商談の結末と御礼
コードから商品を扱わせて欲しいという言葉を無事引き出したので、その後の交渉はこちらのペースでスムーズに進んだ。
私がリッサと一緒にたたき台として作った契約書を基にして詳細の提案をし、大まかな値段設定などをしていく。
この辺りもおおよそこの程度が妥当だろうというのは下調べしてある。コードが明らかにそこから外れた提案でも出さない限り、流れるように進む。
コードも争う時間は終わりと考えていたようで、想像以上にすんなりと契約まで話が進んだ。
この国で大きな契約をしたり許可をとったりする場合、一回につき三枚の特別な材質で出来た契約書に署名する。
お互いが書かれている内容が三枚とも全て同じだと確認した上で署名をし、その場で専用の液体を上から塗って改竄を防ぐ。液体には火や水で容易に滅失しないようにする効果もあるらしい。
契約書は契約者が一枚ずつ管理し、残りの一枚は国営の役所へと持って行くのだ。ちなみにハーブティーや温泉関連を製作する権利については既に提出済みである。
「……これで契約書は完成です。ヴァレーリア様、ご確認頂いてもよろしいでしょうか」
液体が渇いたのを確認して、コードが商人らしい笑顔で六枚の契約書をこちらに差し出す。私は受け取った契約書に少し光を反射させて、不自然な点が無いかを確認した。改竄防止の液体がしっかり掛かっていればフィルムを掛けたような光沢が出るので一目でわかる。
「えぇ、問題ありません。これで契約は締結ですね」
私も笑顔で契約書をコードに向けて机に置く。自然と肩の力が抜けたような気がする。
……無事に契約が出来てよかった。
今回の商品であれば優位に立てると思ってはいたが、それでも知らず知らずのうちに緊張はしていたようだ。こちらにとって最良と言える形で終えられたのは下調べを入念にしてくれたリッサのおかげだろう。
フォルピッシュティーを一口飲んで軽く息を吐いていると、コードからところで、とにこやかに声を掛けられた。
「こうして無事契約を結んで頂けてから聞くのも何ですが、何故グミュール商会を相手に選んで頂けたのでしょうか。この辺りですと他にも、例えばヘルフルト商会などの大きな商会があるでしょう?」
本来この場においてグミュール商会を相手に選んだ、などという言い方は相応しくない。
何故なら建前上ヴァレーリアはパーペンロート伯爵に会いに来たついでに、その場にいたグミュール商会を相手にしただけなのだから。
貴族としての建前を無視しての言い方は、単なるミスか腹を割って話したいという意味か、或いは……
私はちらりとウィノラ様の方を見るが、彼女はフォルピッシュティーが気に入ったらしくお代わりを飲んでいてこちらに気付いていない。
「確かにヘルフルト商会は様々な方法で儲けを出しているようですが、それだけ多くの噂も聞くでしょう? コード様もご存じなのではないですか?」
私が少し苦笑しながら答えると、コードは疲れたように溜息を吐いてから、先程までの笑顔を引っ込め真剣な顔になって私を見た。
「そうですね。……まさか娘を助けてくださった方がレーヴェレンツ公爵家の方とは思いませんでした」
そう言ってコードは長椅子から立ち上がると、挨拶をした時のように私の前に跪いた。
「ヴァレーリア様、改めてお礼申し上げます。ヴァレーリア様の助力が無ければ間違いなくグミュール商会には大きな損害が出ていたでしょう」
コードがそう言った事でウィノラ様も慌てたように長椅子から降りてコードの隣に跪く。
「顔を上げてください、コード様、ウィノラ様。私は偶然居合わせて字を読んだだけです、そう大仰に感謝される程の事ではありません」
実際本当にたいしたことではない。契約書もあの日あの場に居た商人ならだれでも読めただろうし、私はちょっと面倒な契約を読んで、悪質な商人を少し咎めただけだ。私の声に顔を上げたコードはなおも言い募る。
「それだけの事をなんの見返りもなくしてくださる方がどれだけいるでしょうか。事実、ウィノラは貴方様が助けてくださるまで周りの人は皆一様に見て見ぬふりをしていたと言っておりました」
「私が声を掛けたからそれ以上誰も声を掛けなかっただけでしょう。……何にせよ、字を読んだだけでそこまでされては私も些か居心地が良くありません。どうか椅子に掛けてくださいませ」
そう言ってコードとウィノラ様を長椅子に座らせる。なにせここに来てウィノラ様を見るまで私自身忘れていた程度の話である。
それに最悪の場合こちらが恩を売る為に手を回した自作自演だったなんて思われる可能性もあるので、この件については触れないでおくつもりだった。
「それにしても私だとよく気付かれましたね、ヘルフルト商会では平民に見えるよう装っていたのですけれど」
ウィノラ様が口を開こうかどうしようか迷っているような空気を出していたが、私はこれ以上同じようなやりとりを続けるのが嫌で、話を変える為に私はそんな風に切り出した。
コードが伯爵の夫としての立場では無く、ウィノラ様の父親、グミュール商会の主として話し始めた時点で、回りくどい表現に拘る必要はなくなった。こちらも直球で聞いてしまっても良いだろう。
「ウィノラより、ウィノラと同じくらいの歳にもかかわらず非常に聡明だったという話と、容姿については聞いていましたから。眼鏡を掛けていたとも聞いていたので、リッサ様を連れて来られたヴァレーリア様の姿を見てもしやと思ったのですよ」
この言い方からするにおそらくリッサの持っていた目の色を誤魔化す眼鏡はグミュール商会からの伝手で調達してもらったものだったのだろう。確かにそれなら納得だ。
「ヴァレーリア様」
不意にパーペンロート女伯からゆったりと声を掛けられる。
笑顔ではあるものの、目だけはとても真剣な色をしていて自然と身が引き締まる。
「ウィノラがお世話になった事、私からも感謝申し上げます。当家としても、また夫のグミュール商会としても、ヴァレーリア様には最大限協力させて頂きますわ。……その上で、これからもどうかウィノラをよろしくお願いします。この子も苦労の多い道になるでしょうから」
そう言って、首を傾げているウィノラ様を見たパーペンロート女伯の心配そうな表情からは母親の愛情が満ちていて、私の胸に痛みが走る程だった。
ウィノラ様が苦労の多い道になるというのはその紫の目と髪の事だろう。この世界で赤や青の髪は普通でも、紫は普通ではない。彼女もまた、リッサと同じように二種類の属性が混ざっている子なのだ。
その上眼鏡を掛けたりして目を隠してしまえば誤魔化せるリッサと違って、遠目からでもウィノラは目立つ。
リッサと親しかったというパーペンロート女伯だからこそ、娘の事が心配でたまらないのだろう。
……それは、歳の近い私に公爵家としてウィノラ様を庇護して欲しいってことかしら。ちょっと安易に答えて良い事じゃない気がするけれど。
私はしばしの逡巡の後、パーペンロート女伯に向かって静かに答えた。
「えぇ、レーヴェレンツ公爵家として私は恥じる事の無い行動をとるつもりです。ですが、そこにパーペンロート伯爵家やグミュール商会の助力は関係ありません」
もしもウィノラ様が周りからのけ者にされるようであれば、それを助けてあげたいとは思う。しかしその時に損得勘定から助けたと思われるのは、パーペンロート伯爵家から頼まれていなければ私ものけ者にする側に回っていたと思われるようで、はっきりいって嫌だ。
私はそんなつもりでウィノラ様を助けたわけでは無い、私の感情も行動も私だけのものだ。
パーペンロート女伯は私の答えに少し驚いたように瞬きをした後、微笑んで口を開いた。
「なるほど、申し訳ございません、失礼致しました。けれど、当家とグミュール商会が協力させて頂くというのは撤回するつもりはございません。ヴァレーリア様がいらっしゃるなら赤き賢者様の時代のようになりそうですから」
そういってパーペンロート女伯はくすりと笑う。赤き賢者というのは亡くなった私の祖父が呼ばれていた異名らしい、色々と多才な人で、宰相も務めて国の中心人物となっていたようだ。そんな人と比べられても少し困るけれど、と思いつつ私は微笑んで応じる。
協力に関して明言してくれるのは素直にありがたい話だ。これからも私はピューズ湯やエッセンシャルオイルなどを売る可能性が高い。その時にすんなりとグミュール商会が応じてくれれば非常にやりやすい。
それからは世間話として城での噂の話、ハーブティーやティーバッグの話をして、その日はお開きとなった。
ウィノラ様との再会は、こうして本人と挨拶以外の言葉を交えることなく終わってしまった。
前回の閑話と今回の話絶対順番逆にするべきだったなって思いました。
ウィノラ様の話を早く書きたくてつい……。




