初めての商談
「ヴァレーリア様を当家に招待させて頂けるなど思っておりませんでしたから、こちらで用意したものがお口に合うとよろしいのですけれど」
後から来た二人が座った後、おっとりとした口調でパーペンロート女伯から紅茶と茶菓子を勧められた。薄い海老色の紅茶と、表面に光沢のある小さなクッキーのような焼き菓子だ。私は微笑んで御礼を言い、メイドが毒味を終えてからそれを頂く。
先に一口飲んだ紅茶は熟れた蜜林檎のような深い香りがし、苦みも強い。苦いのが苦手な人なら砂糖を入れるような味だが、私は結構好きだ。
……この紅茶は確かビルモニの秋摘みね。これがストレートで出されるのならこっちは相当甘いのかしら?
そう考えながら次いで口に入れたクッキーのようなものは、小さいもののかなり脂っこく、砂糖が塗られているのも合わさって非常に喉が渇く味だ。
もし美味しいかと聞かれたなら好みによりますねとぼかしたくなる感じである。
私はたまらずもう一口紅茶に手を伸ばす。甘さや油っこさも富の象徴の一つだ、お持て成しのお菓子としてはかなり上のものなので、私は満足しましたという笑顔を作る。
……次からはもっと余裕を持ってスケジュールを建てるか、招待する事にしましょう。
「とても美味しい紅茶ですね。今の時期に秋摘みのビルモニを味わえるとは思いませんでした」
私の言葉に対してパーペンロート女伯は柔らかく微笑む。
ビルモニは国内でも南の方で作られているお茶だ。秋に摘んだものを雪が解けたばかりの今味わう為には通常のルートを使っていては難しい。
それにハーブティーを売る為に調べたが、ビルモニは確か去年品薄になっていた筈だ。
僅か数年で大商会に匹敵しかねない規模へと成長したグミュール商会、その能力の片鱗が見えた気がする。
形式上パーペンロート女伯が場を仕切る形で始まったが、今回用があるのはグミュール商会の主、コードの方だ。私は同席しているだけでまだ話に全く入ってこないコードをちらりとみる。
コードは線の細く優しそうな青年で、パーペンロート女伯の一つ年下の平民という話だ。少し長めの細い髪を後ろにまとめていて、一家の大黒柱というよりは優し気なお兄さんといった方が似合う。
しかしリッサの資料通りなら彼は一代でパーペンロート領の他の店を吸収しながら商会を大きくし、今も最前線でその辣腕を振るっている、生き馬の目を抜くような人物だ。見た目で侮ってはならない。
彼は婿入りしたと言っても平民の出だ。私は中身が中身なので気にしないが、貴族によっては平民出の者が貴族同士の話に入ってくるのを嫌がるので、話を振られるまで置物に甘んじているのだろう。
コードは落ち着いた様子でゆっくりと茶菓子を摘まんでいる。彼にとってこのような状態が日常茶飯事なのだと伺える。
社交を目的とした場であればもう少し場を温める為の話題を出し、社交辞令として誉め言葉の応酬をするが、あくまで今回は商談に顔つなぎをくっつけただけのものだ。
紅茶を置いてコードの方を見た後、本題を出すためにパーペンロート女伯に向き直って口を開く。
「折角誼を結ぶ事が出来ましたので、今日はこれからレーヴェレンツ領より広げる特産品を持ってきております。リッサ、お願い」
「はい」
リッサに袋に入った温泉の素の現物と薄い布製のティーバッグに入ったハーブティー、そしてそれらについて記載してある簡単な資料を出して貰った。
場の空気が一段階締まったように感じる。ウィノラ様だけは落ち着かない様子でこちらを見たり両親をみたりしていたが。
資料にハーブティーの中身に関しては書いていない。ハーブティーの作り方自体は至極簡単なので、茶葉が何か分かればそれだけで作れてしまう可能性が高い。
その為、契約を結び終えるまで教えるわけにはいかないのだ。
「詳細についてはおおよそ資料に記載してありますが、こちらは第二王子アルドリック様も絶賛してくださった温泉をそれぞれの屋敷でも楽しめるようにしたものと、今までにない新しいお茶です」
「まぁ、こちらが噂の温泉ですか? 確かフォルスト伯爵が買い占めようとしたとか」
パーペンロート女伯がゆっくりとした口調で驚いたように言って、物珍しそうに温泉の素が入った袋を見る。
……私の所にはそんな話聞いてないけれど、フォルスト伯爵って確かお父様の友人だったような? 温泉の素を買い占めようとなんてしたらとんでもない散財になる気がするけれど。
トラブルとして私の元に情報が入って来ていないのであればおそらく買い占められはしなかったのであろう、そもそも一日の販売量を決めている上に原料は採り切れない程あるので問題にはならない筈だ。
「はい、今もこちらはケルツェ温泉で非常に良い売れ行きを誇っているのですが、現地で売るだけではどうしても買える方が限られますから、商会にて広く販売して頂きたいと思っているのです」
にっこりと営業スマイルを作りながら語る。グミュール商会の販売網は先制して言外に語られたが、こちらも安く買い叩かれるわけにはいかない。
私は必ずしもグミュール商会に拘っていない、満足のいく契約が結べなければ他に回す事も出来るのだ。
「まぁ、素晴らしいですね。恐れ入りますが私の夫が商会を経営しておりますので、相談に乗らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「それはありがたいお話ですね、是非お願い致します」
パーペンロート女伯はゆったりとした笑顔のままそう言って、コードの方を見る。最初からこれが本題なのだとお互い分かり切っているので茶番じみた流れだが、これも作法だ。
話を振られたコードは慣れた様子でにこりと笑ってこちらを見る。
「ありがとうございます、ヴァレーリア様。こちらの資料を読ませて頂いても?」
「えぇ、勿論です。それとパーペンロート伯爵、不躾ですがこちらのお茶を淹れて頂いてもよろしいでしょうか」
温泉は噂が広がっているので売れ行きの裏付けに問題はないが、まだどこにも出していないお茶は飲んで貰わなければ信用を勝ち取れない。今日持ってきているのはフォルピッシュとブルムレイラ、メルジソーラだ。今回はフォルピッシュを淹れて貰う。
パーペンロート女伯が快く了承してくれたので、パーペンロート家のメイドに私が連れてきたメイドを一人連れて行ってもらう。ティーバッグでの淹れ方を教える為と、勝手に中身を見られない為だ。
コードは笑顔のまま資料に目を通している。材料や売り上げなどの読まれて困る内容は書いていないが、それでも判断できるだけの情報は入れたつもりだ。
資料を流し読んだコードはそっと机に資料を置き、笑顔を崩さないままに話し始めた。
「噂の温泉の話は私の耳にも届いております。曰く疲労に効く、皮膚病に効く、虚弱に効く、腹痛に効くなどなど、まるで霊薬が如き風呂だとか」
「えぇ、そのような効果も出るでしょう。しかし私は現地の者に身体が良く温まる以外の効能は個人差があるので明言しないよう言ってあります。もしそのような噂が広まっているのであれば、紛れもなく真実それらの効果が出た者の言葉でしょう」
私も笑顔で打ち返す。温泉事業の相手は貴族なのだ、なにそれに効くと断言してそれが効かなかったならどんな面倒が起こるかわからない。
レーヴェレンツ公爵家の名前が効いてスタッフに危害が加わらないとしても、私とレーヴェレンツ公爵家の名前に傷が付く事にはなるのだから。
「なるほど、しかし今は流行の最先端として多くの方に求められておりますが、これだけ高いものですから長く求め続けるのは難しいのでしょう。せめて富豪程度でも継続的に手が出せる値段であればまた違ってくるのですが……」
そういってコードは悩ましいという雰囲気で苦笑して見せるが、これは偽りだ。私は無邪気な笑顔を作って提案をばっさりと捨てる。
「あら、個人差はありますけれど、ただの流行として廃れない程に温泉の効果はあります。一度実感した方やケルツェ温泉に来られた方であれば二度三度欲しくなります。そしてコード様の耳にも届いておられるように特定の病の治癒を実感した方であれば、もっと継続して必要とされるでしょう? そういう方が躊躇う程の値段ではありません」
グミュール商会で売る際には私から仕入れた価格よりも値段を吊り上げなければ利益にならない。なるべく私の提示する値段を下げさせたかったのだろうが、そこまで簡単に誤魔化される程ちょろくはない。
温泉の素がぼったくりであることは紛れもない事実だが、貴族ならちょっとした贅沢品として継続して買える程度だ。
しかしコードもただでは折れない。立地が、採掘量が、運搬費がなどなど優しそうな顔をして親戚の心配でもするかのような丁寧さで攻めてくる。
けれど私もリッサと相談して計算を終えているのだ。その上で採算が十二分に出る事が分かっている。こちらも少女としての笑顔を保ったままコードの言葉を切り捨てる。
笑顔でコードとお話し合いという名の戦いを続けていると、メイドがピューズティーを入れて来てくれた。
紅茶とは違って薄紫色のお茶にパーペンロート女伯は少し面白がるような目をしている。
「こちらのお茶は従来のお茶とは違った製法で作られています。今までよりも手間が掛からず容易で、それでいて味は負けておりません」
そう言ってフォルピッシュティーを飲むと、リラックス出来る少しすーっとした甘い花の香りが広がった。いつものリッサの味よりは少し劣る気がしたが、それでも十分と言える出来だ。
「これは……美味しいですけれど、今までに飲んだ事の無い香りですね」
パーペンロート女伯は驚いたようにフォルピッシュティーを見つめている。元々は料理に使うものなのでどこかで香りの片鱗くらいは感じているのではないかと思うが、それがこれだとは思い至らないのであろう。
コードも笑顔を固めたままフォルピッシュティーを味わっている。その表情の変化に私は勝利を確信した。
「今日持参した他のお茶もそれぞれ今までの物とはまるで違った個性を持っています。これを広める事はお茶会に今まで以上の選択肢を加える事になるでしょう」
お茶の味が違うという事は当然合う菓子も違う。これらのハーブティーをそれぞれに合う菓子と共に広げる利益がどれほどになるかは、コードが一番良く分かっているだろう。
彼が笑顔のまま少し視線が落として固まっているのは頭の中で算盤が弾かれているからだ。
そしてコードは一度目を閉じて俯いた後、もう一度顔を上げると、悔しそうな、或いはとても嬉しそうな笑顔で口を開いた。
「ヴァレーリア様、グミュール商会にてどうかこれらの商品を取り扱わせて頂けないでしょうか」
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