はじまりの出会いは宿屋で
彼は夢を見ていた。その夢はあまりに残酷で、だが同時にひどく美しい、そんな夢だった。それは景色を映していたのか、あるいは人物や国を映していたのか、もはや起きてからでは忘れてしまうだろう。だから彼は覚えていようと思った。どんな夢かもわからなくなる前に。
トウヤは、ゆっくりと目を開けた。
「目覚めたようだね、トウヤ」
「……あなたは……」
「コラージュという者だ。光烈の国の……いや、こんなことを言っても意味はないか」
「ここはどこですか」
「光の国の王城、その一室さ。簡単に説明すると、君は召喚されたんだ。召喚したのは、まあ、一言でいうと、世界、と言った所かな」
「世界? 僕は世界によって召喚されたんですか? わけがわからないのですが」
「うん。そうだろうね。なにせ君は、この世界の人間ではないのだから」
「……つまり、この世界は、僕にとっては、異世界、ということですか」
「ああ。そんなところだ。さしずめ、異世界戦国、と言った所だろうね。この世界、というか、大陸なのだけれど、この大陸はニルスオーラヴと呼ばれている。結構な大きさの大陸だが、歩き回れないほどの大きさではない。そして六つの国がある。その六つの国が、ずっと長い間、争ったり争わなかったりしている。ここまで、オッケー?」
「はあ、まあ……。なんとなくは」
「うん。なら大丈夫だ。もっといろいろ聞きたいことはあるだろうが、人を待たせていてね。詳しくは移動しながら話そう。それでももっと詳しく聞きたいと思ったら……」
「思ったら?」
「うん。私よりもずっとそういう説明が上手な者が待っている手はずだからね。その者に詳しく聞くといいだろう。時間は、たっぷりあるはずだろうし‥…さあ、行くよ!」
「何だかよくわからないですけど、よろしくお願いします……」
トウヤは謙虚そうに頭を垂らした。
その様子が意外だったのであろう、光の王コラージュは大きな声で笑った。
「ははははは。光闇の両眼を持つ者が、こんなに謙虚な男だとは思わなかったな」
「はあ……」
いまいち判然としないトウヤは、しかしどのくらい眠っていたのかもわからなかったが、元気そうに立ち上がると、光の王コラージュの後ろをついていった。
「さて、変装、変装、と」
光の王コラージュは少し楽しそうにそう言うと、トウヤの左眼にカラーコンタクトをはめた。それは光の色をしていた。トウヤの両眼は光の色となった。
「この大陸では眼の色が大切だ。ここは光烈の国。ゆえに光の色をした瞳がもっとも過ごしやすいのだ。……まあ、君と違って、私なんかはもっと変装しなければならないのだが……」
そう言ってから彼はフードを被り、そしてメガネをかけた。
「まあ、有名人であっても、この程度で大丈夫なものさ」
「有名人なんですか?」
「うん。時々命を狙われる程度にはね」
彼は恨めしそうに言ってから、また大きな声で笑った。よく笑う人なんだなあ、とトウヤは面白く思った。
「……っと。どうやら私は浮かれているらしいな。なにも変装を楽しんでいる訳ではないのだがね……」
光の王コラージュが浮かれていることは確かだった。トウヤは事情を知らないため、何故彼がこんなにも上機嫌なのか計れなかった。
そして同時に思い出した。自分が自分の名前以外、なにも思い出せないのだということを。
トウヤはそのことを光の王コラージュに語った。
すると彼は一瞬悩むかのように呻き、そしてややしてから、トウヤに尋ねた。
「君は過去と未来、どちらを望むんだい?」
トウヤはやや悩んでから、答えた。
「……どちらも、というのは贅沢でしょうか」
光の王コラージュは苦笑した。様々な経験を持つ彼には、それはあまりにも難しいことだとわかっていた。
「両方というのは、難しい……。時にはどちらも手に入らないこともあるのだから」
「なるほど。人生とは、酷なものですね」
光の王コラージュの光の両眼。その眼の奥がきらりと光る。
「人生とは、非情なものだよ」
そんな会話を交わした後、彼ら二人は街の一角にたどり着いた。
何の変哲もない木造の建築物。築二、三十年は経っていそうな程度には古かった。
「ついたよ。ここで、待ち合わせをしているんだ」
トウヤはそれを聞いてから後悔する。いろいろと聞きたいことがまだあったような気がする。もっと質問する内容を考えるべきだったな、と。
「ここは宿屋だ。ここの二階に部屋が一つとってある。そこの鍵を手に入れるには、宿屋の主人に合言葉を唱える必要がある。その合言葉を君に教えよう……」
そして彼は合言葉をトウヤに告げると、名残惜しそうにため息をついてから、「それじゃあ」と言葉を続けた。
「私が君を導けるのはここまでだ。だが、本当の導き手はこの宿屋の二階で君を待っているはずだ。だからなにも不安に思うことはない。たとえ記憶がなくても……。過去がないなら、未来を作ればいいじゃないか。私は、勝手ながら、そう思う。では、いつかまた会おう、光闇の魔導師よ」
光の王コラージュはトウヤに背を向けて、最後に手を挙げて挨拶とすると、立ち去っていった。
トウヤは一人になったせいか、急激な不安に襲われた。
右も左もわからない通りには、大勢の人が行き交い、犬が吠え、鳥がはばたいている。
東から太陽が昇り、西へと落ちていく。
そんな当然なことも違うのだろうか。ここは異世界だ。違っても不思議ではない。
太陽の常識は知っているのに、記憶は一切ない。不思議なものだな、とトウヤは首をかしげる。
そして宿屋へと足を踏み入れた。
「こんにちはー……」
声に気がついたのだろう、すぐに宿屋の主人らしき人物が奥から姿を現した。
トウヤはぺこりと頭を垂らしてから、言う。
「闇の王レイドウは、遅刻癖のある馬鹿だ」
宿屋の主人はくすりともせずに鍵を取り出し、トウヤへと手渡した。
「二階の一番奥の部屋だ。防音機能の備わった特別製だ」
「どうも……」
トウヤはゆっくりとした動作で木製の階段をぎしぎしと昇る。
床が抜けたりしないよな、と心配しながら奥へと進み、部屋の扉の前へとたどり着くと、鍵穴に鍵を躊躇なく差し込んだ。
かちり、と音が鳴る、かと思いきや何も音がしなかった。逆に回してしまったのかといぶかしみながら扉に手をかけてみると、それは既に鍵が開いていたのだった。
「鍵の意味とは……」
そう独り言をつぶやいてから、扉を開ける。
二人の人間が、そこで待っていた。
それは幼い白髪の少女と、屈強な肉体を持った年相応の大男であった。
少女の方は真っ赤な両眼を持っている。大男の方は青色の両眼である。
その二人はトウヤを観察するかのような目で見た後、片方はため息を付き、もう片方も目を閉じた。
まるでトウヤという人物の全てを見透かしたかのような態度であった。
大男の方が口を開く。
「名はなんという」
「トウヤ」
あれついさっきもこんなやり取りをしたような、とトウヤは疑問に思う。
少女の方はもう一度ため息をついた。
「変な名前だな……」
失礼だぞ小さい癖に、とトウヤは心の中で怒ってから気が付く。
この人、『小さくないぞ』、と。
トウヤは気がつかなかったことだが、その気づきこそが彼の最初の『特性』の発動であった。
そして同時に、これは視覚で気がついたことだが、トウヤの隣の壁に設置されている鏡を見てトウヤはやや驚いた。
(俺って、白髪だったんだ……)
トウヤの髪色は、目の前にいる少女と同じ白髪であった。
記憶がないといえども、そのことには多少のショックを受けた。
彼のそんな感情などお構いなしに、少女は言う。
「さあ、まずは、自己紹介といこうか」
こうして彼らはまずは自己紹介からはじめることとなった。
長い長い旅の、そのはじまりである。