騎士との出会い
木々の葉が深く色づく秋の半ば、私は自室でいつもより着飾った重い服を着せられていた。
重いと言っても訓練で来ている鎧よりも遥かに軽く動きやすい筈なので、重く感じるのは私の心の問題なのかもしれない。
これからラインハート様がこのレーヴェレンツ邸へと訪れ、私は婚約者と初めての顔合わせをする事になるのだ。
お父様から婚約の話を聞かされてからも、私は今まで通りの生活をしていた。アルドリック様と少しだけ距離を置くようにした以外は。
距離を置くと言っても二人での勉強をやめるわけでは無い、ただ、今までのような密着した距離感を少し直しただけだ。
ただ、アルドリック様はやはり突然の事に不信感を抱いたようで、またとても心配させてしまった。
そこで怒ったり我が儘を言う人なら、きっと私はもっと楽だったし、苦しむ事はなかっただろう。
それでも、アルドリック様に話す事は出来ない、婚約者が出来たからなんて、私の口からアルドリック様に言うのはあまりにも辛い。
もしもおめでとうなんて言われたら、私はどうすればいいのか。
いずれ正式に婚約すればアルドリック様の耳にも入ってしまうだろうが、私には直接言うだけの勇気はない。
アルドリック様は結局誤魔化されてはくれなかったが、深く追及もせずそれからも勉強と訓練に来てくれた。
私の顔を見る心配そうな表情に胸がずきずきと痛みを叫んでいたが、笑顔の鎧で隠し切れたはずだ。
お父様は当初婚約者との顔合わせを近いうちにと言っていたが、実際には中々進まなかった。
心の準備をする間もなくすぐに、とはならなくて助かったがあまり遅くなるのもそれはそれで待ちつかれてしまう。
トラブルが起きているならいっそ破談になってしまってもいいのだけれど、何てことまで考えていたが、秋の始めになってとうとう予定を入れられてしまった。
「はぁ……」
どうしようもないと分かっていてもついため息が出てしまう。
頭では分かっているのだ、アルドリック様と結ばれる道は模索しても見つからなかったし、他の誰かと婚約するのであればラインハート様は一番良い相手だと。
ここでは完全に見ず知らずの相手であるが、ゲームで彼を知っている私としては無条件に信頼出来る相手だ。それでも、心だけはそう簡単に動かせるものでは無い。
憂鬱な気分で椅子に座っていると、部屋にリッサが入ってきた。
「お嬢様、アメルハウザー侯爵とそのご子息がお着きになられました」
「分かったわ。ありがとう、リッサ」
どうやらラインハート様が到着したらしい、私は今回相手が応接室まで着いてから向かう段取りだ。
鏡を見るとお世辞にも婚約を喜んでいるとは見えない私の顔があった。一度軽く目を閉じて深呼吸し、公爵令嬢として見せる自分を意識する。
再びリッサに声を掛けられた時には、しっかりと仮面を被った私がそこにいた。
数人のメイドを引き連れて私は応接室へと向かう。今日はアルドリック様といつも使っている非常に豪華な応接室では無く、少し格の落ちる応接室だ。
そうはいっても下位の貴族相手には使わない程の部屋である。いつもの部屋が本来普段使いするようなものでは無いだけで、今回の部屋も十分に格調高い。
相手が公爵家であるか、私が嫁入りするのであればいつもの部屋を使ったかも知れないらしいが、そうならなくて良かったと心から思う。
応接室の扉の前につくとお父様の執事が扉を開き、私は応接室へと入った。
こちらの応接室も作りとしてはいつもの部屋とそう変わらない。ただ、置いてあるもののグレードが多少落ちているだけだ。
部屋にはお父様と、それに向かい合うようにして赤髪赤目の男性と男の子が長椅子に座っていた。
私がゆっくりと部屋に入ると長椅子に座っていた男性と隣の男の子が立ち上がりこちらを向いた。その男の子に気付いた瞬間私は一瞬身体が固まりかける。何とか表情も崩さず動きも不自然に止めずに済んだと思うが、内心では結構驚いていた。
……お兄様のお葬式で見たあの男の子が、ラインハート様だったなんて。
お兄様のお葬式にいた以上私の親戚であるだろうとは思っていた。だが私の記憶にあるゲームのラインハート様は背が高くて髪は短かったし、どこか不機嫌そうに眉を顰めている事が多かった。
今そこにいる少年はまだ私と同じくらいの身長で、真っ直ぐな髪が首丈まで伸びているし、目つきも普通だ。言われてみれば確かに同一人物としておかしくはないが、まるで別人だと思う。
そんな事を考えながら私が応接室の机近くまで行くと、二人が私の前に出てきた。アメルハウザー侯爵は右足を少し下げて右腕を少し横に伸ばし、左肘を曲げて腹部につけて礼の形を取った。ラインハート様は単純に跪く形だ。
これは私が公爵家の令嬢であり、まだアメルハウザー侯爵より位が上ではないからだ。軽く頭を下げていたアメルハウザー侯爵が口を開く。
「ヴァレーリア様、お初にお目にかかります。私はアメルハウザー侯爵家当主、リーヴェス・アメルハウザー、そしてこちらは息子のラインハートと申します」
「顔をあげてください、アメルハウザー侯爵、ラインハート様」
公爵令嬢なのだから本来立場が下になる事の方が圧倒的に少ない筈の私だが、家族とリッサを除けば王子であるアルドリック様以外の貴族に会った事の無い為、跪かれたりするのにはどうにも違和感が先行する。
私の言葉に二人が顔を上げこちらを見た後、アメルハウザー侯爵が挨拶を続けた。
「本日はヴァレーリア様にお会い出来た事、誠に光栄でございます」
「ごきげんよう、アメルハウザー侯爵、ラインハート様。私もお二人に会えて嬉しく存じます」
私も穏やかな笑顔を作りながら挨拶を返す、今回はこちらの方が挨拶を受ける側なので、特にカーテシーを執ったりはしない。
「ヴァレーリア、こちらに座りなさい。お二人もどうかそちらに」
お父様から席を勧められたのでお礼を言ってお父様の隣に座る。お父様の前にアメルハウザー侯爵が、私の前にラインハート様が座る形だ。
お父様は私の前で見せる顔とは違い、親しみやすい笑みを浮かべて婚約についての話をアメルハウザー侯爵と始めた。
始めたというよりは、私が来るまでしていた話を再開したといったところだろうか。自分の事ではあるが、私はどうにも話を詳しく頭に入れたいとは思えず、笑顔のまま半分程聞き流していた。
私は笑顔でも目つきが鋭いせいで、結構気を付けないと威圧的になってしまうが、お父様は優しい顔つきのおかげで少し緩めるだけでとても穏やかな顔に見える。
アメルハウザー侯爵はどうやら婚約に対してかなり乗り気のようで、笑顔でお父様と話している。彼は確か騎士団の団長か副団長だった筈だ。ベアノンと比べると細身で、がっちりとした身体ではない。しかし前世での体育会系の教師のような、暑苦しくパワフルな印象を受ける。
対して隣に座っているラインハート様はどこか退屈というか、気怠そうな様子だ。もちろん特に不作法をしているわけではないのだが、朗らかな印象は受けない。
しかし、それにしてもラインハート様はお兄様に似ていた。はとこなのだから確かに似ていてもおかしくはないが、もしも彼がお兄様のような優しく困ったような笑顔を浮かべていればそっくりに見えるだろう。
見ているとどこかお兄様の面影を探してしまう気がして私はラインハート様から目を逸らし、そしてふと気付いた。
……ラインハート様の分岐で“ヴァレーリア”がやたらと直接出てきたのはきっとこのせいだったのね。
ゲームでの“ヴァレーリア”がもしお兄様との別れをしっかりと整理をつけずに迎えてしまった場合、きっとそこで出会ったラインハート様に対して、私以上に目を奪われただろう。
その頃にはアルドリック様と婚約をしていた筈だが、最愛の人と瓜二つのラインハート様を奪われないようにとアンネマリーの邪魔をしていたのではないだろうか。
そう思索に耽っているとお父様から急に声を掛けられた。
「ヴァレーリア、彼を連れて庭園にでも行って来たらどうだ。ここにいても退屈だろう」
お父様もラインハート様の雰囲気を感じたのか、そう勧められた。私としてもお父様の隣にいるよりは気が楽かもしれない。
ラインハート様の方を見ると、彼も特に嫌そうな素振りは見せなかったので私は立ち上がってラインハート様に声を掛けた。
「ありがとうございます、お父様。ラインハート様、庭園まで案内します」
「はい、ヴァレーリア様。お願い致します」
ラインハート様も私の言葉を受けて席を立って答えた。
社交辞令だろうがその微かに笑った顔に一瞬思い出の影を見た気がして、私は目を逸らしながらラインハート様を先導した。




