エッセンシャルオイルの作成
グミュール商会との交渉が終わってしばらく経ち、春から夏に近付いて来た頃、リッサ経由で注文していたガラス製のエッセンシャルオイル用器具が届いた。
設計図通り、閉じた上部から管が斜め下に真っ直ぐ伸び、下に置いたカップに注ぐことが出来る形だ。下の方の側部には返しの付いた空気穴もしっかり開いている。これなら中で蒸発した油や水は逃げ場を失って上の管からカップへと入るだろう。
それから数日後の夜、フォルピッシュをたくさん用意した私は早速エッセンシャルオイルの作成に取り掛かる。
自室で行うと匂いなどの関係で困るかもしれないので、念の為作業場所はお風呂場だ。
器具の大きさはレストランにありそうな寸胴鍋くらいだろうか。とても私一人では運べないサイズなので、メイド達にここまで運んで貰った。
「さて、上手く行くかはわからないけれど、オイルを蒸発させるのだからまずは私の火で炙ってみましょうか」
この器具も方法も私の乏しい知識を基にした想像の産物。前世の有識者がみれば鼻で笑われるような事をしているのかもしれないけれど、失敗を恥じるのもまずは失敗してからだ。
私は適当な大きさに切ったフォルピッシュをばらばらと器具の内側が半分埋まるくらいまで入れ、それから持ってきた火の温度を下げてから入れて蓋を閉めた。
私が操っている火ならフォルピッシュを燃やそうと私がしない限りフォルピッシュが燃えることは無い。これならきっと上手く行くと思うのだ。管の先にカップを置いて、少しずつ少しずつ火の温度を上げていき、わくわくしながら様子を見守った。
「あー……これは、そうね。それも、そうよね……」
私の想像では中から昇った蒸気が管で液体となり、コップに注がれる筈だった、そして実際蒸気が管を通るところまでは上手く行っていたのだが、そのまま湯気はコップに落ちる液体とはならず、ヤカンから蒸気が出るようにして下向きの管から立ち上っていった。
部屋にはとても甘く良い香りが広がっているが、広がるのではなく凝縮されて欲しいのだ。
「管を伸ばせば温度差で冷えるようなイメージでいたけれど、いくら差があると言っても室温じゃそこまで冷やすのは無理があったって事ね……」
なんとなく昔理科の実験で見た器具がこういう形をしていたので出来る気がしていたが、想像力が足りなかったようだ。
溜息を吐いた後、とりあえず私は火を止める。まずは水蒸気を冷やす方法を考えなければフォルピッシュが無駄になってしまう。
「水蒸気を冷やす……二重にした入れ物を管の先につけて、外側に冷えた水を入れるとか? それか管そのものを冷やす……そうね、何かを冷やすときに一番冷えるのは流水というし、リッサにお願いしてみましょうか」
火傷の時には流水で冷やすのが一番という話も聞くし、アイスコーヒーを作る時にも流水で冷やすのだ。毎回リッサにお願いするわけにもいかないので何かしらの方法を考える必要はあるが、まずはこの方法でエッセンシャルオイルが取れるのかどうかだけ知りたい。
私はお風呂場を出て、待機していたメイドにリッサを呼んでもらう。この時間帯はいつもなら私が部屋にいるので、リッサもそんなに忙しくしていないと思うが、一応忙しそうであれば来なくても平気とは伝えて貰う。
……今回はリッサにお願いするとしてもその先はどうしましょう。冬場なら氷で冷やせるかも知れないけれど。
どうしたものかと考えているうちに、お風呂場の扉が開いてリッサがやってくる。特に不満そうな雰囲気も無いが、リッサの場合表情がかなり読み難いので実は怒っているという事もあり得る。
「お嬢様がお呼びと伺いましたが、如何なさいましたか」
「忙しかったかしら? ごめんなさいね、少しリッサの力を借りたくて呼んで貰ったの」
そういってガラスの器具のところまで来て貰い、指さしながら説明する。
「ここにフォルピッシュがあるでしょう? これを熱する事でフォルピッシュの香りが凝縮された油分と水分を蒸発させて、管へと誘導しているの。そしてそれが管の部分で冷えれば、水と油が元の液体に戻ってここの容器に入るのだけれど、部屋の温度では液体に冷えるまではいかなくて。リッサ、ここの管の部分を流水で冷やして貰う事は出来るかしら」
こんな事で呼び出して怒られるかな、とも少しだけ思ったけれど、リッサは少し器具をじっと見た後、かしこまりましたと言って近くの水瓶からボーリングの玉くらいの量の水を引き寄せた。
そしてそのまま水は細いリング状に広がったかと思うと、縄をぐるぐると巻き付けるように管の周りに水が巻き付いていく。
その早業に目を瞬いていると、リッサがこともなげにお澄まし顔のまま口を開いた。
「このような形でよろしいでしょうか」
「え、えぇ。すごいわね、リッサ。ありがとう、もう少しそのままお願いね」
私は少しフォルピッシュを足し入れた後、同じように温度を下げた火を入れて、先程蒸気が出て来たくらいの温度まで火の温度を上げる。
これで管がちゃんと冷えれば、今度こそエッセンシャルオイルが手に入る筈だ。
蒸気が昇り、そして管の先からは……本当にほんの少しずつだが黄色い油と透明な水が流れ、コップに注がれた。
……やった!
「リッサ、成功したわ! ほら、これがフォルピッシュの香りが詰まった油、これが欲しかったの!」
私はつい興奮してはしゃいでしまったが、リッサは少し興味深そうにフォルピッシュのエッセンシャルオイルを見るだけだ。少しテンションが低すぎるのではないだろうか。
「こちらが植物油ですか、本当に出来るものなのですね。これも商品にされるのですか?」
「えぇ、私が乾かしたフォルピッシュをお風呂に入れていたように、この油をお風呂に入れても良い香りがするでしょうし、日常的に良い香りを纏う為に使ったり、部屋に香りを入れたり……あとはどの植物油が適しているかはわからないけれど、髪や体の手入れや虫よけに使える、かも知れないわ」
……問題はどれが身体や髪に良いかを調べる手段が無いという事と、量を集められるかどうかという事なのだけれど。
コップに目を向けると少しずつ油と水が注がれてはいるものの、本当に量が少ない。エッセンシャルオイルはコップの底に薄く層がある程度で、髪の手入れになんて使おうものなら一回分に足りるかどうかという量に見える。
これを販売するとなれば、ハーブも農園をかなり広げなければ量が足りなくなるだろう。何をするにしても元手が必要だ、しばらくすればグミュール商会から商品の販売も始まってお金も入ってくるだろうが、それが必要量に達するまでどれほどかかるだろうか。
先ほどまでの浮かれた気持ちから一転、私の心は一気に沈んでいった。
――パキリ
……そう、心にひびが入るような音が聞こえる程……ひびが入る?
ふっと音がした方、まだ動かしている最中の器具の方を見る。おや、と思った次の瞬間、パキンと音を立てて管の部分に大きな亀裂が走った。
「あぁ!」
おそらくはガラスが温度差に耐え切れなかったのであろう、無情にも私の目の前で新品の器具は文字通り音を立てて崩壊した。
そう、これもまた、当然と言えば当然ながら、この器具は耐熱ガラスで出来ているわけでは無い。前世では使う道具はその時点で用途に合わせた材質で出来ているのが当然であったが、ここではもちろん私が指定しなければいけなかった。
「お嬢様、用途を考えればより大きなものが必要となるでしょうし、次は割れない材質で注文いたしましょう」
哀しみに崩れ落ちる私に、リッサが慰めと言っていいのか微妙なラインの言葉を掛けてくる。内容としてはその通りなのだが、もうちょっと温かい言葉が欲しかったと私は思う。
「そうね……手伝ってくれてありがとう、リッサ。そうするわ」
少しガラスの破片が入ってしまったフォルピッシュオイルを見ながら私はうなだれる。
……二歩前進して一歩後退といったところかしら。
思わず深くため息を吐く。私がエッセンシャルオイルをしっかり手に入れられるのは、まだまだ先となりそうだった。
リッサさんはそこそこ忙しくしていました、費用計算とかやる事たくさんありますし。
でもヴァレーリア的にはアロマオイルは趣味の延長ですけれど、リッサさん的には領地の事業に関わる最重要事項になるので、そちらを手伝う事に文句なんてありません。
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