ピューズの皮の使い道
次の日の夜、私は早速アロマオイルを作る為に設計図を描いた。
硝子製の大きな入れ物で、上部から管が伸びて、隣に置いたビンなどに注げるようにしてある形だ。
本当は大きいものが欲しい所だが、今回は初めての試みというのもあって大きなテーブルに載る程度のサイズにしてある。
この世界の硝子細工師が細かいものを作れるのかは分からないが、まずは聞いてみない事には話が進まない。
「リッサ、少し特殊な硝子の容器を注文したいのだけれど、前に鍛冶工房に行った時のように手配をお願いしても良いかしら」
「かしこまりました。ですがお嬢様が直接向かわれるのであれば、春までお待ちいただく必要がございます。お嬢様は設計図を送るだけにしては如何でしょうか」
リッサは咎めるようなじと目で私を見る。多分だが、私が注文にかこつけて街に行きたいとも思っているのがバレている気がする。いや、もしかすると前回ベアノンに見て回りたいと言った事が報告されていたのだろうか。
実際鍛冶工房では思っていたよりあっさり話が済んだし、連絡事項も言伝で足りる程度だった。同じような様子なら硝子工房も確認事項をメモとして渡しておけば済んでしまうだろう。
ちょっと残念に思うが仕方ないと、私は少しだけ拗ねた気持ちになりながら口を開いた。
「わかったわ、硝子工房には設計図と手紙を送って頂戴。他に漏れ出るととても困る情報だから、くれぐれも信用できる伝手を使ってね」
「かしこまりました」
何か良い理由がないかなとも少しだけ考えたが、特に粘れる程の案も出てこなかったので諦めた。それほどどうしてもと思っていたわけでも無いのだ。
私は注意事項や聞きたい事を書いて、設計図と一緒にリッサへと渡した。
この季節なので納品は遅くなるだろうが、ライターと違って特別な材料がいるものでは無いので、技術的に作成が可能なら遅くても夏までには出来るだろう。
……欲しい物が注文一つで次の日にでも届いていた前世が懐かしいわ。
アロマオイル一つにしても、材料から器具から全部用意する必要がある今と比べてしまい、つい乾いた笑いと溜息が出てしまった。
それから十日程経った吹雪の日、訓練を休むことになった私はピューズオイルの作成をしてみようと厨房に向かった。
方法としては種から油を採るのと同じように、皮を潰して絞るというシンプルな方法だ。
最初は自分でやってみようと思っていたのだが、お嬢様にそんな事はさせられないと料理長に取り上げられてしまった。
今は傍で台に乗りながら料理長に指示を出している。邪魔になっているだけの気もするが折角なので私も見たい。
「そう、それですり潰した皮を目の細かい清潔な布に入れて絞って頂戴」
「かしこまりました。それにしてもお嬢様は本当に物知りですね、私は恥ずかしながらこのような方法初めて知りました」
料理長が荒くすり潰した皮を木べらで布に乗せながらそう言って笑い、私はぎくりと内心しながらもとりあえず微笑んで誤魔化した。
「少し思いついただけよ、それにこの方法で上手くいくかは分らないもの」
本で読んだだとか人に聞いただとか言えば紹介を求められるかもしれないし、料理長の顔を潰すかもしれない。
多少理屈に合わなくても子供の私が思いついた我が儘としておいた方が良いだろう。
「ふふ、そうでしたか。それでは上手く行くことを願って……」
料理長はそう言いながら空のボウルの上で布に入ったピューズをぎゅうっと絞った。ぼたぼたととても濃い色の液体がこぼれる。
……これは、ぱっと見スプラッタね。
私はもう少し半透明というか、澄んだ色の液体を想像していたのだが、真っ赤な液は明るい血の色だ。
ピューズの皮なのだから甘い香りになるかと思いきや、不思議な事にこちらの香りはだいぶ爽やかだ。
「お嬢様、これがピューズの油でしょうか」
「そうね、そのはずだけれど……」
私はスプーンで少し掬ってみるととてもサラサラとしていてオイルとは少し違う気がした。皮に含まれていた水分が多過ぎたのかも知れない。
……乾燥させた皮を絞った方がよかった? うぅん、乾燥していたら絞れるわけないよね。
思っていた通りにはいかなかったことに落胆する。オレンジオイルは絞れば出てくる、なんて浅はかな考えだったらしい。
「オイルとしては失敗ね。他の方法を考えないと駄目そう。時間を取らせてしまってごめんなさいね」
「いえいえ、私の事はお気になさらず。お嬢様もどうか気を落とさないでください」
他にもきっとやることがあっただろうに、手伝わせた料理長は笑顔で慰めてくれた。火を借りる時といい料理長は人が良い。
「オイルには使えないけれど、油汚れを落とすのには使えるかも知れないわ。ピューズに似た果実にそういう作用があるらしいだけでピューズにあるかわからないけれど、よければ試してみて」
せめて無駄手間にならないようにと私はピューズオイルもどきの使い道を教えた。オレンジオイルは洗剤に成分が入ったりするくらい有用だ。ピューズオイルもどきでも代用できるかもしれない。
「わかりました、ありがとうございます」
料理長は目を瞬かせたあと笑顔でそう答えると、片付けようとしていたピューズオイルもどきを置いて、それ以外の物を少しずつ片付け始めた。
これ以上私がここにいても邪魔なだけだろう、私は料理長に挨拶をして厨房を出た。
部屋に戻った私はメイドのミーナに淹れて貰った紅茶を飲みながらピューズオイルについて少し考えていた。
……絞るだけでも出来ると思ったのだけれど、こちらも器具の完成を待たないといけなさそうね。
皮を絞っただけのピューズオイルもどきは明らかに油以外の物が混ざっていた。よくよく考えれば新鮮な皮に水分が入っている事なんて当たり前だったと今更ながらに気付く。
……何か、分離させる方法があればいいのかしら。
水と油の分離といえば撹拌か遠心力によるものだろうか。しかしどちらにしてもここに機械は無い。やるなら人力だ。
……ビニール袋も無いから完全に密閉した、振り回しても大丈夫な容器を紐にってそんな容器ある?
ここには前世であった色々なものが無い。ゴムだとかビニールだとかプラスチックがあり触れていた前世とは前提条件が違う。
もしも作るならまた鍛冶工房に、なんてところまで考えて冷静になった。それならガラスの器具を待った方が早い。
無意味な思考を紅茶と一緒に飲み込んで、私は溜息を吐いた。
「あの、お嬢様」
ふっと声を掛けられた方を見ると、ミーナがおずおずと話しかけてきた。
「何かお悩みでしょうか、私ではリッサさ……リッサには及びませんが何かお手伝い出来る事はないでしょうか」
普段私が訓練をしているこの時間、リッサは別の用事を片付けている。
ミーナは以前私の体調への気遣いが足りなかったとリッサに叱られて、今は使命感に燃えているらしい。彼女も私に近い位置に配属されるだけの優秀さはあるのだが、少し夢見がちで視野がまだ狭いのだとか。いずれもリッサが言っていた。
「悩みという程のことではないの。試した事が少し上手くいかなかったというだけだもの。それに他の方法も準備している最中だから、時間が解決してくれるわ」
「流石はお嬢様です。でもよかったです、紅茶が美味しくないって言われたらどうしようかと思って……」
心配してくれていたのも事実かも知れないが、どうやらそちらも本音だったようだ。ミーナは緊張が解けたようににっこりと笑い、私もつられて笑みを溢してしまう。
ミーナはきちんと私が好んでいる紅茶を上手く淹れてくれている、リッサやケーテにも負けていない。
礼儀作法の授業の一環として、私もこの世界での紅茶の特徴と産地を覚えさせられているが、どれも私が前世で聞いたことのない茶葉だ。
前世での茶葉の名前は地名か植物の名前だったのだから、それらが異なる以上名前も異なっていて当然だろう。
今私が気に入っているのは渋みが少なく、香りが華やかなミュラーという種類の紅茶だ、ブレーメミュラー公爵領の代表的な特産品の一つとなっている。
ちなみにレーヴェレンツ領には紅茶の特産品は無い、食料品で特徴的なものはピューズだろう。
「そういえば、オイルは出来なくても……」
ふと、それまでの思考が混ざって私は一つのアイデアを思いついた。こちらは絞ったり分離したりする必要もない。前世で作った事がないという点では同じだが、失敗の可能性もより少ないように思える。
「紅茶はいつも通り美味しかったわ、ありがとう。私は少し厨房に用事が出来たからそちらに向かうわ」
急に考え込んでしまった私をみて首を傾げていたミーナにそう告げると、私は席を立った。
昨日投稿し後に150ブックマーク越えたので、150ブックマークありがとうございましたって言おうと思っていたら160越えました。
ブックマークとっても嬉しいです! これからも楽しんで書くのでよろしくお願いしますー!




