休日の予定
教会の控室まで戻った私は、一休みするとすぐにレーヴェレンツ邸まで戻った。
王子に挨拶をした方が良いのではないかと思ったのだが、葬式の場では基本的に挨拶は一切しないもので、もしもするのであれば来ている他の貴族とも会わなければならないのだそうだ。
慣例を崩してでも挨拶回りをされますか、と一応リッサに尋ねられたが、今の私にそこまでの余裕はない。大人しくレーヴェレンツ邸に引き下がらせてもらう事にした。
◇
それから私は徐々に以前の勉強と訓練詰めの生活へ戻っていった。二十日間のお休みで少し身体が鈍っていたが、ベアノンから王子の成長も早いですし直に抜かれるかも知れませんね、などと言われては奮起せざるを得ない。
この間はアルドリック様にみっともないところを見せてしまったが、まだ私は勉強と訓練では先を行く格好いいヴァレーリアを演じたいのだ。
まだまだアルドリック様には負けられません、ではもっと厳しくしても構わないんですかね? なんてやりとりの末、私は毎日の筋肉痛と疲労を引き換えに、ベアノンから結構上手くなりましたねという言葉を引き出した。
それにしてもベアノンが言う通りアルドリック様の成長は目覚ましいものがある。
まだまだ勉強では私に追いつかないものの、必死に食い下がろうとしているし、剣では結構ヒヤッとさせられる事も多くなった。
私も余裕ぶっていては直ぐに童話のうさぎのようになってしまうだろう。
季節が夏を越え、秋が深まる頃になると授業に新たな項目が加わった。簡単な領地経営と兵法についてだ。
まだ貨幣の価値やチェスのような盤上戦戯を習っている程度だけれど、この分野は前世で全く縁がなかったので難航しそうな気がしている。
難航しているといえば文学だ。最近は私が授業で書いた詩を読みながら先生が、もしかしたら私の感性が間違っているのかも知れません、なんて自信なさげに言い始めた。
後ろにいるリッサも私の詩を見て少し顔を顰めているので間違ってはいないと思う、しっかりして欲しい。
◇
徐々に寒さが厳しくなり始めたある日の夜、私は付けにくい火打石で火をつけようとするのを諦め、ため息交じりにリッサに話しかけた。
「ねぇリッサ、少し教えて欲しい事があるのだけれど、いいかしら」
「何でしょうか」
ちなみにリッサやメイドが火をつけてくれなかったわけでは無い、私が火を使う魔術師として火を自分で用意できるようにならなければいけないので挑戦していたのだ。失敗したが。
「この使いにくい火打石と、付きにくい割にとっても高いマッチ以外で、簡単に火を点けられる道具ってないのよね」
「はい、私が調べた限りでは」
「じゃあ、新たに火つけの道具を注文したいのだけれど、鍛冶職人を呼ぶ事は出来るのかしら」
私の答えにリッサは少し床を見つめるようにして考え始めた。
そう、私はこのあまりにも使いにくい火打石にほとほとうんざりして、ライターを作りたいと思っているのだ。
本当に作れるか確実にはわからないが、おおよその原理は分かっている。なんとか近いものを完成させたい、いや、させなくてはならないと思っている。
この手が痛くなるまで打っても点かない、不届き極まる火打石を使わないで済むように。
「その道具は既に完成形が存在するのですか?」
「いいえ、でも原理は頭にあるの。絶対にではないけれど、おそらく作れるわ」
するとリッサは少しだけ残念そうに答えた。
「それではおそらく難しいでしょう。ここに職人を呼ぶ為には旦那様の許可を得なければなりませんが、旦那様はお嬢様の考えた火をつける道具を注文する為、という理由で平民を入れる許可を出すとは思えません」
「そう? 私は知っての通り火を出すことは出来ないでしょう? その弱点を塞ぐ為というのは理由にならないのかしら」
「旦那様は操る方が十分なのであれば問題無いと考えられるかと。それにどうしてもとなれば、火を出すことが出来る従者をつけるよう仰るでしょう」
確かに、それはお父様の言いそうな答えだと思った。そうなると他に方法は一つしかない。
「ならリッサ、お父様に内緒で町の鍛冶工房まで行きたいのだけれど、手伝って貰えるかしら」
恐らく私がこう言う事は予想したのだろう、目に呆れの色が見える。
「鍛冶工房があるのは平民しかいない町です、貴族が向かえばいくら格好を誤魔化していても目立ちます。貴族と平民で色が大きく違うのですから」
「……やっぱり、難しいかしら。こう、伏し目がちにしていたり人と目を合わせないようにしたりしても」
この世界において貴族は基本的に髪と目の色が濃く、平民は淡い。まれにヒロインのような突然変異も起きるが、だいたいぱっと見ただけで貴族かどうかわかってしまう。
「そうですね。……いえ、もしかするとお嬢様なら或いは可能かもしれません」
「リッサ?」
即断されるかと思いきや、リッサは珍しく答えを濁した。もしかして目を伏せていれば案外なんとななるものなのだろうか。
「申し訳ございません、少々お待ちくださいませ」
少し考えていたリッサはそう言ってすっと部屋を出て行く。どうしたのだろうと思っていると、すぐにまた音もなく帰ってきた。手には筆箱くらいの大きさの綺麗な箱を持っている。
「失礼致しました。お嬢様、こちらを掛けてみてくださいますか」
そういってリッサは箱から赤い縁の丸っこい眼鏡を取り出した、サングラスならまだしも眼鏡でどうするのだろうと思いつつ、私は素直に眼鏡を掛ける。
伊達メガネのようで、特に視界が歪んだり色が変わったりという事は無い。
眼鏡を掛けた私を、リッサは色々な角度から確認し、満足したように頷いた。
「これなら問題ないですね、お嬢様も鏡でご確認ください」
促されて鏡を見る。なんとそこに映った私の目は、まるで魔力を持たないもののように白にとても近い濁った色になっていた。
「この眼鏡はとても貴重な材料で出来ていて、目の色を薄く見せられます。お嬢様なら目を誤魔化してしまえばお忍びで町に行くことも可能でしょう」
「ありがとう、リッサ。じゃあ町に行ってもいいのね?」
「あまり貴族女性として褒められた事ではありませんが、たまには息抜きも必要でしょうから仕方がありません。但し、護衛にはベアノンを連れていかれるようにしてください、そして行先は王都の城下町です」
私としては町に行くのを断られて、勝手に行かれるよりはという事で職人をこっそり呼び出して貰えるよう交渉するつもりだったのだが、町に行けるなら万々歳だ。
前々からこの世界の街に行ってみたいと思っていた、良く分からないものがたくさんある世界なので、ウィンドウショッピングだけでもとっても楽しいと思う。
「それと、申し訳ございませんがそちらの眼鏡はお嬢様にでも差し上げる事は出来ません。必ず私に返してくださいませ」
「えぇ、わかったわ。貴重なものと言っていたものね、大切に扱わせて貰うわ」
そう言って眼鏡を外し、ケースに入れる。その貴重な眼鏡をリッサが持っていた意味を考えると、粗雑に扱う事は勿論、取り上げる事なんて出来るはずがない。
ケースに入れた眼鏡をリッサにとりあえず返し、出かける予定を考え始める。
「リッサ、五日後の午後に街へ行きたいのだけれど、特に予定は入っていなかったかしら」
「はい。アルドリック様が直前になって連絡をよこされる事が無ければ問題ないでしょう」
「……そうね、その可能性は結構あるわね」
アルドリック様は最近大体五日から七日前には連絡をくれるのだが、たまに前日の夜に急ぎの使いが来ることもある。おそらくはアルドリック様自身の予定が急に空いた時なのだろう。
私自身は普段同じような生活を送っているだけなので迷惑でもないのだが、料理人やメイドが大変そうだ。
「でも風が吹く方向はその時まで知りようが無い事だもの。リッサ、五日後を予定して馬車や服の手配をお願いね」
「かしこまりました」
私は初めての街探索に心を馳せてわくわくしつつ、その日はベッドに入った。
誤字報告ありがとうございます!あんな分かりやすい誤字に見直しで気付けないなんて……




