【閑話ーアルドリック視点ー】届かない思い
「アルドリック王子、レーヴェレンツ家より手紙が来ております」
「む、そうか。ここに持ってきてくれ」
昼食を終えた私がキーランドから借りた武術の本を読んでいると、従者のワーリンが声を掛けてきた。他の用事であれば本を読んでいる最中に割って入らせはしないが、レーヴェレンツ家からの手紙となれば別だ。
普段は私の方から来訪を告げる手紙を送るだけで、ヴァレーリアから手紙が来る事は無い。今回の手紙の内容は多分想像している通りだろうが、それでもヴァレーリアから送られてきたと思うと少し嬉しい。
早速ワーリンが持ってきてくれた手紙を開き、ヴァレーリアの綺麗な字で書かれた手紙を読む。
先日の行軍訓練の際、ヴァレーリアが温泉の情報を上手く広げられればヴァレーリアの助けになりそうだと思った私は、城に戻って来てからワーリンに相談し、その勧めに従って母上に情報を広めるのを手伝って貰った。
その結果今や温泉の完成を待ちわびている貴族がたくさんいるのだ。本当は少し前からヴァレーリアに教えたい気持ちでいっぱいだったのだが、母上から止められていた。
ヴァレーリアの耳に他から入るまでは私がやった事を伝えない方が良いらしい。
手紙には温泉がようやく完成したという事と、次に私が来るのを楽しみに待っている事が書かれていた。
特に私が城で情報を広めた事については触れられていないが、気付いていなければきっと手紙で知らせたりはしないだろうし、手紙に書かない方が良い理由があったのだろう。
ヴァレーリアらしい簡潔で飾り気がない手紙を大事に書箱に仕舞うと、私は次にレーヴェレンツ家へ向かう日を決める為またワーリンを呼び出した。
十日程経って、私は馬車でレーヴェレンツ家へと向かっていた。
私はもっと早くに来たかったのだが、教師から中々お休みの許可が出なかったのだ。
私はまだヴァレーリアに勉学でも剣でも一度も勝てていない。
城の教師たちとしては私が負け続ける事で公爵家の教師に間接的に負けているような気になるらしく、様々な工夫を凝らしながら私に教えてくれている。
どちらの教師にも教わった事がある私としては城の教師も負けているわけではないと思うが。
キーランドも行軍訓練でヴァレーリアを見て何か思ったのか、最近は前よりも更に厳しくなった。剣に関してはヴァレーリアの教師であるベアノンの大雑把な教え方よりキーランドの細かい説明の方が私は分かりやすくて好きだ。
ヴァレーリアはベアノンの、やばそうな感じの時、だとか、こう良い感じで避けて、だとかの説明で何故理解出来るのか不思議で仕方がない。
そうこう考えているうちにレーヴェレンツ邸へと到着した。先触れがレーヴェレンツ家の者に到着を告げているはずなので、私は護衛達を連れて中へと入った。
レーヴェレンツ家の執事が開けてくれた扉をくぐり、案内されて応接室に入る。中に入ると長椅子に座っていたヴァレーリアがこちらに微笑んで席を立ち、私に近づいて礼を執った。
「ご機嫌よう、アルドリック様」
「あぁ、ヴァレーリアも元気そうで良かった」
一年前、ヴァレーリアが弱っている姿を見て、私はヴァレーリアも完璧な人間ではないのだと気付いた。それ以来どうにもヴァレーリアの様子を直接見ないでいると落ち着かないようになってしまったのだ。こうして顔を確認できるとほっとする。
席を勧められて長椅子に座ると、ヴァレーリアが微笑んだまま口を開いた。
「アルドリック様、私の知らない間にケルツェ温泉の話を広めてくださったと伺いました。アルドリック様のおかげで既に何人もの方から温泉に連絡が来ています、大変有難うございました」
「大したことをしたわけではない、温泉は私も良いものだと思ったからな。あぁそうだ、母上も温泉の話をしたらそのうち行ってみたいと言っていたぞ」
ヴァレーリアから欲しかった言葉が貰え、私は頬が緩むのを感じた。ヴァレーリアが喜んでくれて私もすごく嬉しい。
対してヴァレーリアは母上が来ると言う私の言葉に驚いたのか、少し目を瞬かせていた。
「まぁ、第二王妃様がですか? それはとても嬉しい話ですね。よろしければその際には一言お声をおかけください。以前より警備を強化してはおりますが、第二王妃様が来られるとなればより一層の警戒が必要でしょうから」
「わかった、母上もすぐに来ることは出来ないと思うが、その時にはヴァレーリアにも教えよう。……それとヴァレーリア、レーヴェレンツ公爵から受けていた課題はどうだったのだ」
ここに来るまでずっとそれが気になっていたのだ。温泉の広報が上手くいけば、とヴァレーリアは言っていたが、どの程度が上手くいったという事なのか私には分からない。母上が言うには十分に広げたという話だったが、もしも成功と見なされないようならまた相談しなければならない。
「父からの課題は無事アルドリック様のおかげで達成として頂けました。私の力では達成できない可能性もありましたから、本当に感謝しています」
ヴァレーリアが微笑んだままそう言った事で私は安心して息を吐き、メイドが運んできてくれた紅茶に口をつけた。期限までもうそれ程無かった筈だ、何とか間に合ってよかった。
そんな私を見て、ヴァレーリアは何故かくすりと愛らしい笑みを溢した。またどこか間違った作法をしてしまったかと思ってカップを持つ手を見るが、よくわからない。
どうしようかと思ってヴァレーリアの方を見ると柔らかく微笑んだまま、何でもありませんと言われた。
……そのように意味深に笑われて何でもないなどと言われても困るのだが。
抗議しようかどうしようかと思っていたが、ヴァレーリアの教師が応接室に来たのでそのままいつもの試験をする事となった。
今日の試験は歴史で、今学んでいるのは前回に引き続いて法律の推移とその理由となった事象、及びその法律によって起きた問題についてだ。城の教師はここまで細かくやるのは本来専門の者くらいだと言っていたが、法に疎い王が無茶な法を作り、民を苦しめた例は歴史上一つ二つではなかった。王を目指すのであれば事細かに知っておくべきだと私は思う。
その日も結局ヴァレーリアには勝てなかったが、少しずつ点の差は縮まってきていると思う。数学や音楽に比べれば歴史や地理、語学はまだヴァレーリアを追っている感覚がある。
テストを終えて内容を復習した後は、一旦昼食を挟んでから勉強だ。
レーヴェレンツ邸の料理は城の料理に比べて味がとても薄い。初めて食べた時には料理人が調味料を使い忘れたのかと思ったほどだ。
普通は肉でもなんでも、もっと辛みだとか塩気だとかを口に入れた瞬間猛烈に感じるものだが、レーヴェレンツ邸の料理はそうでは無い。何度か食べるうちに私も少し慣れて、肉の味や野菜の味というのが分かるようになった。
ワーリンに聞いたところでは、薄い味の食べ物は平民や下級貴族のものらしく、公爵家であるにも関わらず調味料や香辛料をあまり使わないのは変だという話だった。
私はこの味も慣れれば美味しいと思うし、ヴァレーリアと一緒に食べる食事の味という印象もあって実は結構好きだ。
昼食を終えた私達は午後の勉強に移ったのだが、何故かヴァレーリアがいつも通りの隣では無く、机を挟んだ私の向かい側に座っている。
いつも試験を行う午前は正面に座っているが、勉強だけの午後は隣に座っていた。手を伸ばせば届くその距離にヴァレーリアがいてくれるのがとても嬉しかったのだが、今の彼女は大きな机を隔てた先だ。
「ヴァレーリア、いつも通り隣に座らないのか?」
「はい、勉強で使う資料も多くなってきましたし、机の両側に座った方が横に広げて使い易いと思いますよ」
そうヴァレーリアに笑顔で言われては、ちょっと不満に思っても隣に来てくれと我が儘をいう事は難しい。
……二人で片側に掛けてもそれほど狭い机では無いと思うのだがな。
「そうか、まぁそうかも知れないな」
少し胸に閊える物を感じながらも、自分を納得させるようにそう呟いて、私は勉強に集中する事にした。
しかし、その後もなんとなくヴァレーリアからは違和感を覚えた。
いつも私は分からないことがあった時にはヴァレーリアの教師にも勿論聞くが、ちょっとした所ではヴァレーリアに尋ねたりもしていた。しかし今日は、反対からではよく見えないので先生に聞いてくださいと悉く断られた。
それなら隣に来てくれてもいいではないかと思うのだが、何故かいつもより勉強に集中しているヴァレーリアはそれを頼みにくい空気を醸し出している。
それにそもそもヴァレーリアは言う程資料を広げているわけでは無い。いや、最初こそ確かに雑な形で広げていたのだが、ヴァレーリアが使いやすい位置に動かしているうちにぴたっと小さい範囲で収まっている。
それを見ると尚更隣に来てもと思ってしまうが、今更そんな事を言うのも格好悪いだろう。
もやもやした気持ちを抱えながら夕方近くまでそのまま私達は勉強を続けた。
「アルドリック様、今日はこの辺りに致しましょう、そろそろ時間になりますから」
「あぁ、そうだな」
いつもならあっという間に過ぎていくはずのヴァレーリアとの勉強が、なんだか妙に長く感じた。
今日は少し距離が遠くて残念だったが、それでもまた次に来れば良いだけだ。ヴァレーリアが元気で課題も無事に終わった事がわかったのだから、それで満足しよう。席を立ったそう私が思っていると、ヴァレーリアが驚くような事を言い出した。
「アルドリック様、今日の形の方が先生も教えやすそうでしたし、次回からも対面に座って勉強いたしましょう。それに隣に座るよりもお互い自分の勉強に集中出来ますよね」
笑顔でそんな事をいうヴァレーリアに私はすぐには答えられない程衝撃を受けた。今日だけならと思っていたのにこれからずっとこの距離なんてあんまりだ。
もしかして私は何かヴァレーリアから距離を取られるような事をしたのだろうか、そうも思ったが、ヴァレーリアなら私に対して何か思う事があるならそのまま言うのではないだろうか。
それに、今日のヴァレーリアはずっと笑顔で話している。怒っていたり、嫌がっているようには見えない。
……いや、違う。ヴァレーリアの笑顔をあてにしてはならないのだ。
ヴァレーリアは感情を押し殺す事が出来てしまう。あの日のヴァレーリアを思い出して私はじわりと嫌な汗を掻いた。
私を避けなくてはいけないような理由は分からないが、もしもまた私が力になれるようなら頼って欲しい。私はヴァレーリアの兄上の前でヴァレーリアを守ると誓ったのだ。私はそのまま見過ごす事は出来ずに口を開いた。
「ヴァレーリア、何か隠し事、いや、悩み事があるのか?」
私の問いにヴァレーリアは笑顔のままで首を傾げて立ち上がった。
「……いいえ、何のことでしょうか」
曇りのない笑顔を浮かべているヴァレーリアに私が一歩近づくと、ヴァレーリアは一瞬身体を強張らせたように見えた。
私の単なる勘違いならいいが、何もない、という事は無いと思う。私はあの日ヴァレーリアに語り掛けたように、なるべくゆっくりとヴァレーリアに話しかけた。
「ヴァレーリア、私はまだヴァレーリアとって悩みを相談出来るような、頼りになる相手では無いのかもしれない。だが、今回の事のように私にも出来る事があるのだ。もし私の事を嫌っているのでなければ、話してはくれないか?」
そう私がいうとヴァレーリアの顔から笑顔が消えて、困ったようなどこか縋るような表情になってしまった。
私はそのままヴァレーリアに近付くと、そっと彼女の手を取る、手に触れた瞬間びくりとヴァレーリアは震えたが、手を引っ込められることは無かった。
私はその手を両手でそっと包み、その目を見ながら言葉を続ける。
「ヴァレーリア、私は其方の力になりたいのだ」
ヴァレーリアの顔は少し頬を赤くし、唇を小さく震えさせた後少し何かを言いかけた様子だったが、結局何も言わずに口を引き結んでしまった。
……駄目か
私が落胆に襲われた直後、ヴァレーリアは震える声で小さく何かを呟いた。
「……って、だなんて……」
「え?」
私が思わず聞き返すと、ヴァレーリアは私の手からするりと手を逃げさせてこちらに背を向けた。
「ごめんなさい、アルドリック様」
そう早口で言うと、そのままヴァレーリアは応接室からすっと出て行ってしまう。
残された私は手を浮かせた間抜けな格好のまま、ヴァレーリアの出て行った扉をぽかんと見つめる事しか出来なかった。
ヴァレーリア視点で書くかアルドリック様視点で書くかめっちゃ悩みましたが、
本筋であの流れの次にアルドリック様に会わせにくかったのでアルドリック様視点に。




