王子との戦い~攻撃~
「王子、貴方はどうやら何も理解しておられないのですね」
自分でも少し引く程に冷たい声が出て、王子が驚いたように目を見開いて瞬きをする。
「王子、私は最初に言ったはずです。兄のように強く、私を守ってくださる方と結ばれたいのだと。貴方では兄に遠く及ばない。今の貴方では私の事はもちろん、誰も守る事が出来ません」
私の断言に王子は顔を真っ赤にして目を吊り上げた。しかしこれは私の想像ではない、この先王子が辿る可能性のある未来の一つだ。
「な! 何を、無礼ではないかっ」
「王子。貴方は貴方の選択によって何を失うのか、理解されているのですか? この試合の事だけではありません、貴方が本当に守るべきものを守る時に、今と同じことをされるつもりなのですか?」
王子の言葉を無視して私は問いかけた。
「失う? 最後に勝てば私の勝ちなのだから何も失う必要などない」
頭に血がのぼってしまったらしい王子は碌に考える事もせず即答してきた。
「では聞き方を変えましょう。王子が私の婚約者となられたとして、私がならず者に襲われそうになった場合でも、王子は今日のように誤魔化すのでしょうか。私がどうなろうと、王子自身が最後にいい相手と結ばれることが出来ればいい、そう仰るおつもりですか?」
問いかけながら私の胸の中で苛立ちがぐつぐつと煮える。
王子は一瞬ぐっと押し黙るが目をそらしながら拗ねるような言い方で口を開いた。
「そ、それとこれとはまるで話が違うではないか。これはあくまで試合で、生きるか死ぬかというような重大な戦いでは……」
「あら、王子は私の人生が決まる婚約を掛けた試合を、重大な話では無いと仰るのですね?」
思わず目を細めて薄く微笑んでしまう、声のトーンも更に一段階下がったのが分かった。
王子の顔がサッと青くなる、子供を苛めているようで少し嫌だが、同情は欠片もしない。
何故なら王子はまるで話が違うと言ったが、実際に成長したこの人は婚約者であるヴァレーリアを捨て、恋人であったアンネマリーを見捨てるのだ。ここで彼にそれを理解させなければ、ゲームと全く同じ選択をする事だろう。それだけは避けなければならない。
「少しだけ理解できたのではないですか? さっきまで私の勝利を無視してもう一回と言っていたのは、私が自分の人生をかけて必死に戦っている姿に唾を吐きかける行為だと」
私の言葉に焦ったように王子が上ずった声で小さく反論する。
「私は、私はそんなつもりでは――」
「王子はご家族の事が好きですか?」
「え!? あ、あぁ嫌いではないが……」
王子の言葉を遮ってした急な話題変換に王子はビクッとしながら答えた。
「そうですか……では王子、一つ例え話を致しましょう」
私は突然王子に向けて剣の切っ先を向けた、刃が潰れた練習用の剣だが、王子はそれでも恐怖を覚えたのか思わず後ずさって私の剣を見つめる。
王子はそんなつもりではなかった、と言った。なるほど確かにそうなのかもしれない、自分のしたことがどれだけ酷い事か分かっていれば、あんな選択はしなかったのかもしれない。
「今、貴方の後ろには貴方の大事な相手、家族や使用人、友人が弱って倒れています。熱病に罹り、怪我を負い、足枷を付けられ、弱り果てている。貴方しか戦える者はいません」
分かっていないのであれば、それを分からせなければならない。安易な道に逃げる事の意味を、守らなければいけないものを見捨てるという意味を。
王子は鈍く光る剣を見つめながら私の言葉を受けてじっくりと考えているように見える。
「そして、今貴方が負ければ、貴方の大事な人はそれを憎む相手に必ず殺される。苦しんで、悲しんで、全てに絶望しながら惨たらしく殺されるでしょう」
さっきから青かった王子の顔はもう白に近い。だが王子には、自分の行動の意味とその責任を理解してもらわなければならない。
何せ彼は王子なのだ。もしも彼が王となり、自分の好きなように生き、同じように全てを捨てて逃げだせば死ぬのは彼の大事な人数人では済まない、国民全員が巻き添えとなる可能性すらある。 例え話ではあるが、簡略化した事実でもあるのだ。
「そんな状況でも、先ほどのように負けても何度も再戦して欲しいとお願いすればいい、などと仰るおつもりでしょうか」
王子は動かず、返事もない。完全に固まってしまっている気がする、少しやりすぎたかもしれないが、効かないよりはいいだろう。
……ゲームのアルドリック王子ならここまで言っても脅かさないでくれってへらへら笑って来そうな気すらするけど、まだそこまで腑抜けてはないって事かな。
もしそうであればまだ取り返しがつくという事だ。どうにかここで踏みとどまって、行動と責任というものを覚えて欲しい。そうでなければ周りも、王子自身も辛い思いをする事となる。
こんな役回りをするつもりは無かったし傲慢な考えかも知れないが、もし道を正す事が出来れば正してあげたいと思う。
「さて、それでは”もう一回”でしたっけ? 次で十戦目ですね。お待たせしてしまってすみません、審判をお願いします」
「あ、あぁ」
心なしか兵士の顔も青い気がする。王子の前に立って剣を構えるが、王子は悄然としてしまって動かない。
「アルドリック王子、構えてください」
やりすぎたかもしれないではなく、やりすぎたようだ。完全に聞こえていない。
「王子!」
少し大きな声を出すとはっとしたようにこちらを向いた。
「構えてください、アルドリック王子」
一瞬びくりとした様子だったが王子もようやく剣を構えた、下段よりの構えだ。
「始め!」
夕暮れの中始まった十試合目で、九試合目までと打って変わって王子は一歩も動かなかった。
いや、よく見ると震えているように見える、動けないのかもしれない。
少し私が前に進むととそのまま王子は同じくらい後ずさった。目には明らかな怯えが見えた。
やはり王子の心には単なる怖い相手の脅かしとしてしか響かなかったのだろうか、もしくは怖がらせ過ぎて、保身を強めてしまったのかも知れない。
やるせなさと罪悪感が沸いて出る。彼は結局ゲームに出て来た通りのアルドリック王子でしかないのか。
目の前で怯えて震えるアルドリック王子に、アンネマリーの元から走り去った後ろ姿が重なって見えた。
それとも私が言葉の選択を間違ったのか、いや手段を間違ったか、或いはその両方か。後悔しても目の前の現実は変わらない。自分の無力感と浅はかさに唇を噛み、目を伏せたくなる。
それでも、私は最後に王子にゆっくりと問いかけた。
「それで、王子は逃げ出すのですか?」
距離を少しずつ詰めながら私が言うと、一瞬カッと目を見開いた後、王子はぎゅうっと目を瞑った。
大きく息を吸い込み呼吸を整えている。その一息毎に王子の震えが収まり、身体に力が籠っていく様子が見て取れた。
数呼吸後にアルドリック王子が目を開いた時、怯えや迷いは完全に消え失せ、顔を上げて意志の籠った目で真っ直ぐとこちらを見据えていた。
「はぁぁあ!」
直後、王子は剣を一層握り込むと、上段を斜めに切り下ろしながら突っ込んでくる。
私はそれを柄を突き出すような形で手元に近い位置の刃で受け、そのまま刃を動かして一撃を入れようとするが、上手く弾かれて仕切り直しの状態へと持ち込まれる。
最初の一戦での何も考えてない攻撃とは違う、負けないようにちゃんと考えての攻撃を王子がしかけたのだと分かる。
「やぁあああ!」
今度は中段に突き出すようにした攻撃だ、私はそれをまた柄で受け、手首を動かしてそのままカウンターを放つ。
「っ!」
王子は体制を崩しながらも必死に避けようとしたが、私の一撃はそのまま王子に入った。
「勝者、ヴァレーリア様!」
審判の宣言に、王子はがくりと崩れ落ちる。
「私は……私はっ!結局勝つことが出来なかった……! これではっ……!」
絞り出すように王子は慟哭した。今までのような大声で駄々をこねるような怒り方ではなく、今日初めて王子は、自分自身に対しての怒りだ。
それは私の知っている笑顔と不満そうな顔と退屈そうな顔しかしない、ゲームの享楽に耽るアルドリック王子とはかけ離れていた。
集中していたのか一気に汗を噴き出しているし、地べたに跪いて汚れている上に涙も零れそうな酷い恰好だったが、今日、いや、ゲームも含めて間違いなく一番格好いいアルドリック王子の姿だ。
私はハンカチを出して跪き、王子の汗を拭きながら話しかけた。
「ですが王子、今の貴方は、先ほどまでの貴方よりもずっと素敵ですよ」
私の言葉に王子は顔を赤くし、う、ぐ、などと言葉に詰まった後黙り込んでしまった。
もしかすると何か変にプライドを刺激してしまったかも知れない。無言でハンカチを取られてしまった。
王子は黙ってしまったが、今日の事を王子が忘れずにいてくれるならきっとアンネマリーが王子を選んでも、もう王子はアンネマリーを見捨てたりはしないだろう。
良かった良かったと心の中で息を吐いて立ち上がると王子から、その、と声を掛けられた。
「その、ヴァレーリア、すまなかった。失礼な事を私はヴァレーリアに言ってしまった」
驚いた。まさか素直に謝られるとは思っていなかった、少なくとも私は前世でそのくらいの歳の頃自分が悪くても素直に謝れるような子供ではなかったし、ゲームのアルドリック王子も自分の非をすぐに認められる人では無かった気がする。
思わず瞬いた私はそのまま微笑んで、気にしてませんよと告げる。
「ぐ、それとヴァレーリア、私は……いや、私とまた勝負してくれないか」
「え……?」
まさかのさっきの感動は何だったのかという宣言である。しかし跪いたまま私を真っ直ぐに見上げる、王子の澄んだ月のような目はもう一回なんて我が儘を言い出すようには見えない。
「今度は婚約を賭けてじゃなく、勝ち負けを決める為にヴァレーリアと戦いたい。またレーヴェレンツ家にくれば勝負してもらえるだろうか」
思いもよらぬ言葉にポカンとしてしまう、良く分からないが、ライバル認定されてしまったのだろうか。はっきり言ってあれだけ色々言ってしまった後にまた、などと言われると気まずさと申し訳なさもあり、複雑な心持になってしまう。
「そう、ですね……」
その場で口ごもってしばし考える。王子の真意はやっぱり読めないが、これはこれでいいのかも知れない。
今王子の身の回りに王子を正しく導ける人がいないのは絶対に間違いがない。 そんな人がいるのであればゲームでもあんなことにはなりようが無いからだ。
そうであれば、私が正解に導くとまで言えなくても道を踏み外さないためのストッパーくらいにはなれるかもしれない。それならアンネマリーが王子を選んでも安心だ。
「……わかりました。但し、二つ条件があります」
「私の我が儘だ、出来る限り飲もう」
「一つ目は勝ち負けを決める勝負は一日に一回だけという事、訓練や勉強なら付き合います」
王子も流石にやらないだろうが、今日みたいに何度ももう一回に付き合わされるのはもう勘弁して貰いたい。
王子は少し苦い顔で頷いた。
「二つ目は、勝負の内容は私が決めるという事、王子が続ける限り、勝負の後に次回の勝負の内容を伝えるようにします」
「勝負の内容? 例えば何だ、武器を変えたり魔術を使うようにするのか?」
……なんで戦う事しか頭にないのかこの王子は。
「いいえ、例えば持久走や机上戦術戦、座学の試験です」
これはゲームの中の王子が座学の成績も全体的に悪かったのを思い出しての策だ。これを機にちゃんと王子らしい成績になれば良いと思う。
それに私としても毎回剣で勝負するのも面倒という事もある。座学の試験であればすぐに済むし、誤って怪我をさせるような事も起こらない。
「そうか、勉強もか。いいぞ、私は勉強もとく……い……」
自信満々に口を開いた王子は何故か最後だけ尻すぼみに声が小さくなると考えこむように黙ってしまった。
このルールに何か不都合があったのだろうか。
「王子?」
私が顔をのぞき込むと意識が返ってきたようで、ばっと後ろに下がって立ち上がった。
「あぁ! すまない。さっき言った条件でいい、それで次会った時は何で勝負するんだ?」
「そうですね、では数学に致しましょう。お互いに先生に試験問題を作ってもらい、それら二枚を解く。合計点数が高い方が勝ちです。もちろん、自分の先生の試験内容を教えて貰っては駄目ですよ」
これなら一応公平にはなる筈だ、お互いのレベルがあっているかはまた別として。
「わかった、教師に頼んでおこう」
そういって楽し気に笑う王子は、何だか憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔をしていた。
ふと横からザッザッという足音が聞こえてきた見るとベアノンがこちらに歩いてきている。そこで周りをみて失態に気が付いた、長話をし過ぎたようだ。もうだいぶ日が傾き、夜に近づいていた。
「王子、こんな時間まで長々とお引止めしてしまって申し訳ありません、すぐに馬車へ向かわれませんと」
「謝る必要はない、私が我が儘を言ったのが原因だ。そんなことより、ヴァレーリア」
空をくるっと見回していた王子が不意に私の名前を呼んで近づいてくる。
「な、なんでしょうか王子」
「それだ、その呼び方。王子では私なのか兄上なのか分からないではないか」
そうだろうか、王子は敬称なのだし、先生だとか教授だとかのように使うものだと思っていた。
「わかりました、では第二王子と」
「違う! 私はアルドリックだ。私はお前をヴァレーリアと呼ぶ、ヴァレーリアも私をアルドリックと呼べ」
面倒なところに拘る男だな、と思ったがもしかしたら自分の名前に特別な思い入れがあるのかもしれない。知らないが。
そういえばゲームでアンネマリーはアルドリック王子と呼んでいた気がする。学園には第一王子も在籍していたのだから当然だが、 やはり何かしら拘りがあるのだろうか。
「わかりました、アルドリック様」
「うむ」
良く分からないが王子は満足気にしている。
「王子、お嬢様。仲睦まじくされてっところ申し訳ありやせんが、そろそろお時間が」
いつのまにか横まで来ていたベアノンがいつものように人懐こい笑みを浮かべながらそう言った。
「そうでした! アルドリック様急ぎませんと、あまり遅くなると馬車でも危険です!」
私は王子を先導して訓練場から王子の護衛がいる場所へと向かう。
「いや、私は今日速馬車で来ているから恐らくは大丈夫だろう、速馬車が襲われたという話は聞いたことが無い」
「速馬車ですか!?」
私はとても驚いた、速馬車は馬ではなく、ヒュアトというとても高価な生き物を使って走らせる車だ。王族が特別な用事の時にしか使わないと習っていたのに、何故この王子はここに来るためなんかに使っているんだろう。
「そうだ。ヴァレーリアもいつか城に来る時には速馬車に乗れるように手配してやろう」
王子は私が驚いたことに満足したようで、非常に自慢げだ。
走らせた後のエサ代で平民の一財産くらい飛んでいくような乗り物に乗りたくないが、嬉しそうなアルドリック様に嫌ですとも言えず、私はにこりと笑って誤魔化した。
こんな80年代の青春ドラマみたいな、
『やるじゃないか』『ふっお前もな』感出すつもりなかったのに。
どうしてこうなってしまったのか。




