夢から覚めて(2)
私、ヴァレーリア・アベラルド・レーヴェレンツはレーヴェレンツ公爵家の長女として生を受けた。
お母様とお父様はあまり会ってくださらないけれど、それをお兄様に言うと、忙しい人たちだから仕方がないんだよ、と困ったように笑いながら私を撫でてくださったので、私はそれだけで満足だった。
お勉強もお稽古も嫌いだったし、私のいう事を聞かずに嫌いなものばかりを出す頭の悪い料理人も、無礼にも私にむかって偉そうな口を利くとろいメイドも嫌いだったからすぐに辞めさせた。
でもどんなに不機嫌な時でもお兄様が、可愛いレリィ、仕方がない妹だね、と言ってふわりと抱きしめてくれると何で怒っていたのかも忘れてしまうのだ。
お父様がお仕事で王城に行って暫く戻らないから、お母様とお兄様と私で湖を見に行くと聞いて私はとっても嬉しかった。
家を離れるのであればお兄様も私も勉強やお稽古から解放されて、大好きなお兄様と一日中一緒にいられるに違いない。
きっと幸せな毎日を過ごせる、そう心から信じて……
その日、私の大切な、他の何よりも大事な、いつまでも一緒に居られると信じていた大好きなお兄様は、レーヴェレンツ家の別荘を襲った賊の手によって殺されたのだ。
「……頭痛い」
ヴァレーリアとして生を受けてからの六年間を思い出し、溢れ出した兄への愛情とその喪失感で涙が止まらなかった。
正確には英理としての記憶を取り戻した、の方が正しいのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
自分で自分の感情のコントロールが効かなくて困るが、記憶が戻った瞬間襲い掛かってきた吐き気と頭痛は段々と収まってきた気がする。
ちなみに老メイドのケーテが呼んできてくれたお父様には体調が悪いといってそのまま引き取って貰った。
失礼かもしれないが事実ではあるしヴァレーリアの記憶にあるお父様はそれくらいで怒る人ではない気がする。
時刻は既に夕暮れに差し掛かっていた。
状況を整理すると、立木英理は死んだ後生まれ変わり、ヴァレーリアとなっていたのだろう。そして兄を喪った精神的ショックからかこうして前世の記憶を取り戻した、と。
「最期は……あぁ、多分階段で滑ったアレかな」
過労による転落事故、あのブラック会社も責任問題とかで潰れてくれたりしただろうか、もしそうならざまぁみろ、と言ってやりたいところだ。
「お母さんと、お父さん、きっと泣かせちゃっただろうな……」
小さいころから子煩悩だった父親は、一人娘の英理を本当に可愛がってくれていたし、英理もちょっとお調子者なのに頼りがいがある父親が大好きだった。
英理の父親は就職が決まった時も一番喜んでくれていた。
英理は中学から大学まで演劇に全てを捧げており、まともな会社で働くなんてとても無理だと言われていたのだ。もっとも、実際入ってまともな会社であったかというと閉口せざる得ないが。
「享年25歳かぁ。成人前はお父さんに、花嫁姿を見たら父さん泣いちゃうから結婚しなくていい、って言われて、意地でも見せてやるから! なんて意気込んでたのに。そんなチャンスもなかったな……」
母親は英理が演劇を優先して学校を選ぶのにずっと反対していた。
役者になるなんて細い道を進むよりも安定した就職への道を選択してほしかったのだろう。
それが原因でなんども喧嘩していた。結局役者にはなれず、人より遅れて就職した結果がブラック企業だ。
身体が丈夫なのが取り柄の英理が、働き詰めで体調を崩していると聞いて母親もずっと心配してくれていた。
仕事を辞めても良いから帰っておいで、なんて事を何度か言われていたが、自分が抜けた後の仕事の穴を考えるとまだ辞められなかったのだ。
「本当に最期まで、言うことを何一つ聞かない娘でごめんなさい……」
結局その後も涙は収まらず、嗚咽を繰り返すうちに私は眠りに落ちていた。
次の日、ようやく多少落ち着いた私は、メイドのケーテに運んで貰い部屋で食事を摂っていた。
どうしても英理としての意識が強い今の私はこの状況に違和感しかないが、それでも現在を生きているのだ、疑問も悲しみも食事と一緒に飲み込んで、前を向くしかない。
幸いご飯は英理の時に食べていた物ほどではないにしても素朴な味でそこそこ美味しいし、住む場所も着るものも十二分にある。ヴァレーリアとしてこれから強く生きて行くしかない。
しかしそれにしてもヴァレーリアという名前はどこかで聞いたような気がする。
もちろん”ヴァレーリア”としては聞いたことがあって当たり前なのだが、そうではなく、そう、何かこう英理として聞いた覚えがある気がするのだ、それもあまりいいイメージではない。
例えるならなんだろうか、”継母”だとか”ゴブリン”だとか”魔女”のような、言葉だけでマイナスな、そう、”意地悪な”を枕詞にするとちょうどいいような感じの……
『魔女ヴァレーリア! この化け物め!』
ガチャンと手から皿へ滑り落ちたフォークが大きな音を立てる。
脳裏に蘇ったのは火刑に処される女と、それに対して暴言を浴びせる民衆のスチルだった。サッと顔から血の気が引いたのが分かる。
そんな事が果たしてあるだろうか。いやしかし、ここまでが偶然で片付けられるものだろうか? 私のいるこの世界は……立木英理がプレイした乙女ゲームと恐ろしい程に酷似している。
そしてこの私の名前、ヴァレーリア・レーヴェレンツというキャラクターは、主人公の意地悪な姉としてほぼ全てのルートで処刑される敵役なのだ。