ってみたいのだ。
すたすたと歩く私にやや遅れて、ルーペアトも付いてきた。前に訓練した時と同じ中心まで着くと、私は持ってきた袋からライターを出す。
「うん? ヴァレーリア嬢それは?」
「これは先日完成したばかりの火をおこす道具です。今日初めて使うのでまだ上手くいくかはわかりませんが、ちゃんと動作すれば私の弱点を解消できるはずです」
ジェイが二年かけて作り出したライターは、私の知っているライターとはまるで異なる形をしていた。
確か火が付くのであれば形などはそのままでなくても良いとは言ったが、ここまで違うとは正直思っていなかった。
ライターはぱっと見で言うと、少し大きい鉄製の蓋つきマグカップのようだ。マグカップの取っ手部分には引き金のように手を差し込んで引くギミックがあり、手紙にはそこを勢いよく引けば上部から火が出ると書いてあった。
私はさっそくコップ型ライターを持つ、取っ手部分だけは磨いた木製だが、他は鉄製の為結構ずっしりと重い。そのままライターを真っ直ぐ上に向け、取って部分の引き金を思い切り引いた。
その瞬間カップの蓋の半分が引いた勢いのままガシャンとずれ、下からボッと火が付いた。
「おぉ、すごく簡単に火が付いたね」
ちょっと感心した風にルーペアトが言う、なんとなく心が籠っていないのは、普通の火の魔術師であればなんの道具も使わずに当たり前に火を出せるからだろう。
しかし私にとってこの道具は非常に大きな意味を持つのだ。私がライターの引き金の力を緩めると、開いていた上半分がカシャンと元に戻り、火も消えた。
何度か私はカシャンカシャンとつけたり消したりをしたが、手紙に書いてあった通り横や下に向けても点くし、着けて消してを素早くやってもしっかりと点いた。
これならいざという時にも困らないだろう。ただ、このコップ型ライター自体がそこそこ大きい、コップなら四百ミリリットルくらいは入りそうな大きさなので、その点だけがやや不安だろうか。
一先ずライターの出来栄えに満足した私はルーペアトに向き直って尋ねた。
「さぁ、見ての通り火を生み出せない弱点は克服しました。ルーペアト先生もここに来られたという事は何かしらの課題があるのでしょう? どういったものですか?」
「あー……課題ね、うん。前の授業からしばらくたってさぼってたりしてないかなって思ったんだけど、僕から火を奪える程なら特に何も心配する必要もなさそうなんだよね」
ルーペアトはそういって少し困ったように頭を掻いた。褒めてもらうのは嬉しいが、ここまで準備してそれでは意気込んできたこちらが馬鹿みたいではないか。もうちょっと何かないのだろうか。
「そういって頂けるのはありがたいですが、他に何か訓練する事はありませんか? 私も一人で練習をしていますけれど、やはり指導して頂ける人がいないとあっているのか不安でもありますし」
なんとなくゲームや漫画で見たような炎の動きをしてみたり、リッサが水でやっていた動きをまねてみたりと自分なりの練習はしてきたが、何が正解かわからない中で進むのはやはり心細い。この方法であっていると道を照らしてくれる教師が魔術においても欲しいとこの三年間ずっと思っていた。
そういうとルーペアトは少し首を捻って考えた後、少し苦笑をしながら答えた。
「多分これ以上の事を習わなくても学園卒業レベルには到達する気がするけど、ヴァレーリア嬢が望むならいいか。それじゃあ僕が作る火をそっくりまねるようにして大きさや形や熱さを変えてみて」
「はい」
そう言ってルーペアトは火を頭上で大きな円形に変えた。私がライターから出した火を使ってそっくりそれに合わせると、円を捻じれさせたり、細くしたり、四角に変えたりと次々に形を変えた。
かと思うと次は小さくし、細いロープに、針に、コインに、球にと変えて見せる。私もワンテンポ遅れてそれぞれに形を変える。
暫くの間子供の遊びのようにも大道芸にも見えるそんな事をし、その後は目を瞑って火を感知したり、ルーペアトの火を奪ったり、逆にルーペアトに火を奪われないようにしたりと、そうこうやっていると不意にルーペアトは息を吐いて火を消した。
「もう十分だよ、ヴァレーリア嬢は十分過ぎるくらいに火のコントロールが出来てる。この腕を維持できれば火の魔術師として一流って言えると思うよ。……コントロールに関しては」
「ありがとうございます。ルーペアト先生」
その言葉は免許皆伝という意味であるのと同時に、私が本当に一流と呼ばれる事は無いことを意味している。私はどうやっても生み出す方の魔術が使えない。道具で補っても、生み出す方と操る方両方が行える魔術師からすれば邪道なのだ。
片方どちらかしか使えない魔術師が一流として認められることは無いとリッサが言っていた。それに関しては少し残念だが、ライターと合わせて襲撃から守れるなら私はそれで構わない。
そう思っていると、ルーペアトが更に言葉を続けた。
「ヴァレーリア嬢、例えどれだけ魔術が強くても、僕たちは決して無敵なわけじゃない。……君のお爺さん、前レーヴェレンツ公爵や君の叔父さんは並ぶものがいない程強力な魔術師だったと聞いている。それでもふとした事で死んでしまうんだ。彼らに驕りがあったのかはわからないけど、ヴァレーリア嬢はくれぐれも僕の言葉を覚えておいてくれ」
そう言ったルーペアトはこちらの息が詰まる程真剣な表情をしていて、私は強力な魔術が使えるようになったと少し緩みかけていた気をしっかりと引き締めたのだった。
主に前半部分の内容で色々迷走して時間かかってしまいました……。
作中でヴァレーリアは気付いていませんけれど、多分ライターが下向きとか横向きとかで点くのって多分普通ないですよね。その辺りもジェイが頑張ってくれたところです。
ところでちゃんとコップ型ライターの形イメージ伝わりましたでしょうか……めっちゃ不安です。




