レゴス村への襲撃とミラの特性
三人が滞在していたそこは『レゴス村』という名前であったが、その村の南の方角、つまり大陸の外、海がある方から魔鬼獣の集団は現れた。
ミラはまず疑問に思った。
「なぜ、象徴による守護の影響も受けずに、こんな数の魔鬼獣の侵入を許した。それに海からこの村にたどり着く前にも他に町や村はあったはずだ。それらはすでに襲われて全滅したとでもいうのか」
ミラが思案している間にも魔鬼獣の集団は南の谷底から迫っていた。見下ろすその先には小さな蠢きがいくつもあって、それらがゆっくりと進軍していた。もっとも小さな魔鬼獣、子鬼。その子鬼の大群であった。
空には翼を持った魔鬼獣、飛竜鬼が飛んでいた。空と陸、両方からの進行。止めなければ、村は全滅することは間違いなかった。
「数が多いな」
エレグは真剣な面持ちで短く言った。そしてトウヤの表情を見て、思わず心配した。
「大丈夫か?」
「いや……」
トウヤは魔鬼獣の大群のその規模の大きさに圧倒されていた。
そして、
「おええええつ」
その場で吐いてしまう。
魔鬼獣への恐れの感情のせいもあったが、一番の吐いてしまった理由は、ひどい、むせかえるような臭いのせいであった。腐敗臭とでもいえばいいその臭いは、谷底から村中いたるところに広がっていくかのようである。
鼻を腕でおさえながら、トウヤはミラに尋ねる。
「僕はどうすればいい」
彼女は何も答えない。ミラは谷底を見据えていた。その表情にはどこか余裕があったから、トウヤは少し安心した。口の中に吐いた後の不快なねばつきと臭いがあって、最悪だ、と苦笑した。
ミラとエレグは鼻をおさえることすらしていなかった。魔鬼獣の臭意に慣れているのだろうか、と思った。
何も答えなかったミラが、ようやく口を開いた。
「お前は私の後に続け。はじめての戦いだろうが、緊張するな。ただついてくるだけでいい。戦場の空気を吸って、この魔鬼獣の腐敗臭に慣れろ。これから先、何度か戦うことになるだろうからな。……筋肉男は、何をすればいいか、わかっているな」
「村人を守ればいいのだろう」
「そうだ。武練術は一対多には向かないからな。私の炎をかいくぐって村に侵入してくる飛竜鬼をぶちのめせ。任せたぞ」
「ああ。任せろ」
「では、リーダー。行くぞ。谷底に降りる」
「この場から魔導で攻撃していけばいいんじゃないの?」
「私の炎は自由に動かせるが射程距離が長くはない。ここからでは谷底にも空にも届かない。まずは子鬼を焼き払い、その後に飛竜鬼を撃ち落とすのだ。そのためにも、もっと接近する必要がある。だから谷底に降りなければならない」
「谷底に降りたら空との距離が広がって、魔導が届かなくなるんじゃ」
「素人がそんな心配をするな」
つめたく言い放ってから、ミラは駆け出した。
突然走り出したものだからトウヤは慌てたが、急いでついていく。
「今からこの戦場で一番安全な場所。それは私の背後だ。幸運に思え」
「自信家だね」
「実力者、だ。私は紅蓮の魔導師だぞ」
谷底までは思っていたよりもすぐにたどり着いた。何度か崖を滑り落ちるようにして下った時につんのめって転びそうになったが、大丈夫だった。
谷底にたどりつくと、すでに子鬼たちが目の前に迫っていた。
まるでその大群が一つの生き物であるかのように、塊であるかのように、わらわらとそれらは蠢いていた。谷底は両横は崖になっており、縦にはずっと長かったが、その縦のずっと先までその生き物は伸びていた。
「どこから湧いてきたんだ。……こんな数の子鬼が、どうやってこの大陸に踏み入った…・…。まるで家に入り込む羽虫だな。どこから入ってくるかわからない虫だ、そんな連中に、この私が負けるはずがない。どれだけ群れようがな!」
ミラは両手を振り上げる。
その両手から炎が湧き上がって、その炎がどんどん膨れ上がっていく。
「連舞流爆球」
そう呟いた次の瞬間、彼女の両手の膨れ上がった炎が、一瞬で爆発するかのように、破裂するかのようにその体積を増した。風船が膨れ上がってしぼむのと逆だ。しぼんでいた炎が、膨れ上がったのだ。
その火球は谷底を直進して、すべてを薙ぎ払い、燃やし尽くしていく。
あれだけ無数にいた子鬼が、散り散りになっていった。
たった一撃で、半分以上の子鬼が燃え尽きたようだった。
「……めちゃくちゃじゃないか、こんなの」
トウヤの感想は実に単純だった。おそろしく、すごい。
ミラはその後も魔導を唱え続けた。その度に炎が踊り、地を走り、焼き払い、獣の命を終わりにしていく。やがてほとんどの子鬼が掃除されるのに、時間にして一分もかからなかったかもしれない。これが紅蓮の魔導師か、とトウヤは舌を巻いた。
空を飛んでいる飛竜鬼も簡単に燃やし尽くしていった。魔導を足元で発動させて、火柱を発生させる。その火柱に乗っかることで空へと飛んでいき、あとは子鬼を倒したのと同様の魔導で、薙ぎ払い、燃やし尽くしていく。
魔導師というのはみんなこんなに強いのか。
それとも魔鬼獣が弱いとでもいうのか。
ミラという存在が異常なのか。
トウヤにはわからなかったが、ミラが無力な自分の護衛に選ばれた理由はよくわかった。
(この剣、結局まだ一回も使ってないな)
そんなことを考える余裕も生まれていた、その時。
何かの音が耳に入る。
「ん?」
まるでそれは、人が地面に足をつけた時の音のようだった。
エレグが助けに谷底に降りてきたのだろうか。
そう思って振り返る。
魔鬼獣がいた。
「なんで……」
背後の崖からそれは落ちてきた。つまり、それは村の方角からやってきたということになる。ミラは一匹も逃すことなく燃やし尽くしているはず。別の方角からも魔鬼獣が現れたということか。
「こいつ、子鬼じゃない。当然、飛竜鬼でもない。……まるで、人じゃないか……」
それは人の形をした魔鬼獣だった。
全身が紫色のどろどろに染まっていて、両手にはするどい爪が生えている。おそらくそれで獲物を切り裂くのだろう。戦わなければ、切り裂かれるのは、僕だ。ミラはまだ空にいるはずだ。助けを期待することはできない。大声で叫べば気がついてくれるだろうか。
声が、でない、
(緊張しているんだ。震えているんだ)
トウヤは一歩背後へと飛んだ。なるべく距離を稼いで、作戦を考えなければならないと思ったからだ。そこで彼はようやく気がついた。
(こいつ、光闇の両眼を持っているじゃないか!)
やや、混乱した。化物であるこいつはトウヤと同様、右眼が光の色で、左眼が闇の色だったのだ。
(こいつは化物。ならば同じ眼を持つ僕、つまり光闇の魔導師も、化物なのか?)
違う、僕は人間だ。
だが、こいつも、まるで……
「う……が……ころ……して……」
間違いなく、喋った。
魔鬼獣は喋る生き物なのかどうか、それはトウヤにはわからなかった。
だが、人の形をした魔鬼獣、それが喋るというのは、ひとつの予感を感じさせた。
こいつは、人間なのではないか。
トウヤがそう思考した次の瞬間、空けていたはずの距離がすぐに縮まる。今まで動かなかった魔鬼獣が地面を蹴り、その一歩でトウヤに急接近してきたのだ。
トウヤは小さく呻き、その突進をかわそうとしたが、あまりにそれは速くて、避けることは叶わなかった。突進のせいで倒されてしまい、魔鬼獣を見上げる格好となる。
(殺される)
長い爪が煌き、腐敗臭がさらに強くなる。
貫かれる、そう思うだけで精一杯だった彼の顔に。
鮮血がふりかかる。
自分の血ではない。自分の血であるならば、顔にはかからない。
「そんな……」
貫かれたのは、ミラの小さくて細いその身体だった。
糸が切れた人形のように崩れ落ち、パタンと地面に横たわっていく。
ミラが……。
「うわあああああああ」
先ほどまで声がほとんど出なかったのに、振り切れるかのように叫んだ。咆哮といってもいいほどに大きなその声は、谷底全てに響き渡るかのようであった。
トウヤは剣を強く握り締めた。何かがさっきまでとは決定的に違った。力が溢れるかのようで、その暴走する力を抑え込むことができそうになかった。
「お前、殺したな」
一歩踏み出す。
それだけで一瞬で相手との距離が詰まった。
そして剣を振り上げる。
その一撃だけで魔鬼獣の両腕が吹っ飛んでいく。
さらに足で魔鬼獣を蹴り飛ばす。数メートルほどぶっとんでいって、獣は地面に倒れた。
トウヤは跳躍する。
まるで飛翔するかのようにひどく高く飛び上がるその様は、常人ではありえなかった。
彼は、目覚めていた。
「死ね、魔鬼獣」
落ちると同時に剣をその身体に突き立てる。剣は深々とささり、魔鬼獣を串刺しにして貫いた。魔鬼獣は痙攣するかのように震えてから、動かなくなった。
トウヤは剣を引き抜くと、立ち上がろうとしたが、すぐにガクンと膝から崩れ落ちた。
まるで体力の全てを使い切ってしまったかのように、身体が自由に動かない。
勘の良いトウヤには、もうわかった。
「これが、僕の、特性……」
どういう特性だったのかはまだ判然としないが、しかし先ほどの力は間違いなく特性としか考えられないそれだった。この体力の消耗は、特性を使った反動といったところだろう。
「はは。一匹倒すのにこれだけ疲れるなんて。……こんな力が最強だって? ミラの方が遥かに強かったよ……」
トウヤは気が付くと泣いていた。自分のせいで誰かが死んでしまったということが、悲しく、そして何か責任を背負うかのような気分だった。
トウヤは空を眺めた。
そして見る。
崖の上から魔鬼獣が滑り落ちてくる。先ほどの魔鬼獣と同じ人型のそれだ。一体ではない。それはトウヤを取り囲むかのように飛び降りてきて、周囲を囲んだ。
「どっから湧いてくるんだ……」
立ち上がろうとした。だが、消耗のせいでろくに動けない。
剣を地面に突き刺すことでなんとか立ち上がったが、それ以上のことはできそうになかった。
さすがに死を覚悟したその時。
「特性が発動したようだな、リーダー」
声のしたその方角、背後を振り返る。
ミラがむくりと起き上がっていた。
「なんで……生きて……」
「私がそんな簡単にくたばるとでも思っているのか? あまり、舐めるな」
紅蓮の炎が再び舞い踊る。真っ赤な両眼が光っていた。
一瞬で、すべての魔鬼獣は焼き払われ、すぐに静かになってしまう。
貫かれたはずのミラの身体からは血が流れておらず、ローブに穴は開いていたが、それだけだった。
たしかにミラは刺されたはず。死んでいたはず。
だが死んでいない。ということは、これはつまり……。
「ミラの魔導師としての特性。それが発動したのか」
正解のようだった。ミラは、ふん、と小さく言ってから、金槌をくるりと回転させた。
「私の特性は、『不死』。つまり、不老不死ということだ」
不老不死。殺されても、死なない。そして、老いることもない、ということか。
反則だろ、それ。
あまりに自分と比べて強い特性のような気がする。
思わずトウヤは笑ってから、その場で、前のめりにぶっ倒れた。