魔鬼獣
馬車での移動というのは想像しているよりも疲れるということだろうか。それとも召喚とか街を買い物したりだとかの疲れのせいだろうか。わからないが、そのおかげか気絶するかのようにぐっすりと眠ってしまった。黄ばんだスーツのことなどまったく気にならなかった。
太陽が東から昇った。朝日を見た。真っ赤に燃えるその朝日は、とても綺麗だった。
「食材が無駄にならないよう、調理場を借りて朝食を作った。食べろ」
はじめてのエレグの料理であった。
魚に野菜が乗っかっていて黄色のソースがかかっていた。スープもあって貝類が具として入っていた。飲んでみるととても優しい味わい。魚のほうも美味そのものであった。
こんな料理を無料で食べられるというのは、なんたる幸せか。
エレグという男にひどく感謝した。
「ありがとうエレグ。ごちそうさま、エレグ」
ちゃんとお礼を言った。
「そうか」
エレグは淡白な返事だけして、調理場へと消えていった。
調理の後片付けも終わり、宿からチェックアウトすると、人だかりが出来ていた。人の少ないこの村でなぜそれほどの人が集まっているのか、と馬車が出発する前に少し顔をのぞかせた。
人だかりの理由は、きさくな商人であった。
「さあ見てってなー。街じゃ買えない貴重な品物ばかりやで~。おっ、そこの兄ちゃん、噂の光闇の魔導師さんやな! サービスするから、いろいろ買ってってや~。光闇の魔導師さんに商品を買ってもらったとあれば、自慢になるさかいな~。ほら、用心棒のセっちゃんもお願いしてして~。この兄ちゃん光闇の魔導師やで~、セッちゃん」
セッちゃんと呼ばれたのは商人の背後にいるほっそりとした男のことだと思われた。
用心棒ということは強いのだろうが、筋肉もまるでなく、物腰もどこか棒立ちな感じで、どことなく生気が感じられない。用心棒のセッちゃん、実に弱そうであった。
「あ、ちなみにわいの名前はキーマや。セッちゃんの方は本名はセツというんや。いずれこの大陸一の商人と用心棒になる予定やから、顔と名前と商売上手なところ、覚えてってや~」
キーマはトウヤの名前を訪ね、トウヤは陽気で喋りやすそうな人だなあ、と思いながら名前を教えた。後ろでむすっとしている二人の名前も教えてあげた。
「そっかぁ~。トウヤいうんか~。変わった名前やな~。エレグさんとミラさんも、欲しいもんがあったらどんどん言ってくれや~。お安くしとくで~。当然、無料ではないで~。商売上手やからな、
自分。って、ん、ミラ。ミラといえば、あのミラさんやないの? ほら、あの有名な火の国の、紅蓮の軍師ミラと同じ名前やし、目の色も赤や! あ、もしかして、自分、親がミラに憧れてミラって名前子供につけたんとちゃうか。そらそうやろうな、軍師ミラがこんな子供なわけないしやな~」
セッちゃんが背後で頷いた。キーマはよく喋るが、セッッちゃんは何も喋らない。
ミラは子供と言われたことに腹を立てたらしく、「ちっ」と舌打ちした音がトウヤには聞こえた。
キーマは商売人らしい笑顔を浮かべたまま、
「さあトウヤさん、何を買うんや?」
ともはや何か買うことを前提として聞いてくるので、思わず直感で首飾りを手にとってしまった。
「それを選ぶとはお目が高いやんけ~。なかなか格好良いデザインやし、重くもないし、作りも頑丈で壊れづらいんやで~。なにせわれの長旅にもめげず傷一つつかずやからな~。何か魔導の力でも備わってるのかもわからんな~」
「魔導の力が備わってるってことは、魔導を発生させる力もあるかもしれないな」
トウヤはそんな可能性もあるかと思って言ったが、すぐにミラに否定された、
「六属性の影響がそんな簡単に破れるものか。もしそんな首飾り一つでお前が魔導を使えるようになったら、私は全裸で逆立ちしながら世界中を歩き回ってやってもいいぞ」
「ミラさん、そんな約束したらあかんで~。いたいけな女の子がそんなスケベなことを言うのもはしたなくて一部の人間を喜ばせてしまうだけやで~。気を付けや~。それでトウヤさん、その首飾り買うんやったら、特別に無料にしてもいいんやけど、ちょっと、ゲームせえへん?」
「ゲーム?」
急にキーマは真顔になっていた。トウヤは警戒した。
「このセッちゃんと一騎打ちせえへん? トウヤさんが買ったら無料でその首飾りをあげるで~」
「負けた場合は?」尋ねながら、トウヤは何と言われるかわかるような気がした。
「用心棒セッちゃんは光闇魔導師に勝ったことがある、っていう武勇伝として永久に語らせてくれるだけでいいで!」
やっぱりな、とトウヤは真顔になった。
買ってもらった剣だってまだ一度も振るってないし、特性だって持っていない。魔導も使えないわけだし、相手は魔導師じゃないから属性耐性など関係ない。
セッちゃんは強そうではないが、それでもキーマとともに長年旅をしている用心棒であることは事実だ。おそらく場数はそれなりに踏んでいることだろう。
そんな相手に勝てるかと問われれば、戦いの素人では勝てるはずがないような気がする。
首飾りを買わなければ戦う必要はないのだ。キーマには悪いが、セッちゃんの握っている長槍で身体を斬られたり貫かれたりするのはだいぶ痛そうだ。
強くなるにしても、まずはトレーニングからはじめるべきだろう。いきなり一騎打ちなどできるわけがないのだ。
そう思って断ろうとした瞬間に、
「もしトウヤが勝ったら、光闇の魔導師は剣の冴えもある天才だ、とこれからの旅先で必ず人々に語れ。噂になるようにな」
とミラが余計なことを言った。こいつ、僕を戦わせる気だ、とトウヤは震えた。
キーマがその話に乗った。
「そんなことならお構いなしやで~。どうにしろトウヤさんはとっても気前のいいやつやで~ってお客さんに教えてやるつもりやったしな~。じゃあセッちゃんと戦ってくれるんやな、トウヤさん。よしセッちゃん、準備運動や!」
セッちゃんが動き出した。今までぴくりとも動かなかったセッちゃんのその動きは、やはりどうにも生気を感じられなかった。
もしかして勝てるんじゃあ、とトウヤは思った。
「ふっ。……面白くなってきたな」
エレグがそんなことを言った後、すぐに村中の人々が集められ、人々が円を描くかのように集まり始めた。その円の中に残ったのは、トウヤと、セッちゃん。
二人の一騎打ちが、今すぐにでもはじまろうとしたその時。
一人の男が村中に聞こえそうな大きな声で叫んだ。
「魔鬼獣だ! 魔鬼獣が、現れたぞ!」
こうして、一騎打ちは中断となった。
大陸の脅威が、その姿を現したのである。