武道大会開幕
「この街には温泉がない」
水鱗の国に来てから何度目かの不満であった。
ずっと同じことを言っている。
「第一、なぜこんな街中に水路を作っているのか理解に苦しむな。わざわざ移動するのに舟を使わなければいけない場合もあるし、宿の中も水が多いせいか湿気があってべたべたして不快だ。最悪な街だな、ここは」
「多少不便ではあるが、住んでいる者も皆気持ち良い者ばかりだ。慣れればなんとでもなる」
「ふん。火の眼を持つ者が歓迎されるものか。このカラーコンタクトが無ければ、買い物をすることすらもまともにできまい。ああ、まったく最悪だ。しかもこの街には温泉がない」
延々としたループであった。
ずっと文句を近くでたらたらと言われ続ける僕の身にもなって欲しい、とトウヤは思う。
しかしそんな日々もおそらく今日で終わりである。
明日には別の国へと出発するからだ。
そして、今日は、武道大会の日だ。
「では、行くか」
出場するエレグは特に緊張している様子もない。いつもと変わらない、平然とした風だ。
あまり大会に乗り気ではなかったエレグも水の王の命令とあっては、逆らうことはできなかったらしい。国に住まうすべての強き者が一同に介さなければ大会は盛り上がらない。そういうわけで旅よりも大会を優先せよとの命令だったそうだ。
そういうわけで、僕らも武道大会の日まで水鱗の国に滞在することになったわけだが、水と相性の悪いミラは日に日に不機嫌を募らせていくばかりだった。
エレグはこの期間を利用して家族と会っていたようなのだが、家族に関して多くを語ることはなかった。だが、良い休暇みたいなものにはなっただろう。
街を出ると相変わらずそこはお祭り騒ぎで、ピエロが玉乗りしている。
花火が打ち上がった。
大会が開催されるという合図だろうか。
「エレグ! 優勝してくれー」
「エレグ様、期待してます!」
「エレグ! お前に賭けたからなー!」
などなど、街ゆく人はエレグを次々に応援していた。
なぜエレグはこんなにも有名なのだろうか。
「見えてきたな。あれが会場だ」
応援をされてもエレグは眉一つ動かさなかったし、彼にはなにか先ほどまでにはなかった気迫のようなものも漂っていた。集中がはじまっているのだろうか。
巨大なコロシアム。
会場に入ると、そこは見渡す限り人ばかりで、それはお祭り騒ぎの街よりも遥かに多い人ごみであった。そして出場する選手が向かうところと、観客が昇る階段とで分かれているところでエレグは、短く僕らに別れを告げた。
「じゃあな」
歩いていく背中に向かって、トウヤは叫んだ。
「頑張れ、エレグ!」
エレグは片腕を持ち上げて、左右に軽く振った。それが挨拶だった。
どんな試合が見れるのか、トウヤは楽しみになった。
出場選手のすべてが控え室に集まっており、出場の時までいまかいまかと準備を整えていた。エレグは空いている席に座って、瞑想していた。
選手には様々なものがいたが、どの者もギラギラとした眼をしており、大会で人殺しは失格だが、まさに彼らの顔つきは人殺しそのものであった。
その中の一人、盗賊らしい格好をした男が、エレグに近づく。
そして話しかける。
「エレグ元兵士長殿じゃあありませんか。俺の名はリリース。この大会を優勝する者とは俺のこと。どうだい調子は。元気があるんだか、ないんだか、わからないような顔をしているが、誰かを殺っちまうことに慣れてるあんたにとっては、武道大会などおままごとみたいなもんなんだろう?」
相手を不愉快にさせる声付きをした男であった。
エレグは瞑想するばかりで、リリースのことを無視している。
そのことがリリースは気に障った。
「あれはもう何年前のことだろうなあ。兵士長のあんたが、兵士になるきっかけを作ったあの戦い。国中の英雄扱いだったあんただから皆疑わなかったが、真実はいったいどういうことだったんだろうなあ。なにせそれは誰にもわからんことだしなあ」
エレグは閉じていた眼を開けた。その水色の眼に、怒りが混じった。
それを察したリリースは、すぐに立ち上がり、
「冗談さ、冗談……」
といってエレグから立ち去っていった。
過去。人には誰しも消し去りたい記憶というものがある。エレグにとってもそれは例外ではなく、彼にはどうしても消してしまいたい記憶があった。だが、その記憶はいくら年月が過ぎても風化することなく彼の胸内に有り続けてきた。
「忘れられるものか……」
エレグが思わず呟いたその声は、打ち上げられる花火の音に混じってどこかへ消えていく。
大会は、もうすぐ始まろうとしていた。
エレグの隣に二人目の訪問者が現れる。
金髪の長髪をなびかせる、ラングザードである。
「元気にしているか、エレグ。街の人は皆、お前が優勝すると思っているぞ」
「お前に賭けている者も大勢いるようだ」
「ははは。ならば、期待に応えなくてはならないな」
優勝候補の二人は並んで座った。
やや沈黙が走った後、ラングザードが口を開く。
「私は、ずっと、お前との決着をつけたかった」
エレグはラングザードを見た。そしてすぐに目を瞑った。
「決着などつける必要はない。俺とお前は、同じ国の者同士。争う必要はどこにもない」
「だから、こんな機会は滅多にない。街のみんなは噂しているはずだ。本当は、ラングザードとエレグは、どちらが優秀な猛者なのか、と。それを民たちに教えるチャンスとして、今回の武道大会ほどふさわしい場はないだろう」
「どうだろうな」
「決勝まで上がってこい、エレグ。王の計らいで、決勝まで私とお前は当たらないようにしてもらった。私とお前が決着をつけるのは、決勝戦以外にはないのだ」
「…‥」
エレグはそれきり黙ってしまった。
ラングザードは立ち上がり、彼の言葉を待つこともなく、控え室の隅へと移動した。
鐘が鳴り響く。
一回戦が、はじまろうとしていた。




