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弧を描く夜



 二人は森の外れ、まったく人がいない道を歩いた。


 会話は、無かった。


 虫たちの声が先ほどよりも大きくなったその夜は、夜空に三日月が出ていた。


 トウヤは立ち止まって、ミラに話しかける。


「ここは異世界なのに、僕の世界と同じように、太陽があって、月がある」

「そうか」

「そういう知識は覚えているのに、僕の個人的な記憶は何一つない。そのことが、この大陸にいる間ずっと、どこか寂しかった」

「そうだろうな」

「……だけど、新たに目覚めた僕の『読心』でミラの心、過去を見て……、記憶があることが必ずしもいいことだとは思えなくなった」

「この世界の多くの者は誰かを亡くしているし、拷問だって受ける者は大勢いる。私の記憶のような経験をしているものは、このニルスオーラヴには溢れんばかりに存在している」


 ミラは炎を手のひらで燃やすと、一本の木にその炎を押し当てた。


 ミラの高温の炎に焼かれて、みるみる木が焼け落ちて、その生涯を終えた。


「こうやって、私はたくさんの命を終わらせてきた。自分の記憶が希薄になっていくにつれて、他人の記憶にも興味がなくなった。だから、躊躇なくすべてを燃やせるようになった。こうやってなんでもないことのように、命を奪ってきた。そのせいで一人になってしまった子供たちも大勢いただろう。戦争だから、と言い訳をすることは簡単だ。戦争だから、家族を壊してもいい。戦争だから、大切なものを残していく大勢の人々を、見送ってきた。見送るだけで、弔うことはあまりしなかったな」


「戦争が悪いんだ。ミラが悪いわけじゃない」


「戦争を起こすのは人間だ。私は死なないが、人間であることは変わりない。私にだって責任があるのだ。命を奪うことで生じる、その責任から、ずっと、逃げていたんだ」

「あまりに長すぎたんだ。長ければ、誰だっていつかは辛くなって、逃げたり、忘れたりするさ」


「そうかな」


「僕ですら逃げたいと思うんだ。こんな乱世から逃げたくなる気持ちは、誰だってあるはずだよ」


「お前には重圧があるからな。こんな乱世と向かい合って、救わなければならないという使命、そんなものからは逃げたくなって当然だ。私にはそんな重圧はない。私は、ずっと空っぽで、ただ燃やすべきを燃やすだけだった。そんな簡単な生き方をしているだけなのに、逃走を続けていた」


「簡単な生き方なんかじゃない! ミラの人生は誰よりも過酷で、誰よりも残酷な、戦争の代償だった。僕は今日、それをまるで体験するかのように垣間見て思った……。記憶なんてないままでいい、空っぽな方がいい、逃げることは悪いことじゃない、って」


「お前は、優しいな」


 ミラは笑った。

 そして、トウヤに数歩近づき、身体を彼に押し当てて、顔を彼の心臓の位置に当てた。

 暖かい、炎。


「心臓の鼓動が聞こえる。そして、人の温もりを感じる。私は空っぽだから、こんな温もりだって忘れていた。……おい、一度しか言わないから、聞き逃すなよ。大切なことを、今からいうからな」


 ミラは向けていた視線を一回、照れるように外してから、またトウヤに向けた。


「……ありがとう。大切なことを、思い出させてくれて」


 トウヤはこれがミラの本当の暖かさなのだとわかった。


「……ミラ。僕も、知れてよかったよ。大切な仲間の、大切だったものを」


「もうしばらく、このままでいさせてくれ」


「うん」


 二人は時間をも忘れて、時計の針が進むこともわからなくなった。

 風が吹いて、二人の白髪がなびく。

 三日月が動き、星が煌めく。


 誰にも気づかれない流れ星が、宇宙へと旅立つように、弧を描いて落ちていった。



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