【閑話ーアルドリック視点ー】赤の公爵令嬢との出会い
王子との出会い、王子との戦いを王子目線で。
場面は最初以外本編と被ってます。
私はその日も退屈な時間を過ごしていた。
自室で授業を受け、教師が私の優秀さに大喜びする。この後もいつものように昼食を食べた後、剣の教師が私の優秀さに大袈裟なほど感激するのだろう。
私が優秀な王子なのだから仕方ないのだとは思うが、代り映えのしなくて退屈だ。
ぶすっとしながら授業を終えて昼食を食べていると、少し前から私の従者になったウベルが私に話しかけてきた。
「アルドリック王子、本日の午後ですが、予定を変更して少々遠出を致しませんか?」
「遠出?」
ウベルは視察と言って良く色々な場所に連れて行ってくれる。
私がどれだけ希望を出しても一人ではいけないので、一緒に出掛けてくれるウベルが好きだ。
青い髪と目のウベルと金髪金目の私とは似ても似つかないが、実は本当の兄上よりも兄のように思っている。
ウベルはにこりと笑って言った。
「そうです、今日は今までよりも遠く、速馬車に乗って行くような場所ですよ」
「速馬車か! 私はまだ速馬車に乗ったことが無い、それは楽しそうだな」
速馬車は普通の馬車よりもとても早い馬車だ、良くは知らないが、たまにしか使わないらしい。
以前教師が何かの時に話していてそんなものあるのかと気になっていたのだ、教師も実際に乗ったことは無くて乗りたいと言っていた。
戻ってきたら自慢しようと思う。
「喜んで貰えて何よりです、私も手配した甲斐がありました。それでは準備ができ次第出発できるように致しましょう」
ウベルは目を細めて笑った後去って行った、多分準備に向かったのだろう。
私はわくわくしながら昼食を詰め込んだ。
「アルドリック王子、今日向かうのはレーヴェレンツ公爵家でして、そこの令嬢に会いに向かっております」
「レーヴェレンツ家の令嬢? 面白そうな者なのか?」
速馬車に乗り込みながらそう聞くと、ウベルは苦笑しながら答えた。
「面白いかどうかはわかりませんが、本日はその令嬢に婚約を申し込みに行くのです」
私は驚いてウベルを見た。
「ウベルは婚約をするのか!」
「私ではありません、王子がレーヴェレンツ公爵令嬢に婚約するのです」
その言葉に更に驚いた私は目を見開いて口を開けた。
ウベルは更に笑みを溢しながら言葉を続ける。
「こちらの御令嬢、ヴァレーリア様という方なのですが、少し前に兄と母を喪い大変寂しく過ごしておられるのだとか。王子が婚約を申し込まれれば、きっととても喜ばれますよ。」
突然の事に目を白黒させてしまうが、兄や母を喪ったというのは可哀そうだと思った。
私も父上や母上やウベルがいなくなったらとても寂しいだろう。
「この事は既に王様も知っておられ、王様も王妃様も王子の御婚約を望まれておられます」
「父上と母上が? 二人も私が婚約すればよろこんでくれるのか?」
「えぇ、勿論。皆に喜ばれます」
婚約や結婚はまだよくわからないが、父上や母上や、そのヴァレーリアという子も喜ぶのならしてもいいかと私は思った。
私がレーヴェレンツ公爵家に着くと、出てきた老執事はとても驚いた様子だった。
きっと速馬車がこんなに早いとは思っていなかったのだろう。私もとても驚いたので無理もないと思う。
若い執事に庭園に案内された私はそこに置いてあった椅子に座った。
レーヴェレンツ公爵も令嬢のヴァレーリアもいないが、ウベルが言うにはこちらが予想以上に早く着いたのでまだ準備がちゃんと出来てなかったらしい。
申し訳ありませんというが、ウベルの責任ではないし、速馬車が早かっただけなのだから構わないと思う。
少しするとメイドが菓子とお茶を持ってきた。する事もないので菓子をもぐもぐと摘まんでいると、ふと目の前からアルドリック王子、と女の子の声がした。
いつの間に来ていたのかと私はびっくりして声の方を見た。殆ど白に近い淡いピンク髪に、見たことが無いほど濃く美しい緋色の目をした綺麗な女の子がメイドを連れて立っていた。
細身ながらも何故か弱々しさがなく、きつい釣り目は優しそうに細められていて、きっと穏やかな子なんだなと思った。
そこで私は自分が菓子に手を伸ばしっぱなしだったことにはっと気付いて慌てて手を引っ込めた。
もしかして見られただろうかと女の子の方を見たが、何も言わずに跪いて挨拶を始めたのでどうやら見られずに済んだようだ。
「お初にお目にかかります、アルドリック王子。私はレーヴェレンツ公爵の娘、ヴァレーリアと申します」
しっかりとした挨拶に、わたしも父上のように返答しなければいけないと思った。
「ヴァレーリア、顔を上げよ」
私の声に顔を上げたヴァレーリアは柔らかく私に微笑んで挨拶を続けた。
「当家に足をお運び頂き感謝申し上げます。王子にお会い出来ました事、誠に光栄にございます」
ウベルがヴァレーリアに席を進め、私の正面にヴァレーリアが座った。
とても綺麗で優しそうなヴァレーリアに、この子と婚約をしてあげれば喜ぶのだったら今すぐにでもしてあげたいと思い、ウベルに小声で尋ねる。
「ウベル、この子と婚約をすれば良いんだな? この場で言ってしまっても良いのか?」
「はい、そうですよ、王子。その通りです」
ウベルの肯定に勇気づけられた私は、少し息を吸ってからヴァレーリアに言った。
「それで、王子。本日はどのような――」
「ヴァレーリア、私の婚約者になれ」
ヴァレーリアの言葉と少しだけ被ってしまったが仕方がない。ヴァレーリアは淡く微笑んだまま動きを止めていた、思いもしなかった幸運にすぐには言葉が発せないのかもしれない。
後ろのメイドも驚きすぎて顔が青く見える。
そう満足気に思っていた私に、ヴァレーリアは私が思いもしなかった返答をしてきた。
「お断りします」
嬉しいです、王子。と笑顔で言ってくれると思っていた私はもの凄く驚いた。
どうして私との婚約を断るのかまるで分らない。
「ヴァレーリア様、王子からの婚約をお断りされるのはどういった理由によるものでしょうか、もしや、既に婚約者がおられるのですか?」
ウベルが私の斜め後ろからヴァレーリアにそう尋ねた。私もウベルが言う通り理由が知りたいと思った。
「婚約者はおりません、しかし……」
ヴァレーリアの顔から笑顔が消え、少し悲し気に目を伏せられる。やはりウベルが言っていた通り、ヴァレーリアは寂しいのではないだろうか、それならやっぱり私が婚約者になってあげれば解決するのではないか。
私がいれば寂しくないと説得するべきだろうかと少し考えているとヴァレーリアが口を開いた。
「私は……私を本当に命を懸けて守って下さった兄を心より慕っております。……兄のように強く、私を守ってくださる方を相手に選びたいと思っております」
一度絶句した後に怒りが沸いてきた。私より兄の方が大事で、私では力が足りないというのか。
今まで私はこんな言われ方をした事がなかった、私は優秀な王子であり、私を軽んじるものがいてはならないといつも言われてきたのに、どうして私が喜ばせようとしてあげた相手にこのような事を言われなければならないのだろうか。
気付けば私はヴァレーリアに向かって大声を出していた。
「お前は、お前は私が弱いと言うのか!」
そういうとヴァレーリアは顔をやや伏せたまま、更に言葉を続けた。
「申し訳ありません。ですが、私よりも強く、兄のように私を守ってくださるような方でなけば……」
信じられなかった、私ではヴァレーリアを守れないとそう言われているかのようだった。
私がどれだけ優秀な王子なのかを知らないのだろうか。いや、知らないなら今から教えてあげればいい。
「ならば私がお前よりも強くて、お前を守れるだけの力があると分かればよいのだな!」
私がそういうとヴァレーリアは困ったような顔でおずおずと切り出してきた。
「それはつまり、私と王子で試合を行い、私が勝てば婚約を諦めて頂けるという事でしょうか」
「そうだ! 私が勝てば私が強いと認めて婚約してもらおう!」
やはりヴァレーリアは私がどれだけ剣の才能に溢れているのか欠片も耳にした事がないらしい。
か弱いヴァレーリアを剣で倒すのはとても気が引けるが、私が強くて格好いいと分かって貰う為だ。
「わかりました、その条件で試合を致しましょう。ただ、私は見ての通り火を扱う魔術師ですので魔術を使うと王子に大怪我をさせてしまう可能性があります。お互いに剣術だけ、という形式でもよろしいでしょうか」
ヴァレーリアの目の色を考えるともしかしたらすごく大きな炎を操れるのかもしれない。私が光の魔術を使おうとしてよくうっかり教師の目を潰してしまいそうになる事を考えると、まだちゃんと操れない炎の魔術師はとても恐ろしい。
それに私もまだ魔術はちゃんと扱えないので特に不利にはならない。剣だけの方が確実だ。
「それは確かに危ないな、分かった。いいぞ」
私が許可をするとヴァレーリアは一度ウベルの方を何故かちらりと見た後、動きやすい服装に着替えてくると言って下がった。
ヴァレーリアが下がってしばらくするとメイドがやってきた。私を訓練場に案内するらしい、ヴァレーリアは直接訓練場に向かったそうだ。
訓練場につくと端っこの方でヴァレーリアが鎧をつけていた。その場にいた兵士が私の分の鎧と剣も持ってきてくれたそうで、私はそれを着てヴァレーリアと一緒に訓練場に入った。
ヴァレーリアと向かい合って剣を構える。練習用の剣は刃を潰してある以外は本物と同じなのでかなり重い。
私は最初に持ったときはまともに振ることも出来なかったが、ヴァレーリアは意外にもしっかり構えて見せている。
「意外と様になっているではないか、お前剣術の才能があるのかも知れないぞ?」
そういって褒めると、ヴァレーリアは嬉しそうにありがとうございます、と言って微笑んだ。
審判役のレーヴェレンツ家の兵がヴァレーリアと私の様子を確認した後、始め! と宣言をした。
ヴァレーリアはすぐには動かない、いや、鎧と剣の重さでまともに動けないのだろう。それなのに戦うなどと言って私と張り合おうとする姿はとてもいじらしく、思わず笑みがこぼれた。
か弱い令嬢をあまり疲れさせても悪いだろうと、私は勝負を終わらせる事にした。
「はぁー!」
大きく声を上げながら踏み込んだ私の視界からヴァレーリアが消え、脇のあたりに軽い痛みが走った。
「勝者、ヴァレーリア様!」
何が起きたのか分からなかった、何故かヴァレーリアが私のすぐ後ろにいる。
「私の勝ちです、王子」
ヴァレーリアが静かにそう言った。ヴァレーリアが勝ち? 私が負けたというのか? いや、そんな事があるわけが無い。
私の剣の教師も、私の事を百年に一人の天才剣士と褒めているのだ、そう負けるわけが無い。
ヴァレーリアが剣を触ったことも無いと思って油断したからだ。言わばさっきのは騙し討ちにやられたようなもの。そんなのは実力ではない。
「ま、待て! 今のは私が油断してしまっただけだ! 今のが実力なわけがないだろう! 今のは無しだ! 仕切り直しをするぞ!」
私がそう正当な要求をすると、流石にヴァレーリアも悪いとは思っていたのかあっさり受け入れた。
今度は油断しない、しっかりと城でやっている通りの剣術を使う。そう思いながら剣を構える。
「始め!」
「ふっ!」
審判の宣言と同時にヴァレーリアが切りかかってきた、
驚いて思わず剣で守るが、つるりと躱すように剣が滑り、そのまま私の首筋にぴしりと何かが当たった。
「勝者、ヴァレーリア様!」
信じられない、まさか私が落ち着いて正々堂々と戦おうとしている時に、奇襲のような攻撃で乱すなんて、ヴァレーリアはここまで卑怯な者だったのか。弱いものが勝つにはこずるい手を使う必要があるのかもしれないが、王子である私にそんなことをするなんてありえない。
その上私が上手くしのいだところでヴァレーリアの剣が良い方向に滑ったのだ。あれが無ければ私がそのまま勝っていたのに、こんな下らない偶然に負けるなんて屈辱だ。
「違う! こうなる筈がない! 私が負けるはず無いのだ! 今のはたまたま運が悪かっただけだ! 実力ではない! もう一回だ!」
思わず私がそう叫んだ。今度は渋るかと思ったが、ヴァレーリアはあっさりともう一回やりましょうと言った。
もしかしたら偶然滑って勝つのはヴァレーリアとしても不本意だったのだろうか、そうすると、やっぱりヴァレーリアは卑怯なわけではないのかもしれない。
次こそは勝てると思ったが、私はその後も、その次も負けた。
もしかするとヴァレーリアは本当に私よりも強いのかもしれない、そう気付いた私は少し自棄になって向かって行ったりもしたが、まるで歯が立たなかった。
どうすれば勝てるのかと悩み始めた時、ヴァレーリアがこう言い出した。
「王子、失礼ながら私の勝ちが揺るがない事は分かられたかと思います。もう納得はして頂けませんか?」
勝ち続けられるのにわざわざこんなことを言うだろうか、いや、これはヴァレーリア自身がもう疲れて動けないからこその言葉だ。それならまだ勝ちの目はある。
「いいやもう一回だ! お前とて隙が無いわけが無いのだ、何度も戦えばいずれその隙も大きくなろう? そうなれば私の勝ちだ」
どうだ、図星だろう? と心の中で語りかけながらヴァレーリアを見る。すると、やはり限界だったのだろう。ずっとすまし顔だったヴァレーリアの顔に初めて疲労の色が見えた。
勝利を確信した私はにやりと笑ってこう言い放ってやった。
「最後に勝つのは私だ、頭脳の差だな」
それがまずかったのか、次の瞬間ヴァレーリアが豹変した。
「王子、貴方はどうやら何も理解しておられないのですね」
ヴァレーリアから発せられた声を聴いた瞬間背筋が凍った。先ほどまで目の前にいた少女とは思えない、冷たく、そして無感情な声だった。ヴァレーリアはそのまま続けて言った。
「王子、私は最初に言ったはずです。兄のように強く、私を守ってくださる方と結ばれたいのだと。貴方では兄に遠く及ばない。今の貴方では私の事はもちろん、誰も守る事が出来ません」
私は本気で驚いた、ここまで無礼な事は父上や兄上にだって言われたことは無い。
もちろん城の教師たちにもだ。ヴァレーリアは何様のつもりなのだろうか。
「な! 何を、無礼ではないかっ」
「王子。貴方は貴方の選択によって何を失うのか、理解されているのですか? この試合の事だけではありません、貴方が本当に守るべきものを守る時に、今と同じことをされるつもりなのですか?」
「失う? 最後に勝てば私の勝ちなのだから何も失う必要などない」
当たり前だ、私はこの勝負にだって勝つつもりだ。それを負けそうになったからってひっくり返すなどやはりヴァレーリアは卑怯なのか。
「では聞き方を変えましょう。王子が私の婚約者となられたとして、私がならず者に襲われそうになった場合でも、王子は今日のように誤魔化すのでしょうか。私がどうなろうと、王子自身が最後にいい相手と結ばれることが出来ればいい、そう仰るおつもりですか?」
ヴァレーリアは私の揚げ足を取るような事を言い始めた。
確かに私の言い方が悪くてそんな風に言い換えられるのかもしれないが、実際に私の婚約者が襲われるようなことがあれば私は助けるはずだ。
「そ、それとこれとはまるで話が違うではないか。これはあくまで試合で、生きるか死ぬかというような重大な戦いでは……」
「あら、王子は私の人生が決まる婚約を掛けた試合を、重大な話では無いと仰るのですね?」
ヴァレーリアの言い方はとても柔らかいのに、私は冷たく響くその声を聴いて、私は何か絶対に言ってはならない事を言ったのだと悟った。
思わずヴァレーリアの顔を見るとうっすらと微笑んでいるのに、私を殺そうとしているのではないかと思うような、とてつもない寒気を感じた。
ヴァレーリアが美しいだけに震えるほどに恐ろしい。特に彼女の煌々と燃える目が、燃え滾る彼女の怒りをそのまま表しているかのようだった。
「少しだけ理解できたのではないですか? さっきまで私の勝利を無視してもう一回と言っていたのは、私が自分の人生をかけて必死に戦っている姿に唾を吐きかける行為だと」
ヴァレーリアに言われてようやく気付いた。ヴァレーリアはヴァレーリアの守りたいものを守る為に戦っていたのに、私はそれを意地になって無理やり奪おうとしていたのではないか。
私はそうまでしてヴァレーリアの婚約者になりたかったのだろうか、いや、元々は彼女も喜んでくれるなら、と思って言ったはずだったのに。どうしてこうなってしまったのか。
泣きたいような気持のまま、せめて誤解だけはと思って私は口を開いた。
「私は、私はそんなつもりでは――」
「王子はご家族の事が好きですか?」
だが、ヴァレーリアは私の言葉を聞くことなく遮るようにして質問をしてきた。
突然の質問に意味が分からないと思いつつ私はもごもごと答えを返す。
「え!? あ、あぁ嫌いではないが……」
「そうですか……では王子、一つ例え話を致しましょう」
そういって彼女は私に剣の切っ先を向けた、もしかするとこの場で家族に別れを告げろと言われるのだろうか。
練習用の刃が潰れているのは知っているのに、ヴァレーリアの迫力に思わず後ずさって剣を見つめてしまう。
「今、貴方の後ろには貴方の大事な相手、家族や使用人、友人が弱って倒れています。熱病に罹り、怪我を負い、足枷を付けられ、弱り果てている。貴方しか戦える者はいません」
突然ヴァレーリアがそんなことを言い出した。突き出した切っ先から目が離せないまま、淡々と告げられる内容が頭の中でぐるぐるとまわる。
父上や母上、城のメイドに側仕え、教師たちやウベル、彼らが病気や怪我をして、苦しんでいる姿を想像してしまう。
きっと私は自分だけが元気な中そんな彼らを見るのも辛い。
「そして、今貴方が負ければ、貴方の大事な人はそれを憎む相手に必ず殺される。苦しんで、悲しんで、全てに絶望しながら惨たらしく殺されるでしょう」
冷たく無感情な声が身体に染み渡り、意味が頭まで届いた時ドキン、と心臓が止まった気がした。
私が戦って勝たなければ、父上や母上に会えなくなる。苦しんで殺される。
皆の笑った顔が頭の中に浮かんで、それを失う恐怖に息が苦しくなる。
……私が、負ければ皆を……
きっと皆私を呪いながら死んでいくのだろう。ヴァレーリアに負け、打ち伏せられて倒れた自分の目の前で、いつも褒めてくれる優しい声が失望と罵倒に変わりながら消える姿を想像して吐き気がした。
「王子!」
ヴァレーリアに呼ばれてはっと気が付いた。いつの間にかヴァレーリアが剣を構えている。
「構えてください、アルドリック王子」
その声に半ば反射的に剣を構える。が、力が入らない。
「始め!」
審判の宣言に前だけは向くが、体がガタガタと震えるのが分かる。
目の前にいる少女は、さっきまでなんども戦ったのと同じ人物の筈なのに、まるで違って感じた。
そもそもヴァレーリアに私は一度も勝ててないのだ。あの恐ろしい燃える目を持った、隙なんてまるでない相手に向かって行くなんて無茶だ。きっとまた勝てない。負けてしまう。そして負けたのなら……
――貴方が負ければ、貴方の大事な人は……
さっきの声が頭の中で跳ね返るようにして響いて聞こえる。息が荒くなってしまうのが分かる、怖いのだ。背後からは負けた私を恨む声が聞こえてくる。
剣が、鎧が重い、視界が暗い、手足が自分の物ではないものを無理やりくっつけたかのようだ。勝てるわけが無い。
ジャリ、と音を立てて一歩こちらに近づいたヴァレーリアに対し一瞬呼吸が止まり、すぐさま一歩引いてしまう。
そのまま彼女がゆっくりと近づいてくる。来ないで欲しい、嫌だ、さっきまでの鋭い剣が思い出される、戦っても勝てない、駄目だ、怖い、怖い! 私はいっそ、いっそこの場から――
「それで、王子は逃げ出すのですか?」
私はその声に目を見開いた。
その声は今までの感情がない声とは違って、どこか願うような、祈るような声だと思った。
私は目を思い切り瞑って、自分を心の中で罵倒した。
逃げるのも負けるのも大事なものを守れないという意味で同じだ、それなら、せめて私は、第二王子アルドリックとしての誇りが残る選択をする!
もう一度目を見開いた私の身体からは、すっかり震えが消えていた。
相手の方が強いのはもう痛いほどわかった、だけど、それでも。私は剣を強く握り上段に仕掛けた。
「はぁぁあ!」
私の渾身の攻撃はあっさりヴァレーリアに受け止められる、が、ヴァレーリアは必ずそこからそのまま攻撃を仕掛けてくる。すぐに剣を弾いて距離を取り、今度は中段に思い切り突きを放つ。
「やぁあああ!」
ヴァレーリアはそれを柄で流し、そのままこちらに切り込んでくる。
とっさに私は足を抜いて避けようとしたものの
……間に合わない!
「っ!」
「勝者、ヴァレーリア様!」
審判の宣言に私は思わずその場で崩れ落ちた。悔しくて悔しくてたまらない。
私は絶対に今までで一番良い動きが出来た。何戦もして毎回一瞬でやられていたヴァレーリアの剣を一度は弾き返したのだ。二度目だって、私がもっと早く動ければ避けるくらいはなんとか出来たはずだ。
でも、出来なかった。負けたのだ。私は、全力で敗北した。
「私は……私はっ!結局勝つことが出来なかった……! これではっ……!」
涙が溢れそうだった、自分への怒りでどうにかなりそうだった。私は何かもが足りていなかった。
剣の腕も、考えも、覚悟も、全てがヴァレーリアに負けていた。 敵わなかった。
ふと目の前に影が落ち、ヴァレーリアが私に合わせてしゃがんできた。
「ですが王子」
私にそう話しかけながらヴァレーリアのハンカチで汗を拭ってくれる。
「今の貴方は、先ほどまでの貴方よりもずっと素敵ですよ」
そう言って甘く微笑んだヴァレーリアは、まるで昔絵本で見た命の女神のように愛らしく、私は一瞬で自分の顔が赤くなってしまったのがわかった。
ドキドキと心臓が高鳴る。だが先ほどの試合までとは違い、どこか心地よさすらも覚える高鳴りだ。
そんな状態のまま彼女に汗を拭かれていたら恥ずかしくてどうにかなりそうで、無言のまま彼女からハンカチを取ってしまった。
そんな私をちょっと不思議そうに見ていた彼女が立ち上がると、ほんの少し距離が離れたような気がして思わず声をかけてしまった。
私の声に振り返ったヴァレーリアは、先ほどまであれ程恐ろしかった少女と同一人物とはとても思えない、可愛らしくて綺麗な女の子だ。
……私はこの子をそれ程までに怒らせてしまったのだな。
「その、ヴァレーリア、すまなかった。失礼な事を私はヴァレーリアに言ってしまった」
私の言葉に一瞬少しヴァレーリアが驚いたように見えたのは気のせいだろうか。
「いいえ、気にしてませんよ」
そう言って微笑んだ彼女の愛らしさにまた先ほどの熱が戻ってくる。
だが、気にしていない、というのはきっと嘘だろう。この言葉を真に受けて気にしないようでは私はきっと駄目なのだ。彼女を傷つけてしまったことを、どうして傷つけてしまったのかを、私の中に深く刻み込まなければいけない。
「それとヴァレーリア、私は……」
……私は、君との婚約を諦めたくない。
そう言おうと思った、しかし、今の私では彼女の隣に並ぶのにふさわしくない。
だから私はその言葉を今は飲み込んだ。
「いや、私とまた勝負してくれないか」
「え……?」
ヴァレーリアが少し訝しむような目を向ける。きっとまだ懲りないのかと思っているのだろう。
「今度は婚約を賭けてじゃなく、勝ち負けを決める為にヴァレーリアと戦いたい。またレーヴェレンツ家にくれば勝負してもらえるだろうか」
そして、勝つことが出来た時に改めて、ヴァレーリアに婚約を申し込もう。私に、命を懸けて君を守らせて欲しい、と。
ヴァレーリアは少し驚いた顔をしてそうですね……、と考えこんだ。
ふっと顔を上げたヴァレーリアは指を立ててこう言った。
「……わかりました。但し、二つ条件があります。」
「私の我が儘だ、出来る限り飲もう」
「一つ目は勝ち負けを決める勝負は一日に一回だけという事、訓練や勉強なら付き合います」
嫌でも先ほどの恐ろしい彼女の姿が脳裏にかすめ、私は苦い顔をしてしまう。
流石にまた同じことをして怒らせるつもりはない。
出来ればあんなヴァレーリアは二度と見たくないものだ。
「二つ目は、勝負の内容は私が決めるという事、王子が続ける限り、勝負の後に次回の勝負の内容を伝えるようにします」
二つ目の条件に首をかしげてしまう。構わないとは思うが、いまいち条件の意味がわからない。
「勝負の内容? 例えば何だ、武器を変えたり魔術を使うようにするのか?」
「いいえ、例えば持久走や机上戦術戦、座学の試験です」
持久走や机上戦術戦はまだ守ることに繋がるのも少しわかるが、座学は別につながらないような気がする。
そこまで考えたところで気付いた、よく考えると私は単に勝負がしたいと言ったのだった、婚約と関係が無いとヴァレーリアが思っている以上、守ることに繋がらない内容が含まれるのも当然だ。だが勉強でも私は問題ない。
「そうか、勉強もか。いいぞ、私は勉強もとく……い……」
言いながらふと気付いた事がある。私は剣術がとても上手いつもりだった、教師が私を天才だと言っていたからである。しかしヴァレーリアに徹頭徹尾敗北した。
そして、私は勉強も教師が私を天才だと褒めているから出来るつもりでいる。だが、もしかするとこのままではヴァレーリアにまた敗北するのではないだろうか。
これは帰ってから勉強をもっと頑張らないといけないのかもしれない。
「王子?」
気が付くとヴァレーリアがすぐ目の前に顔を近づけて覗き込んでいた。私は思わず驚いて立ち上がった。
「あぁ! すまない。さっき言った条件でいい、それで次会った時は何で勝負するんだ?」
「そうですね、では数学に致しましょう。お互いに先生に試験問題を作ってもらい、それら二枚を解く。合計点数が高い方が勝ちです。もちろん、自分の先生の試験内容を教えて貰っては駄目ですよ」
ヴァレーリアは数学が得意なのだろうか、それなら私も城に帰ったら教師にもっと数学を教えて貰わないといけない。
いや、一緒に勉強するのなら付き合うとヴァレーリア言っていた。すぐに試験を作ってもらってヴァレーリアと一緒に勉強をする方が楽しそうだ。
「わかった、教師に頼んでおこう」
これからの事に思いを馳せて私がわくわくしていると、ヴァレーリアが突然焦ったような表情になった。
「王子、こんな時間まで長々とお引止めしてしまって申し訳ありません、すぐに馬車へ向かわれませんと」
「謝る必要はない、私が我が儘を言ったのが原因だ。」
なるほど、確かに空を見るとだいぶ暗くなり始めている。だが速馬車で来ているのだから多少は無茶が効くだろう。それに私が何度ももう一回なんて言って怒らせたのが原因だ。
「そんなことより、ヴァレーリア」
先ほどから私が何度も敢えて名前で呼んでいる事に気付かないのだろうか。
ちょっとだけムッとしながらヴァレーリアに歩み寄る。
「な、なんでしょうか王子」
「それだ、その呼び方。王子では私なのか兄上なのか分からないではないか」
私がそういうと一瞬すいっと目を彷徨わせ一考する素振りを見せた後、わかりましたでは第二王子と、などというとぼけた答えを出してきた。もしかしてわざとなのだろうか。
「違う! 私はアルドリックだ。私はお前をヴァレーリアと呼ぶ、ヴァレーリアも私をアルドリックと呼べ」
「わかりました、アルドリック様」
ヴァレーリアはまだよくわかっていないような顔をしていたが、それでも了承してくれた。
「うむ」
ヴァレーリアに名前を呼ばれるのは何だか少しくすぐったいような、胸が温かくなるような感じがして、とても私は嬉しかった。
「王子、お嬢様。仲睦まじくされてっところ申し訳ありやせんが、そろそろお時間が」
いつの間にか近くにやってきていた大男がそういうとヴァレーリアが思い出したとばかりに焦り始めた。
「そうでした! アルドリック様急ぎませんと、あまり遅くなると馬車でも危険です!」
ヴァレーリアに先導され、私はそのままついていく。そういえばヴァレーリアは私が速馬車で来ていると知らなかったのだなと思い出した。
「いや、私は今日速馬車で来ているから恐らくは大丈夫だろう、速馬車が襲われたという話は聞いたことが無い」
「速馬車ですか!?」
ヴァレーリアが大きく驚いた。恐らくは彼女も速馬車には乗ったことが無いのだろう。
初めて明確な優越感を覚えたが、それ以上に是非彼女も速馬車に乗せて喜ばせてあげたいと思った。
「そうだ。ヴァレーリアもいつか城に来る時には速馬車に乗れるように手配してやろう」
私の申し出に対してヴァレーリアは淡く微笑んだ。
その愛らしさに彼女の願いを叶えてあげようと強く私は思った。
閑話(本編三話分のボリューム)
本編と同時に書いてたら夜が明けてました。
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