王子との行軍訓練
「この肉はとても美味いな、城で出されるものよりも美味く感じるぞ」
「それは何よりですアルドリック様」
美しい夜空の下で、まだ湯気が上がるような熱さのお肉を食べてアルドリック様はとてもご満悦だ。
春の肉は獲物が新芽や柔らかい草を食べていて、秋とはまた違った美味しさがあるとベアノンが言っていた。
まだかなり肌寒さが残る中での狩りたて焼き立てのお肉なのだから、より一層美味しいく感じるのだろう。
しかし私はつい視線を横にずらして、五十人を超える大所帯となってしまった兵士達を見てしまう。どうみてもテンションが高いアルドリック様と対象に、口数少なく携帯食を食べる彼らの空気は重い。
……どうしてこうなってしまったのかしら。
私はまた頭痛がしそうな心地になりながら、数ヶ月前を振り返った。
◇
お父様からの課題として、温泉を観光、療養地として立ち上げ、更に可能ならば湯の花や硫黄などを温泉の素として売り出すことに決めた私は、早速その計画を詰めていた。
私が現地まで行くと言った時には反対されたが、私しか温泉のイメージがつく人がいないのだから譲らなかった。それにあわよくば現地で温泉に入れるかも知れないのだ、せっかくのチャンスを逃したくない。
温泉を掘り当てる為には水の魔術が使える者が必要と言うとリッサも付いていくと言ってくれた。心配だからという事のようだが、私としてもリッサがいてくれた方が心強いので嬉しい。
ベアノンにも護衛として来て貰う話した際に、火山付近の危険生物についても聞いてみると、うちの兵士くらいの腕があれば危険な害獣も難なく駆除出来るのだとか。
加えてあの付近の村では害獣として煙たがれて狩られているそうで、どうせなら春に行軍訓練として少し多めの人数で向かって狩るのはどうですかと提案してくれた。
それはいいアイデアとばかりに乗ると、では冬の間は乗馬の訓練も加えましょうと笑顔で言われてしまった。
乗馬によって普段使う事の少ない筋肉が悲鳴を上げるのに慣れて来た頃、吹雪の時期が終わるまでしばらく来れていなかったアルドリック様が、少し久しぶりにレーヴェレンツ邸を訪れていた。
いつも通り応接室で数学の試験と、隣に座っての午前の勉強を終えた私は、春の予定についてアルドリック様に伝えておこうと口を開いた。
「アルドリック様、まだ先の話ではありますが、春頃に二十日程レーヴェレンツ邸を離れます。予定が正確に決まった際とこちらに戻った後に連絡を入れますので、その間の試験はお休みとさせてくださいませ」
「む、二十日もか、随分長い間いないのだな」
アルドリック様は少し考え込むように顎を手で触れながら目を伏せた。
「はい、少し用事があって、ピュロマネ山までの行軍訓練に参加するのです。それに長い間と仰いますが、雪で来れなかった期間とそう変わりませんよ」
私が微笑んでそう言うと、アルドリック様は少し拗ねたように口を尖らせて言い返してきた。
「だから随分長い間と言っているのだ、これほど雪を憎らしく思った冬は無かったというのに、ようやく訪れた雪解けが季節を巡る間もなく凍てつくとなれば恨めしくもなる」
アルドリック様が来れなかった日々をとても待ち遠しく思っていたと分かり、私は頬が緩んでしまう。
恐らくはアルドリック様の周りに遊べるような同年代の子がいないのも原因だろうが、こう直接的に言われればやはり嬉しい。
「そうだ、ヴァレーリア。私もそれに同行する事は出来ないか? 剣の訓練は行っているが行軍訓練に参加したことは無い、良い経験になりそうだと思うのだ」
和やかにそんなことを思っていたらいきなり突拍子も無い事を言われた。確かに必要な経験なのかもしれないが、今回は狩猟がメインで行軍訓練はおまけだ。
「申し訳ございませんが、遠征を伴うような訓練に王子を同行させて何かあれば私だけの責任では贖えません。戻りましたら直ぐに連絡するようにいたしますので、どうかご容赦くださいませ」
王子が同行するとなれば今予定している十数名では護衛が足りない。かといって王子の護衛として十分な人数を集めれば今度は行く先々で迷惑になる。
アルドリック様は不満気ではあったがごねることなく渋々了承してくれた。
「だがヴァレーリア、ピュロマネ山というのはそれほど危険な山なのか?」
「それほどというわけではありませんが、噛まれると危険な蛇や爆発するトカゲなどはいるそうですし、山に登る事になりますのでその過程で怪我をする事ともあり得ます。それに行軍中に盗賊と遭遇しないとも限りませんからね。警戒をするに越したことはありません」
危険は無いと言えばついてきそうなアルドリック様の気配を察して、釘をさすつもりでそう言った。アルドリック様は目に見えて心配そうな顔になり眉を顰めた。
「ヴァレーリア、其方も行かない方が良いのではないか? 護衛は十分に用意するのだぞ?」
少し大げさに言い過ぎたかもしれない、私はアルドリック様を安心させるように微笑んで答えた。
「大丈夫です、アルドリック様。少人数での訓練ではありますが、兵士は精鋭ですし心配はいりません。危険な生き物も彼らなら十分倒せると言っていましたから」
「ヴァレーリア……」
アルドリック様はなおも心配そうな顔のままこちらに手を伸ばして抱き寄せてきた。
以前弱っている私を抱きしめてからアルドリック様はスキンシップが激しくなった、手を握ったり頭を撫でたりもされるし、時々こうやって抱きしめてくる。
子供同士だし前世でも外国ではハグも珍しくないと聞いていたから、ただの親愛の表現なのだと言い聞かせてはいるが、それでもドキドキはするのでちょっと困っている。そしてあまり長く抱きしめられていると何故か眠くなってしまうのでそういう意味でも困る。
「危険な事をしないで絶対に無事に帰ってきてくれ」
「ありがとうございます、アルドリック様。約束します」
そう言うとゆっくりと離してくれたが、アルドリック様は安心したようには見えず、困った人だなと私はつい苦笑してしまった。
春になり徐々に草花が芽生え始めた頃、ベアノンとリッサと相談して行軍訓練の日程を決めた。
大体ピュロマネ山までの片道はかなりゆっくり目に見て五日程かかるので、向こうでの狩りと温泉探索などに十日と考えて合計二十日間の予定だ。
私はアルドリック様にいつからいないかを手紙に書いたり、長距離の乗馬についての指導をベアノンから受けたりしつつ当日を迎えた。
「お嬢様、申し訳ないんですがちょっと止まって貰えますか」
「どうかしたの?」
レーヴェレンツ邸をまだ半刻も馬を走らせていないだろう頃、ベアノンが私に声をかけてきた。
珍しく表情を曇らせて真剣な顔のベアノンに、私はすぐに馬を止める。
「それが前方にたくさんの馬が走った新しい跡が見えると伝令がありやして、こんなに近くまで賊が来るとも考えられやせんが、正体が分かるまで少し待って貰えますかね」
「分かったわ、ありがとう。お願いね」
ベアノンの言う通りここはレーヴェレンツ邸からすぐ近くだ。レーヴェレンツ家の私兵と戦うリスクまで背負って盗賊がやってくるとは考えにくい。
しかし、そうなると大量の馬が走る理由など普通は無い、要は正体が分からず不気味なのだ。
レーヴェレンツ邸を出てすぐのトラブルに幸先の悪さを感じていると、様子を見に行っていた者が戻ってきたのか、ベアノンがこちらにやってきた。
先ほどとは違って苦いというか、困ったような笑顔を浮かべているのでそれほど大事ではないようだ。
「ベアノン、正体は分かったのかしら」
「えぇまぁ。それが、第二王子とその護衛の騎士達三十人程が休憩していたらしく、王子は我々と同行したいと仰せです」
「……はい?」
私はベアノンから何を報告されているのか理解するのに時間を要した。
ふと進行方向からドドドンドドドンという地鳴りのような音が聞こえて前を向くと、私達の倍くらいの数の騎士達がこちらに向かってきていた。
まだ見えていないのにアルドリック様の満足そうな顔が見えるような気がして、私は思わず眉間を抑えてしまった。
追記
100ブックマークありがとうございます!!とっても励みになります!
更新が遅くなるとか更新できないとか更新しましたとか乗っける用のついった→ https://twitter.com/uturigi_momiji




